64:照れる皇太子と華やかな朝食
文字数 2,686文字
ルカと一緒に朝食をとるのが、スーには随分久しぶりに感じられる。
初めてルカと食事をしたテラスへ出ると、地平線からさす赤い陽光が辺りを照らしていた。心が洗われるような解放感が胸に迫る。稜線から上空へ広がる朝焼けが、美しい濃淡を描き上げていた。
夕刻と見間違いそうな光景だが、肌に感じる辺りの空気が清々しい。
ルカと一緒に過ごせる休日が始まるのだと思うと、スーの心が弾む。視界にルカが存在するだけで、気持ちが明るくなった。
「改めて、おはようございます、ルカ様」
彼はすでにテラスの席について、手元の端末に視線を落としていた。スーが向かいの席につくと「おはようございます」とほほ笑んで端末を置いた。そのまま傍らにいた執事へ料理の手配を指示している。
「申し訳ありません、お待たせしてしまいましたか?」
支度を整えるのに時間がかかりすぎたかと、スーは反省する。ルカがスーの首元を見てから苦笑した。
「いいえ。私も今来たところです。……それに、スーの支度に時間がかかったのなら、私のせいでしょう。昨夜は本当に申し訳ありませんでした」
スーはルカの示すことに気づいて、瞬時に顔が火照った。
首筋に刻まれた痕は化粧道具で厚く塗り固めて隠している。まだ暑気の残る時期なので、首元のつまった服を着るのも不自然だった。スーにとっては勲章ともいえるが、人目に晒すのは恥ずかしすぎる。
ユエンが見事な化粧技術でごまかしてくれたが、やはりルカには心当たりがあるのか、すぐに気づかれしまった。
「いえ、昨夜のことはわたしにとっては夢のようなひとときでしたので……」
さすがのスーももじもじと声が小さくなる。ルカは昨夜の緩みを引きずることもなく、すっかりいつもの誠実さを取り戻している。
「今後、二度とあのようなことがないように気を付けます」
ルカには後悔と真摯な反省だけが残ったようである。スーは残念な気持ちを拭いきれないが、後ろ向きな自分を蹴り飛ばして笑顔を向けた。
「昨日はとても飲んだと仰られていましたね」
「はい。あそこまで度を越すことはないのですが……。本当にスーには失礼なことをしました」
「酔っておられても、ルカ様はとても素敵でした!」
「いえ、わかっています。だらしのないところを見せてしまいました」
スーには、彼が昨夜のことをどのくらい覚えているのかわからない。自分がサイオンの宴で二日酔いになった時は、途中からの記憶が全くなかった。
ルカもきっと朧げに覚えているだけなのだろうと、素直に昨夜の感想を披露する。
「昨夜のルカ様はとても素敵でした! わたしはあのようなルカ様も大歓迎です! いつか素面の時にも同じように仰っていただけるように頑張ります!」
意気込みを語ってルカを見る。昨夜と同じ湖底のように澄んだ青い瞳。瞠目する眼差しに彼の驚きが見えたが、それは一瞬だった。ルカがふっと不自然にスーから視線を逸らした。
「ルカ様?」
ほんのりとルカの白い顔が赤くなっている。
(!!)
スーはぎゅんと心がうずく。いつもそつのない振舞いをするルカが、初めて見せた仕草だった。
(ルカ様が照れておられる!)
まるで未知との遭遇である。もはや衝撃映像に近いが、しっかりと心に刻み込もうと、スーはじっくりと見つめてしまう。
彼は口元に手をあてて、居たたまれないという顔で口を開いた。
「本当に申し訳ありません」
どうやらルカにも昨夜の記憶があるらしい。いったいどのくらい覚えているのだろう。目の前の彼の様子からは、思い出して恥ずかしくなるくらいには鮮明なのかもしれない。
昨夜の出来事がルカの中にも残っていると思うと、スーは少し嬉しくなった。
「ルカ様は飲みすぎて記憶がなくなったことはないのですか?」
「ーーないと思います」
ないということは、昨夜のことも覚えているということだ。
(覚えているということは……)
今度はスーがかぁっと顔を火照らせる番だった。自分の方こそ混乱しまくって失態を犯していたのではないだろうか。あたふたと記憶を振り返ってみるが、どこにも魅力的な女性としての振舞いがない。見当たらない。怖気づいて逃げ出そうとした後は、目を閉じて、ただ硬直していただけである。
(ああ、ダメだわ!)
魅力的な大人の女性には程遠い。
(どうしてルカ様の首に腕を回して誘惑するくらいのことができなかったのかしら、わたしは!)
