第12話 入園式と撮影会
文字数 2,457文字
季節は秋へと移り変わり、桜子は1歳6ヵ月になった。
今では毎週水曜日のママ友会への参加は恒例となり、楓子はもとより、桜子も他の子供たちと楽しい時を過ごすようになっていた。
桜子が養子である事実はママ友たちへ打ち明けていた。その話題を友人たちが避けていることに気付いた楓子は、いずれ知られるのだからと先に話しておいたのだ。幸いにも友人たちは笑顔で応じてくれた。それは楓子にとって心強いものだった。
楓子のもっとも親しいママ友は木村幸 だった。シングルマザーの幸は、小林家から歩いて5分の古い戸建ての実家で健斗と実母とともに暮らしている。幸は近所の個人病院の受付で働いていて、毎週水曜日の午後は休診なので、その時間を利用してママ友会を開催していた。
幸は健斗が生まれる前に離婚して実家へ戻っていた。原因は夫の浪費と暴力。子供が生まれれば夫も変わるかと期待したが、結果的に何も変わらなかった。
母親だけでの子育ては大変だったが、同居する実母の協力のもと何とか乗り切ってきた。それでも最近は、やはり子供には父親が必要なのではないかと悩むこともある。
明るくさばさばとした性格の幸は、楓子にとって気軽に話せる相手だった。恐らく相性がよかったのだろう。次第に二人は水曜日以外にも会うようになり、桜子も健斗と特別に仲良くなっていったのだった。
◆◆◆◆
月日が経ち、桜子は3歳になった。
4月2日。春の息吹が感じられるこの日に、桜子は幼稚園の入園式に備えていた。
「もう、パパ! やーっ!」
甲高い声がリビングに響く。見ればそこには、真新しい制服に身を包んだ桜子がいた。様々なポーズを取りながら新しい制服を披露する一方で、買ったばかりの一眼レフカメラを構えた浩司が娘の姿を次々に撮影していく。
「あぁ天使ちゃん! あともうちょっとだから我慢してよ、お願い」
「むぅー! あたち、疲れちゃったの。もういやよ!」
幼稚園の制服がちょうど届いたばかりだった。サイズ確認のために実際に着てみることになると、浩司が新調したカメラの準備を始める。太くて長い大きなレンズは、まるでバズーカ砲のように物々しく見えた。
着替えを終えた桜子が楓子の影から現れる。その姿に心を撃ち抜かれた浩司は、天使のような娘の姿に暫し我を忘れた。
まだ髪が短いために、少し上向きになった金色のツインテール。
長い睫毛に飾られた、たれ目がちの大きな青い瞳。
小さいながらも形の良い鼻と、ぽってりとした紅い唇。
大きな丸い襟のついた白いシャツと紺色のブレザー調の上着。
襟元の赤い大きなリボンと濃い緑色のチェック柄のスカート。
紺色のハイソックスと小さくて可愛いらしい黒塗りの靴。
その全てが桜子を神がかり的に可愛らしく見せていた。
「なに、この可愛い生き物……」
思わず浩司が感嘆の溜息を漏らす。
これほどまでに愛らしい存在がこの世にいるのかと心から感動し、その存在が自分の娘である事実に打ち震える。
浩司は涙目になりながらも、夢中になってカメラのシャッターを切り続けた。
「ねぇパパ。桜子が拗ねちゃってるわよ。もうそのくらいにしたら?」
楓子の呆れ声に浩司が現実に引き戻される。桜子はその隙をついて奥の部屋へ逃げ込むと、唐突に父親を睨みつけた。
「パパきらい! あっちいって!」
最愛の娘からの容赦ない拒絶の言葉に、浩司は人目も憚らずに涙した。
◆◆◆◆
入園式当日。
教室の後ろにまとめられた机と椅子を横目に、園児とその親たちが式の開始を待っていた。園児たちは皆それぞれに可愛らしかったが、中でも特に目立つのが桜子だった。
その愛らしい姿は周囲の視線を一身に集め、怖気づいた桜子は楓子に顔を押し付けて身を隠そうとする。
桜子は入園式でも人々の注目を浴びていた。彼女を見た保護者たちが一斉に小声で話し始める。その様子にも努めて平静を装っていた楓子に、隣に座る若い母親が知らずに話しかけてきた。
