第一話 答えは与えられるものじゃない

文字数 3,435文字

 広いフロアには青い常夜灯だけが灯されていた。
 強化ガラスで隔てられたクローンの収容施設。千二百の専用カプセルがずらりと並ぶさまは、まるで墓場のようだった。
 照らし出されるのは幼顔のクローン。メーニェにおいての彼らは人間ですらない。技術の横流しで製造した特区でも、クローンは物として扱われる。特殊能力者を実質的に道具としているように。

「カツミ」
 声をかけられカツミが振り向くと、ドアの向こうにシドが立っていた。コツコツと軍靴を鳴らしてカツミに歩み寄ったシドは、真横に立つと分厚いガラスの奥に視線を送った。
「探したよ。時間を過ぎても寮に帰って来ないから」
「心配した?」
 二人の視線はクローンに向けられたままだが、シドの言葉をカツミが茶化す。
「ちょっとだけね」
 そう応じたシドだが、これまでとは違うカツミの印象に戸惑っていた。今までのカツミは、自分のことで精一杯。仕事を終えたとたんに自室に逃げ込むような日々を送っていた。なのに今は、自分の部署に残って思索に耽っている。

「このクローン、調整が上手くいかないんだ。オリジナルの感情が強すぎて」
「いまだに?」
「うん。暗示針を埋めたけど効果なかった」

 クローンのオリジナル──リーンの持つ感情。それは極めて扱いづらいものだった。『聞く者』である隊員がクローンの意識を探ろうとしても、特定の人物への愛憎に阻まれてまるで入り込めないのだ。

 憎悪しつつも愛情にすがりつくような激しい葛藤を、オリジナルは持っていた。受け継がれた感情の揺らぎは外から強制的に削っていくしかない。しかし無闇にそうすると、今度はクローンの精神を壊すこととなる。元は敵星からの輸入品。あまりにも皮肉な事態と言えた。

 この計画に最初から異論を唱えていたのが、カツミの愛憎の対象。特区の最高責任者。ロイ・フィード・シーバル中将。
 カツミは、父に予知能力があるのではと思うときがある。ロイはとても勘が鋭い。昔からあらゆることを先読みしてきたのだ。この計画の末路が、父にはもう見えているのではないのか。だからこそ自分の立場を損ねるにもかかわらず、異論を唱え続けているのでは。
 しかし、いかに特区とはいえ評議会で可決された作戦を拒否することは出来なかった。

「カツミにもクローンの思考が読めるのか?」
「分からないよ。ただイメージが飛んで来るんだ。それがあんまり純粋なんで気になっただけ」

 ──支配と従属。束縛と依存。
 求めるものがいるから、与えるものがいる。リーンのもつ渇望は、あまりにも大きすぎた。みずからを死に追いやるほどに。
 言葉の意味を解しかねて、シドがカツミの横顔をちらりと見る。しかしカツミはさっと話題を変えた。ここにシドが来た理由を知っていたのだ。

「ジェイに聞いた?」
「ああ。来週には別邸に移るって」
 シドがガラスの先に視線を戻す。彼はカツミの次の言葉を恐れていた。
「ドクター」
「……なんだ?」
「俺ね、たぶん大丈夫だから」
 すっと視線を送ったシドに、カツミが目を合わせた。
 シドにはカツミの言葉が額面通りでないことは分かる。あらゆる葛藤をどうにかして捻じ伏せ、ジェイの想いに応えようとしているのだろう。

「もう、心配かけたくないんだ」
「平気って顔じゃないな。無理するなよ」
 眉を寄せたシドを見て、カツミが小さく吹き出した。
「ジェイと同じこと言うんだね」
 シドはその笑みに痛々しさを感じた。放っておけば壊れてしまうのではと。しかし心配より先に、カツミに言わなければならないことがあった。

「あの時は、すまなかった」
 シドからの謝罪に、カツミが小さく首を振る。
「まだ痕が残ってるな」
「もういいよ。あれは俺が悪かったんだ。ドクターが怒るのも無理ないよ」
「殺されかけた相手に言うことか?」
「だよね」
 カツミはシドを責めなかった。かつてのジェイのように。まるで彼を映しとったように。
 シドの苦笑に微笑で応じたカツミが、部屋の外に歩き出す。それに倣い、シドもまた墓場のような場所に背を向けた。

「決行のメドはついてるのか?」
「年明けとは言ってるけど、今の段階ではなんとも言えない。馬鹿みたいだね。前線に出れば、人の死なんて当たり前にあるのに」
 カツミの呟きを聞きながら、シドはジェイの言葉を思い出していた。──カツミを頼む。それはとりもなおさず、自分に『生きて』カツミを見守ってほしいということ。
 シドはジェイの死後に後を追うつもりだった。もうずっと以前から決めていたのだ。しかしあの言葉が歯止めをかけた。
 カツミには通じているのだろうか。ジェイは何と言ってカツミの背を押したのか。今の笑顔はただの虚勢? それとも本当に分かって?

