41:天女の守護者
文字数 2,633文字
ルカが護衛と共に、警戒しながら待機部屋へと続く通路へ入ると、壁面と絨毯が血しぶきで染まっているのが視界に入った。
見知った護衛が三人、床に倒れている。絶命しているのは明らかだった。
ルカはたまらない気持ちになったが、同時に見慣れた人影を見つけた。床に膝をついて、倒れている者の状態を確かめている。立ち止まったルカの気配に気づいたのか、彼がはじかれたように振り返った。
「殿下!」
ルキアだった。彼は素早く立ち上がると歩み寄ってくる。背後にはスーの侍女であるユエンが佇んでいた。
「ご無事で良かった」
「おまえはどうしてここにいる? スーは? この惨状はどういうことだ」
「スー様は……」
ルキアもはっきりとした状況を把握していないのか、ユエンに目を向ける。彼女は一礼してから、ルカの前に進み出てきた。
「ルカ殿下。どうかご心配なく。姫様はすぐに取り戻します」
「ユエン?」
「どうか落ち着いてお待ちください」
落ち着いてなどいられるはずがない。何もかもが明らかに最悪の予感を形にしつつあるのだ。ルカの焦りと苛立たしさを察したのか、駆けつけた者に場を片付けるように指示をしていたルキアがルカに向き合う。
「殿下、今回の事件は私の責任です。私の見落としが原因なのです。間諜が紛れていることを見抜けなかった」
「今はおまえの言い訳など求めていない」
「はい。私も今まで身動きがとれずにいましたが、助けていただいたのです」
「助けてもらった?」
「はい。……自分は王女の守護者だと。そう名乗る方に」
「――守護者……」
聞きなれない言葉だったが、ルカの脳裏にはきっちりと刻まれている。
「殿下には、それで伝わるはずだと。やはり心当たりがあるのですか」
あると言い切るには、あまりにも不明瞭な情報だった。ルカにとっては神話に等しい。この局面で都合よく現れることに猜疑心を抱かない方がおかしいだろう。
「そんな得体の知れない者があれば、むしろ疑ってかかるべきだ」
「仰るとおりですが、スー様と同じだったのです。黒髪に赤い眼。あれはサイオンの王家に関わりのある方です」
何事にも裏付けを忘れないルキアが、一目でここまで確信するのも珍しい。それだけで幻のように現れた守護者に真実味を感じてしまうが、現状を見る限り、護衛を葬った敵は相当な使い手だろう。
守護者を名乗ろうとも、一個人が太刀打ちできるとは思えない。
「呆れるほど穴だらけの警備体制だね。これで何を守ろうって言うの? 笑えるよ」
背後で突然声がして、ルカはぞっと震えた。
気配も足音もなく突然現れた気配。けれど、振り返った瞬間、ルカは男が腕に抱えていた者に意識を奪われる。
「スー!」
ぐったりと力のない様子で、スーは男の腕に抱えられていた。白い肌が血に汚れているが、スー自身の出血ではなさそうだ。彼女の無事を確認すると、ルカはすぐに男に目を向ける。
広間に集った人々の華やかさとは真逆の無彩色の装束。目立ちたくないという意思のようにも見える。黒髪に赤い瞳。顔立ちの整った美形で、スーの面影がある。面影というよりは、身長や性別の違和感があるだけで、彼女によく似ていた。
ルキアが一目で認めた意味が理解できる。
(――天女の守護者)
存在は伝えられていたが、スーとどのような関わりを持つ者なのかは、わからない。
「ルカ殿下、はじめまして。リンと申します。怪しいものではありませんよ。殿下と少しお話をしたいのですが、とりあえずスーの手当てが先ですね。王宮も大騒ぎだ」
皇太子である自分を前にしても畏まることもなく、飄々とした様子でリンが笑う。
ルカにとっての一番の不安と脅威は断たれたが、王宮の混乱は続いている。彼の提案に異論はなかった。ひとまず場を収めるために、ルカは周りの者に指示を出した。
翌朝には、婚約披露は祝福の催しとは程遠い結果となって報道された。箝口令を敷いたが、ディアクレア大公を支持する者も多く参加し、会場には本人もいたのだ。
完璧に情報を遮断することは難しく、王宮の安全性を疑問視するという避難めいた記事まであった。暗殺の可能性は語られず、王宮や軍を管轄する皇太子を糾弾する火種に利用しようとする意図がみてとれる。
