第二話 謹慎処分

文字数 2,969文字

 カツミに下ったのは、三日間の自室謹慎。
 クローンは頭蓋骨が砕け、現場にいた者は超A級の破壊力に震え上がっていた。

 普段のカツミは能力を誇示するどころか、そのほとんどを封印している。感情の抑制がきかないことで、あってはならない事態を招いてしまうからだ。
 他の能力者ができる力の制御を、カツミはうまく出来なかった。未知数と判定された能力は、いつどんな形で現れるのか分からない。

 『カツミなら分かるよね。下手すると相手を殺すんだから』
 フィーアの言葉は、ずっと自覚していたこと。膿んだ傷のようにじくじくと主張し続け、カツミに能力に対する恐れを忘れさせずにきた。

 特殊能力は遺伝で受け継がれるケースが多い。その一方、能力の制御は後天的な指導に依存していた。幼い時に家族から制御を学ぶのが一般的だ。しかしカツミには、家族の指導や支えが一切なかった。

 封印の切っ掛けとなったのは『聞く者』の能力。
 その能力を持つ者は他人の心の裏側が『聞けて』しまう。幼いカツミには聞こえてくる声を防ぐすべがない。
 なのに、父はカツミを放置した。生活も教育も使用人に任せ、カツミをいないもののように扱った。いわゆるネグレクト。徹底した無関心を貫いたのだ。

 それでも幼いカツミにとって父は唯一の肉親。他に頼るものがない。
 彼は父の本心を知ることを最も恐れた。憎まれていることを確信すれば、自分は生きる意味を失う。見放されれば死ぬしかない。だから能力を封印したのだ。

 自己否定。自虐性。能力の封印は、こころの封印だった。カツミは自分を守るために氷の砦に逃げ込んだのだ。そこでどれだけ凍えていようと、もう砦から出ることは出来なかった。

 ◇

 夕方の医務室。黄昏色の光がブラインドに切られて、部屋の中に射し込んでいた。
 シドの視線は琥珀に染められたジェイの顔に向けられていたが、そのジェイはずっと黙したまま疲れたように俯いている。
 謹慎中のカツミの部屋は管理システムでロックされ、室内外の通信も遮断されていた。
 裏の手を使えるジェイですら一切アクセスできない。ジェイが逃げ込める場所は、シドのもとしかなかったのだ。

 アクセス遮断で打ちのめされているのは、カツミではなくジェイの方じゃないか。シドにはジェイに対する同情などない。彼の心は、斜めに切り刻まれた夕陽のように、ささくれて色を失くしていく。
 ジェイは、こんな時ばかり自分を頼って甘えてくる。こっちの気持ちなんか考えもせずに。

 たったの三日。でもその間にフィーアの魂はカツミを支配した。それが導く結果──ジェイが恐れ、多分自分の望む結末が、目前に迫っている。
 ジェイの不安は頂点に達していることだろう。だからって、そんなのは自業自得じゃないか。

「ジェイ。貴方が招いたことだよ」
 シドの責め苦にジェイは沈黙で抗った。甘えておきながら意地を張るのは、カツミにそっくりだ。苛立ちを増したシドが、ギリッと歯を噛むと覚悟を決めた。
 保留していた『確認』を入れるのは今しかない。聞きたくはないが、聞かないことには先に進めない。
 永遠にそんな日が来なければいいと願っていた。でも……もう限界だ。すっと大きく息を吸い込んだシドが、真っ直ぐ切り込んだ。

「ジェイ。貴方の焦りの理由はなに?」
「とっくに、お見通しだろ」
 顔を上げたジェイが苛立ったように前髪をかき上げる。
「いつから?」
「そろそろ一年かな。飲み薬じゃ限界みたいだ」
「検査は受けてないのか?」
「言われることは分かってるからな」

 あの出来事から十年経ったが、ジェイはまだ三十歳にも届いていない。皮肉な運命だ。病の原因を作ったのはカツミの父。フィード・シーバルなのだから。

「カツミには話してないのか?」
 訊くまでもないことを訊いてから、シドはジェイの苦悩の深さに改めて気づいた。
 この事実を知る時、カツミはもう一つの現実と向き合わざるを得ない。それによって生じる心情の変化を、ジェイはどこまでも恐れているのだ。

