第24話:重臣の早期退職と海外旅行

文字数 3,283文字

 その後、奥さんと話すと退職金2倍で幾らになるとの聞かれ4千万円と言うと、それなら辞めたほうが良いのではないですかと言われ犬山重臣が2004年1月10日早期退職を決意、イトーヨーカ堂の本社の専務室を訪ね退職勧告を受理しますと告げて手続きをとって退職した。退職後、1月からディズニーワールドとフォートローダーデールからのクルーズに出かけた。

 2004年1月20日、真冬の日本を抜け出しデトロイト空港経由フォートローダーデールへ18時間かけ出かけた。1月21日、フォートローダーデールに到着し1泊して1月22日、昼にホテルを出てロイヤルカリビアンの大型船に乗船の手続きを取って乗船し、翌日は1日航海し1月24日、最初の寄港地、ハイチのラバディーに着いた。

 ここは、ロイヤルカリビアン社のクルーズ乗船者だけが入ることを許可されています。完全プライベートビーチになっており日光浴をしたりしてのんびり過ごせた。次はバシン ブルー、これはハイチ南西部のジャクメルにある池「バシン ブルー」この池は一見の価値があると思われる程、魅惑的な青い色をしていた。

 次はオジェ フォムブルン博物館、ここはサトウキビのプランテーションや奴隷制度のフランス植民地時代の歴史を知ることのできる博物館。館内ではサトウキビ・ジュースやラム酒の試飲できるバーが併設されおり周囲は美しい公園になっている。2つ目の寄港地・アメリカ自治領・プエルトリコの首都サンファンに着いた。

 サンファンの街は道をちょっと入ると石畳の道にパステルカラーのコロニアル調の建物が並び人々はスペイン語を話しスペイン領であった事を再認識した。この港周辺のエリアはオールド・サンファンと呼ばれユネスコの世界遺産にも登録されている。最初に訪ねた名所はサンファン大聖堂。1520年代に建てられたがハリケーンで壊滅、1540年から長い年月をかけて再築された。

 街の外れの岬にむかうとエルモロ要塞がある。この要塞はスペイン領だったプエルトリコ。アメリカとスペインの中継地点として発展したサンファン港の土地柄のためイギリス、オランダ、海賊などの外部からの攻撃に脅かされ50年もかけて要塞を作り、その後も使い工事を重ねた。ただプエルトリコは財政状況が悪く、治安も、良くないと言われ、気をつけて観光をした。

 3つ目の寄港地、セントマーティン島は小さな島は北側がフランス領のサン・マルタン、南側がオランダ領のシント・マールテンと呼ばれ、2つの異なる国に統治されている。セントマーティンと言えば、海岸線・マホビーチ、すれすれに離発着する飛行機の光景で世界中で有名。ここはスリリング場所、大きな騒音を我慢してでも行きたい名所。

 セントマーチン観光中に美味しいものを食べたいと思ったら、フレンチサイドのグランカーズへ行くと良い。「カリブ海の美食の首都」と呼ばれる通りフランス本土顔前のフレンチレストランを中心にレベルが高く、それでいてリーズナブルなレストランが軒を連ねる村です。

 おすすめは、1月から4月。毎週火曜日の夜は、ハーモニーナイトという特別なイベントがあり、カリビアンジャズのバンドやオーケストラによる音楽や踊り、クラフトマーケット、パレード、ピエロ、ファイヤーダンスなど、盛りだくさん!昼間は静かな村でも、夜は観光客や地元の人で賑わう。

 4つ目の寄港地はセントキッツ島、正式には、セントクリストファーネーヴィス連邦と呼ばれてイギリス連邦の加盟国。最近有名になった、タックスヘイブン、合法的に税金を免れる地である。なんと国籍を金で買え、その国のパスポートがもらえる。ちなみに、そのためには25万ドルが必要だ。帰りは2日間、カリブ海の洋上クルーズしてフォートローダーデールに帰った。

 翌日は、フォートローダーデールを観光して、博物館と庭園が併設された「ボンネットハウス博物館&庭園」こちらの博物館では、この建物を所有していた邸宅の歴史を学ぶことができるのですが、観光名所として人気を集めているのは庭園の方で、綺麗に整備された庭園内には様々な動物がいることで注目を集めています。

