第43話 学校の言い訳

文字数 4,064文字

 7月中旬。桜子の手術は無事に終わった。
 その分野で有名な熟練の医師が、顕微鏡を見ながら細かい神経を繋ぎ合わせるという難手術だったが、なんとか無事に成功させることができた。

 普通であれば、そのように高名な医師を招くなど叶わないはずなのだが、自身も同じ年頃の娘を持つその医師が、桜子の境遇を不憫に思ってわざわざ遠方から訪れてくれたのだ。
 もしも彼以外が執刀していたなら、約半分の確率で桜子の右眉は一生動かなくなっていただろうと言われる。

 医師の見立てによれば、ある程度の傷跡は残るらしい。髪の生え際なので前髪を下ろしていれば目立たないとはいえ、水泳の時にはキャップを被るし、髪をアップにすることもあるだろう。
 そもそも桜子は女の子である。男女を差別するわけではないが、やはり女の子の顔に傷が残るのは忌避感が強い。

 可愛い娘が顔の傷を気にしながらこの先生きていくことを考えると、両親はあまりに不憫で胸が痛んだ。
 だから彼らは、そのような仕打ちをした(やから)を絶対に許すことが出来ず、必ずや責任を取らせてやろうと息巻くのだった。


 手術が終わって数日が経った頃、病室で教師2名と桜子、そして両親を交えての聞き取りが始まった。
 桜子は自分のされたこと、言われたこと、知っていることなどを包み隠さず教師に伝え、それを教師たちは一文字一句、熱心に記録していく。
 そして数時間後、全てを記録し終わった教師たちは、もう一方の生徒たちの記録と擦り合わせると言い残し、そそくさと帰っていった。

 さらに数日後。学校から小林家に調査結果が伝えられた。
 それは、今回の出来事はあくまで生徒同士の喧嘩であって、双方に原因があるというものだった。確かに刃物で切りつけたのはやり過ぎではあるが、桜子自身も相手に暴力を振るっていたので、双方に原因がある、いわゆる「喧嘩両成敗」という結論である。
 
 とりあえず、ナイフを用いた生徒の保護者が謝罪をするので、この件はそれで終わりにしてもらえないかということなのだが、もちろん桜子の両親は納得がいかない。
 その報告のすぐ後に、彼らは学校まで乗り込んで行ったのだった。



「どう考えても納得いきませんよ! だっておかしいでしょう!? そもそも、5人で1人を取り囲むのを喧嘩って言うんですか!? うちの子が一方的に酷い目に遭わされて、しかも刃物で切り付けられたんですよ? こんなのいじめじゃないですか、リンチですよ! それに、この話は先日もしましたよね!? 散々待たせた挙句にまったく同じ回答って、一体どういうことなんですか!?」
 
 学校側ののらりくらりとした対応に、どうしても浩司は感情の高ぶりを抑えることができない。興奮のあまり口から唾を飛ばしながら怒鳴り続けた。
 それに対して桜子の担任が、相変わらずおどおどと対応する。
 
「い、いや、しかし、桜子さんも相手を殴ったり蹴ったりしたそうですし……」

「そりゃそうでしょう! こっちは1人、相手は5人なんですよ! 普通なら逃げるために蹴ったり殴ったりくらいはするでしょう!? それとも黙ってやられろって言うんですか!?」

 興奮する浩司を楓子が(なだ)める。それはいつも見る光景だったが、今日に限って彼女はその役目を放棄していた。それどころか、楓子自身も拳を握り締めて担任教師を睨みつける始末である。
 その様子に恐れをなしたのか、ソファに座ったままの担任が無理な姿勢で上半身だけを遠ざけようとした。

「と、とにかく落ち着いて下さい!」

 担任が両掌を前に突き出して、浩司を押し留めるような格好をする。それを見た浩司は、己の感情の高ぶりを自覚し、大きく深呼吸をして椅子に座り直した。

「……ふぅ、すいません。大きな声を出しました。――とにかく私が言いたいのは、今回の件は相手がうちの子に一方的な言いがかりをつけて、5人で寄ってたかって責め立て、最後に刃物で切りつけた、ということです。何度も言いますが、これは喧嘩ではなくいじめ、いや、リンチだ。立派な事件ですよ、傷害事件。もはや犯罪です」

 「犯罪」という言葉を聞いた途端に担任の表情が変わる。落ち着かなく視線を動かし、途中で一度立ち上がるような素振りを見せ、それでもソファに腰を下ろしたまま答えを返した。

「い、いや、しかしですね、我々の調査では、これは双方に原因がある喧嘩という結論になっておりましてですね……」

「何を勝手に結論を出しているんですか? あなた方は、どうしても喧嘩として済ませたいんですか? そうしたい理由でもあるんですか?」

「い、いえ、特にそういうわけでは……」

 担任の返答は要領を得ないうえに歯切れが悪く、聞いていた浩司のこめかみが怒りのために細かく震え始める。それでも彼は、必死に平静を装って告げた。

「なら、いいでしょう。わかりました。私どもはあなた方の調査は信用できませんし、結論にも納得がいきません。ですから、警察に被害届を提出しようと思います。場合によっては告訴も辞さない」

