第44話 事件の顛末

文字数 4,181文字

 7月下旬。
 中学校はそろそろ夏休みに入る時期だが、桜子は手術後の経過を見るために今も入院を続けていた。医師によれば、退院できるのは夏休みに入ってからになるらしい。
 
 ずっと前から楽しみにしていた学校祭は気付いたら終わっていたし、9月に開催される水泳部の新人戦出場も絶望的となった。最近は何かと明るい話題のない桜子だが、本人は努めて明るく振舞おうとする。その健気な姿は、周囲の目には余計に痛ましく映った。

 その日も桜子のもとへ健斗が見舞いに訪れていた。
 足しげく通うわりには、大して会話もないまま10分ほどで帰ってしまう彼だが、今日に限っては様子が違う。無口なところはいつもと変わらない。けれど、顔には思い詰めたような表情が浮かび、態度もどこか落ち着かない。
 その様子に桜子は思うところがありながら、敢えていつも通りに接した。

「今日も来てくれてありがとう。だけど、健斗だって部活があるんだから、無理して毎日来なくてもいいんだよ。来週には退院できるみたいだし」

 桜子がリンゴの皮を剥きながら上目遣いに健斗を見る。対して健斗は彼女の顔を見ずに、その手元にあるリンゴを見つめながら尋ねた。

「傷……まだ痛いのか?」

「うん、まだちょっとね。明日、抜糸をして傷の状態を見るんだけど、それで傷跡の残り具合がわかるんだって」

「……」

「そんなに深刻な顔しないでよ。手術をしてくれた先生って、名医って言われてる有名な人なんだから。それに、前髪を下ろしていれば傷跡だって目立たないからね」

「……ごめんな。俺、またお前を守れなかった」

「それは言わないって約束したでしょ? だめだよ、健斗に責任はないんだから」

「う、うん……でも……」

「でもって言わないの。いい?」

「わかった……」

「はい、よろしい。では召し上がれ」

 にこりと笑った桜子が、皮を剥いたリンゴを健斗に手渡し、自らも一切れかじる。
 夕闇が降り始めた薄暗い病室内に、シャリシャリとリンゴをかじる音だけが響いていた。
 


 西村綾香(にしむらあやか)以下5名は警察に逮捕された。
 ここ最近はいじめに対する世間の目が厳しく、警察の初動も早かった。小林夫妻が被害届を提出した翌日には加害者宅へ赴き、事情聴取のために生徒たちを拘束していったのだ。

 加害者の生徒たちは全員が未成年者だが、傷害事件の容疑者として通常の身柄拘束が行われた。
 当初、5名は適当に言い逃れをしようとした。しかし、それぞれの供述の矛盾点をことごとく指摘された結果、逃げられないと悟った綾香以外の4名は全てを自供した。その中で、桜子の悪霊がどうこうといった話が複数の口から出ていたが、警察は一貫して取り合おうとしなかった。
 そして取り調べること数日。ついに事件の全容が明らかとなる。


 犯行の動機は、「桜子の人気が気にいらない」というもの。

 綾香が剃刀を入れたいやがらせの封筒を発案し、それを仲間たちが定期的に桜子の下駄箱へ入れていた。

 その効果がないとわかると、桜子を人気のないトイレへ拉致し、言いがかりをつけて皆で取り囲んで小突き回した。

 過去の誘拐事件を持ち出して屈辱的な発言を強要し、その様子を撮影して拡散しようとした。

 桜子の着衣を刃物で切り裂き、裸にして放り出そうとした。

 故意ではなかったとはいえ、危うく後遺障害が残るほどの外傷を負わせた。

 額の傷は一見してわかるほど跡が残り、生涯消えることはない。

 桜子自身も相手に暴力を振るっていたが、それは正当防衛の域を逸脱していない。

 桜子は一方的な被害者であり、責められるべき事情は全くない。


 以上である。

 これを聞いた関係者のすべてが、そのあまりに稚拙で身勝手な理由に唖然としたものだった。


 綾香の父親は、議会の議長も務めるベテランの県議会議員である。
 娘が逮捕されたと聞いた彼は、慌てて拘留中の娘に会いに行ったのだが、規則によって面会させてもらなかった。その対応に激怒した父親は、秘書とともに小林家を訪問すると、謝罪の言葉もないまま一方的に被害届を取り下げるよう要請した。

 要請と言えば聞こえはいいが、早い話が恫喝である。
 一貫して居丈高な態度で怒鳴り散らし、そのうえ議員バッジをチラつかせる高慢な態度は、小林夫妻の反感を思い切り買ってしまう。結果、綾香の父に対する夫婦の心象は最悪なものとなり、被害届の取り下げはもちろんのこと、今後は互いの弁護士を通さない限り一切の話を聞かないとまで言い切られてしまった。

 拘留中の綾香に接見した弁護士は、綾香の父にこう言う。

「お嬢さんは相当マズいことをしてしまいました。これはもう立派な犯罪です。強要、暴行、傷害など、複数の罪に問われるのは間違いないでしょう。このままだと確実に審判が開始されてしまうので、本来ならばその前に被害者と交渉して被害届を取り下げてもらうべきでしたが、その機会をあなた自らが潰してしまった。聞けば相手を相当怒らせたとか。そんな彼らがいまさら示談に応じてくれるとも思えません。もはや手遅れです」


