148:大人の階段

文字数 2,148文字

 ルカの眼にも哀れに思えるほど、スーの緊張は極限に達しているようだった。

 それでも、自分の前で正座をしたまま身をゆだねようとする様子は、素直に愛しい。

 妃教育で手に入れた仕草の優美さは、どんな時も失われないほど身についているのだろう。
 膝の上で手をそろえ、目をとじて緊張に身を震わせていても、凛と伸びた姿勢が美しかった。

 ルカはゆっくりとスーに手をのばす。
 ゆるく結いあげた(つや)やかな黒髪に、指先をからませた。

 はらりと、彼女の髪がほどけて落ちる。
 白い肌がのぼせたように紅潮して、首筋まで色づいていた。

 スーの頬に手を添わせ、額に口づけると、小さな肩がびくりと震える。

「る、ルカ様」

「はい」

「心臓がドコドコうるさくて、どうにかなってしまいそうです!」

 無理もないと思うが、スーの主張は愛しいだけだった。こちらを見つめる赤い瞳が、恥じらいに潤んでルカの思いを刺激する。

 スーが考えているほど、彼にも余裕があるわけではない。
 成人披露の夜の乗りこえてから、多くの女性と関係をもったが、これほど(たかぶ)った気持ちで誰かを望んだことはなかった。

 恋愛も結婚も決められた形の上につくられた装飾のようであり、胸の内には、人肌では決して解けることのない冷たい塊があった。燃えあがるような想いとは無縁の恋愛。人との交わりは本能的な欲を満たすだけのものであり、それ以上の色を帯びることはなかった。

「スー」

 そんな過去の自分が幻のように遠ざかり、暗く冷たい場所に芽生えたぬくもり。
 仄かに灯った熱は、いつのまにか(たぎ)るような波となって心を支配していた。
 彼女が欲しいという、抗いがたい望みが全身をめぐって熱い。

「肩の力を抜いて」

「無理です! 勝手に力が入ります!」

 自分ではどうにもならないと、スーが戸惑った顔で訴える。

 ルカは労るように彼女の肩に触れた。するりと、彼女がまとっている白い羽織を滑らせると、細い肩があらわになる。
 白い肌からからうっとりとした香りがたちのぼって、ルカをつつんだ。

 自分をとらえるために手入れをされた身体(からだ)は、(あで)やかな白さを放っている。

「スーがほしい」

 込みあげた情動に抗えず、華奢な肩を抱きよせると彼女の震えが伝わってくる。

(……愛しい)

 ぬくもりがしびれるような幸福感をもたらす。

 他の誰かとは違う。スーのためらいや戸惑いを煩わしいと感じることはない。自分の手で彼女を導き(ひら)いていけることは、この上もない悦びだった。

「ルカ様、申し訳ありません。わたしには気の利いたことが、何もできそうにありません」

「スーはそのままで大丈夫です」

「でも、肩の力も抜けません! わたしはルカ様の手を煩わせる面倒くさい女です」

(――面倒くさい女か……)

 スーがルカの女性遍歴を知って、ヘレナに何を相談したのかは知っていた。
 すべてルカの荒れた素行がまいた種である。

「スー」

「はい!」

「私の方が、あなたよりずっと面倒くさい男かもしれません」

「ルカ様は素敵です。だからわたしは心臓が破裂しそうなのです」

 スーの(つや)やかな髪を撫でて、ルカは打ち明ける。

「今夜、私はあなたに苦痛を伴うことを望んでしまう」

「はい。心得ております。それが、面ど――」

「いいえ、痛みを与えるとわかっていても、私はスーが欲しい」

 ルカはスーを抱く腕をゆるめて、彼女の顔を見た。色づいた頬を撫でて、そっと触れる程度に唇を重ねた。柔らかな余韻を感じながら、ありのままを伝える。

「私は面倒な男なので、あなたのすべてを欲しがる」

「ルカ様が……」

「はい。スーは与えられた痛みとともに、きっと今夜のことを深く記憶に刻む」

「もちろんです!」

「だから、私は欲しくなる。生涯に一度だけのあなたの痛みを。そして、私がスーの記憶に深く刻まれることを願っている」

 彼女を愛しく思うほど、ルカには自覚するものがあった。
 今まで知らなかった、例えようのない独占欲。

 破瓜の痛みに耐えて、彼女がどのように花開くのか。それは誰も知らない。
 自分以外の誰も知ることがない。すべてが満たされていくだけの行為。
 無垢なスーへの手ほどきは、煩わしさとは対極にある至福の行いだった。

 たとえそれが、どれほど珍妙なものであっても。

「ひぃっ!」

 ルカがスーの肌に触れると、奇妙な叫びが漏れる。

「る、ルカ様に触れられると、変な声が出ます!」

「…………」

 細い腰に手をはわせると、「ふぐぅっ!」と奇声があがる。

「ルカ様、いったいなんでしょうか? これは!」

 戸惑うスーが、ルカにはおかしくてたまらなかったが、そのうち奇声にも甘さがにじみはじめた。

 与えられる刺激にたえるように、かたく目を閉じているスーの手に触れる。
 握りしめられた彼女の手をひらくように、ルカは指をくみあわせた。

「スー、私をみて」

「……ルカさま」

 こぼれ落ちたスーの涙に、唇で触れる。ルカの伸びかけた金髪が、彼女の肌の上で踊った。

 愛しさがめぐって、身の内を閃光のようにほとばしっていく。全身に熱がまわって、繰りかえすように求める刹那があった。
 世界が燃えあがるように色づいていく。

 互いの想いだけが行き交い、しずかに満たされる。二人だけに許された、愉悦の楽園。 

 その夜、ルカに導かれて、スーはなんとか大人の階段をよじのぼった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み