 くすりと笑い声をたてたカツミが、驚いて顔を向けたシドに探りを入れた。
「今、本当に分かってるのかって思わなかった?」
 シドは目を見開き、足を止めた。
「ごめん。勝手に意識が飛び込むことがあるんだ。肝心な時は聞こえないのにね」
「その質問には……答えてくれないのか?」
 戸惑いながら訊いたシドに、カツミが小さく首を振った。
「まだ分からない。でもジェイは傍にいてくれるって言った。死は消滅じゃないって。俺はジェイの言葉の意味を考え直してる。答えは人に与えられるものじゃないから」
「そう……だね」
 安堵と戸惑いのなか、シドはそう答えるのが精一杯だった。

 ◇

 来客の合図。自室のドアを開けたカツミの目に、久しぶりに見る姿が映った。セアラが、ふふっと可愛らしい笑みを見せる。
「お久し振り。2サイクルしか経ってないけど」
 その短い間に、カツミには天地が返るほどの出来事があったのだ。キッチンに立とうとするカツミを遮ると、セアラが珈琲メーカーをセットしながら弁解を向けた。

「ごめんね。私、どうしたらいいか分からなくて。正直ずっと避けてたの。まさかフィーアが、あんなことになるとは思ってなかったから」
 黙り込んだカツミに、そんな顔しないのと笑みを投げかけるセアラ。部屋中に満たされていく珈琲の香り。

「今日ね。実はドクターに頼まれて来たの。ジェイが退官することも聞いたの」
 まったくあの人は。そう思いながらも、カツミは少しだけシドに感謝した。

「寂しくなるね。身体壊してるなんて全然知らなかった。フィーアのことも」
「……そうだね」
「今さらだけど。私ね、フィーアにカツミくんの親友になってもらいたかったの」
 意外な言葉だった。驚いた視線をふわりと笑みで受け止めたセアラが、かぐわしい香りを連れてカツミの向かいに座る。
「カツミくん、フィーアのこと認めてたものね。そんなこと滅多にないのに」
「んなことないよ」

 むきになって否定するカツミ。セアラの指摘は図星だったのだろう。それを確かめたセアラが、大きな瞳をくるりと天井に向けた。確信を覚えた笑みを添えて。
 してやられたカツミは、カップを取り上げて湯気に顔を埋めた。まだからかうのかよ。そう思って身構えていると、今度は違うトーンのセアラの声が届いた。彼女は真顔だった。

「ほんとはね。私、フィーアに譲りたかったの。カツミくんが、いつまで経っても私のこと認めてくれないって拗ねてた」
「セアラ」
 しかしセアラは、カツミの言葉を遮るように片手を上げ、きっぱり言った。
「でもそんな考えはやめたわ。友達でもいいの。ずっとこうしていたい。……嫌?」
 カツミはほっとしたが、そうは言えない。苦笑で誤魔化す彼に、今度はセアラの方が焦れてむくれる。

「なんとか言ってよね。恥ずかしいんだから!」
 唇を尖らせるセアラ。しかし彼女から向けられる温かな想いが、カツミの心を優しくときほぐす。
「嫌じゃないよ。それに俺は、ほんとに認めてないやつとは口もききたくないし」

「よしっ!」
 嬉しそうに声を上げたセアラが、さっと腰を上げた。
「えっ。もう帰るの?」
 カツミの引き留めが嬉しくて、彼女の口から自然と笑みがこぼれる。
「なんだよ。笑ったりして」
「だって優しいんだもん。気付かない? カツミくん、前よりずっと優しいの」

 セアラは幸せを感じていた。カツミがこころを開いてくれることに。その瞬間に立ち会えたことに。
 きょとんとした視線に背を向けて、照れを覚られないように言い残す。
「やっぱり、友達じゃなくて恋人にしといてね」
「なんだよ。それ」

 わけが分からないまま取り残されたカツミは、閉まったドアに向かってぼやいた。
 部屋に漂う珈琲の香に、ふわりと頬を撫でられながら。
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登場人物紹介

