第48話 園芸部の真雪

文字数 2,311文字

 12月下旬。
 世間は師走、年末である。

 桜子は冬休み前の期末テストでも良い成績を収めた。しかしこれは特に努力をした結果ではなく、日頃の自宅学習の習慣が成果として現れたに過ぎない。
 特に試験勉強らしいことをせずに常に学年トップ10に名を連ねており、以前に冗談半分で言った「健斗とは違う高校に行くかもしれないね」という言葉が徐々に現実のものとなりつつあった。

 いじめ事件から立ち直り、すっかり元気を取り戻した桜子は、年末年始を友達と初詣に行ったり親戚の家を訪ねたりして比較的楽しく過ごした。しかし額の傷跡は依然として目立ち、口では気にしていないと言いながらも、前髪を気にする様子からは心のどこかでまだ引っかかっていることが伺える。

 秀人にはその後一度も会っていない。けれど彼が自分の中で何かしらの影響を与え続けていると思うと、何とも言えないやもやとした気分になる。特に風呂やトイレにいる時は、見られているかもしれないと思うと何となく恥ずかしさを感じてしまうのだった。


 1月。 
 3学期の始まりとともに、小さな変化が生じた。
 もっと強くなりたいと願った健斗が柔道部の朝練に参加することにしたのだ。そのため、これまで毎朝続けていた桜子の迎えができなくなってしまった。
 申し訳なさそうに謝る健斗に対して、桜子は「部活を優先するのは当たり前」だと笑顔で彼の背を押し、それ以来彼女は一人で登校するようになった。
  
 そんなある日のこと。1年5組の樋口真雪(ひぐちまゆき)は、教室で友人たちと雑談を交わしていた。

「ねぇねぇ、1組の木村君って知ってる? 木村健斗。彼ってさ、3組の小林さんと付き合ってるのかなぁ。いつも一緒に登校して来るよね」

 真雪が仲の良い友人たちに話題を振ると、皆がこれに食い付いて来る。どうやら、全員がこの話題に興味があるらしく、その中の一人が答えた。

「あぁ、あいつね。目の細い。なんかさ、あの二人って幼馴染らしいよ。幼稚園からの付き合いなんだって」

「へぇ。でもさぁ、中学生にもなった男と女が、幼馴染ってだけで毎朝一緒に登校するかねぇ」

「いや、なんか最近は別々みたいよ。小林さんが一人で学校に来てるの見るし」

 その言葉にハッとした真雪が友人へ尋ねる。

「喧嘩したのかな?」

「さぁね、理由は知らない。気付いたら一人で登校してたから。だけどさ、本当に小林さんって可愛いよねぇ。絶対かなわないよ。見た目だけでも凄いのに、さらに人当たりが良くて話しやすいとくれば、男子連中が夢中になるのもわかるわ」

「まぁ、彼女は特別だから。でもさ、そのせいで色々とつらい目にもあってるよね」

「そうそう。去年のいじめ事件でさ、彼女、顔を切られちゃったんでしょ? 3年生に。いくら妬ましいったって、あれはないわ。完全に犯罪じゃん」

「実際に逮捕されちゃったしね。それでこの学校にいられなくなって、転校したって話だし」

「そうらしいね。それでその前にも一度、誘拐されたことがあるって聞いたよ」

「誘拐!? ひえぇー、無理無理! いくら可愛くても、私には無理。普通でいいよ、普通で」

 話を振った真雪を置き去りにして、勝手に噂話を始めた友人たち。彼女たちを横目に見ながら、なにやら真雪は思案顔をしていた。


 園芸部に所属する樋口真雪は、どこか小動物を連想させる顔立ちと、眉の上で切り揃えたぱっつん前髪が目を引く小柄な女子生徒だ。
 顔立ちにアンバランスな太い眉が特徴で、小学生の頃は「ひぐちまゆげ」というあだ名で呼ばれていた。ちなみに今も「まゆげ」と言われると怒る。

 真雪は美化委員会で健斗と一緒に活動しており、真雪は自分から進んで、健斗は押し付けられる形で参加していた。
 初めの頃、健斗に対する真雪の印象はあまり良くなかった。糸のように細い健斗の目は感情が読みにくいうえに無口で無愛想なため、どこか近寄りがたい印象を持っていたからだ。しかし、一緒に仕事をする中で、健斗がただ不器用なだけで、その内面には優しさと温かみを持っていることがわかってくる。
 そんな彼に対して、真雪は少しずつ惹かれていることに気付いていった。

 同じクラスの柔道部の男子に尋ねたところ、健斗が朝練に参加するために早く登校するようになったことがわかった。恐らくそれが桜子と一緒に登校しなくなった理由なのだろう。
 その情報を得た翌日から、真雪も校舎横の花の手入れをするという口実を使り、早い時間に登校するようになった。


 午前7時15分。
 真雪は学校へと続く坂道を歩く健斗の背へ声を掛けた。

「お、おはよう、木村君。早いんだね」
 
 後ろから突然声を掛けられた健斗は少し驚いた様子だったが、声の主が知り合いだとわかると表情を少し緩めた。

「あぁ……おはよう樋口さん。こんな早い時間に、どうしたんだ?」

「うん。今日からお花の水やり当番になったから。――あっ、言ってなかったね。わたし園芸部なんだ」

「そっか。毎朝大変だな」

「木村君こそ、こんなに早くにどうしたの?」

「部活の朝練だよ。俺は柔道部なんだ」

「ふーん、木村君こそ大変じゃない。練習、がんばってね」

 この日を境に、二人は学校の少し手前で合流して毎日一緒に登校するようになった。もっとも、実際には真雪が先に来て健斗を待ち構えていたのだが。
 この新しいルーティンは毎日続くようになり、さらに週1回の美化委員会でも二人はペアを組んで活動した。

 桜子と一緒に登校しなくなってから、健斗は桜子との会話の機会が減ってしまい、時には一日中話さない日もあった。一方で、時間は短いながらも、健斗は真雪と話す機会が多くなっていく。
 こうして二人は、少しずつ仲良くなっていったのだった。
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