111:ディオクレア大公の演説
文字数 2,269文字
皇帝ユリウスは、軍による教訓地区パルミラの探索を打ち切った。ディオクレア大公の奏上を叶える形となったが、それは天女の守護者であるリンの提案でもある。
リンの考えによれば、これまで麗眼布の特性を利用して意図的に忌避させられていた場所には、おおよそ検討がつくらしい。
サイオンの人間に仕組まれた思想抑制が麗眼布につながるという発想から、リンは対抗手段を講じることが可能ではないかと考えているようだ。
王宮の裏口に掲げられていた帝国旗など、リンとスーに異変をもたらした物を追いかけてみるが、王宮内からは跡形もなく失われている。
手がかりが残されていないとわかると、リンはすみやかに自身のもつ諜報組織に、レオンの婚約披露のために仕立てられた衣装の生地について調査を開始した。
ルカもルクスの総裁であるテオドラの協力を仰いで、その筋の情報を求めている。
「衣装の生地でもデザイン画でも、あの時に使われた模様が手に入ればいいのですが、さすがに一筋縄ではいかないみたいですね」
リンはルカの私邸に滞在しながら諜報の成果を語るが、芳しくないようだった。
「ここまで情報が手に入らないとなると、サイオンの動きを予測して、情報源を忌避するように謀られている可能性がある」
「そんなことまで可能ですか?」
ルカは私邸の広間でリンと向かい合ってソファに掛けていた。昼食時になっていたが、お互いにあまり食欲がない。ルカが簡単な軽食を用意させると、小卓には紅茶とスコーンが並んだ。
リンは少しだけスコーンをかじったが、やはり食欲は蘇らないらしい。紅茶もすっかり冷めている。
「僕たちを牽制するのは、麗眼布を応用できるのなら簡単なことですよ」
リンは涼やかな様子で笑った。
「天女がサイオンに施した抑制は、僕たちの深層に穿たれているものです。催眠術や洗脳とは違い、本能のようなものだと考えていただければいいですね。なんとなく嫌な感じがする。だから無意識に避けてしまう。今はそれが麗眼布の応用であると原因がわかったので、負荷はかかりますが意識すれば抗うことができる」
「ですが、あまり抗うと……」
ルカが指摘すると、リンは自虐めいた笑みを浮かべて装飾に塞がれた眼を押さえる。
「そうだね。多少は抗うことができても、抑制を破ることはできない。僕のこの左目のように、いきすぎると何らかの制裁が下される」
彼は自分の立場に慣れているのか、声に悲痛さはなかった。
「おそろしいですね」
ルカが素直な感想を漏らすと、リンは自嘲的に目を伏せる。無言で頷くと再びスコーンをかじる。ルカもすっかり冷めてしまった小卓の紅茶を手にとった。
一口含んで、大袈裟にはならないように吐息をつく。
今朝は皇帝ユリウスがディオクレア大公へ王命をおくった。サイオンの王女を王宮へ参上させる内容である。
(これで何らかの動きがあるだろうか)
ディオクレア大公は皇帝にパルミラから軍の撤退を奏上してから音沙汰がない。それがルカには何らかの時間稼ぎではないかと嫌な憶測をうみつけていた。スーの身を案じつつも、ユリウスの王命は相手の出方をさぐるための苦肉の策だった。
ルカが再び紅茶を口へ運ぼうとすると、テオドールが広間に駆け込んできた。
「ルカ様」
「テオドール、どうした?」
いつも冷静な執事の狼狽ぶりに、ルカは思わずソファから腰を浮かす。
「今しがたルキア様からご連絡があり、至急殿下にこちらをご覧になってほしいと」
何もうつさず黒く沈んでいた広間の大型画面をテオドールが素早く操作する。ルカがソファに掛け直すと、執事はいつもの冷静さを取り戻したのか一礼をして広間から姿を消した。
広間にある大画面は娯楽用に通信映像を観るために設置されているものだったが、すぐに目に飛び込んできた映像にルカは動きを止めた。
何かを語るディオクレア大公に並ぶようにして、レオンとスーが席についている。
「スー……」
無事だったのかとルカは安堵する。緊張した様子で俯いているので表情がよくわからない。
帝国式のドレスを着ているせいか、どこか別人のような雰囲気がある。
画面上の三人の所在は帝国貴族の邸宅らしい豪奢な室内にあった。大公の邸 かレオンの邸だろう。
「本日ユリウス陛下よりスー王女について王命がございましたが、ディオクレア大公家といたしましては、スー王女と皇太子殿下の婚約についてを陛下にもご再考いただきたいと思い、このような場を儲けました」
やはりディオクレアはこれを機にスーと自分の婚約を白紙に戻したいのだ。その先にはレオンとの婚姻を進め、皇帝の座につかせる野望がある。
いくら大公家とはいえ皇帝陛下への具申を公に発表するなど、本来であれば許されることではない。
ルカは大型画面に映る、強気に出た大公の顔を睨んだ。
サイオンの王女。今となってはディオクレアも彼女が帝国の礎となる意味を知っている。だからこそ皇帝に王女との婚姻について意見し、その交渉が成立すると信じているのだ。
王命への非難ともとれる内容を公に通信するとなると、ディオクレアは世間の動向も味方につけようと企んでいるのだろう。皇帝派と大公派に別れる議会で、中立的な立場をとる者も多い。そのような浮動票の行方は世論に比例する。
大公派には一度は否決されたが、依然として皇太子の元帥職更迭や、継承権の剥奪を実現させるという目的があるのだ。
