第一話 二つのパス

文字数 2,799文字

「ごめん。こんなとこまで付き合わせて」
 奥まった一室に入るなり、フィーアが謝罪した。黙って首を振るだけのカツミに、再び微笑を浮かべてみせる。端末が並んだ広い部屋。前方に大きなスクリーンがある会議室だった。
 フィーアが最前列のデスクライトを点けた。室内が仄かに照らされたが、後方は物の輪郭がようやく見える明るさしかない。

「これを見て欲しかったんだ」
 一台の端末に電源が入ると、カツミは疑問をもった。自室にも端末は配置されているのに、なぜ誘い出したのだろう。それとも、ここでしか引き出せないデータがあるのか?

 ログインを待つ空白時間。視線を合わせたフィーアが、いきなり核心に斬り込んだ。
「知ってるんだろ? 薬のこと」
 それだけではなかったが、理由の一つではある。カツミは返答に窮した。
「そんな顔するなよ。だと思った。他に興味を持たれることなんてないしね」
「……違うよ」
「まだ何かあるの? だったら聞かせてくれないかな」

 重ねられる問いにカツミは答えられない。分からないのだ。なぜフィーアが気になるのか、似ていると思うのかが。もどかしさを処理しきれず、むくれ顔のカツミがぼそりと呟いた。
「ぜんぜん違うんだね」
「えっ?」

 ──薄明の空の色。深く青い瞳。夢の中にいて、この世にないものを見るような、虚ろに光を帯びる双眸。

「もっと内気だと思ってたよ」
 カツミが言葉を繋ぐと、フィーアは口の端を曲げて見せた。
「まあね。でも君だって違うよ。もっと、お高くとまってると思ってた。声かけたって無視されるだろうって。なのに、黙ってついて来るんだもん」
 自分は上手に演じきれていたらしい。フィーアはそう安堵しながら、カツミに無視して欲しかったとも思っていた。──それなら、別の選択があったかもしれないのに、と。

 フィーアの部屋はカツミと同じフロアにある。夜に室外に出ることなど滅多にないのだが、昨夜は用事があった。ドアを開けたのが、その人物の通りすぎた直後。
 忘れもしない男である。彼が廊下の一番奥にあるカツミの部屋に入った時、フィーアは自身に向けられた悪意の理由を察したのだ。

 フィーアもまた、以前からカツミに興味を抱いていた。ただし発端は憎しみ。死んだばかりの母親が、長年彼を虐待していたことに因る。

 ──お前など産まなければよかった。
 存在の全否定。自分は母親にとって、いらない存在だったのだ。けれど、どこにも逃げ場がなかった。感情を無くして耐えるしかなかった。嫌われないように、目立たないように、空気のような壁をつくって。もうこれ以上、傷を負わないために。

 『あの男』は自分を貶め、自分は合法麻薬に染まった。しかし、続けてしまったのは間違いなく自分の意思だ。逃げるために。自分を拒絶する世界から逃げるために。……もう薬を止めることが出来なかった。
 バレてしまえば、自分は特区を追い出される。本当に行き場をなくす。向かう先は破滅だ。でも、今もたいして変わらないじゃないか。

「評議会のメインデータにアクセスしたことある?」
 突然フィーアが事もなげに訊いたのは、とんでもないことだった。驚くカツミを横目に、フィーアが次のセリフを置くタイミングをはかる。
「無理だよ。そんなの」
「じゃあ、シーバル中将の端末には?」
「親父の?」
「評議会にいつもアクセスしてるんだから、メインデータと変わらないんじゃないの? 不愉快?」
「まさか。俺には関係ないよ」

 カツミのひどく突き放した口調は、フィーアには意外だった。親の七光りでここに配属された、苦労知らずのぼんぼんじゃないのか? 自分とは違うはずなのに。
「だったら見てて。やってみるから」

