第37話:長女に会いにシンガポール、マレー旅行

文字数 3,100文字

 2009年2月12日、留守を吉田さん夫婦にお願いして犬山重臣さんと奥さんはシンガポールとマレーシアのコタキナバル、シャングリラ・タンジュンアルーに2週間の予定で出かけた。まずシンガポールに飛んで長女の幸子と旦那さんの梅沢新一君に会い結婚のお祝いを言って、ご祝儀を渡し夕食を共にした。

 彼は一橋大学を出てから日本でいちばん大きな銀行に勤めてシンガポール支店に転勤したが任期途中でHSBC・香港上海銀行・シンガポール支店にスカウトされて支店次長にまで出世したエリート銀行マンだった。彼らのマンションは高層でシンガポール中心街にあり素晴らしい眺望の大きな部屋。今のところ2人で働き数億円の資産を持っているようだ。

 翌日の日曜日にシンガポールの名所のセントーサ島に行きケーブルカーに乗ってユニバーサル・スタジオにいくと古代エジプトを模したテーマパークや映画のキャラクター達が多くいて写真を撮ったり夕食をとって夜の花火を見て帰って来てシンガポールに2泊した。3日目にマレーシアのコタキナバルに着いてタクシーでシャングリラ・タンジュンアルーホテルのキナバルウイングにチェックイン。

 クラブ・ラウンジで食事をとったりカクテルを飲んだりできた。翌朝はホテル内を散歩し夕方、最近出来たスパに淑子さんが行ってエステを楽しんで、うれしそうに部屋へ帰って来た。翌日は朝7時に「キナバル公園&ポーリン温泉」ツアーへ参加し車で2時間かけて行くと、そこは標高1000mで東南アジア最高峰のキナバル山が、よく見えた。

 そこから40分でキナバル公園の植物園へ着いてボルネオのジンジャー、イチジクなど、珍しい植物を見て回り、その後、また車でポーリン温泉へ向かった。温泉の近くで50m近くある大きな吊り橋を渡った。その後、山道を30分行くとまたジャングルにかかる、いくつもの幅の狭い釣り橋を渡りスリルを味わった。つり橋から戻って温泉へ行くと土曜日だったので地元の人たちも多く混んでいた。

 一応、水着も用意していったが足湯だけ入ってみた。足湯は温度が3段階に分かれていて一番熱い所にもちょっと入ったが、すごい熱かった。温泉を楽しんだ後に中華料理の昼食をいただいたが美味しかった。食後、世界最大の花と言われているラフレシアを見学に行き道沿いに何箇所か「今、ラフレシア咲いてるよ~」と絵で示した看板があった。

 ラフレシアは花が咲くのに2年かかり咲いてから3、4日で枯れてしまうので、なかなか見られないらしい。今回。幸運にもに咲いていると聞かされてワクワクし山の奥へ入っていくと大きくグロテスクなラフレシアの花が見えた。直径、80cm以上の可愛くなくグロテスクな花で珍しいとは思うが、きれいな花ではないし、更に地元の民家の人にしっかりと料金をとられた。

 15時過ぎにホテルに戻りクラブラウンジで一休みしながら夕日が落ちるを眺めていると旅の疲れでウトウトしてした。夕食後、疲れたので早めに床についた。奥さんは今日のツアーの感想としてジャングル探検と言った感じで一度は良いが2度目は遠慮すると言った。翌日が筋肉痛でクラブラウンジから離れられなかった。

 3日目は同じ系列のラサリアホテルのオランウータン観察ツアーに参加し子供の可愛らしい目のオランウ-タンを見て楽しんだ。まさにオランウータン「森の人」という感じがした。そして、よく見るとオムツをした小さなオランウータンが登場すると女性達の可愛いの黄色い声が湧き上がった。特に、その愛らしいキュートな目に観客達はうっとりしていた。このツアーは大人気で、やっと予約を取れたようだ。