□カツミ・シーバル

主人公。

男性。十九歳~二十歳。少尉~少佐。飛行隊。

眉目秀麗。幼顔で中性的。身長160センチ。華奢で小柄。

右の瞳がトパーズ色、左の瞳がクリムゾン色のオッドアイ(ヘテロクロミア)。

肩まで伸びたやや癖のあるクリーム色の猫っ毛。

最高位の士官学校を首席卒業した優秀な人物。父親は特区の最高責任者。

母親はカツミを産んですぐに死亡。一人っ子。

育児や教育は使用人によって行われ、父親からネグレクトと虐待を受けて育つ。

拒食症で不眠症。体力は特殊能力で保持している。

超A級特殊能力者だが、子供の頃に父親の本音を知るのが怖くなり、能力のほぼ全てをみずから封印した。

ただし戦地では解放している。

口癖は「ごめん」。自虐的で自罰的。逆に天然な面があり、小悪魔的。

無意識に他人の本音を引き出す言動をする。

必要のない人間だと言われることを極度に恐れている。寂しがり。

□ジェイ・ド・ミューグレー

カツミの恋人。

男性。二十八歳~二十九歳。少佐。研究者。

貴族の家柄。家は財閥系の情報企業。長男で弟がひとりいる。

身長180センチ。すらりとした長身。黒髪。淡い茶色の瞳。眼鏡をしている。

幼い頃から天才と騒がれ跡取りとして大事に育てられる。

幼年学校は二年スキップしたにも関わらず、あらゆる資格を取得。

士官学校も一年スキップで卒業する(ラヴィ・シルバー以来の快挙)。

家の跡を継ぐまでの間という約束で長年の夢であった特区入隊を果たすが、事故により飛行隊任務が出来なくなる。婚約も破棄。任務も研究職に変える。家の跡取りは弟に変わる。

カツミにとっては父親的存在。

優しさと狡さ、独占欲と包容力を持つ。

長いスパンで先を見通すため、他人には理解し難く、アンビバレンツな人物に見える。

□シド・レイモンド

ジェイの元恋人。一年前に別れたが、現在も未練を持っている。

男性。二十八歳。少佐。軍医(外科医)。

実家は開業医。父親は外科医。母親はシドが十歳の時に離婚。一人息子。

肩まで伸びた癖のある栗色の髪。栗色の瞳。女性的な印象。

スキップで入学した医大を首席卒業した切れ者。毒舌家で皮肉屋。挫折を知らない世渡り上手。

カツミの恋敵的存在だが、いい人を演じている。

□フィーア・ブルーム

カツミの同僚。ライバル的存在。

男性。十九歳。少尉。飛行隊。

さらりとしたクリーム色の髪。深く青い瞳。A級特殊能力者。

母親から虐待を受けて育つ。士官学校に入る前からアーロン(ジェイの弟)に見出され、支援を受ける。

温厚で控え目な性格を演じているが、他人に本音で接することを恐れている。

□セアラ・ラディアン

カツミの姉的存在。関係は一度だけあるが実質片思い。

女性。十九歳。少尉。管制塔任務。

さらりとした長い黒髪。栗色の瞳。美少女。

天真爛漫。反面、思慮深く母性が強い。

大きな瞳をくるりと上に向けて微笑む癖がある。

□ユーリー・ファント

カツミの同僚。上官。

男性。二十五歳。少佐。飛行隊。

実家は貿易商。サラの幼馴染み。自称情報通。A級特殊能力者。

社会背景や軍の在り方に強い疑問を持っている。

困った時に頭を掻く癖がある。

□ロイ・フィード・シーバル

カツミの父。特区の最高責任者。

男性。四十七歳。中将。

クリーム色の短髪。トパーズ色の瞳。長身。

実力主義の冷酷な人物。カツミのことは所有物と思っている。

A級特殊能力者。

□ルシファー・セルディス

カツミの同僚。後輩。

男性。十八歳。少尉~大尉。飛行隊。カツミのフライトオフィサ。

実家は百貨店経営や貿易を営む名家。兄と姉がおり、末っ子。

さらりとした黒髪。深い緑色の瞳。身長180センチ。長身。

A級特殊能力者。特に『聞く者』の能力に長けている。

他人の心の裏側が聞けることで、子供の頃は人間不信で攻撃的だった。

聞けることが当然で育っているので、シールドが高く聞けないカツミに振り回される。同時に唯一の分からない相手であるカツミに惹かれる。

口が達者だが奥手。頭脳先行型。俯瞰から物事を見るのは得意だが、他人の気持ちは察するよりも読んできたので、思い図ることが苦手。観察者側に自分を置く。

読書が趣味。常に分厚い本を読み漁っている。愛読書は『廃船の記録』。

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