 疑問の視線の横で、フィーアが二つのパスワードを入力した。短いパスである。その『事実』さえ知っていれば、誰にでも簡単にできるのだ。
 一つ目のパスは『カツミ』。息子のファーストネームそのままだった。だがディスプレイには次の入力を促すボックスが表示される。ダブルパスワードだった。
 フィーアの手は止まらない。カツミの視線がタイピングされた単語に吸い寄せられた。二つ目のパスは『フィーア』。カツミは絶句した。

「兄弟なんだよ。自分は認知されてないけど」
 フィーアの言葉を裏付けるように、潜入はあっけなく成功した。しかし、今の二人には表示されたデータなどなんの意味もない。

 時の振り子が止まる。フィーアはいつの間にか鈍く光る小銃を握りしめていた。実戦用のハンドガン。この距離で撃ち損じるはずもない。銃口がカツミの眉間にぴたりと合わされた。
「俺を殺すのか?」
「そう。見せしめにね」
 殺気だった声が響く。これはフィーアの復讐だった。彼に未来の意味はない。対極にあるモアナの光。それを消せば自分も消えるのだから。

 カツミは復讐の生贄だ。奪う者たちに、奪われる哀しみを思い知らせるための。絶望を知らない者たちを、苦悩で溺死する闇に蹴落とすための。思い知ればいいんだ。誰からも必要とされなかった者の慟哭を!

「恨まれてるなんて思ってなかった」
 カツミがぽつりと呟いた。深く傷ついた顔をして。しかし美しい瞳を真っすぐに向けて。
 抵抗するでも逃げるでもなく、静かに立ち尽くしたままだった。全てを受け入れたように。断頭台に立つ気高い王妃のように。
 なぜ? フィーアはカツミの運命受諾が理解できず、恐怖に駆られた。

「いいよ。それで気が済むんなら。殺して」
 フィーアの脳裏を襲う困惑の濁流。砕けた波頭が、ざぶざぶと嗤う。浅はかさを。愚かさを。
「嘘だ!」
「嘘じゃない、フィーア。俺も一緒だよ。要らない人間だったんだ。あいつにとっては」
 フィーアの口角がぴくりと痙攣した。わなわなと唇が震えだす。

 何かが間違っていた? 大きな誤解をしていた? 要らない人間。何度も、何度も何度も向けられた残酷な刃だった。カツミも、それを向けられていたと言うのか?
 止めようとしても止まらない震えが、銃を握る指にまで及ぶ。無意識に起こる振動が制御できない。

 銃口を向けられたカツミの顔からは、一切の表情が消えていた。全てを放棄し、いのちを投げ出し、死に魅入られる。そこにいるのはまさに、フィーアそのもの。
 磨きこまれた鏡に映し出される自己。生きる屍そのものである自己。自分が見ている自分。
 フィーアは悟る。自分の屍を正視するのが恐ろしくて、震えが止まらないのだと。

 フィーアは思考を停止させた。いや、思考は既に麻痺していた。目を瞑り、息を止め、トリガーを引こうとした……その時。銃を弾き飛ばされた痛みで我に返った。
 カツミが薄暗い後方を見つめている。弾かれた銃は床を滑っていき、壁に当たるとようやく動きを止めた。
 黒い人影を目にしたとたん、フィーアがカツミの脇をすり抜ける。
「ごめんね」
 意味のない謝罪を残すと、フィーアは逃げるように走り去っていった。
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登場人物紹介

