96:女帝と神話の天女
文字数 1,932文字
サイオン王朝の全容を語られていない。気づいていたはずなのに、改めて示されると息が詰まる。ルカは深く息を吸い込むが、それでも呼吸の浅さが拭えず、息苦しさがまぎれない。
「話さなくても良いのなら、そのまま話さずにいたかったが。残念ながら、私にはこの映像の女性を軽く受け止めることはできない」
「はい、もちろんです」
ルカが理解を示すと、ユリウスがふたたび困ったようにほほ笑んだ。
「ルカ。私の抱いた懸念を説明するためには、サイオンの真の恐ろしさを語る必要がある」
「サイオンの真の恐ろしさ……」
ユリウスがグラスを手に取り、ぐっと飲み干した。ふうっと深く息をつくと真っ直ぐにルカを見る。
「サイオン王朝がもっとも繁栄を極めた時代の女帝が、今も寓話として語り継がれている天女ではないかという説がある」
「陛下は第零都で、彼女のことを天女だと仰っていましたが……」
「そうだったな。サイオンの王女と区別するためにそう伝えた。守護者がついているという話も漏らしたな」
「はい。具体的にはお話いただけておりませんが。――しかし、天女の神話とサイオン王朝にどのような関わりが? 誰もが知る寓話ですが、サイオン王朝との関わりは証明されていないのではありませんか?」
サイオン王朝の具体的な記録はないに等しく、古の女帝についても詳細は不明だった。
クラウディアをはじめ、世界には地域によって様々な言い伝えや神話、寓話が存在する。ユリウスの示す天女の寓話もその一つにすぎない。
スーの叔父であるリンから贈られてきた白馬の名ピテルも、古くから語り継いでいる世界創生の神話に登場する神の名だった。
ユリウスの示した天女の話は、もとはサイオンに語り継がれる神話だが、信憑性はひくく創作物としての評価が高い。
それは皇家だけではなく、誰もが知っている天女と旅人の物語である。
その昔、美しい天女のような女があった。女は聡明で世界に新たな知をもたらした。
人々は女を天女だと謳い、もてはやした。
けれど、美しさに惑わされたものは、その身を滅ぼす。
天女は数多 の人々を破滅へ導き、いつしか人々に恐れられる存在となった。
天女の行いに人々が困窮していると、どこからかやってきた若い旅人が、天女を咎めた。
旅人は天女の美しさに惑わされず、また恐れることもなく、彼女の行いをたしなめた。
旅人の勇気により、天女は自身の行いを悔い改め、人々は救われた。
やがて天女は人々のために神となった。
その身にすべての叡智をあつめ、永遠に世界を統治した。
天女の神話にはいく通りもの解釈があるが、大筋はすべてこの形に集約される。
恋物語になったり悔い改める話になったり復讐の話になったりと、物語としての厚みを出すために主題が変化するが、どれもが寓話的な要素のある話だった。
サイオン王朝の女帝が、天女の神話に形をかえたというのであれば、当時からいかに女帝の権力が強大であったのか。それを裏付ける言い伝えだったのかもしれない。
「サイオン王朝の女帝は、神とも言えただろうな。人知を超えた科学技術は、神の力のように見えただろう。当時の人々に恐れられたのも仕方がないと思えるほどに」
「陛下は天女の神話とサイオン王朝には関わりがあるとお考えなのですか」
「天女の神話はサイオン王朝の女帝の物語を示している。そして問題となるのは、その身にすべての叡智をあつめ、永遠に世界を統治した、この部分だろう。それは私の目から見ても神のような力ーー技術だ」
「神のような、技術……」
ルカは息をのむ。まだ何も明かされていないのに身がすくんだ。
皇帝ユリウスが知るサイオン王朝の真の恐ろしさ。
知りたいのに、知りたくない。
複雑な思いを飲みこみきれず、逃れようもない恐れがわきあがってくる。喉の乾きをおぼえて、ルカはワインを飲みほす。
ユリウスが空になった二つのグラスに、ゆっくりとワインをそそいだ。
あたりに芳醇な香りがひろがる。紺青の瓶からながれだし、グラスを満たす軽快な音に、ユリウスの苦渋に満ちた声がかさなった。
「サイオンの王女はいつの時代も、女帝の、ーー天女の複製として存在する」
天女の複製。
それが何を意味するのか。
「まさか……」
滑稽な作り話だと笑い飛ばせたら、どんなに楽だっただろう。
(ーーサイオンの人間は、天女に役割を設計 されている)
いつかの言葉が、真水に真っ黒なインクを落としたように、ルカの脳裏を蹂躙する。
ルクスのもたらした映像に現れた女。
スーに瓜二つの、作りものめいた美しい顔。
