120:守護者の忠告
文字数 1,779文字
「サイオンの王女を妃に迎える時点で、なんとなく予想はしていましたが」
「そうですね。代替わりが必要だからスーが複製さ れたわけですし。でもサイオンでは天女の覚醒によって、より彼女への護りが強くなる。スーに影響する麗眼布の意匠は覚醒の前と後ではわずかに変化します。すこし手を加えれば良い程度の些細なちがいなので、本人も心地よく感じる意匠の変化には気づいていないでしょうね」
気づかないまま、覚醒後にスーが作った意匠は、王家のものとは異なる唯一無二の図柄になるらしい。
「本人はまるで違うものを作っているとは思わない……。でも、これまでの王家の意匠とは異なり、その違いがサイオンの人間には強く影響する。そして殿下に贈るのは、覚醒後の意匠で作ったものです」
「私がそれを身に着けることに何の意味が?」
麗眼布によって受け継がれてきた意匠は、天女の設計 に囚われているサイオンの人間にしか影響しないはずである。ルカのもっともな問いに、リンは笑ってうなずいた。
「だから気休めだと」
「あなたが意味のないことをするとは思えませんが」
リンは意味ありげに左目を隠す装飾に触れて、首を横にふった。
「まったく思惑がないとは言えませんが、僕からは何も言えませんね」
サイオンの抑制機構で機能を失ったに等しいリンの左目。示唆されたことにたどりつき、ルカはざわりと肌が粟立つ。
「とにかく天女の麗眼布はサイオンにとって護るべきものを示します。強固な目印ですね。継承されるだけのサイオン王家の意匠とは異なり、天女が覚醒してからでないと得られない貴重な意匠です。それだけでありがたみがありませんか?」
リンは茶化すように笑っているが、ルカは動悸を感じていた。
彼の示唆する情報を噛みしめるように脳裏に刻む。顔色を変えたルカの様子を眺めながら、リンは神妙な顔でさらに続けた。
「でもスーの意匠が特別なことは、現状ではとても大きな問題になる」
「問題とは?」
「パルミラにはスーに影響する覚醒後の麗眼布がない。あの大公殿下の演説の時、スーを演じた女がそのことを示唆していた。誰も気づかなかったでしょうが、彼女の仕草は王家の暗号になっていた」
ディオクレアの演説を聞きながら「この女も侮れない」と語っていたリンの横顔を、ルカは思い出していた。
「女の真意はともかく、天女の麗眼布を持たないスーの状況は深刻です」
ルカは嵐のようにこみ上げた焦燥で身体 が震えた。身のすくむような事実だったが、リンは変わらず飄々としている。
激情にかられそうになるのを何とかやりすごし、ルカは気持ちを落ち着かせるように深く呼吸をする。声音に感情が滲まないように意識をしながら、リンに問いかけた。
「なぜ、今まで黙っていたのです?」
麗眼布に施された技術は死と隣り合わせなのだ。高次に発達した強烈な依存性。辿る先は狂人か、死か。そう説明していたのはリンである。
冷静さを保とうと努めたが、どうしても苛立ちを隠しきれない。リンは自嘲的に笑う。
「それはさして重要ではないと思ったので」
「サイオンの人間が麗眼布をもたない危険性を語っていたのは、あなただ」
「はい、そうですね」
リンが挑発的な顔でルカの顔をのぞきこむ。
「でも、ルカ殿下。僕はスーの奪還を果たします」
「スーの心の安否は関係ないと?」
「たしかに天女の責務を思えば些末なことになりますが、でもさすがに僕もそこまで非情じゃない。スーは僕にとっても可愛い姪なのでね。できればあの愛嬌は守りたい」
リンの装飾に隠されていない赤い眼が歪む。笑っているのに、目の奥が笑っていない。
「ルカ殿下。僕が言いたいのは、そんなことではありませんよ」
「そんなこと?」
「僕は必ずスーを無事に奪還します。でも、サイオンにとってスーはクラウディアの礎となる天女だ。それは誰にも変えられない」
感情を見失ってしまったかのような平坦な声で、リンが囁く。
「だから、僕はいずれあなたから希望 を奪うことになる」
「ーー心得ているつもりです」