「すっごい可愛い! あの子、ハーフですかね。お人形さんみたいですね!」
「え、えぇまぁ……でも、他の子だってみんな可愛いですよ」
「うん、確かにみんな可愛いけれど、あの子が一番かも!」
「あはは……そうですねぇ……まぁ、私もそう思いますけど……」
もはや楓子は半笑いするしかなかった。
周囲の注目に怯えた桜子は今にも泣き出しそうになっていた。すると偶然にも隣に立っていた健斗がそっと彼女の手を握る。未だ幼い幼稚園児であるけれど、すでに彼の顔は女の子を守る男の子のそれになっていた。
◆◆◆◆
入園式も無事終わり、月日は流れて5月に桜子は4歳になった。
そんなある日のこと。幼稚園へ迎えに来た楓子に担任の先生が話しかけてくる。それは来年の園児募集用パンフレットに桜子の写真を使いたいというものだった。
考える時間が欲しいと伝えて家に帰った楓子が相談すると、浩司は二つ返事で許可を出した。我が子の可愛らしさを認められて嬉しくない親がいるはずもなく、もはや浩司に断る理由は何一つなかった。
口の周りをケチャップだらけにしてハンバーグを食べる桜子。彼女を見つめる浩司の顔に満足そうな表情が浮かぶ。その彼へ桜子が舌足らずな声で訊いた。
「パパ、どうちたの?」
「幼稚園の先生がね、桜子の写真を撮らせてほしいんだって」
「どうちて?」
「それは桜子がとっても可愛いからだよ」
満面の笑みとともに浩司が娘の問いに答える。それへ楓子が呆れたような声をかけた。
「はいはい……」
◆◆◆◆
季節は再び春に巡り、5歳になった桜子は幼稚園の年中クラスに進級した。
この頃、桜子はちょっとした話題の中心になっていた。その年に入園した新しい園児の親たちの間で、彼女の噂が広がっていたのだ。
去年配布された入園案内のパンフレット。その表紙モデルが実際に園児として幼稚園に通っていた事実が皆を驚かせた。表紙を飾っていた桜子を、多くの者たちは外国人モデルなのだと思い込んでいたらしい。
そんな状況の中、予期せぬ事件が起こった。
今では毎週水曜日のママ友会への参加は恒例となり、楓子はもとより、桜子も他の子供たちと楽しい時を過ごすようになっていた。
桜子が養子である事実はママ友たちへ打ち明けていた。その話題を友人たちが避けていることに気付いた楓子は、いずれ知られるのだからと先に話しておいたのだ。幸いにも友人たちは笑顔で応じてくれた。それは楓子にとって心強いものだった。
楓子のもっとも親しいママ友は
幸は健斗が生まれる前に離婚して実家へ戻っていた。原因は夫の浪費と暴力。子供が生まれれば夫も変わるかと期待したが、結果的に何も変わらなかった。
母親だけでの子育ては大変だったが、同居する実母の協力のもと何とか乗り切ってきた。それでも最近は、やはり子供には父親が必要なのではないかと悩むこともある。
明るくさばさばとした性格の幸は、楓子にとって気軽に話せる相手だった。恐らく相性がよかったのだろう。次第に二人は水曜日以外にも会うようになり、桜子も健斗と特別に仲良くなっていったのだった。
◆◆◆◆
月日が経ち、桜子は3歳になった。
4月2日。春の息吹が感じられるこの日に、桜子は幼稚園の入園式に備えていた。
「もう、パパ! やーっ!」
甲高い声がリビングに響く。見ればそこには、真新しい制服に身を包んだ桜子がいた。様々なポーズを取りながら新しい制服を披露する一方で、買ったばかりの一眼レフカメラを構えた浩司が娘の姿を次々に撮影していく。
「あぁ天使ちゃん! あともうちょっとだから我慢してよ、お願い」
「むぅー! あたち、疲れちゃったの。もういやよ!」
幼稚園の制服がちょうど届いたばかりだった。サイズ確認のために実際に着てみることになると、浩司が新調したカメラの準備を始める。太くて長い大きなレンズは、まるでバズーカ砲のように物々しく見えた。
