第四話 結局、私の勝ちだね

文字数 2,716文字

 自室に戻って灯りをつけたカツミは、誰もいない室内に違和感を覚えた。
 ユーリーとの会話を思い出す。ほとんど初対面だというのに打ち解けていたことが不思議だった。

 求めても求めても愛情を得られなかった過去が、カツミを臆病にさせていた。見捨てられるくらいなら、初めから信じないほうがいい。心に染み付いた他人への不信感は、簡単に拭えるものではない。それはそのまま自己不信となっていた。だが……。
 寄り添い、見守り、無条件で認めて包み込む。ジェイの与えてきたものの意味を、カツミはようやく理解した。それが知らないうちに自分を変えてきたことを。

 こぼれ出た溜息が部屋の空気を震わせる。先の見えない賭けをしたフィーア。いのちを捨てたフィーア。
 自分も同じだった。危うく自分を殺すところだった。死期を覚りながらも守り続けてくれた人に、なにも返すことなく。

 ──あと数か月。逃げられない現実だった。
 ジェイがいなくなったら自分はどうするだろうとカツミは思う。
 自分だったら……。自分だったら、彼の想いを入れる透明な殻になる。彼を映す透明な水鏡に。
 カツミには確信があった。きっとそうするという確信が。それがジェイを永遠のものにできる方法だと。

 ジェイに謝らなければとカツミは思い立つ。
 時間は限られているのだ。自分から動かなければなにも変わらない。いてもたってもいられず、彼は部屋を走り出ていた。

 ◇

 ジェイはテーブルの上の書類に目を止め、カツミの行動の理由を知った。その彼を目の端に置いたロイが、お前の所属部署から届いたんでねと告げる。
「それで?」
「受け取らないわけにはいかないだろう?」
 ロイの返答を聞いて瞬きしたジェイが、からっと笑った。
「はははっ!」
「笑うことはないだろう」
「貴方のそんな顔をみるのは久し振りなんでね」

 顔をしかめたロイを、ジェイが言葉で突き放す。
 それからソファーに腰を下ろし、テーブルの上に無造作に置かれていた箱から煙草を一本抜いた。ライターを投げて寄越したロイに、すかさず皮肉をぶつける。

「やっぱり親子だな。カツミは貴方によく似てる」
「思ったこともないな」
 受け流しながらも、ロイは皮肉にすら懐かしさを覚えていた。
「まあ、自分じゃ分からないよな」

 ジェイが煙とともに吐き出す言葉は、どれも基地のトップに払われるべき敬意を欠いていた。
 再現されていたのは、十年前の二人。冷めた態度を取りながらも離れることのなかった神と、その彼の人生の可能性を根こそぎ奪い去った罪人との蜜月。

「今月中に南部の別邸に移ろうと思ってるよ」
 退官願いが受け取られることを確認したジェイは、今後のことに話を変えた。
「家には帰らないのか?」
「知ってると思うけど、あそこには私の居場所がない」

 ジェイが被爆した後、ミューグレー家の継承者は彼の弟に変更されている。
 しかしそれまでのジェイは、継承者としてずっと特別扱いされてきた。弟との交流すら制限され、誰かに本音を話した記憶などほとんどない。

「使用人くらいは付けるのだろう?」
「いや、断った」
 あっさりと告げたジェイは、何かを決意した顔をしていた。ロイにもジェイの望みは理解できる。彼はジェイの決め事に口を挟まず、話を変えた。

「正直言って、これが来たときは驚いたよ」
「そして、安心したって所かな」
 辛辣な皮肉にロイは口の端を歪めるしかない。なにを言っても、ジェイには裏を見透かされるな、と。
「まったく、お前の前じゃ」
「格好がつかないってね」

 しばらく、二人の間が沈黙で隔てられた。
 ロイはジェイをじっと見つめている。昔よりずいぶん痩せたなと思いながら。しかしジェイは、視線を横に逸らせたまま紫煙の向かう先を目で追っていた。

