第四話 昔の恋人

文字数 2,770文字

 ジェイが告げた事実は、思いもよらぬものだった。
「定期検査で、彼に薬物反応が出た」
「薬物って、まさか」
「麻薬だ。再検査の指示が出てる。だから関わるなと言ってるんだよ」
 視線を逸らしたカツミが黙り込む。それを見たジェイは確信してしまう。単なる興味ではない。恋愛感情だと。本人がそれに気づいていないだけなのだ。

 カツミがフィーアと交流を持つと、ジェイには都合の悪いことがあった。カツミに隠している自分の過去を、暴かれる恐れがあったのだ。
 その事実を知ってしまえば、カツミは自分から去って行くだろう。ジェイにとってのフィーアは、二重の意味での脅威だった。

 人のこころは縛れない。見えないものだから、手に出来ないから。だがジェイは、カツミを自分の中だけで縛っていたかった。可能性や自由を奪ってでも。そのようなことが可能ならば。
 ジェイは焦りを感じていたのだ。時間がないことに。自分にはもう時間がないことに。

「セアラちゃん、来てたのか?」
 ジェイが急に話題を変えた。カツミの沈黙に耐えられなかったのだ。カツミは、どうでもいいというように、さらっと答えた。
「来てたよ」
「あいも変わらず冷たいようだな」
「そうかな」
 カツミの優先順位は決まっていた。セアラは数少ない理解者だ。拒絶の理由はない。気を持たせているつもりもない。それは態度ではっきり示していると思っていた。

 またすぐに黙り込んだカツミを見て、ジェイは内心ほぞを噛んだ。カツミがフィーアのことを考えているのは手に取るように分かる。彼の名を口にした時点で、こうなることは明白だった。
 だが他に方法がなかったのだ。全ては自分の招いたこと。その報いを受けることになるのだろうか。
 最後のあがきをするために、ジェイがカツミを抱き寄せ、きっぱりした口調で釘を刺した。自業自得だと己を嘲りながら。

「深入りするな。カツミ」
「えっ?」
 カツミが声をあげた。思考を覚られていたことも意外だったが、なにより強い口調に驚いたのだ。
 ジェイの愛情は、カツミには心地のいいものだった。自由と拠り所を同時に与えてくれる相手。守られ、温められ、癒される。そこに強い束縛を感じたことはない。
 だが今は違う。カツミは戸惑いを隠せなかった。

「頼む。お前のためだ」
「……分かった」
 恐怖に身震いしながら、カツミが広い胸に縋りついた。無くせないものはひとつしかない。それをあらためて思い知らされていた。

 ◇

 翌日の夕方、カツミはシド・レイモンドのいる医務室を訪れた。

 医務室は基地内に数か所あるが、どの場所も軍医一人で担当している。人員が足りないのは明白だが、止むを得ない理由があった。有事の際は大きな危険を伴ううえ、平時であっても毎日残業が必要な仕事量。なのに特区が求めるのは、これもまたトップクラスの医師ばかりだったからだ。
 実績を積むには最適の場所だが、現実として割に合わない。ゲートの外のほうが、よほど楽に仕事ができるのだから。

 シドが栗色の瞳を細め、カツミに静かな笑みを向けた。デスクには山積みの検診書類。忙しい軍医の手を煩わせるカツミだが、疑問と不満が心に渦巻いていた。

 シドはカツミの九歳年上。ジェイとは同い年である。『分からない奴』。カツミはシドに対して、そう思っていた。完成されたポーカーフェイスは、昨日今日身についたものではない。その下で何を思っているのか、皆目見当がつかないのだ。

 不眠症のカツミは、入隊直後から度々この部屋を訪れていた。シドは若い外科医だが、特区に配属されるほど優秀で専門外の分野においても豊富な医療知識を持っている。カツミには常に的確な助言を与えていた。
 だがカツミはその優しさを素直に受け取れない。理由は単純だった。シドはジェイの昔の恋人なのだ。