 浩司の言葉を聞いた担任が、一目で見てわかるほどに慌て出した。何がそんなに都合が悪いのかと思わず勘繰りたくなるが、敢えて何も言わずに浩司と楓子がソファから腰を上げようとする。
 案の定、担任が押し留めようとした。

「ち、ちょっと小林さん! 待ってください! もう少し冷静に――」

「私は冷静ですよ。ただ私は、真実が知りたいだけなんです。あなた方に任せていると、真実が捻じ曲げられそうだと言っています。警察なら真実を明らかにしてくれるでしょう、傷害事件としてね」
  
 今や担任には冷静さの欠片(かけら)もなかった。ただひたすらに顔を青ざめて、額から汗を溢れさせているだけである。

「い、いや、ちょっと、それは困ります! それだけは勘弁してください!」

「なんであなたが困るんです? 警察の介入に何か問題でもあるんですか?」

「いや、それは……」

「学校が信用できないとなれば、我々としては警察に頼るほかありません。とにかく被害届けを出して、刑事事件として捜査してもらうつもりです」

「こ、小林さん、ちょっと待ってくだ――」

 浩司も楓子も、これ以上学校と話をするつもりはなかった。
 彼らの説明を聞く限り、どうしても今回のことはただの喧嘩で処理したいようだ。再三にわたりいじめの存在を確認しても、頑なに「いじめはなかった」と言い張るばかりだし、それどころか、加害者側の名前すら教えようとしないのだ。

 原因がなんであれ、可愛い我が子が刃物で切られ、しかも後遺障害が残る恐れもあるような怪我を負わされたのだ。こんなことをされながら、ただの喧嘩で済まそうとする学校が心の底から信用できなかった。
 真実を知るには司法の介入が一番だ。そう判断した小林夫妻は、もはやこれ以上学校との話し合いに価値を見出せなかった

 担任の話は続いていたが、これで終わりとばかりに小林夫妻がソファから立ち上がる。そして慇懃にこう告げた。

「私たちの要件は以上です。いま述べたことは、関係者全員にお伝え下さい。それでは失礼します」


 その日の夜。中学校の校長と教頭が二人揃って小林家を訪れた。
 小林夫妻は昼間の話に何か進展があるのだろうかと思って二人を家に上げたが、彼らは担任と同じように、ただひたすらに「被害届だけは勘弁してほしい」の一点張りだった。

 もはやこの状況で、そんな与太話を聞けるはずもなく、小林夫妻は二人を早々に家から追い出した。


 ◆◆◆◆


 手術が終わった数日後。桜子は病室で暇を持て余していた。食べるか寝るか、考える他にすることもなく、気付けば思索を巡らせる毎日。
 そんな彼女は、今日も病室から外を眺めてぼんやりと考え事をしていた。

 今回の出来事はかなりショッキングだったが、反面、意外なほどに立ち直りは早かった。ふと気が付くと、なぜか冷静な自分がいるのだ。
 去年の誘拐事件のときには、事件の後1ヵ月以上も鬱のような状態になって塞ぎ込んでいたし、その後に学校へ行き始めてからも、やはり一人で考え込むことが多かった。

 先日のいじめではとても酷いことを言われたし、言わされたりもした。とても怖かったしショックだったけれど、あの時のことはこれからも忘れられないだろうな、と思う。
 しかしそんなことが、もう遠い昔の出来事のようにも思えるのだ。

 両親からは、学校や犯人のことは考えなくていいから、今はゆっくり休んで怪我を治すことに専念するように言われている。そして今の自分には、そうする他にすることもなかった。

 学校の友人や近所の人が時々お見舞いに来てくれるし、健斗は今も毎日顔を見に来てくれる。もちろん健斗に毎日会えるのはとても嬉しいのだけれど、部活が終わってから息を切らして走って来る姿を見ていると、ちょっと心配になったりもする。

 あれからずっと鈴木秀人(すずきひでひと)のことを考えていた。なんとなくあれは夢だったようにも思えるのだが、その一方で、目の前で綾香たちを殴りつけている情景はとても夢とは思えない。
 本人は名乗らなかったが、あの人は間違いなく鈴木秀人なのだと思う。

 初めて会った秀人は、なんだかとても懐かしい感じがした。推測通りであれば、彼は自分の前世の人物で、自分が自分になる前に自分として生きていた人だ。
 考えれば考えるほどになんだかよくわからなくなってくるが、もしもあれが夢でないなら、彼は自分を助けてくれたのだから、きっと味方なのだと思う。

 いや、待て。これはもしや、いわゆる「二重人格」というやつなのだろうか。だけど、あの人に身体を乗っ取られた時は意識があったし、目の前の光景を見ることも出来た。さらに言えば、あの人の姿も見たし会話もした。

 うーん、なんだかよくわからない。次第に考えるのが面倒になってきた。
 そういえば、昔に見た古い記憶を最近は見なくなっていた。最後にあれを見たのはいつだっただろうか……

 もう思い出せないや……
 まぁ、いいか、なんだか疲れたな……
 
 眠い……

 桜子はそのまま眠りに落ちた。
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