第15話 入学式と自己紹介
文字数 2,875文字
春。
桜子は小学校への入学を控えていた。
実を言うと、桜子の進学先をめぐっては一悶着あった。彼女の容姿は他の子たちとは明らかに違う。髪は金色で瞳は青く、顔立ちも典型的な白人種だ。
異質なものを排除しようとする心理、いわゆる「集団バイアス」は幼い子供たちにも備わっている。むしろ感情を抑制できない子供たちだからこそ、それがいじめにつながる恐れがあった。
不安に思った両親は、桜子を隣町にあるキリスト教系の私立小学校へ入学させようとした。そこには様々な国籍の子供たちが在籍しているため、桜子が特別に目立つこともない。さらに言えば、系列校の女子校までエスカレーター式に進学できるので、受験の心配もなかった。
けれど予想に反して桜子が反対した。幼稚園の友達の多くは近所の公立校へ進学するため、彼らと離ればなれになってしまうからだ。
桜子はどうしてもその事実を受け入れられなかった。あまり自己主張の強くない、優しく控えめな性格の彼女にもかかわらず、どんなに両親が説得しても頑として言うことを聞かなかった。
顔を真っ赤に染めて、ぽろぽろと涙を流す最愛の娘。それを見た両親は、二度と私立校の話はしないと決めた。
◆◆◆◆
今日は小学校の入学式。
桜子の首の下まで伸びる髪は、緩くウェーブがかかった髪質のせいで全体にふんわりとしている。その金糸のようなゆるやかな髪を赤いリボンで一つに結び、可愛らしいポニーテールを作っていた。
上下紺色のブレザーに白いハイソックスを合わせ、胸元には紫色のリボンをあしらう。その装いは、彼女の透き通るような青色の瞳をより一層際立たせていた。
案の定、桜子は会場で多くの注目を集めた。しかし幼稚園の頃とは違い、恥ずかしそうにうつむくことなくしっかりと前を向く。
緊張こそ隠しきれないものの、先生の話を最後まで聞く余裕もあった。幼稚園からの知り合いの親たちはその姿に慣れていたが、初めて見る者たちはその独特な容姿について小声で話し合っていた。
滞りなく入学式は終わり、生徒たちが教室へ戻ってくる。桜子の担任は30代前半と思しき男性。その彼が生徒たちへ注意事項を説明するところを、生徒の父母たちが教室の後ろや廊下に立って覗き見る。
残念ながら、幼馴染の木村健斗 とは同じクラスになれなかったものの、幼稚園で一緒だった立花友里 とは同じクラスになることができた。
その後ホームルームは20分ほどで終わり、小林家の4人は仲良く自宅へと帰って行った。
翌日から子供たちだけでの登校が始まったのだが、それとともに、桜子にとっては特別な朝の習慣が加わることになった。なぜなら、健斗が朝に迎えに来てくれることになったからだ。
小学校と木村家のちょうど中間に小林家はある。だから自然の流れでこうなることは予想されていたが、今回は木村家からの申し出だった。
その外見から、幼稚園時代の桜子が嫌がらせを受けていたのを知っていた健斗は、せめて新しい環境に慣れるまではと、一緒に登下校することを申し出てくれたのだ。
この提案を桜子は諸手を挙げて喜び、両親も感謝した。学校へ向かって手を繋いで歩く幼い二人。見送る小林家の者たちは、とても微笑ましい気持ちになるのだった。
今日は新学期の初日。教室で待ち構えていた担任が生徒一人ひとりを席へ案内していく。そして全員が揃ったところで静かに1時間目が始まった。
まずは自己紹介だ。とは言え、未だ幼い子どもたちなのだから、皆の前で名前を言う程度である。けれど担任は、くわえて自分の趣味や好きなことも言うよう促した。
出席番号の順に発表していき、ついに桜子の名が呼ばれた。
「はい。次は小林さんだね。どうぞ」
「は、はひっ!」
たれ目がちな青い瞳を大きく見開きながら、桜子が手を挙げて立ち上がる。緊張のせいか顔色が少し青ざめて見えたが、それは彼女特有の肌の色合いだった。
他の子より何倍も注目されているような気がする。そんなことを思いながら、必死に桜子が口を開いた。
「こ、こばやし、さくらこ、でしゅ!! す、好きなことは、うちのお店のお手伝いですっ!! よろしくお願いしましゅ!!」
噛んだ。二度も。
自己紹介だけで1時間目が終わると、次に短い休み時間が訪れる。するとクラスの子供たちが桜子の周囲に集まって来た。
「ねぇねぇ、桜子ちゃんって言うの? 日本人みたいな名前だね」
「桜子ちゃんって外国人なの? 英語が話せるの?」
「青い目がとっても綺麗。髪の色も素敵だね」
桜子は困惑した。これまでも見知らぬ人から声をかけられることは珍しくなかったが、こんなにも一度に質問攻めにされるのは初めてだった。どう応じようか考える間もなく、次々に新たな質問が投げかけられる。そのたびに彼女は、少しずつパニックに陥っていった。
「え、えっとぉ……」
どうしてみんなはあたしのことを外国人って言うの?
