第七話 余命と影絵

文字数 2,693文字

 呼び鈴を鳴らすとすぐに、重厚なドアが開けられた。流れ出る温かな空気。包みこむ大きな腕。カツミに頬ずりするジェイの瞳が、眼鏡の奥で細められる。

「寒かったろう? 居間に暖炉があるから、先に行っていいぞ」
 指し示された方に顔を向けたカツミを、ジェイが再び引き留めた。額に落とされるキス。されるがままになっていたカツミが、くすりと笑みをもらす。
「連絡も寄越さないで薄情なやつだな」
「ちょっとね。ジェイなしで何日持つか試してたんだ」
「それで?」
「その日の夜から駄目だった」

 呼び鈴が鳴った。素っ気なく返したカツミが、音に背中を押されるように居間に足を向ける。
 まさかシドに遠慮してる? カツミが? 意外に思いながら、ジェイがカツミの背を見送っていると、今度はコツコツとドアを叩く音に急かされた。出迎えたシドは両手に大きな荷物を抱えている。

「寒いんだ。早く開けてくれよ」
「悪い。大荷物だな」
「まめに料理してるか、点検の必要を感じたんでね」
 馴染みの皮肉はいつもより冴えがなかった。
「信用ないんだな」
「まあね。キッチン使わせてもらうよ」
 重い紙袋を半分取り上げたジェイが、料理をリクエストする。
「消化のいいのをお願いしたいな」
「そのつもりだよ。仰せの通りに」

 軽口を叩いたシドだったが、厨房に入るなり鞄から箱を取り出した。並ぶ鎮痛剤の薬液。そして、劇薬表示。
「持続点滴と迷ったけど、それだと生活に支障が出るから。自己注射が難しいようだったら他の方法に変える。用法は絶対に守って」

 シドがジェイに手渡した紙袋には、使い捨てのシリンジ(注射器)がぎっしり詰め込まれていた。本来ならその都度医師が行うことである。入院も往診も拒否したジェイへの、苦肉の策だった。

「主治医は私に交代した。最初に聞いていいかな」
「なんなりと」
 畳みかけたシドにジェイが顔を向ける。
「この先、入院する気はあるのか?」
「ない」
 きっぱりと断言が返った。ジェイの決意が揺らがないことを視線で悟ったシドが、ひとつ吐息を漏らす。

「……わかった」
「理解のある主治医で助かったよ」
「まあね。軍で支給された時計、持ってるよね? バイタルデータを毎日送信してくれ」
「善処するよ。ドクター」
 荷物を片づけながら、ジェイが気のない返事をした。
 医者泣かせの患者だよと文句を言いながら、シドが話題を変える。

「夕食のメインは海老のリゾットにした。仕込みはして来たからすぐにできるよ。カツミのとこに行っといてくれないかな。できたら呼ぶから」
「頼んだよ、主治医殿。ワインは白でよろしく」
「はいはい」

 特区併設の病院に出向いたシドは、ジェイの元主治医から所見を聞いていた。長くて三か月という見立て。だがそれは、入院加療して最先端の対症療法を行った結果である。

 シドはジェイに関する見通しを脳裏で整理した。
 ジェイが苦痛を訴えることはないだろう。標準治療なら、とっくに無菌室行きだ。そんなのは真っ平ごめんだと思っているに違いない。
 とにかく要観察で診て、近いうちに今後の治療方針をきちんと決めるしかない。自分にできるのはここまで。その先は……。

 シドがちらりとドアに視線を送る。分かっていたとはいえ、もう既にいたたまれない気持ちになっていた。

 ◇

「来月?」
「うん。月末になると思う。他はもっと早いけど、うちは例のクローンが調整段階だから」
「使える見込みがついたのか?」
「うん。シスを使うって」
 カツミの説明を聞いたジェイが眉をひそめた。『聞く者』であるクローンにシスを使用するなど、あまりに馬鹿げているからだ。過敏に他者の意識を拾い、幻覚に襲われるかもしれない。下手をすると発狂させることになる。つまりは使い捨てなのだ。

