49:叶えられた王女の夢

文字数 2,133文字

「あなたの叔父様から、スーの夢を伺ったことがあったので」

「叔父様に?」

「はい。だから、私にスーの憧れる白馬の王子様の替わりがつとまるならと思っただけです」

(叔父様! ありがとう!)っとリンの援護射撃に歓喜しつつも、スーはこの話に喰いついてよいのかと逡巡する。はしたないのではないか、でも絶好の機会を逃すべきではない。

 頭の中で理性と建前、欲望と願望がぐるぐると回転しまくっている。

(しっかりするのよ! わたし! ここで怖気づいている場合じゃない!)

 スーは気持ちを奮い立たせたて、ルカの美しく青い眼を見据える。

「ルカ様、ぜひ……」

 お願いします!と言いかけて、致命的な準備不足に気付く。

(ーー唇が荒れているわ!)

 婚約披露での嫌な体験から、最近は無意識に唇をこすっていることがあり、結果として荒れてしまっていた。ユエンに注意されて手入れをしていたが、すぐにこすって唇にダメージを与える習慣を繰り返していたのだ。

(わたしったら、こんなときに最悪!)

 せっかく訪れた素敵な機会が台無しである。スーは自分のざらりとした唇に触れて肩を落とす。

「あの、ルカ様。いまは準備不足なので、一週間後にもう……」

 もう一度機会をくださいと言う声は、言葉にすることができなかった。

 目の前がふっと陰り、かすめるように何かが唇に触れた。

「?」

 キスされたのかと思ったが、スーはすぐに錯覚かもしれないと思い直す。

 馬上で体をひねるようにして、ルカと向かい合っている。緩やかな風が吹くと、草原の爽やかな香りが二人を包んだ。
 水底をよぎるような柔らかな青を宿したルカの瞳。水紋の美しさを写しとったような白群の光彩に、スーの影が重なった。

 息が触れ合うほどの距離まで、ルカの端正な顔が近づいている。
 彼が手綱を引いたのか、ピテルがゆっくりと歩みを止めた。

「スー、目を閉じて」

 囁くような声が心をとらえる。ルカの腕が引き寄せるようにスーの肩を抱いた。彼の放つ色香に囚われて、スーは言葉を失ってしまう。甘い声に引き込まれるように、何も考えられず、言われるままに目を閉じた。

「――――……」

 触れ合うだけの、柔らかな口づけだった。

(!!!!!)

 ふたたび目を開いてルカの顔を見ると、スーはかあぁっと一気に顔がのぼせる。完全に舞い上がってしまい、考えるより先に口が動いた。

「あの! わたし、とても唇が荒れていて、ルカ様に不味い思いをさせて申し訳ありません!」

 一息に言い放ってから、いったい何の弁解をしているのかと、スーはさらに慌てる。

「あの、せっかくのーーっ」

 さらに墓穴を掘りかけると、ルカの腕がぐっとスーを引き寄せる。彼の胸に頬を押しつけてようやく黙ると、ルカが笑っていることに気づいた。

「る、ルカ様?」

「スーには、いつも驚く」

「え?」

「その反応は予想外でした」

「う、申し訳ありません」

 スーにも雰囲気を台無しにしている自覚があった。こんなに素敵にお膳立てされているのに、落ち着いた女性を演じる実力が圧倒的に足りていないのだ。

「これからはきちんと唇のお手入れをします」

「――そうですね。その方が私も安心です」

「安心?」

 ルカがスーの顔を見る。彼の目に困ったような笑みが浮かぶ。

「スーが毎日唇をこすっているので、すこし気になっていました」

「あ……」

 彼にも気づかれていたのだと、スーは身を固くした。おそらく理由も見抜かれているのだろう。どんな顔をすれば良いのかわからなくなると、ルカの指先がスーの唇に触れた。

「これからは、私のことを思い出してください」

「ルカ様――」

 もう一度、ゆっくりと唇が重なった。挨拶のように、触れるだけの優しいキス。
 それでもスーは魂が飛んでいきそうになる。放心していると、ルカが笑う。

「スーの準備が整ったら、もっと大人のキスをしましょうか?」

 呆けていても、その言葉はしっかりとスーの気持ちを動かす。一瞬でぎらぎらと闘志に火がついた。

「それは本当ですか? ルカ様!」

「え?」

 冗談だと聞き逃すような、もったいないことはしない。即座に喰いついて、スーはじぃっとルカの顔を見つめた。ルカと親密になるための努力は惜しまないのだ。

「わたしの荒れた唇が綺麗になったら、大人の女性だと認めてくれますか?」

「……はい」

「約束ですよ? もう絶対に唇をこすったりしませんので! わたしはすぐに綺麗な唇を取り戻して、ルカ様と素敵な大人のキスを実現して見せます! 約束ですよ!」

「…………」

 必死になって言い募ると、再びルカが笑った。

「――その反応は、予想外でした」

 声を出して笑うルカ見て、スーは(やらかした!)と自分の浅ましさに気づく。恥ずかしくなってうつむくと、ルカが笑いながら、手綱をさばいてピテルに合図をおくった。

 スーが馬体の振動を感じてあわてて前を向くと、手綱を握ったルカの腕が、体を支えるように包み込んで抱きしめてくれる。

 触れ合うことに恥じらうだけだったルカの体温が、とても逞しくて心強い。すっぽりと彼の腕におさまっていると、安定して心地が良いのだ。スーはそっと重心をあずけて、さらに身を寄せる。

 美しい白馬が二人を乗せたまま、再びゆっくりと草を踏みしめて、蒼穹の下を歩き出した。
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