 シドはジェイと同じように黙するしかなかった。もう出来ることは何もないとすら思えていた。
 切られていた黄昏の光は、次第に明暗の差をなくし、濃紺の闇に変わっていく。沈黙が支配する部屋で、二人のこころを映すように。

 ◇

 謹慎していた三日間、カツミはまともに眠れなかった。うとうととしだすと、夢の中でフィーアに揺り起こされるのだ。あの寂しそうな目をした彼に。

 カツミは、すぐ近くにフィーアがいると感じていた。それを魂と呼ぶのか、残留思念と呼ぶのかは分からない。フィーアは何も言わない。しかしカツミには、フィーアの気持ちが分かっていた。

 ──二人は魂の双子。離れることなど出来ない。どこまでも一緒に行こう。
 自分達は生まれてくるべきじゃなかったんだ。他人から恐れられ、親すらも疎む。誰からも必要とされない存在。この世にしがみ付く意味などないじゃないか。
 一緒に行こう。その世界から飛び降りて、この手を掴んでよ。もう耐えることなんてないんだ。どんな哀しみも苦しみも、感じることのない場所に行くのだから。

 冷たい水底に手招かれる。それに従うことは、とても容易かった。カツミが常に望んでいたことだからだ。だがそれを寸前で押し留める人がいた。

「ジェイ」
 ──その名前は、いのちを繋ぐための呪文。
 ジェイはずっと、自分のことを大切だと言っていた。必要だと言っていた。その言葉を信じるなら、今は踏みとどまるべきじゃないのか?
 自分は知ったはずだ。ジェイから離れることは出来ない。ジェイを失ったら、全てが無に帰してしまう。何をどれだけ奪われてもいい。でもジェイだけは失いたくないと。その彼が自分の手を握っているのだ。奈落に落ちる寸前の手を。

 生死の天秤は揺らぐ。クリムゾンとトパーズに染まりながら。ジェイとフィーアの手が、カツミを引き合う。片方は生に。片方は死に。
 カツミはその片側を振りほどいた。血を吐くような叫びをあげながら。目も逸らさずに、その人が断崖から落ちるのを見つめていた。

 ◇

 三日後。日付が変わると同時に、施錠と通信制限が解除された。謹慎終了に気づいたカツミが顔を上げると、部屋にジェイが入ってきた。その後ろには診察鞄を下げたシドが立っている。

「カツミ」
 ジェイの声がカツミの耳元で響く。応える間もなく抱き締められたカツミの頬に涙が伝った。フィーアの死を知らされてから、初めての涙が。
 二人を見守っていたシドは思わず唇を噛んだ。切なさと安堵。相反する思いが惑いを生む。

「不眠と脱水。ドクターストップだ」
 感情を殺した声で診断を下したシドは、点滴の準備を始めた。補液にトランキライザー(精神安定剤)を追加する。
「ジェイ。看といてくれる? 明日の朝、診察に来る。何かあれば連絡して」
 滴下を確認したシドは、逃げるように部屋を出た。

 しんと静まり返った真夜中の廊下。好悪ない交ぜの感情が呼んだ苛立ちは、死者への非難に変わっていった。

 命を捨てて想いを遂げるなど。馬鹿ばかしい!
 その時のためには、まず生きていなければならないのだ。どんなに傷つこうとも。
「死んでしまえば、ただの思い出にされてしまうんだよ。フィーア」
 シドは死者を容赦なく鞭打つ。それはみずからに課した決意の表れでもあった。
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登場人物紹介

