第二話 こころと共に

文字数 2,904文字

 カツミの部屋の気配を探っていたルシファーは、部屋主が不在なことを知るとベッドの上にどさりと身体を投げ出した。残された時間はわずか。カツミはジェイのもとへ行ったのだろう。嫉妬したところでどうなるものでもない。嫉妬なのかどうかも分からない。
 探っていながら、ルシファーはカツミに翻弄されていることを認めたくなかった。自分を動かせるのはフィーアだけだと思っていたからだ。

 特区入隊の時、ルシファーは少々強引な根回しをしている。セルディス家と深い繋がりのある人物に、特例の赴任を頼み込んだのだ。
 フィーアのことを羨望し、同化を望んだ日々。抑えつけた想いが、いつもルシファーを翻弄していた。
 だが、フィーアは逝ってしまった。行動しない限り、求めるものを掴むことは出来ない。それに気づいたのは彼の死を知った後。全てが終わった後だった。

 心の空白を復讐で埋めることが、どれだけ愚かであるかを、ルシファーは思い知らされていた。こんな結末に自分が追いやられるとは思ってもいなかった。この先、どれだけ時間という武器があっても、あの二人の間には入り込めない。
 挑むようなカツミの瞳がよみがえる。自分は遊びの対象としてしか見られないのだ。当然だろう。今さら何を言ったとしても、自分の想いは誤算であって、後づけの事実に変わりはない。

 ただルシファーが得たこともあった。初めから本当の気持ちをぶつけて良かったのだ。カツミはそれに真っ直ぐ応えてくれた。弱みにつけこみ、卑劣な手段を使っても、彼は逃げなかった。
 カツミがどんな状況にいるのか、ルシファーは全て知っている。承知の上で逆恨みをぶつけたのだ。なのに、カツミは目も逸らさずに向けられた矢を掴んだ。

「やっぱり強いよ。皮肉じゃなくて本当に」
 その強さのわけをルシファーは知りたかった。他人の裏側を当たり前に『聞いて』きたルシファーにとって、『聞けない』相手の心を推し量るのは至難の技である。

 カツミの見せる顔は意外性の連続なのだ。
 達観したような冷静な顔。感情を感じさせない不安を煽る顔。葛藤に支配された泣き笑いの顔。絶望に満ちた自棄的な顔。強い意思を感じさせる熱を感じる顔。そして、それらとはまるで違う妖艶な顔。
 ルシファーにとってのカツミは、もう既に惹きつけられてやまない存在だった。その彼が全ての葛藤を捻じ伏せ、いま確かに生きる意味を見出している。ぎりぎりの境界線の上で……。

 見つめていこう。そう結論を出してルシファーは自分を納得させた。そうせざるを得ないものに触れてしまったのだから。それしかないのだからと。
 選んだ道は、フィーアに対するものとまるで変わらない。それに気づいたルシファーは自嘲する他なかった。

 ◇

 静まり返った駐車場に軽い起動音が響いた。雪こそ降ってはいないが、白く変わるフロントガラスが気温の低さを示していた。カツミの車が無機質な建物の間をぬって基地のゲートで一旦停止した。認識カードを入れてチェックが終わるまでの時間すらもどかしい。
 ゲートが開いた。3ミリアまでに着かなければと、カツミがアクセルを蹴飛ばす。深夜。人通りの絶えた道を、性能いっぱいの速度で車が爆走した。

 カツミは、みずからに言い聞かせた。
 ジェイ。俺はこれを運命だと諦めたわけじゃない。ただこれは逃れられない事実だ。すがりついても失うのなら、もう俺が変わるしかないんだ。
 踏みとどまれ。逃げ出すことも投げ出すことも、とても簡単だ。でも、それではなにも手に出来ない。今までの俺は時間を無駄に過ごしてきただけ。あがくことすら諦め、辛さに麻痺するほど心を閉ざしていた。

 ジェイはこれを通過点だと言った。そんな突き放した思いには、まだなれない。でも追い込まれて初めて分かったことがある。
 誰にもきっと逃げられない時が来るんだ。正面から向き合わなければならない時が。そして、それを見守る人は必ずどこかにいる。俺は孤独じゃないんだ。