「せっかくですので、レオン殿下とスー王女のご意見にも耳を傾けていただきたいです」
ディオクレアは自身の演説を終えると、隣の二人へ意識を促す。
リンの考えによれば、これまで麗眼布の特性を利用して意図的に忌避させられていた場所には、おおよそ検討がつくらしい。
サイオンの人間に仕組まれた思想抑制が麗眼布につながるという発想から、リンは対抗手段を講じることが可能ではないかと考えているようだ。
王宮の裏口に掲げられていた帝国旗など、リンとスーに異変をもたらした物を追いかけてみるが、王宮内からは跡形もなく失われている。
手がかりが残されていないとわかると、リンはすみやかに自身のもつ諜報組織に、レオンの婚約披露のために仕立てられた衣装の生地について調査を開始した。
ルカもルクスの総裁であるテオドラの協力を仰いで、その筋の情報を求めている。
「衣装の生地でもデザイン画でも、あの時に使われた模様が手に入ればいいのですが、さすがに一筋縄ではいかないみたいですね」
リンはルカの私邸に滞在しながら諜報の成果を語るが、芳しくないようだった。
「ここまで情報が手に入らないとなると、サイオンの動きを予測して、情報源を忌避するように謀られている可能性がある」
「そんなことまで可能ですか?」
ルカは私邸の広間でリンと向かい合ってソファに掛けていた。昼食時になっていたが、お互いにあまり食欲がない。ルカが簡単な軽食を用意させると、小卓には紅茶とスコーンが並んだ。
リンは少しだけスコーンをかじったが、やはり食欲は蘇らないらしい。紅茶もすっかり冷めている。
「僕たちを牽制するのは、麗眼布を応用できるのなら簡単なことですよ」
リンは涼やかな様子で笑った。
「天女がサイオンに施した抑制は、僕たちの深層に穿たれているものです。催眠術や洗脳とは違い、本能のようなものだと考えていただければいいですね。なんとなく嫌な感じがする。だから無意識に避けてしまう。今はそれが麗眼布の応用であると原因がわかったので、負荷はかかりますが意識すれば抗うことができる」
「ですが、あまり抗うと……」
ルカが指摘すると、リンは自虐めいた笑みを浮かべて装飾に塞がれた眼を押さえる。
「そうだね。多少は抗うことができても、抑制を破ることはできない。僕のこの左目のように、いきすぎると何らかの制裁が下される」
彼は自分の立場に慣れているのか、声に悲痛さはなかった。
「おそろしいですね」
ルカが素直な感想を漏らすと、リンは自嘲的に目を伏せる。無言で頷くと再びスコーンをかじる。ルカもすっかり冷めてしまった小卓の紅茶を手にとった。
一口含んで、大袈裟にはならないように吐息をつく。
今朝は皇帝ユリウスがディオクレア大公へ王命をおくった。サイオンの王女を王宮へ参上させる内容である。
(これで何らかの動きがあるだろうか)
ディオクレア大公は皇帝にパルミラから軍の撤退を奏上してから音沙汰がない。それがルカには何らかの時間稼ぎではないかと嫌な憶測をうみつけていた。スーの身を案じつつも、ユリウスの王命は相手の出方をさぐるための苦肉の策だった。
ルカが再び紅茶を口へ運ぼうとすると、テオドールが広間に駆け込んできた。
「ルカ様」
「テオドール、どうした?」
いつも冷静な執事の狼狽ぶりに、ルカは思わずソファから腰を浮かす。
「今しがたルキア様からご連絡があり、至急殿下にこちらをご覧になってほしいと」
何もうつさず黒く沈んでいた広間の大型画面をテオドールが素早く操作する。ルカがソファに掛け直すと、執事はいつもの冷静さを取り戻したのか一礼をして広間から姿を消した。
広間にある大画面は娯楽用に通信映像を観るために設置されているものだったが、すぐに目に飛び込んできた映像にルカは動きを止めた。
何かを語るディオクレア大公に並ぶようにして、レオンとスーが席についている。
「スー……」
無事だったのかとルカは安堵する。緊張した様子で俯いているので表情がよくわからない。
帝国式のドレスを着ているせいか、どこか別人のような雰囲気がある。
画面上の三人の所在は帝国貴族の邸宅らしい豪奢な室内にあった。大公の
「本日ユリウス陛下よりスー王女について王命がございましたが、ディオクレア大公家といたしましては、スー王女と皇太子殿下の婚約についてを陛下にもご再考いただきたいと思い、このような場を儲けました」
やはりディオクレアはこれを機にスーと自分の婚約を白紙に戻したいのだ。その先にはレオンとの婚姻を進め、皇帝の座につかせる野望がある。
いくら大公家とはいえ皇帝陛下への具申を公に発表するなど、本来であれば許されることではない。
ルカは大型画面に映る、強気に出た大公の顔を睨んだ。
サイオンの王女。今となってはディオクレアも彼女が帝国の礎となる意味を知っている。だからこそ皇帝に王女との婚姻について意見し、その交渉が成立すると信じているのだ。
王命への非難ともとれる内容を公に通信するとなると、ディオクレアは世間の動向も味方につけようと企んでいるのだろう。皇帝派と大公派に別れる議会で、中立的な立場をとる者も多い。そのような浮動票の行方は世論に比例する。
大公派には一度は否決されたが、依然として皇太子の元帥職更迭や、継承権の剥奪を実現させるという目的があるのだ。
「せっかくですので、レオン殿下とスー王女のご意見にも耳を傾けていただきたいです」
ディオクレアは自身の演説を終えると、隣の二人へ意識を促す。