第51話 彼と彼女の悩み

文字数 2,215文字

 翌日の朝。健斗はいつもと変わらず学校へ向かう途中で真雪と合流した。
 いつもなら取り留めのない会話を交わしていた通学路を、今朝の二人は無言のまま静かに歩き続けている。昨日の出来事には互いに言いたいこともあるのだろうが、二人ともに何かを言いかけてはやめるといった仕草を繰り返し、結局最後までその話題に触れることはなかった。

「それじゃあ、また。午後の委員会でな」

 玄関の下駄箱で靴を履き替え、別れ際に健斗がそう告げる。すると真雪がやっと決心を固めて口を開いた。
 
「あ、あのっ……昨日の返事は急いでないから……」

 その言葉に健斗が振り返り小さく頷く。顔には困ったような、悩んでいるような、何とも言えない表情が浮かんでいた。

 
 健斗は悩んでいた。

 ここ最近、真雪と急に親しくなった。毎朝一緒に登校し、委員会活動をともに取り組み、廊下で顔を合わせれば挨拶を交わす仲だ。そんな中、健斗に対する真雪の態度が、ただの友達以上のものであることにさすがの健斗も気づき始めていた。

 そして、昨日のチョコレートである。

 その存在が健斗の心をかき乱していた。
 バレンタインデーに女子が男子へチョコレートを贈る意味は健斗も十分に理解している。さらにそれが手作りであったことからも、彼女の特別な思いが伝わってくる。

 真雪はずっと下駄箱の前で待っていたに違いない。そして返事は急がないと言ってくれたが、その期待は明らかだった。

 昨日は桜子に会えなかった。
 正直に言うと、実は密かに期待していたのだ。しかし、結局彼女は最終下校時間を過ぎても姿を見せなかった。
 その後、成り行きで真雪を自宅まで送り届けることになったものの、いずれにせよ、その時間ならばとっくに桜子は帰宅していたはずである。

 以前、自分と桜子の「好き」の意味は違うと友里へ言ったことがあるが、今でもそれはそうなのだと思う。桜子にとって自分は弟のような存在、つまり兄弟愛に近いものなのだろう。
 だとしたら、去年桜子がくれたバレンタインのチョコレートは、一体どのような意味をもっていたのだろうか。

 自分は桜子を異性として好きだが、彼女が同じ気持ちでいるとは限らない。
 桜子はチョコレートをくれなかった。一方で真雪はチョコレートをくれたうえに、好意まで伝えてくれた。

 考えれば考えるほど、健斗の心は混乱していくのだった。



 バレンタインデーの翌日。友里は登校してきた桜子の様子がおかしいことに気が付いた。
 もとより色白の顔をさらに青白くして、眼の下には小さな(くま)まで作っている。きっと昨夜はあまり寝ていないに違いない。

 昨日はあれほど張り切って健斗にチョコレートをあげると言っていたのに。何かあったのだろうか。
 相手が健斗であることを考えれば、それほどの問題とは思えない。それでも心配になった友里は桜子へ声を掛けた。

「おはようー。ねぇ、桜子。なんか調子が悪そうだけど、どうしたの? なんかあった?」

「あ、あぁ、おはよう友里ちゃん……。べつに何もないよ。あたしはいつも通りだよ」

 いつも通りと言いながら、桜子は決して視線を合わせようとしない。そんな彼女の耳元で友里が小さく囁いた。

「ねぇ、昨日は健斗にチョコあげたんでしょ? どうだった?」

「……」

「……えっ、なに、どうしたの? もしかして、健斗に会えなかったとか? ねぇ桜子。やっぱ変だよ、あんた」

「う、うん。ちょっとね……失敗しちゃったんだ。えへへ……」

 おどけた様に笑う桜子だが、その顔は今にも泣きそうに見える。その様子が気になった友里は、詳しい話を聞くために放課後に二人きりで会おうと思った。
 しかし桜子は放課後になると逃げるように部活へ行ってしまい、結局友里は彼女を捕まえることが出来なかった。 



 放課後の美化委員会で備品を購入することになったので、健斗と友里は土曜日の午後に街の大型雑貨店まで出掛けることになった。
 健斗はジャンパーにジーンズといった普段通りのラフな格好だが、一方で真雪は完ぺきに着飾っていた。それはまるでデートをするような格好にしか見えなかったため、思わず健斗は戸惑ってしまう。
 店で品物を見ている間も、ずっと真雪は頬を赤らめたままだ。それを見た健斗は、本当にデートをしているような錯覚に陥った。

 その日の夕方。桜子は父親の運転する車の助手席に乗って酒の配達を手伝っていた。
 赤信号になり、手前に停まったバスを何気なく眺めていると、ちょうど乗降口から健斗が降りてくるのが見えた。
 街の方から来たバスである。健斗はどこかへ買い物にでも行っていたのだろうか。
 
 声を掛けようと思った桜子は、健斗の後から降りて来るもう一人の人物を見て思わず目を見開く。それは一昨日の夕方に健斗へチョコを渡していた女の子だった。乗降口から降りる際に手を貸す健斗の様子は、まるで恋人同士のようにしか見えなかった。

 茫然とした桜子がその後も眺めていると、バスから降りた二人はバス停の前でそのまま立ち話を始める。普段は無口で不愛想な健斗であるのに、その女の子の前では妙に饒舌に見えた。

 細い目のせいで健斗の表情は読みにくいものの、相手の女の子の顔にはにこやかな表情が浮かぶ。照れたように赤らんだその顔は、同性の桜子から見ても愛らしかった。

 信号が青になって桜子を乗せた車が発進する。そのドアミラーに写る二人の姿が小さくなっていくのを、彼女はずっと見つめ続けていた。
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