第55話 彼女の悩み
文字数 3,216文字
4月。
中学2年に進級する春休みの最終日。その深夜に桜子は夢を見ていた。
「よう、久しぶりだな」
ふよふよと漂う桜子の意識の前に秀人が姿を現した。いつものように細い目と、片側の口角だけを上げた皮肉そうな笑みを浮かべている。寝る前に会いたいと願わなかったのにどうして彼が現れたのかと桜子が疑問に思っていると、その答えを秀人が告げた。
「まぁ、そう言うな。たまには俺の方から会いに来たっていいだろう? というのも、実はお前に言いたいことがあってだな」
「言いたいこと? なぁに?」
「お前、健斗と付き合うようになったんだってな。ならば、よろしく頼む。何といっても、あいつは俺の……あ、いや、なんでもない、忘れてくれ」
「ん? う、うん……」
秀人が何かを言いかけて途中でやめる。桜子はその様子が少し気になったが、特に問うこともなく素直に頷いた。
何気に頬を赤く染めた桜子を見つめながら、秀人は神妙な面持ちで話を続けた。
「ともかく、これが人を好きになるという感情なんだな。初めて理解した。俺はお前の心と繋がっているから、あいつを大切に思う気持ちも伝わってくるんだ」
「う、うん……」
「しかし……俺は男なのに、男を好きになる感情を理解してしまうとは……正直、ちょっと複雑だな。ったく、あのクソジジイめ……」
言いながら秀人は、もとより皮肉そうな口元をさらに歪めて苦笑する。その彼へ桜子が尋ねた。
「あっ、そうだ! 実はあたしも鈴木さんに尋ねたいことがあったんだよ。訊いてもいい?」
「あぁ、いいぞ。」
「あの……これって鈴木さんに訊くようなことじゃないかもだけど……彼女っていうのは具体的に何をすればいいものなの?」
その質問に思わず秀人が苦笑を漏らしてしまう。それでも彼はできるだけ真摯に答えた。
「あのなぁ、俺は恋のお悩み相談員じゃないんだが……まぁいい。彼女か……そうだな、とりあえず今までの延長でいいと思うぞ。まだ中二のガキなんだし、親しい友人よりちょっとだけ踏み込んだ関係とでも言えばいいか」
「そっかぁ。そうだよね、ありがとう。なんか安心したよ。こんなこと人に聞けないから、どうしようかと思ってたんだ」
桜子が胸を撫で下ろす。どうやら彼女も秀人と同じような考えだったらしい。それを見た秀人が、ニヤリと意地悪そうな笑みを浮かべた。
「ふふん、もう少し大きくなったら、もっと色々教えてやるぞ。あんなこととか、こんなこととか、恋人同士じゃないとできないようなことをな。 ……ん? 待てよ。てことは、いずれは俺があいつとキスすることになるのか……? さすがにそれは勘弁してくれ」
「えぇ!? キ、キス!?」
「だから、まだ早えって! ガキはガキらしく、お飯事 してろってんだよ! いずれその時が来たら教えてやるから、今から楽しみにしておけ!」
「は、はい隊長! 了解であります!」
桜子が顔を真っ赤にしながら返事をすると、ふと思い出したように秀人が話題を変えた。
「あぁそうだ。こんなことを話してる場合じゃなかったんだ。おい桜子、よく聞け。俺はな――」
秀人が話した内容によると、ここ最近、桜子が眠っている夜中に何度か身体を支配することに成功したらしい。時間にして精々10分程度だが、まるで桜子本人のように完全に身体を操ることができたそうだ。
今回は桜子が深く眠っている状態で試みたが、今後は眠りが浅い時や、起きている時などにも試してみたいと考えているとのこと。
もっとも、いくら秀人が前世の自分であるといっても、その姿を目の前に見ながら普通に会話をしている桜子にとっては、彼が自分に憑依するというのもピンとこなかったし、そもそも自分の身体が乗っ取られるということ自体が、あまり気分の良いものではなかった。
