84:ベリウス姉弟の期待
文字数 2,335文字
「お二人は、ルカ様の行き先を知っておられるのですね」
反逆者として葬られたルカの父カリグラには、皇家が認める墓標がないはずである。彼の妃としてともに準じた母ユリアも同じだった。当初、ルカは母には内乱を治めた功績があるはずだと訴えたが、皇帝は彼女の墓標を設けることを認めなかった。
ヘレナによると、カリグラとともにあることを望んだユリアの想いをくんだ結果だったが、ルカがどう捉えているのかはわからない。
おそらくユリアが帝国の犠牲になったという思いだけを克明にしたのだろうと、ヘレナはいっていた。
「ルカ様のご両親は、どちらに眠っておられるのですか?」
地域によっては文化を尊重するために土葬の場合もあるが、帝国は火葬が主流である。霊園に眠るのは骨壺だった。皇家が認めずとも、どこかに二人が眠る場所があるのだろう。
「本日の殿下の行き先はわかりません」
運転席とは独立した個室のような車内で、ルキアがスーの向かいで意外な返答をした。隣からヘレナがつけくわえる。
「行き先はどこかの海岸なのですが、おもむく海岸は殿下しかご存知ありません。毎年違う海をもとめられますので」
「海ですか?」
「はい。殿下のご両親は海に散骨されました。皇帝陛下は墓標をお許しになりませんでしたが、それはユリア様の生前からの御望みをかなえるためでもあったのでしょう」
「海に散骨。……素敵ですね。でも、毎年違う海に向かわれるのであれば、本日のルカ様の行き先はわからないのでは?」
車窓から外を眺めてみても、尾行しているような気配はない。スー達の乗っている車体と同様に、ルカの乗車している車も、帝都ではありふれた貴族の車を偽装しているのだろうか。それでも幹線上は、無数の車が目まぐるしく行き来しており、一台を追っているとは思えなかった。
「殿下の護衛と繋がっておりますので行き先は把握しています。心配ありません」
ルキアにぬかりはなさそうだった。目視で尾行するはずがないと、スーは少し恥ずかしくなる。独りで気持ちを噛みしめたいルカを追いかけること自体、浅ましいことのような気がした。
「ルキア様。せっかく取り計らっていただいたのに、こんなことを申し上げるのは気が引けますが、本当にルカ様を追いかけて良いのでしょうか」
隠しておきたい神聖な場所を暴くような、居心地の悪さがあった。スーが素直に自分の気持ちを打ち明けると、ルキアとヘレナが顔を見あわせた。
「やはり、わたしは邸でルカ様をお待ちしているべきなのではないかと思うのですが?」
「殿下の私生活に土足で踏みこむかんじがする、と?」
「はい。――申し訳ありません」
生意気なことを言っているとおもい、スーがうつむくと、隣からヘレナに肩に抱かれて、ぎゅっとひき寄せられた。
「殿下がスー様に心を許すのも無理はありませんわね」
「ヘレナ様?」
不思議におもって彼女をみると、柔らかなほほ笑みがあった。
「殿下に近しいわたくし達にも、そのような感覚は希薄です。帝国の皇太子は決して自由ではありませんので」
「……あ」
「スー様を責めているわけではございませんわ。殿下のすべてを求めず寄りそう姿勢、それはとても尊い心がまえであると思います」
ヘレナが肩に回していた腕をといて、そっとスーの手を握った。藤の花弁をガラスに閉じ込めたような瞳が、思いつめた光を宿している。
「わたくしとルキアは、スー様に期待を抱いてしまったのです」
「わたしに?」
スーにはさっぱり思いつかない。この二人に期待を持たせるような長所などあっただろうか。帝国の事情に無知でまったく教養が足りていない。役に立てることなどみあたらない。
「はい。スー様であれば殿下のお気持ちのよりどころになれるのではないかと……」
「まさか! いえ、もちろんわたしはそのような妃になることを夢見ておりますが、ヘレナ様やルキア様の方がずっとルカ様のことをご存知です」
言いながら、スーはあらためて自分を見つめなおす。まだルカに寄りそいたいという気持ちだけが空回りしている日々。彼の気づかいに、スーの方が支えてもらっている。
「我々は殿下を知っていても、いえ、知っているからこそ無力な面があります」
「ルキア様はとてもルカ様のお力になっていると思います」
「ある一面ではそうかもしれませんが、我々には殿下の気持ちをゆるめることはできません」
ルキアが車窓に目を向ける。車はいつまにか幹線をはずれ、帝都をでていた。目をこらすと、遠くに見えるのは地平線だろうか。はるかな稜線の合間に海がみえる。
「スー様といらっしゃる時、殿下はとても寛いでおられるのですよ」
たしかに初めて会ったころとはちがい、ルカの表情は柔らかくなった。いつからだろう。彼の笑顔を社交辞令だと感じなくなったのは。
スーがルカの様子を思い描いていると、ルキアの低い声がつづける。
「それは殿下にとって、とても必要なことだと思います」
「だからこそ、わたくし達はスー様に期待しているのですわ。独りきりで立とうとする殿下を支えてくださるのではないかと」
ヘレナのたおやかな手が、握りしめていたスーの手をはなした。
「――そのためには、本日のルカ様を知っておいた方が良いのですね」
二人がルカを案じているのが伝わってくる。その期待を重いとは感じない。わきあがってきたのは、よろこびだった。気もちがあたたかい。スーのことも認めてくれているのだ。
じんわりと心地の良い期待だった。
スーはぐっと握り拳をつくって、ヘレナに力強くうなずく。
「お二人の期待にそえるように、頑張ります!」
意気ごんで宣言すると、ルキアとヘレナがふたたび顔を見あわせてから、ちいさく笑った。