「もう一本貰うよ」
 ジェイが再び煙草を取り出す。ロイはそれに返事をしない。変わらないままの過去が、とっくに取り戻せない今、ここにあった。

 昔の二人も、こうして軽口を叩き合っては互いを試していた。探り合うのは心の底にある空洞。自分でも覗き込むことを恐れている深淵だった。
 あの頃、彼らは互いを必要としていた。唯一、その空洞を埋める欠片だと確信して。
 ──最後の呪いを継ぐ者。だが、二人が別れることは既に決まっていたのだ。

「ロイ」
 強い口調で名を呼んだジェイが、きっぱり宣言した。突き刺すような視線に、冷たい笑みを添えて。
「結局、私の勝ちだね」
 ロイは応戦しようがない。だから、反撃を苦笑に置き換えた。負けは……十年前から分かっていた。

「貴方がどれだけカツミを引きつけようとしても、無駄だよ」
 ぴしりと突き放したジェイに、ロイが自分の行動理由を明かす。
「今度はカツミが殺されると思ったんでね」
「とんでもない! それが最近の干渉の理由か?」
「麻薬まで使うとは思ってなかったからな。黙認にも限度ってものがある」

 ジェイは、自分の悪行が早くから暴かれていたことを悟った。フィーアが特区を去ることになっても、ロイは静観するつもりだったのだろう。
 ロイの優先順位ははっきりしている。冷酷なまでにカツミだけに固執し、同じ息子であるフィーアは放置していたのだ。

「自分の子供を手元に置くことくらい、勝手にさせて欲しいものだな」
「だよな。でないと危ないかもしれないし」
 皮肉を突きつけたジェイだが、その影響範囲が限られていることも自覚していた。

 ジェイが腰を上げた。見上げたロイが何か言いかけたが、軽く手を上げたジェイに遮られる。
「なにひとつ後悔なんてしてないよ。自分に素直に生きてきたからね」
 静かに言い残したジェイは、鋭い眼光を緩めることなく部屋を出て行った。

 ◇

 もう夜中も近いというのに、ジェイの部屋のブザーが鳴る。ドアを開けると同時に胸に飛び込んできたのは、カツミだった。いつも行動の予測がつかない。そう思いながらも、愛しさがジェイの心を満たした。

「ごめん」
 くぐもった声を聞きながら、ジェイがカツミの柔らかな髪を撫でる。
「ジェイの気持ち、全然わかってなくて」
「いや。話さなかった私が悪いんだ」
 ジェイが言い終わる前に、カツミがすっと顔を上げた。神秘的な双眸が真っすぐにジェイを見つめる。生死の狭間にある色。人の心の奥底を、そのまま炙り出すような瞳が。
 カツミの口がぎこちなく動いた。

「ずっと側にいてくれる?」
「カツミ」
「離れないでいてくれる?」
「……」
「お願い。忘れないで」

 カツミの懇願は、どこか噛み合っていないように聞こえた。言葉に詰まってしまったカツミを再び抱き締めると、ジェイがかぶりを振る。
「ずっと」
 そこまで口にして、ジェイは黙した。カツミの懇願はそのまま自分の願いだったのだ。
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登場人物紹介