パパもママも日本人だし、もちろんあたしだってそうなのに。どうして――
直前までの笑顔はどこへやら。顔を俯 かせて強張る桜子。そこへ友里が割って入ってくる。
「ねぇ、みんな。そんなにいっぱい訊いたら駄目だよ! 桜子ちゃんだって、誰に何を答えたらいいかわからないでしょ!」
桜子を庇うように立ちはだかった友里は、不機嫌さを隠そうともせずに大きく頬をふくらませる。その彼女へ桜子が感謝の言葉を告げた。
「友里ちゃんありがとう。あたしはもう大丈夫だから」
桜子は顔を上げ、再び子どもたちへ向き直った。
「それじゃあ、みんなの質問に答えるね。……えぇと、こんな顔をしてるけど、あたしは日本で生まれて日本で育ったんだ。だから外国人じゃないし英語も喋れないよ」
「でも髪の毛は金色だし、目だって青いよ。本当に外国人じゃないの?」
「違うよ。ママもパパも日本人だし、あたしもそうだよ」
「ふぅん、そうなんだ……でも、変わってるね」
なにやら釈然としない様子の子どもたち。友里はやや強引に話を打ち切った。
「その話はもういいでしょ? 桜子ちゃんは桜子ちゃんなんだから、それでいいじゃない」
仁王立ちになった友里が周囲を睨みつける。気圧された同級生たちは、鳴り響く始業ベルとともに自分の席へ戻っていった。
特異な外見のせいで初めこそ注目を集めた桜子だったが、時間が経つにつれて、他の子どもたちとそう変わらないことが明らかになってくる。やがて容姿への関心が薄れていくと、生来の明るさと親しみやすさで誰とでも気さくに接することができる桜子は、次第にクラスの人気者になっていった。
桜子には早くも親しい友人ができた。特に仲良くなったのは、入学初日に隣の席になった田中陽菜 だった。
陽菜は静かで控えめな性格をしている。桜子の容姿に初めこそ気後れしていたが、桜子が気安い人物であることを知ると積極的に話しかけてくるようになった。
そして気づけば友里も加わり、三人で過ごすことが多くなっていった。
こうして桜子は、懸念されていたいじめに遭うこともなく、順調に学校生活を送り始めた。
桜子は小学校への入学を控えていた。
実を言うと、桜子の進学先をめぐっては一悶着あった。彼女の容姿は他の子たちとは明らかに違う。髪は金色で瞳は青く、顔立ちも典型的な白人種だ。
異質なものを排除しようとする心理、いわゆる「集団バイアス」は幼い子供たちにも備わっている。むしろ感情を抑制できない子供たちだからこそ、それがいじめにつながる恐れがあった。
不安に思った両親は、桜子を隣町にあるキリスト教系の私立小学校へ入学させようとした。そこには様々な国籍の子供たちが在籍しているため、桜子が特別に目立つこともない。さらに言えば、系列校の女子校までエスカレーター式に進学できるので、受験の心配もなかった。
けれど予想に反して桜子が反対した。幼稚園の友達の多くは近所の公立校へ進学するため、彼らと離ればなれになってしまうからだ。
桜子はどうしてもその事実を受け入れられなかった。あまり自己主張の強くない、優しく控えめな性格の彼女にもかかわらず、どんなに両親が説得しても頑として言うことを聞かなかった。
顔を真っ赤に染めて、ぽろぽろと涙を流す最愛の娘。それを見た両親は、二度と私立校の話はしないと決めた。
◆◆◆◆
今日は小学校の入学式。
桜子の首の下まで伸びる髪は、緩くウェーブがかかった髪質のせいで全体にふんわりとしている。その金糸のようなゆるやかな髪を赤いリボンで一つに結び、可愛らしいポニーテールを作っていた。
上下紺色のブレザーに白いハイソックスを合わせ、胸元には紫色のリボンをあしらう。その装いは、彼女の透き通るような青色の瞳をより一層際立たせていた。
案の定、桜子は会場で多くの注目を集めた。しかし幼稚園の頃とは違い、恥ずかしそうにうつむくことなくしっかりと前を向く。
緊張こそ隠しきれないものの、先生の話を最後まで聞く余裕もあった。幼稚園からの知り合いの親たちはその姿に慣れていたが、初めて見る者たちはその独特な容姿について小声で話し合っていた。
滞りなく入学式は終わり、生徒たちが教室へ戻ってくる。桜子の担任は30代前半と思しき男性。その彼が生徒たちへ注意事項を説明するところを、生徒の父母たちが教室の後ろや廊下に立って覗き見る。
残念ながら、幼馴染の
その後ホームルームは20分ほどで終わり、小林家の4人は仲良く自宅へと帰って行った。