□カツミ・シーバル

主人公。

男性。十九歳~二十歳。少尉~少佐。飛行隊。

眉目秀麗。幼顔で中性的。身長160センチ。華奢で小柄。

右の瞳がトパーズ色、左の瞳がクリムゾン色のオッドアイ(ヘテロクロミア)。

肩まで伸びたやや癖のあるクリーム色の猫っ毛。

最高位の士官学校を首席卒業した優秀な人物。父親は特区の最高責任者。

母親はカツミを産んですぐに死亡。一人っ子。

育児や教育は使用人によって行われ、父親からネグレクトと虐待を受けて育つ。

拒食症で不眠症。体力は特殊能力で保持している。

超A級特殊能力者だが、子供の頃に父親の本音を知るのが怖くなり、能力のほぼ全てをみずから封印した。

ただし戦地では解放している。

口癖は「ごめん」。自虐的で自罰的。逆に天然な面があり、小悪魔的。

無意識に他人の本音を引き出す言動をする。

必要のない人間だと言われることを極度に恐れている。寂しがり。

□ジェイ・ド・ミューグレー

カツミの恋人。

男性。二十八歳~二十九歳。少佐。研究者。

貴族の家柄。家は財閥系の情報企業。長男で弟がひとりいる。

身長180センチ。すらりとした長身。黒髪。淡い茶色の瞳。眼鏡をしている。

幼い頃から天才と騒がれ跡取りとして大事に育てられる。

幼年学校は二年スキップしたにも関わらず、あらゆる資格を取得。

士官学校も一年スキップで卒業する(ラヴィ・シルバー以来の快挙)。

家の跡を継ぐまでの間という約束で長年の夢であった特区入隊を果たすが、事故により飛行隊任務が出来なくなる。婚約も破棄。任務も研究職に変える。家の跡取りは弟に変わる。

カツミにとっては父親的存在。

優しさと狡さ、独占欲と包容力を持つ。

長いスパンで先を見通すため、他人には理解し難く、アンビバレンツな人物に見える。

□シド・レイモンド

ジェイの元恋人。一年前に別れたが、現在も未練を持っている。

男性。二十八歳。少佐。軍医(外科医)。

実家は開業医。父親は外科医。母親はシドが十歳の時に離婚。一人息子。

肩まで伸びた癖のある栗色の髪。栗色の瞳。女性的な印象。

スキップで入学した医大を首席卒業した切れ者。毒舌家で皮肉屋。挫折を知らない世渡り上手。

カツミの恋敵的存在だが、いい人を演じている。

□フィーア・ブルーム

カツミの同僚。ライバル的存在。

男性。十九歳。少尉。飛行隊。

さらりとしたクリーム色の髪。深く青い瞳。A級特殊能力者。

母親から虐待を受けて育つ。士官学校に入る前からアーロン(ジェイの弟)に見出され、支援を受ける。

温厚で控え目な性格を演じているが、他人に本音で接することを恐れている。

□セアラ・ラディアン

カツミの姉的存在。関係は一度だけあるが実質片思い。

女性。十九歳。少尉。管制塔任務。

さらりとした長い黒髪。栗色の瞳。美少女。

天真爛漫。反面、思慮深く母性が強い。

大きな瞳をくるりと上に向けて微笑む癖がある。

□ユーリー・ファント

カツミの同僚。上官。

男性。二十五歳。少佐。飛行隊。

実家は貿易商。サラの幼馴染み。自称情報通。A級特殊能力者。

社会背景や軍の在り方に強い疑問を持っている。

困った時に頭を掻く癖がある。

□ロイ・フィード・シーバル

カツミの父。特区の最高責任者。

男性。四十七歳。中将。

クリーム色の短髪。トパーズ色の瞳。長身。

実力主義の冷酷な人物。カツミのことは所有物と思っている。

A級特殊能力者。

□ルシファー・セルディス

カツミの同僚。後輩。

男性。十八歳。少尉~大尉。飛行隊。カツミのフライトオフィサ。

実家は百貨店経営や貿易を営む名家。兄と姉がおり、末っ子。

さらりとした黒髪。深い緑色の瞳。身長180センチ。長身。

A級特殊能力者。特に『聞く者』の能力に長けている。

他人の心の裏側が聞けることで、子供の頃は人間不信で攻撃的だった。

聞けることが当然で育っているので、シールドが高く聞けないカツミに振り回される。同時に唯一の分からない相手であるカツミに惹かれる。

口が達者だが奥手。頭脳先行型。俯瞰から物事を見るのは得意だが、他人の気持ちは察するよりも読んできたので、思い図ることが苦手。観察者側に自分を置く。

読書が趣味。常に分厚い本を読み漁っている。愛読書は『廃船の記録』。

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