第46話 罰ゲームのような人生
文字数 3,084文字
桜子はずっと考えていた。
自分の中の鈴木秀人とは、一体どのような存在なのだろうか。
いじめ事件を最後にして、ここ最近は彼の意識を感じることも声を聞くこともなかった。それでも桜子はどうしても彼と再び話をしたかったのだが、その方法がまったくわからない。
どうすればもう一度彼に会えるのだろうか。
心の中で強く念じたりすればよいのだろうか。
そう思った桜子は、とりあえず両掌を胸の前で合わせて一心不乱に祈ってみた。
「うぅぅぅぅぅん……むむむぅぅぅぅぅ……」
顔が真っ赤になるほど必死に念じてみたが、やはり何も聞こえず、何も見えない。すると、その姿をキッチンから眺めていた楓子が怪訝な表情で尋ねてきた。
「ねぇ、どうしたの? そんなに力いっぱい両手を合わせたりして。何かのお祈り?」
「えっ? え、えぇと……それは……そ、そうだ、こうすると胸が大きくなるって聞いたから、試してるんだ」
桜子は咄嗟に思いついたことを適当に言ってみた。根が正直で善人の彼女は嘘を吐くのがとても下手なのだが、この時ばかりは必死に言い繕おうとする。まさか、自分の中のもう一人の自分に会う方法を探しているなんて、口が裂けても言えるわけがなかった。
罪悪感に桜子の目が泳ぐ。けれど楓子は特に思うところもなく、娘の痩せた身体を見て納得して答えた。
「あぁ胸ねぇ……あなたももうそんな年頃だものね。そういえばお母さんも、高校生くらいの時に同じようなことをしたことがあったわぁ」
言いながら楓子が遠い目をする。その顔に自虐的な表情が浮かんでいるのは気のせいだろうか。
すると浩司が横から口を挟んできた。
「おう、桜子。言っておくが、それに効果があったかはどうかは訊いてやるなよ。お母さんが可哀そうだからな」
浩司が笑いながら身も蓋もない言葉を吐く。それは彼流のジョークなのだろうが、そのデリカシーの欠片 もない言葉に楓子は眉を顰め、桜子は冷ややかな視線を投げた。
拗ねる母親を必死に宥める父親の姿を横目に見ながら、桜子はぼんやりと考える。
思い返してみれば、いじめ事件の最中に秀人が出て来たのは自分が意識を失った後だった。そしてそれは誘拐事件の時も同じである。全く記憶にないが、あの時の自分は犯人に馬乗りになってナイフで刺そうとしていたらしい。
それらを勘案すると、どうやら秀人は自分の意識がないときに身体を乗っ取ることが出来るらしい。
ならば、寝ている間にコンタクトが取れるのではないだろうか。
寝る前にメモ帳へメッセージを記しておき、身体を乗っ取った秀人がそれに答える。
なんだか文通のようで気恥ずかしいが、今はそんなことを言っている場合ではない。思い立ったが吉日。桜子は早速その夜から作戦を決行することにした。
結論から言うと、メモ帳には何も書かれていなかった。単に予想が外れただけなのか他に理由があるのかは不明だが、数日続けてみても成果がなかったということは、どうやらこの作戦は失敗だったらしい。
他に方法を考えてみても特に思いつかなかったので、その日から何もせず寝ることにした。
桜子は夢を見ていた。
周囲は真っ暗だけど自分の姿だけは見えていて身体の自由がきかない。これは以前経験したものと全く同じだった。
いや、そもそもだが、果たしてこれは本当に夢なのだろうか。以前のように身体を乗っ取られた状態ではないのか。
などと桜子が考えていると、遠くから薄明かりが見えてくる。それは次第に人の形になっていき、最後に見たことのある男が姿を現した。
「よう、また会えたな」
どこか皮肉そうな笑みを浮かべた男が桜子を見つめる。やはりその目は糸のように細かった。
「あぁ、やっと会えた……あの、あなたは鈴木秀人……さんですよね?」
「そうだ。ご明察だな」
「やっぱり! やっぱりあなたは鈴木さんだったんですね! そうじゃないかと思っていたんです! それで、あなたにはたくさん尋ねたいことがあるんですけど、早速訊いてもいいですか!?」
「あぁ、いいぞ。答えられることなら答えてやろう」
その言葉を合図にして、堰を切ったように次々と桜子が質問を投げていく。それはこれまでずっと心の中に仕舞い込んできたものをすべて吐き出すようだった。
対して秀人は、もとより細い目をさらに細めて、変わらず皮肉そうな笑みを浮かべたまま答えていった。
予想通り、秀人は桜子の前世の人物だった。
詳しい説明は省かれたが、なんでも彼は、前世で死んで生まれ変わる際に神様から罰を与えられたそうだ。本来ならば前世の記憶と意識を全て消し去られるところ、全て残したまま新たな命――桜子の人生を一緒に体験させられることになったのだ。
桜子と一緒に苦しみ、もがき、そして前世で蔑ろにした愛と幸せとやらを体験しろということらしい。
桜子はまず神という存在が実在していたことに驚いたが、それ以上に自分の人生が秀人にとっての罰ゲームなのだと知ってがっくりきていた。