翌日から子供たちだけでの登校が始まったのだが、それとともに、桜子にとっては特別な朝の習慣が加わることになった。なぜなら、健斗が朝に迎えに来てくれることになったからだ。
小学校と木村家のちょうど中間に小林家はある。だから自然の流れでこうなることは予想されていたが、今回は木村家からの申し出だった。
その外見から、幼稚園時代の桜子が嫌がらせを受けていたのを知っていた健斗は、せめて新しい環境に慣れるまではと、一緒に登下校することを申し出てくれたのだ。
この提案を桜子は諸手を挙げて喜び、両親も感謝した。学校へ向かって手を繋いで歩く幼い二人。見送る小林家の者たちは、とても微笑ましい気持ちになるのだった。
今日は新学期の初日。教室で待ち構えていた担任が生徒一人ひとりを席へ案内していく。そして全員が揃ったところで静かに1時間目が始まった。
まずは自己紹介だ。とは言え、未だ幼い子どもたちなのだから、皆の前で名前を言う程度である。けれど担任は、くわえて自分の趣味や好きなことも言うよう促した。
出席番号の順に発表していき、ついに桜子の名が呼ばれた。
「はい。次は小林さんだね。どうぞ」
「は、はひっ!」
たれ目がちな青い瞳を大きく見開きながら、桜子が手を挙げて立ち上がる。緊張のせいか顔色が少し青ざめて見えたが、それは彼女特有の肌の色合いだった。
他の子より何倍も注目されているような気がする。そんなことを思いながら、必死に桜子が口を開いた。
「こ、こばやし、さくらこ、でしゅ!! す、好きなことは、うちのお店のお手伝いですっ!! よろしくお願いしましゅ!!」
噛んだ。二度も。
自己紹介だけで1時間目が終わると、次に短い休み時間が訪れる。するとクラスの子供たちが桜子の周囲に集まって来た。
「ねぇねぇ、桜子ちゃんって言うの? 日本人みたいな名前だね」
「桜子ちゃんって外国人なの? 英語が話せるの?」
「青い目がとっても綺麗。髪の色も素敵だね」
桜子は困惑した。これまでも見知らぬ人から声をかけられることは珍しくなかったが、こんなにも一度に質問攻めにされるのは初めてだった。どう応じようか考える間もなく、次々に新たな質問が投げかけられる。そのたびに彼女は、少しずつパニックに陥っていった。
「え、えっとぉ……」
どうしてみんなはあたしのことを外国人って言うの?
パパもママも日本人だし、もちろんあたしだってそうなのに。どうして――
直前までの笑顔はどこへやら。顔を
「ねぇ、みんな。そんなにいっぱい訊いたら駄目だよ! 桜子ちゃんだって、誰に何を答えたらいいかわからないでしょ!」
桜子を庇うように立ちはだかった友里は、不機嫌さを隠そうともせずに大きく頬をふくらませる。その彼女へ桜子が感謝の言葉を告げた。
「友里ちゃんありがとう。あたしはもう大丈夫だから」
桜子は顔を上げ、再び子どもたちへ向き直った。
「それじゃあ、みんなの質問に答えるね。……えぇと、こんな顔をしてるけど、あたしは日本で生まれて日本で育ったんだ。だから外国人じゃないし英語も喋れないよ」
「でも髪の毛は金色だし、目だって青いよ。本当に外国人じゃないの?」
「違うよ。ママもパパも日本人だし、あたしもそうだよ」
「ふぅん、そうなんだ……でも、変わってるね」
なにやら釈然としない様子の子どもたち。友里はやや強引に話を打ち切った。
「その話はもういいでしょ? 桜子ちゃんは桜子ちゃんなんだから、それでいいじゃない」
仁王立ちになった友里が周囲を睨みつける。気圧された同級生たちは、鳴り響く始業ベルとともに自分の席へ戻っていった。
特異な外見のせいで初めこそ注目を集めた桜子だったが、時間が経つにつれて、他の子どもたちとそう変わらないことが明らかになってくる。やがて容姿への関心が薄れていくと、生来の明るさと親しみやすさで誰とでも気さくに接することができる桜子は、次第にクラスの人気者になっていった。
桜子には早くも親しい友人ができた。特に仲良くなったのは、入学初日に隣の席になった
陽菜は静かで控えめな性格をしている。桜子の容姿に初めこそ気後れしていたが、桜子が気安い人物であることを知ると積極的に話しかけてくるようになった。
そして気づけば友里も加わり、三人で過ごすことが多くなっていった。
こうして桜子は、懸念されていたいじめに遭うこともなく、順調に学校生活を送り始めた。