着替えを終えた桜子が楓子の影から現れる。その姿に心を撃ち抜かれた浩司は、天使のような娘の姿に暫し我を忘れた。
まだ髪が短いために、少し上向きになった金色のツインテール。
長い睫毛に飾られた、たれ目がちの大きな青い瞳。
小さいながらも形の良い鼻と、ぽってりとした紅い唇。
大きな丸い襟のついた白いシャツと紺色のブレザー調の上着。
襟元の赤い大きなリボンと濃い緑色のチェック柄のスカート。
紺色のハイソックスと小さくて可愛いらしい黒塗りの靴。
その全てが桜子を神がかり的に可愛らしく見せていた。
「なに、この可愛い生き物……」
思わず浩司が感嘆の溜息を漏らす。
これほどまでに愛らしい存在がこの世にいるのかと心から感動し、その存在が自分の娘である事実に打ち震える。
浩司は涙目になりながらも、夢中になってカメラのシャッターを切り続けた。
「ねぇパパ。桜子が拗ねちゃってるわよ。もうそのくらいにしたら?」
楓子の呆れ声に浩司が現実に引き戻される。桜子はその隙をついて奥の部屋へ逃げ込むと、唐突に父親を睨みつけた。
「パパきらい! あっちいって!」
最愛の娘からの容赦ない拒絶の言葉に、浩司は人目も憚らずに涙した。
◆◆◆◆
入園式当日。
教室の後ろにまとめられた机と椅子を横目に、園児とその親たちが式の開始を待っていた。園児たちは皆それぞれに可愛らしかったが、中でも特に目立つのが桜子だった。
その愛らしい姿は周囲の視線を一身に集め、怖気づいた桜子は楓子に顔を押し付けて身を隠そうとする。
桜子は入園式でも人々の注目を浴びていた。彼女を見た保護者たちが一斉に小声で話し始める。その様子にも努めて平静を装っていた楓子に、隣に座る若い母親が知らずに話しかけてきた。
「すっごい可愛い! あの子、ハーフですかね。お人形さんみたいですね!」
「え、えぇまぁ……でも、他の子だってみんな可愛いですよ」
「うん、確かにみんな可愛いけれど、あの子が一番かも!」
「あはは……そうですねぇ……まぁ、私もそう思いますけど……」
もはや楓子は半笑いするしかなかった。
周囲の注目に怯えた桜子は今にも泣き出しそうになっていた。すると偶然にも隣に立っていた健斗がそっと彼女の手を握る。未だ幼い幼稚園児であるけれど、すでに彼の顔は女の子を守る男の子のそれになっていた。
◆◆◆◆
入園式も無事終わり、月日は流れて5月に桜子は4歳になった。
そんなある日のこと。幼稚園へ迎えに来た楓子に担任の先生が話しかけてくる。それは来年の園児募集用パンフレットに桜子の写真を使いたいというものだった。
考える時間が欲しいと伝えて家に帰った楓子が相談すると、浩司は二つ返事で許可を出した。我が子の可愛らしさを認められて嬉しくない親がいるはずもなく、もはや浩司に断る理由は何一つなかった。
口の周りをケチャップだらけにしてハンバーグを食べる桜子。彼女を見つめる浩司の顔に満足そうな表情が浮かぶ。その彼へ桜子が舌足らずな声で訊いた。
「パパ、どうちたの?」
「幼稚園の先生がね、桜子の写真を撮らせてほしいんだって」
「どうちて?」
「それは桜子がとっても可愛いからだよ」
満面の笑みとともに浩司が娘の問いに答える。それへ楓子が呆れたような声をかけた。
「はいはい……」
◆◆◆◆
季節は再び春に巡り、5歳になった桜子は幼稚園の年中クラスに進級した。
この頃、桜子はちょっとした話題の中心になっていた。その年に入園した新しい園児の親たちの間で、彼女の噂が広がっていたのだ。
去年配布された入園案内のパンフレット。その表紙モデルが実際に園児として幼稚園に通っていた事実が皆を驚かせた。表紙を飾っていた桜子を、多くの者たちは外国人モデルなのだと思い込んでいたらしい。
そんな状況の中、予期せぬ事件が起こった。