「心得ている?……殿下には、もっと本気になっていただかなくては」
リンはほほ笑むが、やはり目が笑っていない。
「僕は手加減はできませんよ」
ルカには宣戦布告に聞こえたが、同時に語られることのないリンの真意がかいま見える。まるで不吉な言霊のように、リンの声がルカの胸底にゆっくりと沈殿した。
「そうですね。代替わりが必要だからスーが
気づかないまま、覚醒後にスーが作った意匠は、王家のものとは異なる唯一無二の図柄になるらしい。
「本人はまるで違うものを作っているとは思わない……。でも、これまでの王家の意匠とは異なり、その違いがサイオンの人間には強く影響する。そして殿下に贈るのは、覚醒後の意匠で作ったものです」
「私がそれを身に着けることに何の意味が?」
麗眼布によって受け継がれてきた意匠は、天女の
「だから気休めだと」
「あなたが意味のないことをするとは思えませんが」
リンは意味ありげに左目を隠す装飾に触れて、首を横にふった。
「まったく思惑がないとは言えませんが、僕からは何も言えませんね」
サイオンの抑制機構で機能を失ったに等しいリンの左目。示唆されたことにたどりつき、ルカはざわりと肌が粟立つ。
「とにかく天女の麗眼布はサイオンにとって護るべきものを示します。強固な目印ですね。継承されるだけのサイオン王家の意匠とは異なり、天女が覚醒してからでないと得られない貴重な意匠です。それだけでありがたみがありませんか?」
リンは茶化すように笑っているが、ルカは動悸を感じていた。
彼の示唆する情報を噛みしめるように脳裏に刻む。顔色を変えたルカの様子を眺めながら、リンは神妙な顔でさらに続けた。
「でもスーの意匠が特別なことは、現状ではとても大きな問題になる」
「問題とは?」
「パルミラにはスーに影響する覚醒後の麗眼布がない。あの大公殿下の演説の時、スーを演じた女がそのことを示唆していた。誰も気づかなかったでしょうが、彼女の仕草は王家の暗号になっていた」
ディオクレアの演説を聞きながら「この女も侮れない」と語っていたリンの横顔を、ルカは思い出していた。
「女の真意はともかく、天女の麗眼布を持たないスーの状況は深刻です」
ルカは嵐のようにこみ上げた焦燥で
激情にかられそうになるのを何とかやりすごし、ルカは気持ちを落ち着かせるように深く呼吸をする。声音に感情が滲まないように意識をしながら、リンに問いかけた。
「なぜ、今まで黙っていたのです?」
麗眼布に施された技術は死と隣り合わせなのだ。高次に発達した強烈な依存性。辿る先は狂人か、死か。そう説明していたのはリンである。
冷静さを保とうと努めたが、どうしても苛立ちを隠しきれない。リンは自嘲的に笑う。
「それはさして重要ではないと思ったので」
「サイオンの人間が麗眼布をもたない危険性を語っていたのは、あなただ」
「はい、そうですね」
リンが挑発的な顔でルカの顔をのぞきこむ。
「でも、ルカ殿下。僕はスーの奪還を果たします」
「スーの心の安否は関係ないと?」
「たしかに天女の責務を思えば些末なことになりますが、でもさすがに僕もそこまで非情じゃない。スーは僕にとっても可愛い姪なのでね。できればあの愛嬌は守りたい」
リンの装飾に隠されていない赤い眼が歪む。笑っているのに、目の奥が笑っていない。
「ルカ殿下。僕が言いたいのは、そんなことではありませんよ」
「そんなこと?」
「僕は必ずスーを無事に奪還します。でも、サイオンにとってスーはクラウディアの礎となる天女だ。それは誰にも変えられない」
感情を見失ってしまったかのような平坦な声で、リンが囁く。
「だから、僕はいずれあなたから
「ーー心得ているつもりです」
「心得ている?……殿下には、もっと本気になっていただかなくては」
リンはほほ笑むが、やはり目が笑っていない。
「僕は手加減はできませんよ」
ルカには宣戦布告に聞こえたが、同時に語られることのないリンの真意がかいま見える。まるで不吉な言霊のように、リンの声がルカの胸底にゆっくりと沈殿した。