109:語れない希望
文字数 2,063文字
何気なく語られたことが、重い意味を伴ってルカの心に波紋をひろげた。
もしスーが生きた屍に成り果てていたら。
ディオクレアにとっては、スーの人間性などどうでもよいだろう。交渉の駒として機能するかどうか、その一点だけが重要であるのなら。
なぜもっと警戒しておかなかったのか。ルカの内で、もう何度目になるかわからない後悔が募る。レオンの婚約披露に大公の仕掛けがあることは予測していたのに。
スーを表舞台に立たせることが間違えていた。
やりきれない思いが胸に充満する。皇帝のサロンが重苦しい沈黙に侵された。
「ーーでも」
再びリンが口を開く。ルカとユリウスの視線を受け止めながら、彼は道筋を描き出す。
「スーの安否は願うしかありませんが、相手のカラクリがわかったのであれば動きようがあります」
「しかし、相手はあなた方サイオンの動きを封じる策を手に入れている」
ルカの懸念にリンは頷いてみせる。
「そうですね。でも答えがパルミラにあることは明白です」
ユリウスが眉根を寄せて、首を横にふった。
「パルミラについては既に軍を配備して探索させていたが、今朝方ディオクレアから奏上があった。パルミラから軍を撤退させてほしいと」
「大公が?」
すでにディオクレアの計画は歩み始めているのだ。動きがあるだろうことは予想していたが、こんなに早く核心となる拠点を示してくるとは思っていなかった。
リンは大袈裟にため息をついてみせる。
「まぁ、スーの真の意味を知った上で彼女を手に入れたのであれば、そうなりますね。天女は帝国クラウディアを支える礎なのですから。皇帝陛下と対等以上の交渉が実現する」
ディオクレアが何を求めてくるのか。
ルカの継承権を剥奪し、レオンへ付け替えることが実現すれば、ディオクレアの野望は大きく前進する。自身の傀儡となるものを皇帝に祭り上げ、背後から帝国の実権を握ることも可能だろう。
けれど。
ルカはユリウスの険しい横顔を見て悟る。
天女の設計 に従うリンを前に語ることはできないが、皇帝ユリウスには天女を見捨てる選択肢があるのだ。サイオンとの関係を断ち切り、帝国クラウディアが独り立ちできるように描かれてきた道筋。まだ不完全だが、パルミラを暴けば完成に近づく予感があった。
サイオンを切り離し、天女を見捨てる。ユリウスが描く未来予想図がルカにも見える。
「陛下には色々なお考えがあるのでしょうが、現段階での僕たちの目的は簡潔です」
ユリウスの青い眼がリンを映す。
もしかするとリンは、すでに皇帝が思い描いている道筋を感じ取っているのかもしれない。
サイオンとの訣別。
ユリウスの希望であり、ルカの野望でもある。ルキアも全く別の理由付けで辿り着いた。リンが辿り着かないはずはないだろう。
ただこの局面においては、サイオンとの訣別に至る枝葉が、ユリウスとルカでは決定的に異なってしまう。
(私はスーを見捨てることができない)
まだ諦めることはできない。心に刻まれた決意は色褪せていない。
「リン殿の目的とは?」
予想はできたがルカはあえて問う。スーとの未来を欲しがる自分にとって、今は天女の設計 が有利に働くはずだった。
「僕たちは天女の設計 に反くものを見逃せない。これは本能に刻まれた習性のごとく外すことができない呪縛です」
リンはルカを見て、はっきりと宣言する。
「僕たちは皇帝陛下のために天女を取り戻し、天女の設計 に反くものを抹消する。そのように立ち回ることしかできません」
「しかし、君たちは麗眼布の応用で行動を制御されてしまう」
ユリウスが指摘すると、リンは頷いた。
「おっしゃる通りですが、カラクリがわかればやりようはあるでしょう。それにスーを無事に取り戻すという一点においては、陛下と僕たちの利害が一致するはずです。スーを取り戻すためには、ぜひご協力願いたい」
ユリウスは頷いたが、腑に落ちないと言いたげにリンを見つめている。
「利害の一致が一点だけというのは?」
ユリウスの引っ掛かりはルカも感じたことだった。リンはフフっと声をだして笑う。おどけた仕草だった。
「その先は異なるでしょう。僕たちはスーが天女となることを望みますが、陛下……いえ、殿下はスーの呪縛を解くことを望む」
やはりリンには見抜かれているのだ。ユリウスとルカには返す言葉がない。
「スーを救い出した後は道がわかれますね。僕たちは天女の設計 から逃れたものを見逃せない。けれど、殿下はそこにスーの呪縛を解く可能性を抱いている」
リンが左目をかばうように押さえながら小さくつぶやいた。
「殿下、僕たちに情けをかけてはいけませんよ。あなたの夢が潰えてしまうから……」