 シドは今でもジェイのことを愛しているのでは?
 邪推かもしれない。しかしカツミは、そう感じることがあった。シドに勝てる要素など自分には何ひとつない。それがカツミの自己評価である。ジェイが彼を選んでいるという事実があるにもかかわらず。

 軍服の上に診察着をはおり、大きな事務机の向こうにシドは座っていた。今日もまた残業中なのだ。
 癖のある茶色の髪は肩に届き、女性的な印象すら与える。ただし、柔らかなのは見た目だけである。

「安定剤は効いたのかな?」
「効いたよ。もう残ってねぇけど」
 カツミは入隊一年未満の少尉で、相手は少佐。シドは上官なのだ。だがカツミは、いつもこんな調子だった。
 時間外診療の患者に、やれやれと手を止めるシド。椅子に座ったカツミが切り出す言葉は分かっていた。

「来た理由わかる?」
「フィーア・ブルーム少尉だね?」
 咎めるような顔をしたシドが即答した。
 実のところ、シドはジェイから連絡を受けていたのだ。カツミがフィーアのことを言い出したら、関わりを止めるよう指導してくれと。
 耳に残る言葉にやるせなさを感じながら、シドが少しばかり厳しい顔をつくる。だが、それでひるむカツミではない。疑問が追加された。

「本当なのか? 麻薬だなんて」
「常用とみられる検査値だ。カツミは様子がおかしいと思ってたのか?」
「まあね」
 ジェイがフィーアへの関与を止めたことに、カツミは戸惑いと反発を覚えているらしい。シドにはカツミの心情が手に取るように分かった。

 シドが内心で毒づく。
 ジェイは相変わらずカツミに甘すぎる。これまでカツミの思考や行動を一切縛って来なかったんだろう。それを突然止めれば、反発するのは当然じゃないか。
 ついでにカツミにも言ってやりたい。お前が求めるのは、ジェイとは違った緩やかな意見なんだろう? しかし、制約の息苦しさに負けて部外者の軍医に逃げ込むなんざ、筋違いもいいところだ。
 頭のなかで散々不満を言い散らかしたシドだったが、そんな心情は一切見せず、カツミに質問した。

「ジェイは、なんて言ったんだ?」
「関わるなって」
 カツミが不満気に答えた。
「なるほど。ジェイらしいな」
 シドの言葉が意外だったのか、何度か瞬いてからカツミが訊き返す。
「らしいって、どういうこと?」
「結局、あの人はカツミを放し飼いに出来ないのさ」
 見開かれていたカツミの瞳が訝しげに揺れた。
「それだけ愛情が深いんだよ。思い通りにならないと嫌なんだ」
「そうかな」
 言葉に混ぜた嫌味はカツミに通用しなかったらしい。シドから漏れた自嘲の笑み。乱れた感情が黒く染まる。

「束縛されるのは嫌いじゃないのかい?」
 それはまさに、最愛の人から恋敵を引き離そうとする者のあがきだった。だがシドは、カツミのきっぱりした返事で想いの深さを突き付けられる。
「そりゃあ嫌いだよ。でもジェイに置いてかれるくらいなら束縛を選ぶ」

 策士策に溺れるだな。失敗をさとったシドは、内心で大きな溜息をついた。
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登場人物紹介