 カエルやイグアナなどの爬虫類やカラフルな鳥などが集まる庭園には多くの観光客が集まる。その他ヒュー・テイラー・バーチ州立公園でフロリダの自然を満喫した。そして翌日、1月31日、フロリダのフォートローダーデールを後にし、成田へ向かい、2月2日に成田に到着して自宅へ戻った。

 2004年2月2日、日本に戻ったが寒さが厳しくシンガポールで働く娘の幸子に電話して避寒のために出かけた。2月6日、成田からシンガポールへ飛んで2月7日金曜日の夜17時、犬山重臣と奥さんが娘の幸子に会い、レストランで食事をして、明日から土日、シンガポール市内の観光に付き合ってくれた。

 早速、今晩、ナイトサファリに行こうと言いでかけた。入園したら最初にエントランス・プラザで毎晩公演されるトライバルショーを楽しんだ。それはボルネオ島などで昔からあった伝統芸能をパワーアップしたショーで口から炎を吹き上げたり民族衣装をまとったダンサーたちの迫力ある踊りが見られる。幸子が翌朝10時にホテル前に来てくれてエンプレス・プレイス、アジア文明博物館へ出かけた。

 昔から貿易の拠点として様々な文化が行き交ってきたシンガポールを感じがする所で仏教やイスラム教などの宗教美術や貿易によって流入してきたヨーロッパやアジアの品々、人々が使っていた日用品などが展示されていた。特に陶磁器のコーナーでは中国、ベトナム、タイや日本などのアジアのものから中東、ヨーロッパのものまで、どのように影響しあって互いに技術を磨いたり洗練されたりしてきたかを比較でき興味深い展示となっていた。

 次に訪れたのはエメラルド・ヒルで、オーチャードロードのすぐそばにある歴史的住宅の保護地区。1910年前後に建てられた住居をなるべく姿を変えずに維持してる。住宅は二階建てで何件かの家と横並びに繋がっており一見シンガポールの長屋と言う感じ。奥へ進むにつれ現在も住居として使われている家々が見える。それぞれにタイルやガラス窓、観音開きのドアなど住人のこだわりがある。

 一体感がありながらも細かい所は個性的。反対側から眺めたり1時間もあれば往復で楽しめる。様々な国の文化が混ざったシンガポールを感じられる所。その中でも中国とマレーが混ざりあった独特の「プラナカン」文化を見るのも楽しかった。2004年2月10日、月曜日、朝10時、シンガポールからクアラルンプールへ行く高速バスのチケットを買いに行った。

 マレバスターミナルへタクシーに乗ってバスのチケット売り場「ゴールデンマイルコンプレックス」という所行った。到着したらチケットを買い、時間まで待って、想像以上に座席は広く、快適。とにかく一人一人の座席の間隔が広く、ゆったりと座れる。もちろんマレーシアの出入国カードもバスでもらえる。出発すると15分程でイミグレーションに到着しシンガポールの出国手続きとマレーシアへの入国手続きを行う。

 手続きは日本人なら一瞬で終わった。高速バスは道中、1時間に1回ほどトイレ休憩があり、およそ6時間程でクアラルンプールに到着。その後、ホテルに入りゆっくりして明日は地下鉄を使ってクアラルンプールの市内観光を計画した。パンフレットを手に入れホテルの部屋で検討した。マスジットジャメ駅を出てすぐに見えるのが、市内最古のモスク、マスジットジャメで赤レンガの外壁と白いタマネギ型のドームで美しく連なるアーチが特徴的な建物。

 華やかさがある近代的なモスクとは違いノスタルジックな雰囲気。マスジットジャメから少し歩きイギリス国教会のセントマリー聖堂に着き、その建物は真っ白な外壁と赤レンガの屋根が可愛いい小さな教会だった。セントマリー聖堂の目の前には芝生が広がるムルデカスクエア・独立広場があり1957年にマレーシアの独立が宣言された広場で、高々と国旗がはためいていた。
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