第36話 水泳授業と髪の色

文字数 2,732文字

 6月中旬。中学校の水泳授業が始まった。
 S中学の水泳授業は、1ブロック隣の区民体育館に併設された温水プールを使用して行われる。普段の体育授業は男女別に実施されるが、プールを借りる都合上、時間的制約が厳しいため、水泳授業だけは数クラスが男女合同で行うことになっていた。
 ただし、実際には男女でプールを区切り、一定の距離を保ちながら実施していたのだが。

 中学1年生ともなれば、男女の違いを意識し始める時期である。そんな多感な年頃に、彼らは互いに水着姿を晒すことになる。

 それを聞いたとき、胸が躍った。
 主に男子が。

 これほどセンセーショナルな出来事はなかった。
 男子に限るが。

 飢えた獣のような(よこしま)な思いに気づいた女子たちは、男子と一緒にプールへ入ることに難色を示した。しかし時間が限られているという名目のもと、どれほど嫌であっても女子たちはそれを受け入れざるを得なかった。

 そんなわけで、水泳授業が始まる1週間も前から教室内はその話題で持ち切りだった。
 もちろん、男子に限るが。

 そんな中、1年1組の健斗のクラスで数人の男子が雑談を交わしていた。

「おい、3組の小林も水泳授業が一緒なんだよな?」
 
「あぁ、そうだよ! 小林桜子! あいつも一緒なんだ! あぁー、きっと水着姿も可愛いんだろうなぁ」

 言いながら一人の男子が健斗の方を向く。そして話題を振ってきた。

「おい木村。小林ってお前の幼馴染なんだよな? あいつってどうなのよ?」

 健斗は友人たちが盛り上がる様子を興味なさげに眺めていたが、突然自分に話題が振られると面倒くさそうに答えた。

「どうって、なにが?」

「いや、だから、こことかよ。やっぱ白人だからでかいのか?」

 話を振った男子が、自分の胸に手を当てて強調する。それを見た健斗が眉を顰めて答えた。

「知らねぇよ。たぶん普通だろ」

「なんだよお前。見たことねぇのかよ?」

「な、なんだよ! 見たことあるわけねぇだろ!」

「だってお前さぁ、小林と小学一緒だったんだろ? そんなら、水泳授業だって一緒だったんじゃねーの?」

「なに言ってんだよ。小学生に大きいも小さいもあるかよ」

「なんだよ木村ぁ、ノリの悪い奴だな。この中であいつの水着を見たことあるの、お前だけなんだぞ」

「だから知らねぇって、そんなもん」

 相変わらずの仏頂面で、健斗が話をぶった切る。それを聞いた友人たちは、面白くなさそうに小さな舌打ちをした。


 一説によると、世の男子が異性の身体に興味を持つ部分は、年齢とともに「上から下」へと推移するらしい。(筆者調べ)
 具体的に言うと、

 幼少期は「顔」の美醜、
 思春期には「胸」の大きさ、
 成人期には「腰と尻」の比率、
 成熟期には「太もも」の存在感となり、
 最後に「足首」へと行き着くそうだ。

 それはいわゆるフェティシズムの話ではあるが、確かにそう言われてみると妙に頷ける話ではある。
 そんなわけだから、まさに思春期真っ只中の中学一年生の男子たちが、女子の胸に興味津々なのも無理はなかった。


 せっかく話を振ったのに、健斗のノリの悪さに興ざめした男子たちは、彼を放って再び同じ話題で盛り上がり始めた。
  
「いやぁ、だけどほんとに小林って可愛いよなぁ。だけどよ、実を言うと俺は東海林のことも気になってるんだ」

「東海林? あぁ、3組のあいつか。背の高い。あいつ、絶対に胸でかいだろ」

「だな、間違いない。制服の上からだってわかるよな」

「わかる。――そうか、東海林か。もう一つ楽しみが増えたな」

 周囲に女子の耳があるにもかかわらず、男子たちは女子の胸の話をやめようとしない。
 そんな彼らを羽虫を見るような嫌悪の表情で見る女子たちは、迫りくる水泳授業の日を戦々恐々と待つしかなかった。


 ◆◆◆◆


 待ちに待った水泳授業の日。
 教室を出た生徒たちは、隣の区民体育館にあるプール用更衣室で水着に着替えていた。
 男子生徒たちの水着は、腿の中ほどまである紺色のスパッツ型パンツである。彼らは互いの身体にさほど興味はなく、淡々と着替えを終えると、準備ができた者から順にタオルを持ってプールサイドへ出て行った。

 健斗がプールサイドに出て来た時には、すでに女子生徒の大半が集まっていた。
 男子と女子の集合場所はプールを挟んで対面にあり、距離もそれなりに離れている。それでも(よこしま)な思いを抱く男子たちは、必死に目を凝らしてはチラチラと女子の水着姿を覗き見ようとする。
 
 女子の水着は腿の途中まである紺色のスパッツ型ワンピースなのだが、心無い男子の視線を遮るように、胸元から腿までをバスタオルで隠していた。
 とはいえ、多くの男子たちは有象無象の女子ではなく、桜子の姿を探していたのだが。けれど彼女は未だその姿を見せておらず、その様子を一歩下がったところから観察する健斗は、面白くなさそうな表情で一人腕を組んでいた。


「うわっ! 桜子ってしろーい! 肌が真っ白で、本当に綺麗ねぇ!」

 一方、女子更衣室では東海林舞の叫び声が響いていた。 
 更衣室に入るや否や、桜子は注目の的となってしまい、一挙一動、着替えの様子が皆から注視されてしまう。
 
 男子と同じように、大半の女子も同性の身体に特別な興味を持っていない。せいぜい胸の大きさをこっそり気にする程度だが、白人種である桜子の身体にはさすがに興味があるようだ。
 桜子の顔が透き通るような白さをしているのは周知の事実である。それならば、その身体も同様かという疑問を持つのは自然なことだった。 

 とはいえ、当の桜子にしてみれば(たま)ったものではない。何が悲しくて、周囲からガン見されながら着替えなくてはならぬのか。
 その事実に、涙目になりながら桜子が言う。

「み、みんな……そんなに見ないでよ。は、恥ずかしいでしょ……」

 その言葉とともに、皆が視線を逸らした。それでも興味を隠し切れずに、多くの者がチラチラと視線を送り続ける。
 けれど、それを知りつつも着替えないわけにはいかない。半ば諦め、半ばやけくそになりながら彼女は服を脱ぎ始めた。

 やはりと言うべきか。桜子の身体は透き通るように白かった。しかし、それは当然のこととも言える。なぜなら彼女は白人種の中でも特に色素が薄い、東欧系と見られているからだ。
 ただ、そのために直射日光を少し浴びるだけで皮膚が真っ赤になり、痛みを感じてしまうので、夏は日傘が手放せなかった。
 
 桜子は周囲の視線を気にして、できるだけ早く着替えようとした。それがいけなかったのか、勢い余ってバスタオルを落としてしまった。

 彼女が咄嗟に大事な部分を手で隠していると、その様子を見た田村光が、ぽつりと呟いた。

「さ、桜子ちゃん……やっぱり……下も金髪なのね……」
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