「どうかよろしくおねがい致します、スー様」
反逆者として葬られたルカの父カリグラには、皇家が認める墓標がないはずである。彼の妃としてともに準じた母ユリアも同じだった。当初、ルカは母には内乱を治めた功績があるはずだと訴えたが、皇帝は彼女の墓標を設けることを認めなかった。
ヘレナによると、カリグラとともにあることを望んだユリアの想いをくんだ結果だったが、ルカがどう捉えているのかはわからない。
おそらくユリアが帝国の犠牲になったという思いだけを克明にしたのだろうと、ヘレナはいっていた。
「ルカ様のご両親は、どちらに眠っておられるのですか?」
地域によっては文化を尊重するために土葬の場合もあるが、帝国は火葬が主流である。霊園に眠るのは骨壺だった。皇家が認めずとも、どこかに二人が眠る場所があるのだろう。
「本日の殿下の行き先はわかりません」
運転席とは独立した個室のような車内で、ルキアがスーの向かいで意外な返答をした。隣からヘレナがつけくわえる。
「行き先はどこかの海岸なのですが、おもむく海岸は殿下しかご存知ありません。毎年違う海をもとめられますので」
「海ですか?」
「はい。殿下のご両親は海に散骨されました。皇帝陛下は墓標をお許しになりませんでしたが、それはユリア様の生前からの御望みをかなえるためでもあったのでしょう」
「海に散骨。……素敵ですね。でも、毎年違う海に向かわれるのであれば、本日のルカ様の行き先はわからないのでは?」
車窓から外を眺めてみても、尾行しているような気配はない。スー達の乗っている車体と同様に、ルカの乗車している車も、帝都ではありふれた貴族の車を偽装しているのだろうか。それでも幹線上は、無数の車が目まぐるしく行き来しており、一台を追っているとは思えなかった。
「殿下の護衛と繋がっておりますので行き先は把握しています。心配ありません」
ルキアにぬかりはなさそうだった。目視で尾行するはずがないと、スーは少し恥ずかしくなる。独りで気持ちを噛みしめたいルカを追いかけること自体、浅ましいことのような気がした。
「ルキア様。せっかく取り計らっていただいたのに、こんなことを申し上げるのは気が引けますが、本当にルカ様を追いかけて良いのでしょうか」
隠しておきたい神聖な場所を暴くような、居心地の悪さがあった。スーが素直に自分の気持ちを打ち明けると、ルキアとヘレナが顔を見あわせた。
「やはり、わたしは邸でルカ様をお待ちしているべきなのではないかと思うのですが?」
「殿下の私生活に土足で踏みこむかんじがする、と?」
「はい。――申し訳ありません」
生意気なことを言っているとおもい、スーがうつむくと、隣からヘレナに肩に抱かれて、ぎゅっとひき寄せられた。
「殿下がスー様に心を許すのも無理はありませんわね」
「ヘレナ様?」
不思議におもって彼女をみると、柔らかなほほ笑みがあった。
「殿下に近しいわたくし達にも、そのような感覚は希薄です。帝国の皇太子は決して自由ではありませんので」
「……あ」
「スー様を責めているわけではございませんわ。殿下のすべてを求めず寄りそう姿勢、それはとても尊い心がまえであると思います」
ヘレナが肩に回していた腕をといて、そっとスーの手を握った。藤の花弁をガラスに閉じ込めたような瞳が、思いつめた光を宿している。
「わたくしとルキアは、スー様に期待を抱いてしまったのです」
「わたしに?」
スーにはさっぱり思いつかない。この二人に期待を持たせるような長所などあっただろうか。帝国の事情に無知でまったく教養が足りていない。役に立てることなどみあたらない。
「はい。スー様であれば殿下のお気持ちのよりどころになれるのではないかと……」
「まさか! いえ、もちろんわたしはそのような妃になることを夢見ておりますが、ヘレナ様やルキア様の方がずっとルカ様のことをご存知です」
言いながら、スーはあらためて自分を見つめなおす。まだルカに寄りそいたいという気持ちだけが空回りしている日々。彼の気づかいに、スーの方が支えてもらっている。
「我々は殿下を知っていても、いえ、知っているからこそ無力な面があります」
「ルキア様はとてもルカ様のお力になっていると思います」
「ある一面ではそうかもしれませんが、我々には殿下の気持ちをゆるめることはできません」
ルキアが車窓に目を向ける。車はいつまにか幹線をはずれ、帝都をでていた。目をこらすと、遠くに見えるのは地平線だろうか。はるかな稜線の合間に海がみえる。
「スー様といらっしゃる時、殿下はとても寛いでおられるのですよ」
たしかに初めて会ったころとはちがい、ルカの表情は柔らかくなった。いつからだろう。彼の笑顔を社交辞令だと感じなくなったのは。
スーがルカの様子を思い描いていると、ルキアの低い声がつづける。
「それは殿下にとって、とても必要なことだと思います」
「だからこそ、わたくし達はスー様に期待しているのですわ。独りきりで立とうとする殿下を支えてくださるのではないかと」
ヘレナのたおやかな手が、握りしめていたスーの手をはなした。
「――そのためには、本日のルカ様を知っておいた方が良いのですね」
二人がルカを案じているのが伝わってくる。その期待を重いとは感じない。わきあがってきたのは、よろこびだった。気もちがあたたかい。スーのことも認めてくれているのだ。
じんわりと心地の良い期待だった。
スーはぐっと握り拳をつくって、ヘレナに力強くうなずく。
「お二人の期待にそえるように、頑張ります!」
意気ごんで宣言すると、ルキアとヘレナがふたたび顔を見あわせてから、ちいさく笑った。
「どうかよろしくおねがい致します、スー様」