129:天女の麗眼布の意味
文字数 2,010文字
強く彼女を抱きしめていると、自分の体温が移っていく気がした。温もりを失った体に、あるかなしかの熱が蘇るような錯覚がする。
「閣下……」
ガウスの労るような呼びかけで、ルカは感傷を断ち切って気持ちを切り替えた。
嘆くだけでは希望を見失う。彼女の笑顔を取り戻すために歩み続けなければならないのだ。
再びスーを寝台に横たえると、ルカは毅然と立ち上がって顔をあげた。
「大丈夫だ、ガウス。すまない。……フェイ殿、取り乱して申し訳ありません」
フェイは無表情のままだったが、何かを探るような熱心な視線でルカを見つめている。
「スー王女を我々に返して下さったことに感謝します。ですが、私は彼女を帝国の生贄のために求めているわけではありません。そして、私が自らこちらに赴 いたのは、あなたを説得するためです」
フェイは無言でこちらを見ている。
「私は必ずスー王女を取り戻し、サイオンを天女の設計 から、抑制機構から解放します。これはどちらも、サイオンから逃れたあなた方の協力なくしては成し得ないことだと思っています」
ルカのはっきりとした主張を聞いてフェイが瞠目する。信じられないと言いたげに首を横に振った。
「帝国の皇家がそんなことを望むわけがない。我々を狩るための詭弁でしょう」
「これは現皇帝も認めた揺るぎない決定事項です。我々はサイオンを解放するために尽力する」
「不可能です。信じられない」
「信じてください。そして我々と一緒に来てください。私は必ずあなた方をお守りする。約束します」
「不可能だ」
ルカがさらに言い募ろうとすると、ガウスが背後から「閣下」と小さく耳打ちした。
「リン殿の所在を見失っていたと報告が……。おそらくこちらに到着していると」
ガウスの報告に反応したのはフェイだった。
「まさか守護者がこちらに?」
フェイが侮蔑するように小さく笑う。
「やはり私達を狩るのですか?」
「違う。私はサイオンからあなた方を必ず守ります」
「詭弁だ」
薄く笑うとフェイが踵を返した。迷いなく一目散に走り出す。
「フェイ殿!」
ここで見失えばサイオンを解放する希望が遠ざかる。ルカは咄嗟に兵に「彼女を見失うな!」と号令した。
フェイは元来た道を逆に遡っていく。等間隔に置かれたランタンの灯が失われ、地下道は暗闇に沈んでいた。地の利がない者が素早く行き来するのは困難だったが、ルカは辛うじて見失わず懸命にあとを追った。
やがて細い通路から広い空間に出た。壁面が青く輝く鉱物に占められ、天井の一部からところどころ地上の日差しが漏れている。その日差しが空間の壁面を埋める鉱物を輝かせて、乱反射した光が地下空間を照らし出していた。
青く輝く光は見たこともないほど幻想的で、美しい光景だった。
広場の先でフェイが立ち止まっている。さらに奥に誰かが立っているのが見えた。
「ルカ殿下、抜けがけをするなんて感心しませんね」
静謐な空間に、リンの声が共鳴して響く。
「でも、どうやらスーとは無事に再会したみたいだね」
場違いなほどいつも通りの口調だった。空間に響き渡りわたる声は方向性を失い、視界に映るリンの立つ場所から発せられているのが不思議にも思えた。
「スーを奪還したその先はーー」
リンの声が低く響く。
「容赦しないと言いましたよね」
彼の言葉を聞き終わらないうちに、ルカは駆けだしていた。
「やめろ! リン殿!」
凍り付いたように立ちつくすフェイにリンが襲い掛かる。ルカはフェイの腕をつかんで引き寄せた。視界の端で鋭い刃 の光がよぎる。ルカは迷わずフェイをかばうようにリンの前に身を躍らせた。
「っ!」
鋭い痛みが走ったが、甲高い悲鳴をあげたのはリンだった。力なくふらりと後退すると、左目を押さえてその場に倒れこむ。
「殿下!」
駆けつけるガウスにルカは命令を下す。
「私のことはいい! 彼を拘束しろ!」
素早くガウスと警護の兵がリンを捉える。リンは激痛に耐えているのか、抵抗する素振りもなく目を押さえている。
「切られたのですか」
フェイがルカの左腕を見ている。ルカが熱く感じる部分に手を添えると、手のひらが血に濡れた。すぐに軍服の上着を脱いで肩から流れる飾緒 を引きちぎると、素早く傷口を縛って止血した。
そして脱いだ上着をフェイに差し出す。
「これがあなた方をサイオンから守ります。この上着は天女の麗眼布 の意匠で作られている。そうですよね、リン殿」
ルカは両手両足を枷でつながれて、警護の兵に容赦なく拘束されているリンに目を向けた。彼の左目を隠す装飾に血がにじんでいるのがわかる。