 綾香は警察の追及にも決して罪を認めようとしなかったが、消したはずの動画が携帯電話から復元されるに至り、もはや観念せざるを得なかった。
 その動画には前後の会話も含めたすべてが記録されており、決して言い逃れ出来ない決定的な証拠となったのだった。

 小林夫妻は綾香を含めた全員の弁護士から示談交渉を持ち掛けられたが、一人として応じることはなかった。なぜなら、警察から桜子の動画を見せられた夫婦が、まさに怒髪天を衝く勢いで激怒したからである。
 示談交渉とは、相手の罪を軽くするための話し合いに他ならない。ならば、その席に着くのさえ烏滸(おこ)がましいと彼らは思ったのだ。

 綾香以外の4名は、逮捕後すぐに罪を認めた態度とその後の反省を評価され、審判開始直後に保護観察処分の確定とともに釈放された。
 主犯格でありながら最後まで(しら)を切り通した綾香は、4人に比べて拘留期間が長くなったものの、担当弁護士の腕が相当に良かったらしく、審判開始後に保護観察処分が確定すると数日で自宅へ帰された。

 その後5名は従前どおりの生活に戻っていったのだが、当然のように学校中から白い目で見られたし、いまさら桜子と同じ学校にいることも出来ずにそれぞれが別の学校へ転校していった。
 とはいえ、心機一転そこで新しい生活を始めようとしたものの、彼女たちの実名と写真は事件直後からネット上で拡散・炎上していたので、周囲にはすぐに過去の罪状が知れ渡ることになる。
 くわえて、少年審判で確定した保護観察処分は当人の犯罪歴として記録されてしまうので、彼女たちは一生それを背負って生きていくことになった。


 いじめに敏感なこの時世である。小林夫妻自身は何も発言していなかったが、気付くといつの間にかマスコミの騒ぐところとなり、事の顛末が「美少女いじめ傷害事件」として連日のように報道されるようになる。さらに現役の県議会議員が関係していることがわかると、反権力を掲げるマスコミの格好の餌食となった。

 中学校の姿勢も世間の非難に晒された。
 剃刀入りの手紙の件を小林家から相談されていたにもかかわらず、そのまま放置して校長にまで伝わっていなかった。そのうえ、事件後にやっと教育委員会に報告された後も、マスコミによって事件が明るみに出るまで棚ざらしにされていたことが判明する。

 さらに被害者側から再三にわたっていじめの可能性を指摘されていたのに、ろくに調べもせず「いじめはなかった」と調査結果を伝えていたことも発覚した。
 その学校及び教育委員会の姿勢は、全く罪のない一人の少女を犠牲にしてまで己の保身を図ろうとした隠ぺい体質だとして、猛烈な世間の批判に晒されたのだった。

 その後、世論の高まりとマスコミに追い詰められた教育委員会は、桜子の担任と校長に責任を押し付けて事態の収拾を図ろうとしたのだが、それもまた激しい批判を浴びてしまい、最終的には教育委員会の幹部1名も責任を取らざるを得なくなった。


 小林家は加害者の示談交渉を全て断っていたので、当然のように一切の示談金を受け取っていない。
 そこで今回、小林酒店と同じ商店街に事務所を構える、当初からサポートについてくれていた弁護士が、加害者を相手にして民事の損害賠償請求訴訟を起こすべきだと提案してきた。

 それには夫妻も少々迷ったが、熟慮の末にその提案を飲むことにした。
 思い返せば、桜子の治療には決して少なくない金額を支払っていたので、せめてそれと同程度の賠償金を取り立てても罰は当たらないと思ったようだ。

 けれど弁護士は、その何倍もの金額を請求すべきだと言う。せっかくマスコミが注目している事件なのだから、他のいじめ加害者への見せしめの意味でも、絶対に弱腰になるべきではないと力説されたのだ。

 担当弁護士にも桜子と同じ年代の娘がいる。もしもその子の顔に一生残る傷をつけられたらと想像すると、彼はまるで自分のことのように憤った。本来ならば別途費用が必要になるところだが、そんなものとは関係なしに相談に乗ってくれたのだ。
 ここは自分に任せろ。加害者からは(むし)れるだけ毟り取ってやると、弁護士は鼻息も荒く息巻くのだった。
 
 法律については詳しくないので、小林夫妻は弁護士事務所に全てを任せることにした。
 すると後日、刑事処分が決着してホッと息を吐いていた加害者たちの自宅へ、地方裁判所差し出しの特別送達郵便が届く。
 物々しく赤い線の引かれた封筒を震える手で開けると、中からさらに物々しい訴状が出てくる。そしてそこに記載された膨大な額の損害賠償請求金額に顔面を蒼白にするのだった。

 訴訟はまだ第1回期日が決まったばかり。この先、結審までは短くても1年はかかるだろう。加害者たちはその間ずっと苦しみ続けるのだった。


 綾香の父は県議会議員を辞職した。
 議員の地位を乱用し、事件の被害者を恫喝したことがマスコミに報道されたからである。
 また、子供が非行行為により保護観察処分となった事情にくわえ、被害者から民事の損害賠償訴訟まで起こされた事実は、あまりに外聞が悪すぎるとしてもはや議員を続けることができなかったのだ。

 こうして西村家は、家族全員が揃って、まるで逃げるようにこの町から去って行ったのだった。
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