□カツミ・シーバル

主人公。

男性。十九歳~二十歳。少尉~少佐。飛行隊。

眉目秀麗。幼顔で中性的。身長160センチ。華奢で小柄。

右の瞳がトパーズ色、左の瞳がクリムゾン色のオッドアイ(ヘテロクロミア)。

肩まで伸びたやや癖のあるクリーム色の猫っ毛。

最高位の士官学校を首席卒業した優秀な人物。父親は特区の最高責任者。

母親はカツミを産んですぐに死亡。一人っ子。

育児や教育は使用人によって行われ、父親からネグレクトと虐待を受けて育つ。

拒食症で不眠症。体力は特殊能力で保持している。

超A級特殊能力者だが、子供の頃に父親の本音を知るのが怖くなり、能力のほぼ全てをみずから封印した。

ただし戦地では解放している。

口癖は「ごめん」。自虐的で自罰的。逆に天然な面があり、小悪魔的。

無意識に他人の本音を引き出す言動をする。

必要のない人間だと言われることを極度に恐れている。寂しがり。

□ジェイ・ド・ミューグレー

カツミの恋人。

男性。二十八歳~二十九歳。少佐。研究者。

貴族の家柄。家は財閥系の情報企業。長男で弟がひとりいる。

身長180センチ。すらりとした長身。黒髪。淡い茶色の瞳。眼鏡をしている。

幼い頃から天才と騒がれ跡取りとして大事に育てられる。

幼年学校は二年スキップしたにも関わらず、あらゆる資格を取得。

士官学校も一年スキップで卒業する(ラヴィ・シルバー以来の快挙)。

家の跡を継ぐまでの間という約束で長年の夢であった特区入隊を果たすが、事故により飛行隊任務が出来なくなる。婚約も破棄。任務も研究職に変える。家の跡取りは弟に変わる。

カツミにとっては父親的存在。

優しさと狡さ、独占欲と包容力を持つ。

長いスパンで先を見通すため、他人には理解し難く、アンビバレンツな人物に見える。

□シド・レイモンド

ジェイの元恋人。一年前に別れたが、現在も未練を持っている。

男性。二十八歳。少佐。軍医(外科医)。

実家は開業医。父親は外科医。母親はシドが十歳の時に離婚。一人息子。

肩まで伸びた癖のある栗色の髪。栗色の瞳。女性的な印象。

スキップで入学した医大を首席卒業した切れ者。毒舌家で皮肉屋。挫折を知らない世渡り上手。

カツミの恋敵的存在だが、いい人を演じている。

□フィーア・ブルーム

カツミの同僚。ライバル的存在。

男性。十九歳。少尉。飛行隊。

さらりとしたクリーム色の髪。深く青い瞳。A級特殊能力者。

母親から虐待を受けて育つ。士官学校に入る前からアーロン(ジェイの弟)に見出され、支援を受ける。

温厚で控え目な性格を演じているが、他人に本音で接することを恐れている。

□セアラ・ラディアン

カツミの姉的存在。関係は一度だけあるが実質片思い。

女性。十九歳。少尉。管制塔任務。

さらりとした長い黒髪。栗色の瞳。美少女。

天真爛漫。反面、思慮深く母性が強い。

大きな瞳をくるりと上に向けて微笑む癖がある。

□ユーリー・ファント

カツミの同僚。上官。

男性。二十五歳。少佐。飛行隊。

実家は貿易商。サラの幼馴染み。自称情報通。A級特殊能力者。

社会背景や軍の在り方に強い疑問を持っている。

困った時に頭を掻く癖がある。

□ロイ・フィード・シーバル

カツミの父。特区の最高責任者。

男性。四十七歳。中将。

クリーム色の短髪。トパーズ色の瞳。長身。

実力主義の冷酷な人物。カツミのことは所有物と思っている。

A級特殊能力者。

□ルシファー・セルディス

カツミの同僚。後輩。

男性。十八歳。少尉~大尉。飛行隊。カツミのフライトオフィサ。

実家は百貨店経営や貿易を営む名家。兄と姉がおり、末っ子。

さらりとした黒髪。深い緑色の瞳。身長180センチ。長身。

A級特殊能力者。特に『聞く者』の能力に長けている。

他人の心の裏側が聞けることで、子供の頃は人間不信で攻撃的だった。

聞けることが当然で育っているので、シールドが高く聞けないカツミに振り回される。同時に唯一の分からない相手であるカツミに惹かれる。

口が達者だが奥手。頭脳先行型。俯瞰から物事を見るのは得意だが、他人の気持ちは察するよりも読んできたので、思い図ることが苦手。観察者側に自分を置く。

読書が趣味。常に分厚い本を読み漁っている。愛読書は『廃船の記録』。

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