「複製……」
自分のつぶやきが遠くに聞こえる。
ルカはぐらりと足元を失うような錯覚に襲われた。まるで底知れぬ奈落へ放たれたように、ひどい眩暈がした。
「話さなくても良いのなら、そのまま話さずにいたかったが。残念ながら、私にはこの映像の女性を軽く受け止めることはできない」
「はい、もちろんです」
ルカが理解を示すと、ユリウスがふたたび困ったようにほほ笑んだ。
「ルカ。私の抱いた懸念を説明するためには、サイオンの真の恐ろしさを語る必要がある」
「サイオンの真の恐ろしさ……」
ユリウスがグラスを手に取り、ぐっと飲み干した。ふうっと深く息をつくと真っ直ぐにルカを見る。
「サイオン王朝がもっとも繁栄を極めた時代の女帝が、今も寓話として語り継がれている天女ではないかという説がある」
「陛下は第零都で、彼女のことを天女だと仰っていましたが……」
「そうだったな。サイオンの王女と区別するためにそう伝えた。守護者がついているという話も漏らしたな」
「はい。具体的にはお話いただけておりませんが。――しかし、天女の神話とサイオン王朝にどのような関わりが? 誰もが知る寓話ですが、サイオン王朝との関わりは証明されていないのではありませんか?」
サイオン王朝の具体的な記録はないに等しく、古の女帝についても詳細は不明だった。
クラウディアをはじめ、世界には地域によって様々な言い伝えや神話、寓話が存在する。ユリウスの示す天女の寓話もその一つにすぎない。
スーの叔父であるリンから贈られてきた白馬の名ピテルも、古くから語り継いでいる世界創生の神話に登場する神の名だった。
ユリウスの示した天女の話は、もとはサイオンに語り継がれる神話だが、信憑性はひくく創作物としての評価が高い。
それは皇家だけではなく、誰もが知っている天女と旅人の物語である。
その昔、美しい天女のような女があった。女は聡明で世界に新たな知をもたらした。
人々は女を天女だと謳い、もてはやした。
けれど、美しさに惑わされたものは、その身を滅ぼす。
天女は
天女の行いに人々が困窮していると、どこからかやってきた若い旅人が、天女を咎めた。
旅人は天女の美しさに惑わされず、また恐れることもなく、彼女の行いをたしなめた。
旅人の勇気により、天女は自身の行いを悔い改め、人々は救われた。
やがて天女は人々のために神となった。
その身にすべての叡智をあつめ、永遠に世界を統治した。
天女の神話にはいく通りもの解釈があるが、大筋はすべてこの形に集約される。
恋物語になったり悔い改める話になったり復讐の話になったりと、物語としての厚みを出すために主題が変化するが、どれもが寓話的な要素のある話だった。
サイオン王朝の女帝が、天女の神話に形をかえたというのであれば、当時からいかに女帝の権力が強大であったのか。それを裏付ける言い伝えだったのかもしれない。
「サイオン王朝の女帝は、神とも言えただろうな。人知を超えた科学技術は、神の力のように見えただろう。当時の人々に恐れられたのも仕方がないと思えるほどに」
「陛下は天女の神話とサイオン王朝には関わりがあるとお考えなのですか」
「天女の神話はサイオン王朝の女帝の物語を示している。そして問題となるのは、その身にすべての叡智をあつめ、永遠に世界を統治した、この部分だろう。それは私の目から見ても神のような力ーー技術だ」
「神のような、技術……」
ルカは息をのむ。まだ何も明かされていないのに身がすくんだ。
皇帝ユリウスが知るサイオン王朝の真の恐ろしさ。
知りたいのに、知りたくない。
複雑な思いを飲みこみきれず、逃れようもない恐れがわきあがってくる。喉の乾きをおぼえて、ルカはワインを飲みほす。
ユリウスが空になった二つのグラスに、ゆっくりとワインをそそいだ。
あたりに芳醇な香りがひろがる。紺青の瓶からながれだし、グラスを満たす軽快な音に、ユリウスの苦渋に満ちた声がかさなった。
「サイオンの王女はいつの時代も、女帝の、ーー天女の複製として存在する」
天女の複製。
それが何を意味するのか。
「まさか……」
滑稽な作り話だと笑い飛ばせたら、どんなに楽だっただろう。
(ーーサイオンの人間は、天女に役割を
いつかの言葉が、真水に真っ黒なインクを落としたように、ルカの脳裏を蹂躙する。
ルクスのもたらした映像に現れた女。
スーに瓜二つの、作りものめいた美しい顔。
「複製……」
自分のつぶやきが遠くに聞こえる。
ルカはぐらりと足元を失うような錯覚に襲われた。まるで底知れぬ奈落へ放たれたように、ひどい眩暈がした。