暗殺が失敗しても成功しても、大公派に都合の良い情報が拡散する仕組みになっているのだ。
「せっかくの婚約披露が台無しだったね。報道もひどいし、スーが知ったら落ち込むだろうなぁ」
リンと名乗った男は、ルカの私邸に招いている。昨夜は騒然となった王宮の後始末に奔走し、結局ルカは彼のために時間を設けることができなかったのだ。
翌日の昼下がりになって、ようやくルカは白い円卓を挟んでリンと向かい合っていた。
初めてスーと食事をともにしたテラスである。あの頃よりもすこし陽が長くなり、日中はわずかに暑気を感じる気候に移り変わりつつあった。
リンは昨日とは違い、無彩色ではなく鮮やかな青い衣装をまとっている。錦糸の刺繍があでやかな金の帯と衿 が目を引く。サイオンの簡易的な礼装だった。
「気持ちの良いテラスだね」
身なりは整っているが、作法や立場には拘りがないようだ。リンは友人に接するような寛いだ様子で話をする。
「でもまぁ、今回のことはルカ殿下には許容範囲なのかな? 第七都から世間の目を逸らせて好都合くらいに思っておられますか?」
くだけた口調とは裏腹に、油断のならない相手であるのがわかる。
リンの目は、全く笑っていないのだ。侮蔑の色が瞳の奥に揺れている。
「でもスーも災難だったな。肩の脱臼に、肋骨のヒビ、足の捻挫。得体の知れない輩に襲われて。薬を飲まされる勢いで唇も奪われて、乙女で初心なスーには気持ち悪かっただろうな。本当に可哀想に」
朗らかな調子のまま、リンは皮肉めいた笑みを浮かべる。遠回しに責めているのだ。ルカには弁解の余地もない。
彼はスーに何があったのかを子細に知っているようだった。逼迫した局面でも、余裕をもって観察していたことになる。
「スーはああ見えて、強いんだよね。僕が武術を教えたから、ちょっとした輩なら自分で撃退できるくらいには使える。でも、今回はソレが裏目にでちゃったかな。すぐに気を失っていれば、あんなに手荒な真似はされなかっただろうから」
恐ろしい体験をさせたことは、ルカも痛いほど理解していた。スーが諦めずに抵抗を続けていたことは、彼女の容体から想像がついた。
「でも、あのスーが、恐ろしさに震えて泣いていたよ」
見知った護衛が三人、床に倒れている。絶命しているのは明らかだった。
ルカはたまらない気持ちになったが、同時に見慣れた人影を見つけた。床に膝をついて、倒れている者の状態を確かめている。立ち止まったルカの気配に気づいたのか、彼がはじかれたように振り返った。
「殿下!」
ルキアだった。彼は素早く立ち上がると歩み寄ってくる。背後にはスーの侍女であるユエンが佇んでいた。
「ご無事で良かった」
「おまえはどうしてここにいる? スーは? この惨状はどういうことだ」
「スー様は……」
ルキアもはっきりとした状況を把握していないのか、ユエンに目を向ける。彼女は一礼してから、ルカの前に進み出てきた。
「ルカ殿下。どうかご心配なく。姫様はすぐに取り戻します」
「ユエン?」
「どうか落ち着いてお待ちください」
落ち着いてなどいられるはずがない。何もかもが明らかに最悪の予感を形にしつつあるのだ。ルカの焦りと苛立たしさを察したのか、駆けつけた者に場を片付けるように指示をしていたルキアがルカに向き合う。
「殿下、今回の事件は私の責任です。私の見落としが原因なのです。間諜が紛れていることを見抜けなかった」
「今はおまえの言い訳など求めていない」
「はい。私も今まで身動きがとれずにいましたが、助けていただいたのです」
「助けてもらった?」
「はい。……自分は王女の守護者だと。そう名乗る方に」
「――守護者……」
聞きなれない言葉だったが、ルカの脳裏にはきっちりと刻まれている。
「殿下には、それで伝わるはずだと。やはり心当たりがあるのですか」
あると言い切るには、あまりにも不明瞭な情報だった。ルカにとっては神話に等しい。この局面で都合よく現れることに猜疑心を抱かない方がおかしいだろう。
「そんな得体の知れない者があれば、むしろ疑ってかかるべきだ」
「仰るとおりですが、スー様と同じだったのです。黒髪に赤い眼。あれはサイオンの王家に関わりのある方です」
