42:王女の叔父

文字数 2,725文字

 リンの声音に低く張りつめた響きがあった。底冷えするような静かな怒りを感じる。

 ルカはまだスーが泣いているところを見たことがない。出会ってから日が浅いせいだと思っていたが、リンの言葉から彼女が滅多に涙を見せないことが伺えた。

 クラウディアに来てからも、泣き言ひとつ言わない。意欲的でいつも笑っていた。

(恐ろしい思いをさせた……)

 昨日のことは、スーの心に痣として刻まれるだろう。
 リンに救い出されてからもずっと眠ったままだが、目覚めれば恐怖として蘇る。

 ルカが成人披露の夜を決して忘れないように、彼女の心にも傷となり、痣となって残り続けるに違いない。
 第七都への関心を避けるための代償を、スーに負わせたに等しい。

 こちらの都合で、彼女に想像以上の負担を強いた。守りきれず巻き込んだことは、悔やんでも悔やみきれない。

「スーをあんなに泣かせるなんて……。まぁ、刺客には相応の報いを受けてもらったけど」

 リンの中にも悪魔が棲んでいる。王宮で発見された刺客の亡骸はひどい状態だったらしい。生きたまま施された拷問の数々。八つ裂きの方が幸せなくらいの四肢の損壊。引きずり出された臓物。あの短時間でためらいもなく行われた惨状を想像すると、ひやりとした戦慄を感じる。

「成功したと思って気が緩んだのか、少しスーにつまらないことを語っていたけど、でも、僕には口を割らなかったから、アレは本物だね。あの(クラス)には滅多にお目にかかれない。……ルカ殿下を責めるのも可哀想か。アレを寄越した相手が上手だった。殿下には心当たりが山ほどありそうだけど。でも警備体制は見直した方がいいよ。あなたの側近には指摘しておいたけどね」

 稀有な能力を持っていた刺客をあっさりと仕留め、なぶり殺すことをためらわない冷酷さと身体能力。
 スーとよく似た顔で、中身はまるで異なっているのだ。

「あなたが何者であるのか、聞いてもよろしいでしょうか?」

「スーの叔父だよ」

 サイオン王家の血縁者であることは、すでにユエンからも聞いているが、ルカが知りたいのは表面的な関係ではない。

「リン・プリンケプラ・サイオン。先日、三十才になりました。あちこち旅をして見聞を広めるのが趣味です」

 おどけた調子で自己紹介をするが、やはり目は笑っていない。
 とても三十には見えない童顔だった。スーと一つ二つ歳の離れた兄くらいにしか見えない。

「王女の守護者だと、ルキアに言ったそうですね」

 スーと食事をした時とは違い、テラスには誰も控えていない。彼が語ることの危うさを思い、ルカは人払いをしてあった。

「ああ、なるほど。やっぱり殿下には通じたのか。守護者に心当たりがあるとなると、あなたは理解しているんだね。――天女のことを」

 ルカから何かを明かすことはできない。リンも理解しているようだった。

「殿下。僕はこう見えて評価しているんですよ、あなたの親殺し。あのまま生きていたら、スーはあなたの父上に嫁ぐところだった」

 当時のルカにはわからなかったが、今ならスーの辿るはずだった道を書きかえたのだと理解できる。

「あなたに嫁いで幸せかどうかはともかく、あなたの父上よりは良かったんじゃないかな。スーは夢見がちなところがあって、昔から白馬の王子様が迎えにくるような物語が大好きだからね。あなたが相手なら、少しはそんな夢が見られそうだ。――それに……」

 リンは何かに思いを馳せているのか、寂しそうに笑う。

「昔は、怖い思いをした時は僕を呼んでくれた。勢いで登った木から降りられなくなった時や、川の向こう岸に渡って、戻れなくなった時も……。何かあった時は僕を頼ってくれたのに」

 過去の思い出を辿っていた赤い目が、ルカに焦点を戻す。

「昨日はあなたのことを呼んでいた。――ルカ様って」

 ぐっとルカの胸に痛みがこもる。彼女は真っ直ぐに自分を信じているのだ。

(スー……)

 彼女の無垢さを踏みにじったに等しい。スーの気持ちを思って、知らずに手を握りしめていた。リンがふっと息をつく。

「ねぇ、ルカ殿下。守護者は文字通り守護者だよ。僕はそれ以上でもそれ以下でもない」

「どういう意味ですか?」

「サイオンの人間は、天女に役割を設計(デザイン)されている。僕もユエンも王も、もちろんスーもね。僕の役割は文字通り守護者。だから、スーには、強力なボディガードが付いているとでも思ってくれたらいいんじゃないかな?」

「あなたが?」

「そう。僕はとても強いから、心強い事この上なし」

 昨夜の一件でリンの能力は実証されている。やはりサイオンの王家は侮れない。王の穏やかに見えて、全てを見抜いているかのような眼差しを思い出した。リンにも通じるものを感じる。

「僕は、こう見えてあなたにはわりと期待しているんだよ? スーを幸せにしてくれるんじゃないかなってね」

「――努力します」

 リンがふふっと笑う。

「今回のお詫びに、スーの夢を一つ叶えてあげてほしいな」

「彼女の夢ですか?」

「うん。自分を迎えに来た白馬の王子様と初めてのキスをするっていう、壮大な夢」

「……それは、たしかに壮大ですね」

「スーは想像力がたくましいからね。でも初めてのキスが昨日のあれじゃ可哀想すぎる」

 どういう情報網をもっているのかもわからないが、リンはスーのことを熟知しているらしい。

「そもそも、ルカ殿下が悪いよ」

 昨日の一連の出来事を責められると、ルカには何も言えない。

「今回のことは、本当に申し訳ありません」

「そうじゃなくて、あなたがさっさとスーとキスをしておけば良かったんだ。そうすればスーの夢は守られたのに。あんなに魅力的で綺麗な子を婚約者として傍において、殿下はいったい何をしていたの?」

「…………」
 
 返答に困る質問だった。ルカが黙り込んでしまうと、リンが声をあげて笑う。
 屈託なく笑うと、彼はますますスーによく似ている。

「スーがあなたを大好きなのは、僕にもよくわかった。だから、なおさら昨日のアレはノーカウントにして、スーにはロマンチックな思い出が必要だと思うんだよね。ルカ殿下なら叶えてあげられるよ。スーは単純だから、殿下のキスで少しは心の傷も癒えるんじゃないかな。殿下の容姿は、まさにスーの思い描く王子様そのままだし」

 あけすけなほど無邪気な発言だった。ルカは改めてリンがスーの叔父なのだと確信する。

「ねぇ、ルカ殿下」

 面白そうに笑っていたリンの赤い眼が、再びまっすぐにルカを見る。
 底冷えのするような、冷ややかな眼差しだった。

「スーの気持ちを裏切らないでほしいな」

「――善処します」

 文字通りの守護者の意味。天女を護る者。
 ルカはそっと吐息をつく。どうやらスーを大切にしている限り、彼が敵に回ることはなさそうだった。
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