本来ならば秀人の意識は乳児期の桜子に飲み込まれてしまっていたはずなのに、そうはならずに今でも前世の記憶とともに残っている。
これは一つの肉体に二つの意識が存在する、いわゆる「二重人格」に近いのだろうが、かといって完全に独立しているわけではなく、常に桜子の意識や感情などが共有された状態になっているらしい。逆に桜子は秀人のそれらを窺い知ることはできない。
普段の秀人は桜子の意識の奥底で眠ったような状態になっていて、時々目が覚めては桜子の意識と同調する。そしてその状態の時に桜子が眠ったり意識を失うと身体を乗っ取ることが出来るらしい。もっとも、あまり長い時間は無理らしいが。
今のように対話ができるのは、秀人もそれを望み、かつ、お互いのタイミングが合った時に限られる。決して狙ってできることではないため、運を天に任せるしかないそうだ。
「そうなんだ……あたしが見ているものを鈴木さんも見ている時があるんだね……」
そこまで言った桜子は、突然ハッとなって自分の身体に視線を向けた。それを見た秀人が、もとより皮肉そうに歪められた表情をさらに歪めて言う。
「ふふん。お前はもう少しメシを食った方がいい。成長期なんだ、もっと肉を付けろ」
秀人が両手を胸の位置に置いてニヤリと笑うと、桜子は顔を真っ赤にして叫んだ。
「へ、変なところ見ないでよ! それに、余計なお世話だし!」
そこで突然、まるでテレビを消した時のように意識が途絶えた。
目が覚めた。
今は朝の5時過ぎ。眠りについてから6時間は経っただろうか。長いような短いような、なんだかあっという間に時間が過ぎた気がする。
夢の中の出来事ははっきりと憶えている。秀人との会話もしっかり記憶に刻まれていた。
それでもやはり夢のように感じてしまう。これほど非現実的な出来事を真面目に信じている自分がいて、それに全く違和感もなくおかしなこととも思えない。
なんとも不思議な話だが、すんなり受け入れている自分がいるのだ。
秀人との会話を思い出しながら桜子は考えていた。
自分にとっての秀人とは、深層意識の奥底に住み着いた亡霊のようなものなのだろうか。
本来ならば自分の意識に完全に取り込まれていたはずのものが、神様の罰ゲームとやらによってそのまま存在し続けているのだ。
っていうか、一体なんなの?
あたしの人生って、罰ゲームなの……?
それってあんまりだ……
起きるにはまだ早すぎる午前5時過ぎ。
桜子は布団に包まったまま、自室の天井を見上げて思い切りぶーたれていた。
自分の中の鈴木秀人とは、一体どのような存在なのだろうか。
いじめ事件を最後にして、ここ最近は彼の意識を感じることも声を聞くこともなかった。それでも桜子はどうしても彼と再び話をしたかったのだが、その方法がまったくわからない。
どうすればもう一度彼に会えるのだろうか。
心の中で強く念じたりすればよいのだろうか。
そう思った桜子は、とりあえず両掌を胸の前で合わせて一心不乱に祈ってみた。
「うぅぅぅぅぅん……むむむぅぅぅぅぅ……」
顔が真っ赤になるほど必死に念じてみたが、やはり何も聞こえず、何も見えない。すると、その姿をキッチンから眺めていた楓子が怪訝な表情で尋ねてきた。
「ねぇ、どうしたの? そんなに力いっぱい両手を合わせたりして。何かのお祈り?」
「えっ? え、えぇと……それは……そ、そうだ、こうすると胸が大きくなるって聞いたから、試してるんだ」
桜子は咄嗟に思いついたことを適当に言ってみた。根が正直で善人の彼女は嘘を吐くのがとても下手なのだが、この時ばかりは必死に言い繕おうとする。まさか、自分の中のもう一人の自分に会う方法を探しているなんて、口が裂けても言えるわけがなかった。
罪悪感に桜子の目が泳ぐ。けれど楓子は特に思うところもなく、娘の痩せた身体を見て納得して答えた。
「あぁ胸ねぇ……あなたももうそんな年頃だものね。そういえばお母さんも、高校生くらいの時に同じようなことをしたことがあったわぁ」
言いながら楓子が遠い目をする。その顔に自虐的な表情が浮かんでいるのは気のせいだろうか。
すると浩司が横から口を挟んできた。
「おう、桜子。言っておくが、それに効果があったかはどうかは訊いてやるなよ。お母さんが可哀そうだからな」
浩司が笑いながら身も蓋もない言葉を吐く。それは彼流のジョークなのだろうが、そのデリカシーの
拗ねる母親を必死に宥める父親の姿を横目に見ながら、桜子はぼんやりと考える。
思い返してみれば、いじめ事件の最中に秀人が出て来たのは自分が意識を失った後だった。そしてそれは誘拐事件の時も同じである。全く記憶にないが、あの時の自分は犯人に馬乗りになってナイフで刺そうとしていたらしい。
それらを勘案すると、どうやら秀人は自分の意識がないときに身体を乗っ取ることが出来るらしい。
ならば、寝ている間にコンタクトが取れるのではないだろうか。