 カツミは流れる涙を何度も拭った。想いとは裏腹にあふれ出すしずくが、とめどなく頬を伝う。
 ジェイに会うまでに枯らしてしまえばいい。誰かのことを想ってこんなに苦しくなれたことは、今までなかったんだから。こんな想いは、もう二度と知ることがないのだから。……そう、もう二度と。

 ◇

 別邸の呼び鈴を押したが返事がなかった。
 カツミはドアノブに手をかざす。カチャリと音がしてすぐに鍵が開いた。足音を落とし暗い廊下を進むと、仄かな灯りが寝室から漏れている。

「ジェイ?」
 呼んでみたが返事がない。ベッドは使われていなかった。カツミは、そのまま隣の居間に足を向ける。
「ジェイ!」
 居間の床にジェイがうずくまっていた。上げられた顔は苦痛に歪んでいる。
「注射器どこ?」
 ジェイがサイドボードを指差した。弾かれたように身を翻したカツミが、がさりと引き出しを開ける。

 カツミの手際は鮮やかだった。すぐに静脈を探し出すと一発で針を入れ、慌てることもなく注射を終えた。その様子をじっと見ていたジェイの表情が、驚きから複雑なものに変わる。
「昔、やってただろう?」
 ジェイがカツミをたしなめた。ばつの悪そうな顔をしてカツミが横を向く。ジェイは追求をせずに、ベッドに横になると低い声で確かめた。

「なにかあったのか?」
 答える前にカツミがジェイの髪を撫でた。まるでこれまで与えてもらったものを返すように。そして迷うことなく事実を告げた。

「今日の夕方、オッジに出ることになった。それを伝えにきた」
 ひどく気落ちした様子でジェイが深い溜め息をついた。カツミの知る限り、そんなジェイの姿を見るのは初めてだった。いずれ分かることとはいえ、伝えるべきではなかったかもしれない。脳裏に後悔がよぎる。

 この時、ジェイのなかで張りつめていたものがブツリと大きな音を立てて断ち切れていた。その命をやっとの思いで繋いでいたものが。それでも死力を振り絞って、ジェイが質問を続ける。

「なにがあったんだ? 向こうと接触でもしたのか?」
「偵察機ロスト3。北区の基地はもう出てる。俺は18ミリア」
 カツミの言葉は単なる事実だが、それが示す重みをジェイは嫌というほど知っていた。
 初陣。それは最初にして最大の関門。事実、そこで人生を終えてしまう新兵はとても多いのだ。

「そうか」
 二人の間に静寂が落ちた。うつむいてしまったカツミにジェイが腕を伸ばす。
「おいで。カツミ」
 優しい言葉に、無理につくろったカツミの笑みが崩れた。薄くなってしまった胸に取り縋ったとたん、捻じ伏せていた慟哭が堰を切ったようにあふれだす。もう声を抑えることなど出来ない。
 ジェイの指が、いつものようにカツミの髪を撫でた。愛おしむように。記憶に刻むように。

「会えて良かったよ。カツミに会えて良かった」
 その言葉は、すでに過去形の意味合いを含んでいた。
 この温もりはもう二度と得られないのだ。そう感じて、カツミは切なさに押し潰されそうになる。
 でもカツミは決めていた。自分がここを、ジェイの元を離れて……出て行くということを。
 そう。出て行くのだ。ジェイのこころと共に。
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登場人物紹介