□カツミ・シーバル

主人公。

男性。十九歳~二十歳。少尉~少佐。飛行隊。

眉目秀麗。幼顔で中性的。身長160センチ。華奢で小柄。

右の瞳がトパーズ色、左の瞳がクリムゾン色のオッドアイ(ヘテロクロミア)。

肩まで伸びたやや癖のあるクリーム色の猫っ毛。

最高位の士官学校を首席卒業した優秀な人物。父親は特区の最高責任者。

母親はカツミを産んですぐに死亡。一人っ子。

育児や教育は使用人によって行われ、父親からネグレクトと虐待を受けて育つ。

拒食症で不眠症。体力は特殊能力で保持している。

超A級特殊能力者だが、子供の頃に父親の本音を知るのが怖くなり、能力のほぼ全てをみずから封印した。

ただし戦地では解放している。

口癖は「ごめん」。自虐的で自罰的。逆に天然な面があり、小悪魔的。

無意識に他人の本音を引き出す言動をする。

必要のない人間だと言われることを極度に恐れている。寂しがり。

□ジェイ・ド・ミューグレー

カツミの恋人。

男性。二十八歳~二十九歳。少佐。研究者。

貴族の家柄。家は財閥系の情報企業。長男で弟がひとりいる。

身長180センチ。すらりとした長身。黒髪。淡い茶色の瞳。眼鏡をしている。

幼い頃から天才と騒がれ跡取りとして大事に育てられる。

幼年学校は二年スキップしたにも関わらず、あらゆる資格を取得。

士官学校も一年スキップで卒業する(ラヴィ・シルバー以来の快挙)。

家の跡を継ぐまでの間という約束で長年の夢であった特区入隊を果たすが、事故により飛行隊任務が出来なくなる。婚約も破棄。任務も研究職に変える。家の跡取りは弟に変わる。

カツミにとっては父親的存在。

優しさと狡さ、独占欲と包容力を持つ。

長いスパンで先を見通すため、他人には理解し難く、アンビバレンツな人物に見える。

□シド・レイモンド

ジェイの元恋人。一年前に別れたが、現在も未練を持っている。

男性。二十八歳。少佐。軍医(外科医)。

実家は開業医。父親は外科医。母親はシドが十歳の時に離婚。一人息子。

肩まで伸びた癖のある栗色の髪。栗色の瞳。女性的な印象。

スキップで入学した医大を首席卒業した切れ者。毒舌家で皮肉屋。挫折を知らない世渡り上手。

カツミの恋敵的存在だが、いい人を演じている。

□フィーア・ブルーム

カツミの同僚。ライバル的存在。

男性。十九歳。少尉。飛行隊。

さらりとしたクリーム色の髪。深く青い瞳。A級特殊能力者。

母親から虐待を受けて育つ。士官学校に入る前からアーロン(ジェイの弟)に見出され、支援を受ける。

温厚で控え目な性格を演じているが、他人に本音で接することを恐れている。

□セアラ・ラディアン

カツミの姉的存在。関係は一度だけあるが実質片思い。

女性。十九歳。少尉。管制塔任務。

さらりとした長い黒髪。栗色の瞳。美少女。

天真爛漫。反面、思慮深く母性が強い。

大きな瞳をくるりと上に向けて微笑む癖がある。

□ユーリー・ファント

カツミの同僚。上官。

男性。二十五歳。少佐。飛行隊。

実家は貿易商。サラの幼馴染み。自称情報通。A級特殊能力者。

社会背景や軍の在り方に強い疑問を持っている。

困った時に頭を掻く癖がある。

□ロイ・フィード・シーバル

カツミの父。特区の最高責任者。

男性。四十七歳。中将。

クリーム色の短髪。トパーズ色の瞳。長身。

実力主義の冷酷な人物。カツミのことは所有物と思っている。

A級特殊能力者。

□ルシファー・セルディス

カツミの同僚。後輩。

男性。十八歳。少尉~大尉。飛行隊。カツミのフライトオフィサ。

実家は百貨店経営や貿易を営む名家。兄と姉がおり、末っ子。

さらりとした黒髪。深い緑色の瞳。身長180センチ。長身。

A級特殊能力者。特に『聞く者』の能力に長けている。

他人の心の裏側が聞けることで、子供の頃は人間不信で攻撃的だった。

聞けることが当然で育っているので、シールドが高く聞けないカツミに振り回される。同時に唯一の分からない相手であるカツミに惹かれる。

口が達者だが奥手。頭脳先行型。俯瞰から物事を見るのは得意だが、他人の気持ちは察するよりも読んできたので、思い図ることが苦手。観察者側に自分を置く。

読書が趣味。常に分厚い本を読み漁っている。愛読書は『廃船の記録』。

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