 正確な情報を入手できるジェイにはすぐに分かった。クローン開発は莫大な費用を必要としたが、既に元手は回収済みなのだ。今回のシスの使用は、厄介者のクローンの処分と、シスの薬効をさぐる実験を兼ねているらしい。将来的には、この国でも特殊能力者にシスを使用する日が来るかもしれない……。

 カツミとジェイは、石造りの大きな暖炉の前に座っていた。パチパチと爆ぜる薪が珍しいのか、カツミは飽きもせず炎を見続けている。微笑みながら、ジェイがカツミに確かめた。

「来週も来るか?」
「来たばかりなのに、もう来週の話?」
 返事の代わりに、ジェイが目を細める。
「もちろん来るよ。これが案内してくれるし。2ミリアは長いけど」
「それくらいは我慢してもらいたいな」
 カツミが取り出したナビカードを見て、ジェイがゆっくり立ち上がった。
「思い出した。いい物をあげるよ」
 隣の部屋に行ったジェイは、一枚のカードを手に戻って来た。

「なに?」
「お前がいつも乗ってる機にセットできるんだ。教官と乗った時にも使ったろ?」
「あのマニュアル?」
「お前用に作り変えてる。死にに行かないためにな」
 悪戯っぽく微笑むジェイを見て、カツミが頭を抱えた。
「最初に会った時のこと、まだ覚えてんの?」
「当然。忘れるわけがないだろ」

 拗ねたカツミに笑みを見せ、ジェイが腰をあげる。
「そろそろ手伝いに行かないと、いいだけ毒を盛られそうだ」
「ジェイ!」
「お前は座っとけ。皿を割られると面倒だ」
 容赦なくからかわれたカツミは、もう黙るしかなかった。シドとは違い、サーヴなどとても無理なのだ。

 頬を膨らませたカツミだが、内心ほっとしていた。ジェイが、いつもとなんら変わらなかったからだ。このまま受け止めようとカツミは決める。受け止めよう。自分に素直になろうと。

 巡らせていた氷の壁は、いつのまにか溶けて水になっていた。無防備にこの身をさらしても、少しも怖くない。恐るおそるでも歩を踏み出せば、霧が晴れるように進む先が見通せる。自分が恐れていたほど、この世界は寒くないのかもしれない。

「カツミ」
 ジェイの声に手を引かれるようにして、カツミが立ち上がった。
 欲しいものを掴むことは、砦を出る覚悟をすること。自分のなかに逃げ込んでしまえば、傷を受けることも与えることもない。そこに居続けることは容易い。孤独に慣れてしまえばいいのだから。
 しかし、カツミはもう後戻りが出来なかった。そして、する気もない。

 透明なプリズムに色が差す。色を得ることは混沌を知ること。色を得ることは濁りを知ること。
 感情のなかには多くの色がある。自他を受け入れるということは、清濁を越えることなのだ。嘘のつけない子供にも白い嘘を知る時が来る。

 その時。暖炉の炎に揺れるカツミの影が、あらぬ方向にゆらりと揺れた。まるでそこに意志があるかのように。
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登場人物紹介

