20:王女の注意点

文字数 1,895文字

 クラウディア国立公園に設けられた皇家の館は、ルカの私邸よりも小さいが、おとぎ話に出てきそうな趣があり、女性が喜びそうな外観をしている。

 湖岸に近いため、庭からは美しい湖が臨めた。
 何を見ても感激しているスーを面白く眺めながら、庭先で昼食をすませると、ルカは園内のどこを案内するべきかと考える。

 館の者に園内の簡易地図を借りて眺めていると、白い手に横から地図を引っ張られた。

「スー?」

「殿下! このジュースが甘くてとても美味しいです」

 視線を向けると、スーの持つグラスに綺麗な発色をした液体が揺れている。彼女の顔を見ると、ほんのりと頬が赤くなっていた。

 こちらに向けられた眼差しに、おっとりと滲む艶美な色。
 「ルカ」と、繰り返し手ほどきしたにも関わらず、再び「殿下」に戻っている。

 嫌な予感がした。

「殿下も飲んでみてください」

 どうやら給仕が食後の飲み物を提供していたようだ。ルカは卓上に用意されていた自分のグラスを手にした。ふわりと広がった芳醇な香りをかいで、嫌な予感が的中していたことを悟る。

 他愛もない食後の口直しに用意された低度数のアルコールで、彼女は酔っているのだ。
 スーは美味しいと言って、手にしているグラスの中身を飲み干してしまう。

「スー、これまでにアルコールを嗜んだ経験は?」

「一度だけあります」

「一度だけ?」

 予想を裏切らない答えだった。

「はい。こちらにくる前の夜に、帝国との結婚を祝う宴で、たくさんのみました」

 話している間にも、スーの様子がさらに怪しくなっていくのがわかる。

「殿下、なんだか、とってもふわふわします」

 ルカにとってはジュースに等しい食後酒であるが、どうやら彼女はアルコールに耐性がないようだった。

「口直しで酔ったのでしょう。もう少しこちらで休みましょう」

「殿下は飲まないのですか?」

「ーーいただきます」

 グラスを傾けながらスーの様子をうかがっていると、ベロベロとまではいかないが、動作がかなり緩慢になっている。
 白い肌が上気していて、今まで感じたことのない蠱惑的な危うさがあった。

 食後の口直しでこの有様では、公の場では気をつける必要がありそうだ。
 妖艶な美貌は、無自覚に異性を誘う。箱入り娘のスーが、忍び寄る欲望をうまくあしらえるとは思えない。

 彼女にはただでさえ秘めた事情があるのだ。

「……美人は面倒だな」

 美しさというものが、やっかいな働きをする場合もある。傾国の美女と謳われるような美貌など、ルカは全く望まない。邪魔になるだけの付加価値だと言ってもいい。

 やけに静かになったと思えば、スーは屋外の卓に顔を伏せるようにして眠りこけている。
 ルカは苦笑しながら、彼女を抱き上げて館の一室で休ませ、再び庭に戻ってきた。

 湖から吹いてくる緩やかな風が、ルカの髪を洗うようにすいて流れていく。
 空と湖の境界が溶けあいそうな水平線を眺めながら、小さくため息をついた。

「美しいことを喜べない、か」

 美貌が目障りな付加価値になる。全てが反転する、(いびつ)な政略結婚。

 サイオンの王女は、ルカにはただ哀れな存在だった。どれほど美しくても望むことはない。
 胸によどむ嫌悪感がある。決して、同情を上回ることはできない。





「殿下! 申し訳ありません!」

 館内の一室で休ませていたスーが、再び庭に飛び出してきた。ルカは腕時計に視線を落とす。まだ半刻もたっていない。

「クラウディアに来てからの疲れが出たのでしょう。もう少し休んでいてもーー」

「せっかく殿下とご一緒できるのに、そんなもったいないことはできません!」

 口にしたアルコールも大したものではなかったので、酔いも完全に覚めているようだ。蠱惑的な危うさも、すっかり姿を消している。

「スー」

「はい!」

「また殿下と……」

「あっ!」

 ルカは笑いながら開いていた本を閉じて立ち上がった。

「でも、そうですね。せっかくなので行きましょう。湖岸を辿るのも良いですし、森林浴もできます。遺跡も見られますよ。何かご希望はありますか?」

「わたしはどちらへでも。訪れる前に、もうすぐこの公園は閉鎖されると仰っていたので、殿ーーあっ! あの、ルカ様のおすすめの場所などがあれば、見ておきたいです」

「おすすめの場所――景色の美しい場所がいろいろありますが、遺跡周りが良いかもしれませんね」

「はい!」

 スーが嬉しそうに笑う。溌溂とした伸びやかさだけを感じる笑顔。
 眩しいものを見た気がして、ルカは目を細める。

 車で外周を辿ることになるが、遺跡周辺には美しい景色が見られる場所も多い。ほどなく国立公園が閉鎖される理由も、その遺跡の調査を開始するためである。
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