自分がもっとうまく振る舞っていれば、彼が眠ってしまう前に大人の階段を登れた気もする。
スーは今さらになって、自分の不甲斐なさに心の中で悶絶した。
あんなに幼稚な反応しかできない女など、完全に夜の相手としては願い下げだろう。
(あああ〜!)
後悔の渦に沈みそうになっていると、執事のテオドールがテラスの円卓に朝食を並べた。
スーは視界に入ったパンケーキを見て、パッと心が綻ぶ。
たっぷりの生クリームとベリーソース。赤い果物が宝石のように皿の上を飾っている。食用の花が薔薇を模してあしらわれていた。まるで何かを祝福するような特別感がある。華やかで可愛い盛り付けになっていた。
「綺麗で、とても美味しそうです」
落ち込みそうになっていた気持ちが浮上する。いつも颯爽と邸のことを采配しているテオドールと目が合うと、にっこりと微笑んでくれた。
「本日の朝食には相応しいのではないかと思い、ご用意させていただきました。どうぞ召し上がってください」
「ありがとうございます」
ルカと一緒の朝食は久しぶりなのだ。スーの高まる気持ちに合わせて、テオドールは二人の食事を特別に飾ってくれたのだろう。館の者はいつもスーに優しい。
ワクワクとした気持ちでパンケーキを口にする。クリームやソースの甘い香りが広がった。生地がスフレのように柔らかく、まだあたたかい。ほんのりと舌先で溶けると、幸せな味が広がる。
「ルカ様、とても美味しいです」
「…………はい、…………美味しいですね」
ルカは眉間に皺を寄せて、複雑な表情で切り分けたパンケーキを口に運んでいる。
「もしかしてルカ様は甘いものが苦手ですか?」
「いえ、あまり多くは食べられませんが、好きですよ」
取り繕うようにルカが微笑む。
「あなたが気に入ったのなら、良かったです」
スーはルカが二日酔いなのかもしれないと思ったが、食事をする様子には気だるさが感じられない。
パンケーキを口に運ぶ仕草だけでも絵になる。洗練された皇太子の振る舞い。
スーも気持ちを引き締める。
(とにかくわたしは女性らしさを磨かなくちゃ!)
めらめらと野望を新たにしつつ、美しい仕草を意識してパンケーキを頬ばった。
初めてルカと食事をしたテラスへ出ると、地平線からさす赤い陽光が辺りを照らしていた。心が洗われるような解放感が胸に迫る。稜線から上空へ広がる朝焼けが、美しい濃淡を描き上げていた。
夕刻と見間違いそうな光景だが、肌に感じる辺りの空気が清々しい。
ルカと一緒に過ごせる休日が始まるのだと思うと、スーの心が弾む。視界にルカが存在するだけで、気持ちが明るくなった。
「改めて、おはようございます、ルカ様」
彼はすでにテラスの席について、手元の端末に視線を落としていた。スーが向かいの席につくと「おはようございます」とほほ笑んで端末を置いた。そのまま傍らにいた執事へ料理の手配を指示している。
「申し訳ありません、お待たせしてしまいましたか?」
支度を整えるのに時間がかかりすぎたかと、スーは反省する。ルカがスーの首元を見てから苦笑した。
「いいえ。私も今来たところです。……それに、スーの支度に時間がかかったのなら、私のせいでしょう。昨夜は本当に申し訳ありませんでした」
スーはルカの示すことに気づいて、瞬時に顔が火照った。
首筋に刻まれた痕は化粧道具で厚く塗り固めて隠している。まだ暑気の残る時期なので、首元のつまった服を着るのも不自然だった。スーにとっては勲章ともいえるが、人目に晒すのは恥ずかしすぎる。
ユエンが見事な化粧技術でごまかしてくれたが、やはりルカには心当たりがあるのか、すぐに気づかれしまった。
「いえ、昨夜のことはわたしにとっては夢のようなひとときでしたので……」
さすがのスーももじもじと声が小さくなる。ルカは昨夜の緩みを引きずることもなく、すっかりいつもの誠実さを取り戻している。
「今後、二度とあのようなことがないように気を付けます」
ルカには後悔と真摯な反省だけが残ったようである。スーは残念な気持ちを拭いきれないが、後ろ向きな自分を蹴り飛ばして笑顔を向けた。
「昨日はとても飲んだと仰られていましたね」
「はい。あそこまで度を越すことはないのですが……。本当にスーには失礼なことをしました」
「酔っておられても、ルカ様はとても素敵でした!」
「いえ、わかっています。だらしのないところを見せてしまいました」
スーには、彼が昨夜のことをどのくらい覚えているのかわからない。自分がサイオンの宴で二日酔いになった時は、途中からの記憶が全くなかった。
ルカもきっと朧げに覚えているだけなのだろうと、素直に昨夜の感想を披露する。
「昨夜のルカ様はとても素敵でした! わたしはあのようなルカ様も大歓迎です! いつか素面の時にも同じように仰っていただけるように頑張ります!」
意気込みを語ってルカを見る。昨夜と同じ湖底のように澄んだ青い瞳。瞠目する眼差しに彼の驚きが見えたが、それは一瞬だった。ルカがふっと不自然にスーから視線を逸らした。
「ルカ様?」
ほんのりとルカの白い顔が赤くなっている。
(!!)