それでも段階を踏んで少しずつ試していきたいという秀人の希望を、桜子は渋々ながら聞き入れたのだった。
◆◆◆◆
中学2年生の新学期が始まった。
桜子はまた背が伸びて、久しぶりに測ると161センチあった。それは同年代の平均より5センチも高く、クラスの女子の中では3番目に背が高いことになる。また、背は伸びても頭の大きさは変わっておらず、まさに「小顔美人」と呼ぶに相応しく頭身は高くなっていた。
白金色 の髪はさらにボリュームが増し、全体にウェーブがかかるその様は実年齢以上に大人びて見える。
真夏の空のように青い瞳は顔全体のバランスからはやや大きめで、それが顔立ちをやや幼く見せているのは変わらないものの、成長とともに鼻筋が通って少しだけ大人びて見えるようになった。
ニキビや吹き出物に悩む同級生を尻目に、桜子にお肌のトラブルは無縁だ。相変わらず白く、透き通るような肌は皆の憧れの的だった。
しかしそんな桜子にも悩みがある。
それは――「毛深い」ことだった。
髪と同じ白金色の体毛は一見するとあまり目立たないのだが、よく見れば桜子は意外と毛深い。毛質は柔らかくふわふわとしているが、毛足が長く密度が濃いというのが正確な表現だろうか。
とはいえ、そもそも桜子は白人種なのだから、アジア人と比べて毛深いのは当然である。しかし年頃の女子の性 として、どうしても友人たちと比べてしまうのだ。
ある日の朝。桜子の表情が優れないことに気付いた健斗が尋ねた。
「なぁ、どうしたんだ、そんな顔をして。なにかあったのか?」
気遣うような健斗の言葉。桜子は慌てて頭を振った。
「えっ? あ、いやっ、何でもないよ!」
「お前がそう答えるってことは、何か悩みがある証拠だろ。聞いてやるから言いなよ」
「いやいや、ムリムリ、言えないって! 絶対に変だと思われるから!」
「実際に聞いてみないとわからないだろ? いいから言ってみなって」
「だから、ムリだってぇ!」
健斗の問いに対しても桜子は頑なに答えようとしない。けれど何度も問答を繰り返しているうちに結局は話すことになった。
胸に手を当て、桜子が呼吸を整える。尋常ではない様子に思わず健斗が固唾を飲んでいると、不意に桜子が告げた。
「あのね……あたしね……」
「あ、あぁ……」
「毛深いの」
「……はぁ?」
突然のカミングアウトに、健斗は適切に切り返すことができなかった。
ここは励ますところなのか、もしくは慰めるべきか。それさえもわからぬままに暫し茫然としてしまう。
そもそも『毛深い』とは、どこがどうなっていることを指しているのかすらわからない。だから彼は恐る恐る尋ねてみた。
「け、毛深いって……どこが?」
「えぇとね、ほら、ここを見て。ぱっと見ても目立たないけど、実はこんなに毛が生えているんだよ」
言いながら桜子が腕を捲って見せてくる。目を凝らしてよく見ると、確かに白金色の体毛が無数に生えていた。
彼女が言う通り、確かに毛の密度は濃いのかもしれない。しかしそれはとても柔らかそうに見えて、思わず健斗は触れてしまいそうになる。
「ほら、ここも」
次に桜子は後ろを向いて髪の毛を持ち上げ、うなじを見せた。
シャンプーの香りがふわりと健斗の鼻をくすぐる。その香りと白いうなじに目を奪われた健斗は、もはやどうでも良くなってしまい、ろくに考えもせずに思ったことをそのまま口走った。
「そ、それはそれでいいと思うよ。お、俺は好きだし……」
すでに健斗は、自分が何を言っているのかさえわからなくなっていた。しかし、どんな桜子でも好きなのに違いはなかったので、とりあえず好きと言ってみた。
「あ、ありがとう……健斗がそう言ってくれるのなら、あたしも気にしないことにするよ」
「そ、そうだな……それでいいと思う」
向かい合い、顔を赤く染めたままもじもじする健斗と桜子。その姿を後ろから見る一人の影がある。