□カツミ・シーバル

主人公。

男性。十九歳~二十歳。少尉~少佐。飛行隊。

眉目秀麗。幼顔で中性的。身長160センチ。華奢で小柄。

右の瞳がトパーズ色、左の瞳がクリムゾン色のオッドアイ(ヘテロクロミア)。

肩まで伸びたやや癖のあるクリーム色の猫っ毛。

最高位の士官学校を首席卒業した優秀な人物。父親は特区の最高責任者。

母親はカツミを産んですぐに死亡。一人っ子。

育児や教育は使用人によって行われ、父親からネグレクトと虐待を受けて育つ。

拒食症で不眠症。体力は特殊能力で保持している。

超A級特殊能力者だが、子供の頃に父親の本音を知るのが怖くなり、能力のほぼ全てをみずから封印した。

ただし戦地では解放している。

口癖は「ごめん」。自虐的で自罰的。逆に天然な面があり、小悪魔的。

無意識に他人の本音を引き出す言動をする。

必要のない人間だと言われることを極度に恐れている。寂しがり。

□ジェイ・ド・ミューグレー

カツミの恋人。

男性。二十八歳~二十九歳。少佐。研究者。

貴族の家柄。家は財閥系の情報企業。長男で弟がひとりいる。

身長180センチ。すらりとした長身。黒髪。淡い茶色の瞳。眼鏡をしている。

幼い頃から天才と騒がれ跡取りとして大事に育てられる。

幼年学校は二年スキップしたにも関わらず、あらゆる資格を取得。

士官学校も一年スキップで卒業する(ラヴィ・シルバー以来の快挙)。

家の跡を継ぐまでの間という約束で長年の夢であった特区入隊を果たすが、事故により飛行隊任務が出来なくなる。婚約も破棄。任務も研究職に変える。家の跡取りは弟に変わる。

カツミにとっては父親的存在。

優しさと狡さ、独占欲と包容力を持つ。

長いスパンで先を見通すため、他人には理解し難く、アンビバレンツな人物に見える。

□シド・レイモンド

ジェイの元恋人。一年前に別れたが、現在も未練を持っている。

男性。二十八歳。少佐。軍医(外科医)。

実家は開業医。父親は外科医。母親はシドが十歳の時に離婚。一人息子。

肩まで伸びた癖のある栗色の髪。栗色の瞳。女性的な印象。

スキップで入学した医大を首席卒業した切れ者。毒舌家で皮肉屋。挫折を知らない世渡り上手。

カツミの恋敵的存在だが、いい人を演じている。

□フィーア・ブルーム

カツミの同僚。ライバル的存在。

男性。十九歳。少尉。飛行隊。

さらりとしたクリーム色の髪。深く青い瞳。A級特殊能力者。

母親から虐待を受けて育つ。士官学校に入る前からアーロン(ジェイの弟)に見出され、支援を受ける。

温厚で控え目な性格を演じているが、他人に本音で接することを恐れている。

□セアラ・ラディアン

カツミの姉的存在。関係は一度だけあるが実質片思い。

女性。十九歳。少尉。管制塔任務。

さらりとした長い黒髪。栗色の瞳。美少女。

天真爛漫。反面、思慮深く母性が強い。

大きな瞳をくるりと上に向けて微笑む癖がある。

□ユーリー・ファント

カツミの同僚。上官。

男性。二十五歳。少佐。飛行隊。

実家は貿易商。サラの幼馴染み。自称情報通。A級特殊能力者。

社会背景や軍の在り方に強い疑問を持っている。

困った時に頭を掻く癖がある。

□ロイ・フィード・シーバル

カツミの父。特区の最高責任者。

男性。四十七歳。中将。

クリーム色の短髪。トパーズ色の瞳。長身。

実力主義の冷酷な人物。カツミのことは所有物と思っている。

A級特殊能力者。

□ルシファー・セルディス

カツミの同僚。後輩。

男性。十八歳。少尉~大尉。飛行隊。カツミのフライトオフィサ。

実家は百貨店経営や貿易を営む名家。兄と姉がおり、末っ子。

さらりとした黒髪。深い緑色の瞳。身長180センチ。長身。

A級特殊能力者。特に『聞く者』の能力に長けている。

他人の心の裏側が聞けることで、子供の頃は人間不信で攻撃的だった。

聞けることが当然で育っているので、シールドが高く聞けないカツミに振り回される。同時に唯一の分からない相手であるカツミに惹かれる。

口が達者だが奥手。頭脳先行型。俯瞰から物事を見るのは得意だが、他人の気持ちは察するよりも読んできたので、思い図ることが苦手。観察者側に自分を置く。

読書が趣味。常に分厚い本を読み漁っている。愛読書は『廃船の記録』。

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