彼は左目の痛みをこらえるように顔を歪める。
曖昧な言葉だったが、リンにはそれが精一杯の意思表示なのだ。
スーの呪縛をとくというルカの希望。それは同時にリンの、サイオンの人々の希望にもつながっている。
リンの示唆したことをルカは心に刻む。
天女の設計 から逃れる道。
それはサイオンを呪縛から解き放つ意味を伴っているのだ。
もしスーが生きた屍に成り果てていたら。
ディオクレアにとっては、スーの人間性などどうでもよいだろう。交渉の駒として機能するかどうか、その一点だけが重要であるのなら。
なぜもっと警戒しておかなかったのか。ルカの内で、もう何度目になるかわからない後悔が募る。レオンの婚約披露に大公の仕掛けがあることは予測していたのに。
スーを表舞台に立たせることが間違えていた。
やりきれない思いが胸に充満する。皇帝のサロンが重苦しい沈黙に侵された。
「ーーでも」
再びリンが口を開く。ルカとユリウスの視線を受け止めながら、彼は道筋を描き出す。
「スーの安否は願うしかありませんが、相手のカラクリがわかったのであれば動きようがあります」
「しかし、相手はあなた方サイオンの動きを封じる策を手に入れている」
ルカの懸念にリンは頷いてみせる。
「そうですね。でも答えがパルミラにあることは明白です」
ユリウスが眉根を寄せて、首を横にふった。
「パルミラについては既に軍を配備して探索させていたが、今朝方ディオクレアから奏上があった。パルミラから軍を撤退させてほしいと」
「大公が?」
すでにディオクレアの計画は歩み始めているのだ。動きがあるだろうことは予想していたが、こんなに早く核心となる拠点を示してくるとは思っていなかった。
リンは大袈裟にため息をついてみせる。
「まぁ、スーの真の意味を知った上で彼女を手に入れたのであれば、そうなりますね。天女は帝国クラウディアを支える礎なのですから。皇帝陛下と対等以上の交渉が実現する」
ディオクレアが何を求めてくるのか。
ルカの継承権を剥奪し、レオンへ付け替えることが実現すれば、ディオクレアの野望は大きく前進する。自身の傀儡となるものを皇帝に祭り上げ、背後から帝国の実権を握ることも可能だろう。
けれど。
ルカはユリウスの険しい横顔を見て悟る。
天女の
サイオンを切り離し、天女を見捨てる。ユリウスが描く未来予想図がルカにも見える。
「陛下には色々なお考えがあるのでしょうが、現段階での僕たちの目的は簡潔です」
ユリウスの青い眼がリンを映す。
もしかするとリンは、すでに皇帝が思い描いている道筋を感じ取っているのかもしれない。
サイオンとの訣別。
ユリウスの希望であり、ルカの野望でもある。ルキアも全く別の理由付けで辿り着いた。リンが辿り着かないはずはないだろう。
ただこの局面においては、サイオンとの訣別に至る枝葉が、ユリウスとルカでは決定的に異なってしまう。
(私はスーを見捨てることができない)
まだ諦めることはできない。心に刻まれた決意は色褪せていない。
「リン殿の目的とは?」
予想はできたがルカはあえて問う。スーとの未来を欲しがる自分にとって、今は天女の
「僕たちは天女の
リンはルカを見て、はっきりと宣言する。
「僕たちは皇帝陛下のために天女を取り戻し、天女の
「しかし、君たちは麗眼布の応用で行動を制御されてしまう」
ユリウスが指摘すると、リンは頷いた。
「おっしゃる通りですが、カラクリがわかればやりようはあるでしょう。それにスーを無事に取り戻すという一点においては、陛下と僕たちの利害が一致するはずです。スーを取り戻すためには、ぜひご協力願いたい」
ユリウスは頷いたが、腑に落ちないと言いたげにリンを見つめている。
「利害の一致が一点だけというのは?」
ユリウスの引っ掛かりはルカも感じたことだった。リンはフフっと声をだして笑う。おどけた仕草だった。
「その先は異なるでしょう。僕たちはスーが天女となることを望みますが、陛下……いえ、殿下はスーの呪縛を解くことを望む」
やはりリンには見抜かれているのだ。ユリウスとルカには返す言葉がない。
「スーを救い出した後は道がわかれますね。僕たちは天女の
リンが左目をかばうように押さえながら小さくつぶやいた。
「殿下、僕たちに情けをかけてはいけませんよ。あなたの夢が潰えてしまうから……」
彼は左目の痛みをこらえるように顔を歪める。
曖昧な言葉だったが、リンにはそれが精一杯の意思表示なのだ。
スーの呪縛をとくというルカの希望。それは同時にリンの、サイオンの人々の希望にもつながっている。
リンの示唆したことをルカは心に刻む。
天女の
それはサイオンを呪縛から解き放つ意味を伴っているのだ。