寝る前にメモ帳へメッセージを記しておき、身体を乗っ取った秀人がそれに答える。
なんだか文通のようで気恥ずかしいが、今はそんなことを言っている場合ではない。思い立ったが吉日。桜子は早速その夜から作戦を決行することにした。
結論から言うと、メモ帳には何も書かれていなかった。単に予想が外れただけなのか他に理由があるのかは不明だが、数日続けてみても成果がなかったということは、どうやらこの作戦は失敗だったらしい。
他に方法を考えてみても特に思いつかなかったので、その日から何もせず寝ることにした。
桜子は夢を見ていた。
周囲は真っ暗だけど自分の姿だけは見えていて身体の自由がきかない。これは以前経験したものと全く同じだった。
いや、そもそもだが、果たしてこれは本当に夢なのだろうか。以前のように身体を乗っ取られた状態ではないのか。
などと桜子が考えていると、遠くから薄明かりが見えてくる。それは次第に人の形になっていき、最後に見たことのある男が姿を現した。
「よう、また会えたな」
どこか皮肉そうな笑みを浮かべた男が桜子を見つめる。やはりその目は糸のように細かった。
「あぁ、やっと会えた……あの、あなたは鈴木秀人……さんですよね?」
「そうだ。ご明察だな」
「やっぱり! やっぱりあなたは鈴木さんだったんですね! そうじゃないかと思っていたんです! それで、あなたにはたくさん尋ねたいことがあるんですけど、早速訊いてもいいですか!?」
「あぁ、いいぞ。答えられることなら答えてやろう」
その言葉を合図にして、堰を切ったように次々と桜子が質問を投げていく。それはこれまでずっと心の中に仕舞い込んできたものをすべて吐き出すようだった。
対して秀人は、もとより細い目をさらに細めて、変わらず皮肉そうな笑みを浮かべたまま答えていった。
予想通り、秀人は桜子の前世の人物だった。
詳しい説明は省かれたが、なんでも彼は、前世で死んで生まれ変わる際に神様から罰を与えられたそうだ。本来ならば前世の記憶と意識を全て消し去られるところ、全て残したまま新たな命――桜子の人生を一緒に体験させられることになったのだ。
桜子と一緒に苦しみ、もがき、そして前世で蔑ろにした愛と幸せとやらを体験しろということらしい。
桜子はまず神という存在が実在していたことに驚いたが、それ以上に自分の人生が秀人にとっての罰ゲームなのだと知ってがっくりきていた。
本来ならば秀人の意識は乳児期の桜子に飲み込まれてしまっていたはずなのに、そうはならずに今でも前世の記憶とともに残っている。
これは一つの肉体に二つの意識が存在する、いわゆる「二重人格」に近いのだろうが、かといって完全に独立しているわけではなく、常に桜子の意識や感情などが共有された状態になっているらしい。逆に桜子は秀人のそれらを窺い知ることはできない。
普段の秀人は桜子の意識の奥底で眠ったような状態になっていて、時々目が覚めては桜子の意識と同調する。そしてその状態の時に桜子が眠ったり意識を失うと身体を乗っ取ることが出来るらしい。もっとも、あまり長い時間は無理らしいが。
今のように対話ができるのは、秀人もそれを望み、かつ、お互いのタイミングが合った時に限られる。決して狙ってできることではないため、運を天に任せるしかないそうだ。
「そうなんだ……あたしが見ているものを鈴木さんも見ている時があるんだね……」
そこまで言った桜子は、突然ハッとなって自分の身体に視線を向けた。それを見た秀人が、もとより皮肉そうに歪められた表情をさらに歪めて言う。
「ふふん。お前はもう少しメシを食った方がいい。成長期なんだ、もっと肉を付けろ」
秀人が両手を胸の位置に置いてニヤリと笑うと、桜子は顔を真っ赤にして叫んだ。
「へ、変なところ見ないでよ! それに、余計なお世話だし!」
そこで突然、まるでテレビを消した時のように意識が途絶えた。
目が覚めた。
今は朝の5時過ぎ。眠りについてから6時間は経っただろうか。長いような短いような、なんだかあっという間に時間が過ぎた気がする。
夢の中の出来事ははっきりと憶えている。秀人との会話もしっかり記憶に刻まれていた。
それでもやはり夢のように感じてしまう。これほど非現実的な出来事を真面目に信じている自分がいて、それに全く違和感もなくおかしなこととも思えない。
なんとも不思議な話だが、すんなり受け入れている自分がいるのだ。
秀人との会話を思い出しながら桜子は考えていた。
自分にとっての秀人とは、深層意識の奥底に住み着いた亡霊のようなものなのだろうか。
本来ならば自分の意識に完全に取り込まれていたはずのものが、神様の罰ゲームとやらによってそのまま存在し続けているのだ。
っていうか、一体なんなの?
あたしの人生って、罰ゲームなの……?
それってあんまりだ……
起きるにはまだ早すぎる午前5時過ぎ。
桜子は布団に包まったまま、自室の天井を見上げて思い切りぶーたれていた。