□カツミ・シーバル

主人公。

男性。十九歳~二十歳。少尉~少佐。飛行隊。

眉目秀麗。幼顔で中性的。身長160センチ。華奢で小柄。

右の瞳がトパーズ色、左の瞳がクリムゾン色のオッドアイ(ヘテロクロミア)。

肩まで伸びたやや癖のあるクリーム色の猫っ毛。

最高位の士官学校を首席卒業した優秀な人物。父親は特区の最高責任者。

母親はカツミを産んですぐに死亡。一人っ子。

育児や教育は使用人によって行われ、父親からネグレクトと虐待を受けて育つ。

拒食症で不眠症。体力は特殊能力で保持している。

超A級特殊能力者だが、子供の頃に父親の本音を知るのが怖くなり、能力のほぼ全てをみずから封印した。

ただし戦地では解放している。

口癖は「ごめん」。自虐的で自罰的。逆に天然な面があり、小悪魔的。

無意識に他人の本音を引き出す言動をする。

必要のない人間だと言われることを極度に恐れている。寂しがり。

□ジェイ・ド・ミューグレー

カツミの恋人。

男性。二十八歳~二十九歳。少佐。研究者。

貴族の家柄。家は財閥系の情報企業。長男で弟がひとりいる。

身長180センチ。すらりとした長身。黒髪。淡い茶色の瞳。眼鏡をしている。

幼い頃から天才と騒がれ跡取りとして大事に育てられる。

幼年学校は二年スキップしたにも関わらず、あらゆる資格を取得。

士官学校も一年スキップで卒業する(ラヴィ・シルバー以来の快挙)。

家の跡を継ぐまでの間という約束で長年の夢であった特区入隊を果たすが、事故により飛行隊任務が出来なくなる。婚約も破棄。任務も研究職に変える。家の跡取りは弟に変わる。

カツミにとっては父親的存在。

優しさと狡さ、独占欲と包容力を持つ。

長いスパンで先を見通すため、他人には理解し難く、アンビバレンツな人物に見える。

□シド・レイモンド

ジェイの元恋人。一年前に別れたが、現在も未練を持っている。

男性。二十八歳。少佐。軍医(外科医)。

実家は開業医。父親は外科医。母親はシドが十歳の時に離婚。一人息子。

肩まで伸びた癖のある栗色の髪。栗色の瞳。女性的な印象。

スキップで入学した医大を首席卒業した切れ者。毒舌家で皮肉屋。挫折を知らない世渡り上手。

カツミの恋敵的存在だが、いい人を演じている。

□フィーア・ブルーム

カツミの同僚。ライバル的存在。

男性。十九歳。少尉。飛行隊。

さらりとしたクリーム色の髪。深く青い瞳。A級特殊能力者。

母親から虐待を受けて育つ。士官学校に入る前からアーロン(ジェイの弟)に見出され、支援を受ける。

温厚で控え目な性格を演じているが、他人に本音で接することを恐れている。

□セアラ・ラディアン

カツミの姉的存在。関係は一度だけあるが実質片思い。

女性。十九歳。少尉。管制塔任務。

さらりとした長い黒髪。栗色の瞳。美少女。

天真爛漫。反面、思慮深く母性が強い。

大きな瞳をくるりと上に向けて微笑む癖がある。

□ユーリー・ファント

カツミの同僚。上官。

男性。二十五歳。少佐。飛行隊。

実家は貿易商。サラの幼馴染み。自称情報通。A級特殊能力者。

社会背景や軍の在り方に強い疑問を持っている。

困った時に頭を掻く癖がある。

□ロイ・フィード・シーバル

カツミの父。特区の最高責任者。

男性。四十七歳。中将。

クリーム色の短髪。トパーズ色の瞳。長身。

実力主義の冷酷な人物。カツミのことは所有物と思っている。

A級特殊能力者。

□ルシファー・セルディス

カツミの同僚。後輩。

男性。十八歳。少尉~大尉。飛行隊。カツミのフライトオフィサ。

実家は百貨店経営や貿易を営む名家。兄と姉がおり、末っ子。

さらりとした黒髪。深い緑色の瞳。身長180センチ。長身。

A級特殊能力者。特に『聞く者』の能力に長けている。

他人の心の裏側が聞けることで、子供の頃は人間不信で攻撃的だった。

聞けることが当然で育っているので、シールドが高く聞けないカツミに振り回される。同時に唯一の分からない相手であるカツミに惹かれる。

口が達者だが奥手。頭脳先行型。俯瞰から物事を見るのは得意だが、他人の気持ちは察するよりも読んできたので、思い図ることが苦手。観察者側に自分を置く。

読書が趣味。常に分厚い本を読み漁っている。愛読書は『廃船の記録』。

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