□カツミ・シーバル

主人公。

男性。十九歳~二十歳。少尉~少佐。飛行隊。

眉目秀麗。幼顔で中性的。身長160センチ。華奢で小柄。

右の瞳がトパーズ色、左の瞳がクリムゾン色のオッドアイ(ヘテロクロミア)。

肩まで伸びたやや癖のあるクリーム色の猫っ毛。

最高位の士官学校を首席卒業した優秀な人物。父親は特区の最高責任者。

母親はカツミを産んですぐに死亡。一人っ子。

育児や教育は使用人によって行われ、父親からネグレクトと虐待を受けて育つ。

拒食症で不眠症。体力は特殊能力で保持している。

超A級特殊能力者だが、子供の頃に父親の本音を知るのが怖くなり、能力のほぼ全てをみずから封印した。

ただし戦地では解放している。

口癖は「ごめん」。自虐的で自罰的。逆に天然な面があり、小悪魔的。

無意識に他人の本音を引き出す言動をする。

必要のない人間だと言われることを極度に恐れている。寂しがり。

□ジェイ・ド・ミューグレー

カツミの恋人。

男性。二十八歳~二十九歳。少佐。研究者。

貴族の家柄。家は財閥系の情報企業。長男で弟がひとりいる。

身長180センチ。すらりとした長身。黒髪。淡い茶色の瞳。眼鏡をしている。

幼い頃から天才と騒がれ跡取りとして大事に育てられる。

幼年学校は二年スキップしたにも関わらず、あらゆる資格を取得。

士官学校も一年スキップで卒業する(ラヴィ・シルバー以来の快挙)。

家の跡を継ぐまでの間という約束で長年の夢であった特区入隊を果たすが、事故により飛行隊任務が出来なくなる。婚約も破棄。任務も研究職に変える。家の跡取りは弟に変わる。

カツミにとっては父親的存在。

優しさと狡さ、独占欲と包容力を持つ。

長いスパンで先を見通すため、他人には理解し難く、アンビバレンツな人物に見える。

□シド・レイモンド

ジェイの元恋人。一年前に別れたが、現在も未練を持っている。

男性。二十八歳。少佐。軍医(外科医)。

実家は開業医。父親は外科医。母親はシドが十歳の時に離婚。一人息子。

肩まで伸びた癖のある栗色の髪。栗色の瞳。女性的な印象。

スキップで入学した医大を首席卒業した切れ者。毒舌家で皮肉屋。挫折を知らない世渡り上手。

カツミの恋敵的存在だが、いい人を演じている。

□フィーア・ブルーム

カツミの同僚。ライバル的存在。

男性。十九歳。少尉。飛行隊。

さらりとしたクリーム色の髪。深く青い瞳。A級特殊能力者。

母親から虐待を受けて育つ。士官学校に入る前からアーロン(ジェイの弟)に見出され、支援を受ける。

温厚で控え目な性格を演じているが、他人に本音で接することを恐れている。

□セアラ・ラディアン

カツミの姉的存在。関係は一度だけあるが実質片思い。

女性。十九歳。少尉。管制塔任務。

さらりとした長い黒髪。栗色の瞳。美少女。

天真爛漫。反面、思慮深く母性が強い。

大きな瞳をくるりと上に向けて微笑む癖がある。

□ユーリー・ファント

カツミの同僚。上官。

男性。二十五歳。少佐。飛行隊。

実家は貿易商。サラの幼馴染み。自称情報通。A級特殊能力者。

社会背景や軍の在り方に強い疑問を持っている。

困った時に頭を掻く癖がある。

□ロイ・フィード・シーバル

カツミの父。特区の最高責任者。

男性。四十七歳。中将。

クリーム色の短髪。トパーズ色の瞳。長身。

実力主義の冷酷な人物。カツミのことは所有物と思っている。

A級特殊能力者。

□ルシファー・セルディス

カツミの同僚。後輩。

男性。十八歳。少尉~大尉。飛行隊。カツミのフライトオフィサ。

実家は百貨店経営や貿易を営む名家。兄と姉がおり、末っ子。

さらりとした黒髪。深い緑色の瞳。身長180センチ。長身。

A級特殊能力者。特に『聞く者』の能力に長けている。

他人の心の裏側が聞けることで、子供の頃は人間不信で攻撃的だった。

聞けることが当然で育っているので、シールドが高く聞けないカツミに振り回される。同時に唯一の分からない相手であるカツミに惹かれる。

口が達者だが奥手。頭脳先行型。俯瞰から物事を見るのは得意だが、他人の気持ちは察するよりも読んできたので、思い図ることが苦手。観察者側に自分を置く。

読書が趣味。常に分厚い本を読み漁っている。愛読書は『廃船の記録』。

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