第54話 彼なりのけじめ

文字数 2,880文字

 桜子と健斗は1歳の時からの幼馴染である。
 その関係は今や学校中に知られており、二人が毎朝一緒に登校しても特に驚かれることはなく、健斗が桜子を独占していると非難されることも、二人が付き合っていると噂されたこともない。
 しかし最近、その状況に変化が見られた。なぜなら、二人が手を繋いでいる姿を誰かに見られたからである。

 手を繋いできたのは桜子の方からだ。誰もいない朝の路地裏。そこを二人で歩いている時に、突然彼女は健斗の手を取り、頬を染め、恥ずかしそうに小さく囁いた。

「ねぇ……誰もいないところなら手を繋いでもいいよね?」

「あ、いや……恥ずかしいよ……」

「もう。男の子が恥ずかしがったらだめじゃない。むしろ、エスコートするくらいじゃなきゃ」

「わ、わかった……じゃあ、いいよ」

 恥ずかしいからと最初に健斗は断ったものの、最終的に桜子の笑顔に押し切られた。

 二人が互いに思いを確認し合ってからすでに一ヵ月が過ぎていた。来週には春休みに入るこの季節。他の生徒たちが短い休暇を楽しみしている中で、健斗は色々と大変だったらしい。

 桜子へ告白をした翌日の朝。健斗は真雪と合流した時も、未だどう伝えるべきか悩んでいた。桜子と互いの思いを確認し合った以上、真雪には断りを告げるしかないのだが、こと恋愛についてはヘタレな健斗にとってそれはあまりにハードルが高すぎる。
 しかし健斗は女の子の思いに返事をせずに放置することは男として最低の振舞いだと思い、2日後の美化委員会の後に二人で会いたいと真雪へ伝えた。

 そして当日。いまは使われていない空き教室の中に二人はいた。

「木村君……返事を聞かせてくれるの?」

 そう尋ねる真雪の顔には、期待と恐れが混ざった複雑な表情が浮かんだ。それを目の当たりにした健斗は、これからこの顔を泣き顔に変えてしまうのかと思うと逃げ出したくなる。
 しかし、これはケジメなのだ。真雪のためにもはっきりと伝えなければならない。
 そう思った健斗は、迷いを払いのけるように軽く頭を振って口を開いた。
 
「樋口さん。この前はチョコレートをありがとう。樋口さんの思いはとても嬉しかったし感謝もしている。だけど……」

 見ればすでに真雪は泣きそうになっていた。健斗は挫けそうになるが、これだけは絶対に言わなければならないと敢えて心を鬼にする。

「すまない。俺には好きな人がいるんだ。だから君の思いには応えられない」

「……」

 真雪は何も語らない。健斗の顔を見つめたまま、ぽろぽろと大粒の涙を流していた。  

「ごめん、樋口さん……」

「お願いだから謝らないで。余計に惨めになっちゃうから……」

 それからしばらくの間、真雪は声を出さずに泣いていたが、健斗が差し出したハンカチを受け取ると涙を拭いて話し出した。

「……わかった。わたしの方こそごめんね。あんなこと言って木村君を困らせてしまって。わたし知ってたんだ、木村君に好きな人がいること。それでもチャンスに賭けてみたかったんだ。もしかしたら、わたしに付け込む隙があるんじゃないかって」

「……」

「ハンカチありがとう。チョコレートのお返しに貰ってもいいかな? 鼻水もつけちゃったし。あはは」

 真雪は無理に笑顔を作ると、おどけたようにそう言った。それは今の彼女に出来る精一杯の虚勢だった。

 健斗は真雪と幾つかの約束をした。
 
 バレンタインの出来事は、お互いにスッキリ忘れること。
 朝はもう一緒に学校へ行かないこと。
 これからも友人であり続けること。
 美化委員会の仕事は一緒に続けること。
 
 そして最後に、真雪は桜子と友達になりたいと告げた。

 こうして健斗と真雪のバレンタインは終わったのだった。


 健斗と桜子の告白から一週間が経った頃、県教育委員会の指示により部活動の朝練が自粛となった影響から、健斗が所属する柔道部の朝練も中止になった。
 これは健斗にとって思わぬ好機となり、以前のように毎朝桜子の家へ迎えに行けるようになった。するとその一週間後に、健斗は桜子から手を繋がれたのだった。

 それからさらに一週間後。二人が登校中に手を繋いでいたという噂が学年中に広まってしまい、その真相を知ろうとする同級生たちから健斗は質問攻めにあっていた。

「木村……おまえ、小林と手を繋いでたって話は本当なのか?」
 
 普段から気軽に話しかけてくる友人たちさえも健斗を問い詰めてくる。その圧力に負けそうになりながら、健斗は根気強く返事を返した。

「さ、さぁ、知らないな。何かの間違いじゃないのか?」
 
「本当か? とかなんとか言いながら、実はお前ら付き合っているんじゃないのか? お前に対する小林の態度が前とは違うように見えるんだが」

「な、何がどう違うんだよ?」

 痛いところを突かれた健斗が誤魔化しきれずに後退っていると、ちょうど教室のドアから桜子が入って来る。
 教室中の視線を受け流しつつ健斗に近づき、「ちょっと来てくれる?」と言いながら健斗の手をおもむろに掴んで教室から出て行った。

 その背を見送った女子の一人がふとある事に気付く。思い返してみれば、健斗と桜子の手の繋ぎ方はただの幼馴染というには違和感がありすぎた。

「ねぇ……あの手の繋ぎ方ってさ、もしかして『恋人繋ぎ』ってやつじゃね?」

「えっ……?」

 その言葉にクラス中の生徒たちが息を飲む。
 そして健斗と桜子が出て行ったドアを見つめて同時に叫んだ。

「あぁぁぁぁぁぁ!」



 こうして桜子と健斗は正式に付き合うことになった。
 とはいえ、彼らの関係はこれまでと大きく変わりはなかったし、学校では健斗が恥ずかしがるので敢えて彼女らしい振舞いをすることもなかったのだが。

 もっとも桜子は彼女という存在をいまいち理解していなかったうえに、彼氏に対して何をすればいいのかもよくわかっていなかった。
 精々が、これまで以上に一緒に過ごす時間を増やしたり、互いの距離を近づけることくらいの認識でしかなかったが、それでも二人は十分だったし満足していた。

 二人が付き合い始めたことを最初に知らせたのは友里だった。これまでを思い返せば桜子も健斗もそうしなければいけないと思ったし、彼女なら祝福してくれると思ったからだ。
 予想通り、友里は心から祝福してくれた。けれど、彼女の健斗に対する感情を知る二人は、申し訳なさと心苦しさで何とも言いようのない顔をしてしまう。
 すると友里は、二人の背中を思いきり叩いて大きな声を張り上げた。

「もう二人とも、そんな顔しないでよ! わたしのことなんて気にしなくていいからさ! いい!? もしもあんたたちが上手くいかなくなったら、その時はわたしの出番なんだからね!」

 
 舞と光も噂の真相を聞きに来たが、桜子は事の子細を包み隠さず全て話した。
 それを聞いた舞は、自分が失恋したばかりなのにと拗ね始め、バレンタインを切っ掛けにして吹奏楽部の彼と上手くいっている光は余裕の態度で舞を慰めた。
 そして……富樫翔は一人泣いていた。
 
 紆余曲折、様々なことはあったけれど、こうして桜子の中学1年生の生活は幕を閉じたのだった。
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