第30話:3人でハワイクルーズ2

文字数 2,887文字

 中でも1790年のカメハメハ大王がマウイ島を征服したケパニワイの戦いはハワイ史上最も激戦で辛い悲惨な戦いとして知られている。戦いはカメハメハ大王の軍が勝利を治めたが、同時に両軍から多くの兵隊が犠牲となりました。谷底を流れるイアオ川の水は血で赤く染まり、犠牲となった死体は渓谷に流れる小川の流れをせきとめたといわれている。

この事から、この戦争は「せき止められし水」を意味するケパニワイと呼ばれるようになったと語った。ツアーを終えて話をしてくれたサムを誘って昼食をとって、お礼を言って船に戻った。3日目はハワイの島で一番大きいハワイ島のコナに到着し接岸する場所がないので沖から小舟・テンダーボートで小さな波止場に到着した。

 コナと言えば何と言ってもコナ珈琲、3人とも珈琲は大好きなので珈琲を楽しめる「歴史の街コナ」日本語ツアーに参加した。ケアラケクア湾の美しい眺めの後、古代ハワイ宗教の神殿があった聖地プウホヌア・オ・ホナウナウ国立歴史公園を訪ねた。ハワイ語のプウホヌアには「逃れの地」「聖域」といった意味があり、この場所は日本の「駆け込み寺」のような存在。

 日本の江戸時代の駆け込み寺は夫と離縁するために妻が逃げ込んだ場所。当時は妻側から離縁することができなかったためです。かつてハワイにはカプ制度・掟があった。簡単に言えば「カプ」とは衣食住などの生活全般に関する決まりごと。ポリネシア語のタブが語源となってる。ちなみに「タブー」もこれが語源。

 カプ制度では「○○をしていけない」という決まりが、階級や職種、性別によって細かく定められています。 たとえば、
「男女が一緒に食事をしてはいけない」
「庶民は酋長の影を踏んではいけない」
「女性はココナッツ、豚、バナナ、タロ等を食べてはいけない。」
 特に女性は禁止された食品も多かったりと難儀な生活を強いられていた。

 もしカプを破ってしまったら?当時はカプを破ると災いが起こると恐れられていた。破った者は即死罪。それ以外の道はないという厳しすぎる掟。そこで王族達は彼らが生き延びることができる「逃れの地」を設けた。それが「プウホヌア」です。プウホヌアはホナウナウだけでなくハワイ各地に造られたそうです。これらの地でカフナ「神官」から儀式を受けることで、彼らはその罪を許されることになった。

 とは言え追っ手から逃れながら、ここに辿り着くのは容易ではなかったのだとか。また罪人のためだけではなく戦争中に戦火から逃れる地だったり戦争の敗者が逃げ込む場所としても機能していました。何とも、すごい場所なんだなー、感心すること、しきりだった。そういうむずかしい話を聞いた後、いよいよ有名なコナ珈琲専門店に入って、美味しいコナ珈琲をいただいた。

 まず上品な苦味があり、くどい苦さはなく、色も、どちらかというと薄めだが、しっかりとした上品なコナ珈琲の独特のコクがあり、さっぱりしているので犬山重臣の夫婦はおかわりした。母の貴子さんも娘の淑子さんに少し頂戴と、もらって、ゆっくりと雑談しながら珈琲タイムを楽しんで昼食をとってから午後3時には船に戻って、ショーを見たりして、過ごした。

 4日目はハワイ島の粉の反対側のヒロ港に到着、ツアーでキラウエアを希望したが高山で風も強いので暖かいウインドブレーカーなどが必要と聞かされ上着を持参して参加した。キラウエアは現在も活発な火山活動が続いている。火の神ペレが棲むといわれ、今も、もくもくと煙があがっているハレマウマウ火口を見た。

 その後、キラウエア・イキ火口からパワースポットとしても有名な溶岩流が形成したサーストン溶岩トンネルを散策したが、足場が悪いので3人で、母の貴子さんの手を引いて歩いた。ハワイ火山観測所とジャガー博物館の見学後、ビックアイランドキャンディーズの工場へ立ち寄ったがキャンディには興味がなく休んでいた。その後、船に戻り早めに床について疲れたせいか熟睡した。

 5日目はカウアイ島のナウリウリ港へ着いてワイメアキャニオン・ツアーに参加してワイメア渓谷は太平洋のグランドキャニオンと言われラスベガス近郊のグランドキャニオンと対比される。大自然の力で何百万年もかけてできあがった渓谷は、赤、茶、溶岩石色、青、草木の緑を合わせた鮮やかな虹色がとても素敵な絶景。展望台へ行きカメラで多くの写真を撮りながら、場所を変えて広い渓谷を眺めた。

 昼食をとって船に戻ったのが16時頃で船内でゆっくりして、この日はバーへ行き貴子さんと淑子さんのクルーズでの印象を聞きながら、カクテルを飲んで少し酔って部屋へ帰った。6日目は出発が14時となっていたので船内でカードゲームしたり卓球をしたりして過ごして昼食後、出向して帰路についた。7日の朝7時にはホノルル港に到着してホノルル空港の午後の便で成田に向かった。

 2006年4月14日、日本に帰ってきた翌朝、少し時差呆けが残ったので、ゆっくりして4月16日に亡き、義理の父、木下公彦さんの墓にハワイクルーズの報告方々、墓参りに出かけ、この日は亡き木下公彦さんが喜んでくれてるような晴天の日だった。帰り際に貴子さんが、あなた、私は、これからも健康で人生をずーっと楽しんでから、そちらに行くから、しばらく待っててねと言うと、娘の淑子さんが涙ぐみ、その様子を眺めていた。

 2006年5月1日に犬山重臣の長男、犬山良男から電話が入り、6月10日に結婚式を挙げると突然の電話が入り、今日の夕方、新宿・小田急の中のレストランで彼女を紹介するので来て欲しいと言われて出かけた。夜18時半に、行くと良男が照れながら、こちらが現在、モデル兼、女優の卵の近藤麗子さんですと紹介し、次に、こちらが両親の犬山重臣、淑子ですと紹介し、最近、会社を辞めて、投資家をしていますと言った。

 淑子さんが麗子さんを見て「わー、すごい美人ね」と言い、どうやって彼女のハートを射止めたのと良男に聞くと最近、プロ・サッカーJリーグで出場する機会を与えられる様になり昨年2005年1月のJリーグの新年会の時に呼ばれた女優のゲストとして麗子さんが来ていて一緒に食事し飲んで良男の方が一目惚れした。

 その後、秘密裏にデートし始めて今年の初めに週刊誌に密会現場の写真を撮られて麗子さんが結婚か仕事か迷った末に結婚の方を選んだと教えてくれた。もう既に良男は東京ガスの寮から麗子さんの住む東京の2DKマンションに移り住んでいると話した。どこで結婚式をすると聞くと東京のありきたりのホテルではなく麗子さんの生まれ育った。

 橫浜のホテルニューグランドで2006年6月18日、午前11時、結婚式の予約を入れたと言った。犬山重臣が費用はあるのかと良男に聞くと、それは大丈夫と言った。彼女はフェリス中学・高校出身で上智大学・英文科卒業の才媛で、両親は昔から橫浜で代々続く小さな商社の経営者の家系だと言った。そして話の一部始終を聞いて夜21時に犬山夫妻は帰った。
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