スーはぎゅんと心がうずく。いつもそつのない振舞いをするルカが、初めて見せた仕草だった。
(ルカ様が照れておられる!)
まるで未知との遭遇である。もはや衝撃映像に近いが、しっかりと心に刻み込もうと、スーはじっくりと見つめてしまう。
彼は口元に手をあてて、居たたまれないという顔で口を開いた。
「本当に申し訳ありません」
どうやらルカにも昨夜の記憶があるらしい。いったいどのくらい覚えているのだろう。目の前の彼の様子からは、思い出して恥ずかしくなるくらいには鮮明なのかもしれない。
昨夜の出来事がルカの中にも残っていると思うと、スーは少し嬉しくなった。
「ルカ様は飲みすぎて記憶がなくなったことはないのですか?」
「ーーないと思います」
ないということは、昨夜のことも覚えているということだ。
(覚えているということは……)
今度はスーがかぁっと顔を火照らせる番だった。自分の方こそ混乱しまくって失態を犯していたのではないだろうか。あたふたと記憶を振り返ってみるが、どこにも魅力的な女性としての振舞いがない。見当たらない。怖気づいて逃げ出そうとした後は、目を閉じて、ただ硬直していただけである。
(ああ、ダメだわ!)
魅力的な大人の女性には程遠い。
(どうしてルカ様の首に腕を回して誘惑するくらいのことができなかったのかしら、わたしは!)
自分がもっとうまく振る舞っていれば、彼が眠ってしまう前に大人の階段を登れた気もする。
スーは今さらになって、自分の不甲斐なさに心の中で悶絶した。
あんなに幼稚な反応しかできない女など、完全に夜の相手としては願い下げだろう。
(あああ〜!)
後悔の渦に沈みそうになっていると、執事のテオドールがテラスの円卓に朝食を並べた。
スーは視界に入ったパンケーキを見て、パッと心が綻ぶ。
たっぷりの生クリームとベリーソース。赤い果物が宝石のように皿の上を飾っている。食用の花が薔薇を模してあしらわれていた。まるで何かを祝福するような特別感がある。華やかで可愛い盛り付けになっていた。
「綺麗で、とても美味しそうです」
落ち込みそうになっていた気持ちが浮上する。いつも颯爽と邸のことを采配しているテオドールと目が合うと、にっこりと微笑んでくれた。
「本日の朝食には相応しいのではないかと思い、ご用意させていただきました。どうぞ召し上がってください」
「ありがとうございます」
ルカと一緒の朝食は久しぶりなのだ。スーの高まる気持ちに合わせて、テオドールは二人の食事を特別に飾ってくれたのだろう。館の者はいつもスーに優しい。
ワクワクとした気持ちでパンケーキを口にする。クリームやソースの甘い香りが広がった。生地がスフレのように柔らかく、まだあたたかい。ほんのりと舌先で溶けると、幸せな味が広がる。
「ルカ様、とても美味しいです」
「…………はい、…………美味しいですね」
ルカは眉間に皺を寄せて、複雑な表情で切り分けたパンケーキを口に運んでいる。
「もしかしてルカ様は甘いものが苦手ですか?」
「いえ、あまり多くは食べられませんが、好きですよ」
取り繕うようにルカが微笑む。
「あなたが気に入ったのなら、良かったです」
スーはルカが二日酔いなのかもしれないと思ったが、食事をする様子には気だるさが感じられない。
パンケーキを口に運ぶ仕草だけでも絵になる。洗練された皇太子の振る舞い。
スーも気持ちを引き締める。
(とにかくわたしは女性らしさを磨かなくちゃ!)
めらめらと野望を新たにしつつ、美しい仕草を意識してパンケーキを頬ばった。