 その後、コタキナバルの町でショッピングしてカフェで、たまたま知り合った同年代くらいと思われる、木島輝彦、葉子夫妻に、お会いして移住して5年目だと言われて、お宅へ招待された。そこはコンドミニアムで3DKで、お手伝いさんの若い東南アジア系の女性がいて紅茶とビスケットをいただいた。ベランダから海が見えて海からの風が心地よく快適だった。

 部屋も広く電化製品もそろっており2人で生活するには十分の広さだった。奥さんの話では美味しい中華料理が多く物価も安く気に入ってると話したがマレー人が、いい加減なところがあって、また華僑の人達は、ずるがしこく注意しないと高い料金をふっかけてきたりするので注意が必要だと話してくれた。春か秋に日本に買えることがある位で基本的にはここにいると言った。

 コタキナバルで生活しシンガポールでの投資で豪ドルの高金利、定期預金をし、その利子も重要な収入源だと言った。年金プラス利子で十分にやっていけると言った。困っている事は最近、中国人の団体間観光客が来る様になり、言動が問題になりマナーが悪いし大声でしゃべるし他の人への気遣いがなくトラブル多いと話した。夕飯までご馳走になり、お礼を言って失礼した。

 その後も木島輝彦の運転で多くの場所へ連れて行ってもらいコタキナバルの表のきれいで華やかな地域とフィリピンから流れ着いた海上生活者の貧相な集落を遠くから眺めてコタキナバルの表と裏を見せていただいた。いつまでいらっしゃるのと言われて1月29日までと言うと1月27日に日本人会のゴルフがあるのですか参加されたらと言われた。

 それを聞いて犬山重臣と奥さんが良いんですかと聞くと大歓迎ですと言うので費用を聞くと2人で日本円換算で7千円だといわれた。もちろんメンバー料金ですが昼食とパーティー台も含まれていると言うので、こんなに安く良いのですかというと大丈夫ですと言い、日本から来たゲストに会うのを楽しみにしてるメンバーも多いのですよと教えてくれた。

 数日、ホテルで、ゆっくりして1月27日を迎えてホテルまで、木島夫妻が迎えに来てくれ、ゴルフ場について、クラブをレンタルしてもらい準備をしてクラブのレストランで今回の参加者16人でゲストとして2組の中高年の夫婦2組4名が招待されていた。簡単な自己紹介をして乾杯をしてコンペが始まった。一緒に回る事になったのが和泉君子さんと羽島義経さんだった。

 羽島義経さんは大手商社に勤めていてマレーシアで長年仕事をして定年後も、こちらで生活し2年前に奥さんを亡くしたが、ここに住み続けているという。もう1人の和泉君子さんは、まだ40代の美人で旦那さんが投資家でシンガポールで投資をして税金が優遇されるので、ここで生活してオーストラリアやニュージーランドと行き来して生活してるようた。

 今回、40代の一番若い夫婦だそうだ。ゴルフを始めると和泉君子さんが上手でスコアーも良く手堅いゴルフをしていた。もう1人の羽島さんは背が高く大柄で飛距離がすごかった。犬山夫妻が打つ時に和泉君子さんがコースを熟知しているのか的確なアドバイスで打つ方角や最適なクラブを教えてくれて足手まといにならずに済んだ。

 犬山重臣は意外に飛ぶので自分でも納得がいくスコアーでまとめた。奥さんも君子さんの的確なアドバイスで何とか、ついていった。16時にゴルフが終わり意外にも犬山淑子さんがニアピン賞を取った。その後、会場を替えてコタキナバルの彼らの行きつけのレストランの大きな部屋で2次会として乾杯して飲み始めた。

 しかし、犬山夫妻は明後日、日本に帰るという理由で木島夫妻に、お礼を言って夜21時には失礼しホテルに戻った。翌々日の便でコタキナバルから成田へ飛んで夜20時には家に戻って留守番してくれた、吉田夫妻に、お土産を渡し早めに床についた。
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