誰あろう、それは友里だった。彼女が二人を見つめながら溜息を吐く。
「はいはい、ご馳走様、ご馳走様。――にしても、ムカつくわね。ほんと、引っ叩いてやろうかしら」
中学2年に進級する春休みの最終日。その深夜に桜子は夢を見ていた。
「よう、久しぶりだな」
ふよふよと漂う桜子の意識の前に秀人が姿を現した。いつものように細い目と、片側の口角だけを上げた皮肉そうな笑みを浮かべている。寝る前に会いたいと願わなかったのにどうして彼が現れたのかと桜子が疑問に思っていると、その答えを秀人が告げた。
「まぁ、そう言うな。たまには俺の方から会いに来たっていいだろう? というのも、実はお前に言いたいことがあってだな」
「言いたいこと? なぁに?」
「お前、健斗と付き合うようになったんだってな。ならば、よろしく頼む。何といっても、あいつは俺の……あ、いや、なんでもない、忘れてくれ」
「ん? う、うん……」
秀人が何かを言いかけて途中でやめる。桜子はその様子が少し気になったが、特に問うこともなく素直に頷いた。
何気に頬を赤く染めた桜子を見つめながら、秀人は神妙な面持ちで話を続けた。
「ともかく、これが人を好きになるという感情なんだな。初めて理解した。俺はお前の心と繋がっているから、あいつを大切に思う気持ちも伝わってくるんだ」
「う、うん……」
「しかし……俺は男なのに、男を好きになる感情を理解してしまうとは……正直、ちょっと複雑だな。ったく、あのクソジジイめ……」
言いながら秀人は、もとより皮肉そうな口元をさらに歪めて苦笑する。その彼へ桜子が尋ねた。
「あっ、そうだ! 実はあたしも鈴木さんに尋ねたいことがあったんだよ。訊いてもいい?」
「あぁ、いいぞ。」
「あの……これって鈴木さんに訊くようなことじゃないかもだけど……彼女っていうのは具体的に何をすればいいものなの?」
その質問に思わず秀人が苦笑を漏らしてしまう。それでも彼はできるだけ真摯に答えた。
「あのなぁ、俺は恋のお悩み相談員じゃないんだが……まぁいい。彼女か……そうだな、とりあえず今までの延長でいいと思うぞ。まだ中二のガキなんだし、親しい友人よりちょっとだけ踏み込んだ関係とでも言えばいいか」
「そっかぁ。そうだよね、ありがとう。なんか安心したよ。こんなこと人に聞けないから、どうしようかと思ってたんだ」
桜子が胸を撫で下ろす。どうやら彼女も秀人と同じような考えだったらしい。それを見た秀人が、ニヤリと意地悪そうな笑みを浮かべた。
「ふふん、もう少し大きくなったら、もっと色々教えてやるぞ。あんなこととか、こんなこととか、恋人同士じゃないとできないようなことをな。 ……ん? 待てよ。てことは、いずれは俺があいつとキスすることになるのか……? さすがにそれは勘弁してくれ」
「えぇ!? キ、キス!?」
「だから、まだ早えって! ガキはガキらしく、お
「は、はい隊長! 了解であります!」
桜子が顔を真っ赤にしながら返事をすると、ふと思い出したように秀人が話題を変えた。
「あぁそうだ。こんなことを話してる場合じゃなかったんだ。おい桜子、よく聞け。俺はな――」
秀人が話した内容によると、ここ最近、桜子が眠っている夜中に何度か身体を支配することに成功したらしい。時間にして精々10分程度だが、まるで桜子本人のように完全に身体を操ることができたそうだ。
今回は桜子が深く眠っている状態で試みたが、今後は眠りが浅い時や、起きている時などにも試してみたいと考えているとのこと。
もっとも、いくら秀人が前世の自分であるといっても、その姿を目の前に見ながら普通に会話をしている桜子にとっては、彼が自分に憑依するというのもピンとこなかったし、そもそも自分の身体が乗っ取られるということ自体が、あまり気分の良いものではなかった。