「天女の麗眼布はサイオンが守るべき証。あなたが私に教えてくれた意味はこの時のためにあった。天女の麗眼布を傷つけると抑制機構が働く。それが答えだと思いましたが、私は間違えていましたか?」
リンは警護の兵に左目の手当てを受けながら「さぁ」と受け流す。
「僕からは何も言えませんね、これでも命が惜しいので」
「閣下……」
ガウスの労るような呼びかけで、ルカは感傷を断ち切って気持ちを切り替えた。
嘆くだけでは希望を見失う。彼女の笑顔を取り戻すために歩み続けなければならないのだ。
再びスーを寝台に横たえると、ルカは毅然と立ち上がって顔をあげた。
「大丈夫だ、ガウス。すまない。……フェイ殿、取り乱して申し訳ありません」
フェイは無表情のままだったが、何かを探るような熱心な視線でルカを見つめている。
「スー王女を我々に返して下さったことに感謝します。ですが、私は彼女を帝国の生贄のために求めているわけではありません。そして、私が自らこちらに
フェイは無言でこちらを見ている。
「私は必ずスー王女を取り戻し、サイオンを天女の
ルカのはっきりとした主張を聞いてフェイが瞠目する。信じられないと言いたげに首を横に振った。
「帝国の皇家がそんなことを望むわけがない。我々を狩るための詭弁でしょう」
「これは現皇帝も認めた揺るぎない決定事項です。我々はサイオンを解放するために尽力する」
「不可能です。信じられない」
「信じてください。そして我々と一緒に来てください。私は必ずあなた方をお守りする。約束します」
「不可能だ」
ルカがさらに言い募ろうとすると、ガウスが背後から「閣下」と小さく耳打ちした。
「リン殿の所在を見失っていたと報告が……。おそらくこちらに到着していると」
ガウスの報告に反応したのはフェイだった。
「まさか守護者がこちらに?」
フェイが侮蔑するように小さく笑う。
「やはり私達を狩るのですか?」
「違う。私はサイオンからあなた方を必ず守ります」
「詭弁だ」
薄く笑うとフェイが踵を返した。迷いなく一目散に走り出す。
「フェイ殿!」
ここで見失えばサイオンを解放する希望が遠ざかる。ルカは咄嗟に兵に「彼女を見失うな!」と号令した。
フェイは元来た道を逆に遡っていく。等間隔に置かれたランタンの灯が失われ、地下道は暗闇に沈んでいた。地の利がない者が素早く行き来するのは困難だったが、ルカは辛うじて見失わず懸命にあとを追った。
やがて細い通路から広い空間に出た。壁面が青く輝く鉱物に占められ、天井の一部からところどころ地上の日差しが漏れている。その日差しが空間の壁面を埋める鉱物を輝かせて、乱反射した光が地下空間を照らし出していた。
青く輝く光は見たこともないほど幻想的で、美しい光景だった。
広場の先でフェイが立ち止まっている。さらに奥に誰かが立っているのが見えた。
「ルカ殿下、抜けがけをするなんて感心しませんね」
静謐な空間に、リンの声が共鳴して響く。
「でも、どうやらスーとは無事に再会したみたいだね」
場違いなほどいつも通りの口調だった。空間に響き渡りわたる声は方向性を失い、視界に映るリンの立つ場所から発せられているのが不思議にも思えた。
「スーを奪還したその先はーー」
リンの声が低く響く。
「容赦しないと言いましたよね」
彼の言葉を聞き終わらないうちに、ルカは駆けだしていた。
「やめろ! リン殿!」
凍り付いたように立ちつくすフェイにリンが襲い掛かる。ルカはフェイの腕をつかんで引き寄せた。視界の端で鋭い
「っ!」
鋭い痛みが走ったが、甲高い悲鳴をあげたのはリンだった。力なくふらりと後退すると、左目を押さえてその場に倒れこむ。
「殿下!」
駆けつけるガウスにルカは命令を下す。
「私のことはいい! 彼を拘束しろ!」
素早くガウスと警護の兵がリンを捉える。リンは激痛に耐えているのか、抵抗する素振りもなく目を押さえている。
「切られたのですか」
フェイがルカの左腕を見ている。ルカが熱く感じる部分に手を添えると、手のひらが血に濡れた。すぐに軍服の上着を脱いで肩から流れる
そして脱いだ上着をフェイに差し出す。
「これがあなた方をサイオンから守ります。この上着は天女の
ルカは両手両足を枷でつながれて、警護の兵に容赦なく拘束されているリンに目を向けた。彼の左目を隠す装飾に血がにじんでいるのがわかる。
「天女の麗眼布はサイオンが守るべき証。あなたが私に教えてくれた意味はこの時のためにあった。天女の麗眼布を傷つけると抑制機構が働く。それが答えだと思いましたが、私は間違えていましたか?」
リンは警護の兵に左目の手当てを受けながら「さぁ」と受け流す。
「僕からは何も言えませんね、これでも命が惜しいので」