何事にも裏付けを忘れないルキアが、一目でここまで確信するのも珍しい。それだけで幻のように現れた守護者に真実味を感じてしまうが、現状を見る限り、護衛を葬った敵は相当な使い手だろう。
守護者を名乗ろうとも、一個人が太刀打ちできるとは思えない。
「呆れるほど穴だらけの警備体制だね。これで何を守ろうって言うの? 笑えるよ」
背後で突然声がして、ルカはぞっと震えた。
気配も足音もなく突然現れた気配。けれど、振り返った瞬間、ルカは男が腕に抱えていた者に意識を奪われる。
「スー!」
ぐったりと力のない様子で、スーは男の腕に抱えられていた。白い肌が血に汚れているが、スー自身の出血ではなさそうだ。彼女の無事を確認すると、ルカはすぐに男に目を向ける。
広間に集った人々の華やかさとは真逆の無彩色の装束。目立ちたくないという意思のようにも見える。黒髪に赤い瞳。顔立ちの整った美形で、スーの面影がある。面影というよりは、身長や性別の違和感があるだけで、彼女によく似ていた。
ルキアが一目で認めた意味が理解できる。
(――天女の守護者)
存在は伝えられていたが、スーとどのような関わりを持つ者なのかは、わからない。
「ルカ殿下、はじめまして。リンと申します。怪しいものではありませんよ。殿下と少しお話をしたいのですが、とりあえずスーの手当てが先ですね。王宮も大騒ぎだ」
皇太子である自分を前にしても畏まることもなく、飄々とした様子でリンが笑う。
ルカにとっての一番の不安と脅威は断たれたが、王宮の混乱は続いている。彼の提案に異論はなかった。ひとまず場を収めるために、ルカは周りの者に指示を出した。
翌朝には、婚約披露は祝福の催しとは程遠い結果となって報道された。箝口令を敷いたが、ディアクレア大公を支持する者も多く参加し、会場には本人もいたのだ。
完璧に情報を遮断することは難しく、王宮の安全性を疑問視するという避難めいた記事まであった。暗殺の可能性は語られず、王宮や軍を管轄する皇太子を糾弾する火種に利用しようとする意図がみてとれる。
暗殺が失敗しても成功しても、大公派に都合の良い情報が拡散する仕組みになっているのだ。
「せっかくの婚約披露が台無しだったね。報道もひどいし、スーが知ったら落ち込むだろうなぁ」
リンと名乗った男は、ルカの私邸に招いている。昨夜は騒然となった王宮の後始末に奔走し、結局ルカは彼のために時間を設けることができなかったのだ。
翌日の昼下がりになって、ようやくルカは白い円卓を挟んでリンと向かい合っていた。
初めてスーと食事をともにしたテラスである。あの頃よりもすこし陽が長くなり、日中はわずかに暑気を感じる気候に移り変わりつつあった。
リンは昨日とは違い、無彩色ではなく鮮やかな青い衣装をまとっている。錦糸の刺繍があでやかな金の帯と
「気持ちの良いテラスだね」
身なりは整っているが、作法や立場には拘りがないようだ。リンは友人に接するような寛いだ様子で話をする。
「でもまぁ、今回のことはルカ殿下には許容範囲なのかな? 第七都から世間の目を逸らせて好都合くらいに思っておられますか?」
くだけた口調とは裏腹に、油断のならない相手であるのがわかる。
リンの目は、全く笑っていないのだ。侮蔑の色が瞳の奥に揺れている。
「でもスーも災難だったな。肩の脱臼に、肋骨のヒビ、足の捻挫。得体の知れない輩に襲われて。薬を飲まされる勢いで唇も奪われて、乙女で初心なスーには気持ち悪かっただろうな。本当に可哀想に」
朗らかな調子のまま、リンは皮肉めいた笑みを浮かべる。遠回しに責めているのだ。ルカには弁解の余地もない。
彼はスーに何があったのかを子細に知っているようだった。逼迫した局面でも、余裕をもって観察していたことになる。
「スーはああ見えて、強いんだよね。僕が武術を教えたから、ちょっとした輩なら自分で撃退できるくらいには使える。でも、今回はソレが裏目にでちゃったかな。すぐに気を失っていれば、あんなに手荒な真似はされなかっただろうから」
恐ろしい体験をさせたことは、ルカも痛いほど理解していた。スーが諦めずに抵抗を続けていたことは、彼女の容体から想像がついた。
「でも、あのスーが、恐ろしさに震えて泣いていたよ」