それでも段階を踏んで少しずつ試していきたいという秀人の希望を、桜子は渋々ながら聞き入れたのだった。
◆◆◆◆
中学2年生の新学期が始まった。
桜子はまた背が伸びて、久しぶりに測ると161センチあった。それは同年代の平均より5センチも高く、クラスの女子の中では3番目に背が高いことになる。また、背は伸びても頭の大きさは変わっておらず、まさに「小顔美人」と呼ぶに相応しく頭身は高くなっていた。
真夏の空のように青い瞳は顔全体のバランスからはやや大きめで、それが顔立ちをやや幼く見せているのは変わらないものの、成長とともに鼻筋が通って少しだけ大人びて見えるようになった。
ニキビや吹き出物に悩む同級生を尻目に、桜子にお肌のトラブルは無縁だ。相変わらず白く、透き通るような肌は皆の憧れの的だった。
しかしそんな桜子にも悩みがある。
それは――「毛深い」ことだった。
髪と同じ白金色の体毛は一見するとあまり目立たないのだが、よく見れば桜子は意外と毛深い。毛質は柔らかくふわふわとしているが、毛足が長く密度が濃いというのが正確な表現だろうか。
とはいえ、そもそも桜子は白人種なのだから、アジア人と比べて毛深いのは当然である。しかし年頃の女子の
ある日の朝。桜子の表情が優れないことに気付いた健斗が尋ねた。
「なぁ、どうしたんだ、そんな顔をして。なにかあったのか?」
気遣うような健斗の言葉。桜子は慌てて頭を振った。
「えっ? あ、いやっ、何でもないよ!」
「お前がそう答えるってことは、何か悩みがある証拠だろ。聞いてやるから言いなよ」
「いやいや、ムリムリ、言えないって! 絶対に変だと思われるから!」
「実際に聞いてみないとわからないだろ? いいから言ってみなって」
「だから、ムリだってぇ!」
健斗の問いに対しても桜子は頑なに答えようとしない。けれど何度も問答を繰り返しているうちに結局は話すことになった。
胸に手を当て、桜子が呼吸を整える。尋常ではない様子に思わず健斗が固唾を飲んでいると、不意に桜子が告げた。
「あのね……あたしね……」
「あ、あぁ……」
「毛深いの」
「……はぁ?」
突然のカミングアウトに、健斗は適切に切り返すことができなかった。
ここは励ますところなのか、もしくは慰めるべきか。それさえもわからぬままに暫し茫然としてしまう。
そもそも『毛深い』とは、どこがどうなっていることを指しているのかすらわからない。だから彼は恐る恐る尋ねてみた。
「け、毛深いって……どこが?」
「えぇとね、ほら、ここを見て。ぱっと見ても目立たないけど、実はこんなに毛が生えているんだよ」
言いながら桜子が腕を捲って見せてくる。目を凝らしてよく見ると、確かに白金色の体毛が無数に生えていた。
彼女が言う通り、確かに毛の密度は濃いのかもしれない。しかしそれはとても柔らかそうに見えて、思わず健斗は触れてしまいそうになる。
「ほら、ここも」
次に桜子は後ろを向いて髪の毛を持ち上げ、うなじを見せた。
シャンプーの香りがふわりと健斗の鼻をくすぐる。その香りと白いうなじに目を奪われた健斗は、もはやどうでも良くなってしまい、ろくに考えもせずに思ったことをそのまま口走った。
「そ、それはそれでいいと思うよ。お、俺は好きだし……」
すでに健斗は、自分が何を言っているのかさえわからなくなっていた。しかし、どんな桜子でも好きなのに違いはなかったので、とりあえず好きと言ってみた。
「あ、ありがとう……健斗がそう言ってくれるのなら、あたしも気にしないことにするよ」
「そ、そうだな……それでいいと思う」
向かい合い、顔を赤く染めたままもじもじする健斗と桜子。その姿を後ろから見る一人の影がある。
誰あろう、それは友里だった。彼女が二人を見つめながら溜息を吐く。
「はいはい、ご馳走様、ご馳走様。――にしても、ムカつくわね。ほんと、引っ叩いてやろうかしら」