第六話 南部へ

文字数 3,907文字

 週末の午後。猛烈に吹雪く中を一台の車が南部に向かっていた。運転しているのはシド、カツミは助手席である。
 走行しているのは自動運転可能なエアカー。スリップの危険はない。なのに、シドは頑なにハンドルを譲ろうとはしなかった。

 シドは以前、カツミが運転する車に乗って死ぬ思いをしたことがあるのだ。法定速度などカツミの頭にはない。戦闘機同様に、性能をギリギリまで引き出して使おうとする。シドから見れば無謀の最たるもの。特殊能力者の感覚など分かるはずもない。
 あの時はジェイも一緒だった。ただし彼は、助手席でそそのかしていた側である。

 ハイウェイは視界一面真っ白で、空気圧に飛ばされた雪が渦を巻いて散っていく。気象情報を聞きながらシドがちらりと窺うと、カツミは眠っているようだった。仕事の疲れがピークなのかもしれない。

 ようやく締結した休戦協定を破棄する計画が進んでいた。来年、数年に一度の大きな選挙があるのだ。両星の政治家が考えていることは明白だった。
 この国の政府は、あらゆる情報を捻じ曲げて国民に伝える。それがもう百年続いているのだ。情報の確度を疑ったとしても、それを抗議や抵抗という行動につなげる者はほとんどいない。
 あえて反社会的とみなされる行動を起こす者は少数派だ。飼い慣らされること。従順に社会に馴染むこと。それが、この国のスタンダードである。

 かつてこの星に降り立った祖先が、この現状を見たらなんと言うだろう。当時の国民はみずからを『開拓者』と呼んで、誇りにしてきた。同時に砂漠の星にしがみついた側を『怠惰な国』だと嘲った。
 だが今や、双子の星はもたれ合い依存しあう関係である。休戦はあっても終戦にならないことが、それを端的に表していた。

 カツミは特殊能力で体力を維持しているらしい。だがこのところの激務で回復しきれていないようだ。
 仕事に関しては、以前にも増して自己犠牲的に取り組んでいる。周りの評価がシドにまで伝わるほどに。
 カツミは元々能力の高い人物なのだ。現実逃避であろうと、仕事に打ち込めば見る間に評価が上がっていく。
 数年先には周りを大きく引き離す存在になるだろう。

 静かだったカツミが突然身体を起こすと座り直した。
「起きたか?」
 シドが声をかけると曖昧な返事が戻った。どうやら、狸寝入りだったらしい。
 死を目前にした人物への接し方が分からないのは、医師であるシドには十分理解できた。

「休憩しようか?」
「うん」
 程なくして、車は一番近いサービスエリアに入った。
「珈琲を買ってくるから」
 そう告げて車を出たシドは、風の冷たさに思わず首を竦めた。大雪など年に数日だが、なにも今日でなくてもと思う。当然駐車場はがらんとしている。滑らないようにゆっくり歩きながら振り返ると、しきりに目をこするカツミが見えた。

 少しだけでも休ませよう。シドは歩を緩めて時間を稼ぐことにする。珈琲のボトルを手にしてゆっくり車に戻るとカツミに手渡す。
「温かいよ」
 黙ってボトルの口を切ったカツミは、わずかな温もりを喉に通すと、ほっとしたように笑みを見せた。
「疲れてるんだろう? 残業続きだろうし」
「そうでもないよ」
「無理するなよ」
「ったく。すぐそうやって保護者面するんだから」
 ぼそりと言い返され、やれやれと首を振ったシドが、しっかり釘を刺した。

「見てられないよ。カツミ」
 強い口調に驚いて顔を上げたカツミを、シドが真顔で叱る。
「お前は、理解力は高いし行動も速い。でも感情はいつも後回しだ。なぜ自分を取り繕うんだ? 誰もそんなカツミを望んでやしないよ」
 いつしか視線を外していたカツミが、じっと唇を噛み締めている。

「こんなこと言う資格は、私にはないんだけどね」
 シドの自省に首を振ったカツミが、弱音をこぼした。
「怖いんだ」
「怖い?」
「どんな顔して行ったらいいか分かんない。何を話したらいいのかも。ジェイもドクターもすぐに見透かしてしまうし」
「私も? まさか私に遠慮してるんじゃないだろうな」
「……違うよ」
「じゃあ、いつも通りにしてればいいだろ? 忙しくて大変だって。私だったら退官したジェイに、羨ましいねと皮肉の一つも言ってやるさ」

 シドの軽口に驚いたカツミがさっと顔を上げた。目を丸くした彼を見て、シドは吹き出しそうになる。
「うわ。性格、悪いやつぅ」
「これは生まれつき。もう治らないね」
「ひでぇ」
 自虐とも開き直りとも取れるシドの軽口で、カツミの表情が和らいだ。

「迷ったら直接ジェイに訊くんだね。カツミに一番分かるように教えてくれるよ」
「ドクターは?」
「私情どっぷりだからね。最善の方法は教えられないな」
 その決定打で、カツミがとうとう吹き出した。
「ひどいなあ。なんだよ、それっ!」
「非難される覚えはないけどなぁ」

 フォワードをタップする。車が舐めるように動き始めた。
「そろそろ行くぞ。まだ1ミリアはかかるからな」
「うん。じゃあ寝とく」
 安心したらしい。しばらくして、今度こそ静かな寝息が聞こえてきた。

 降りしきる雪のせいで相変わらず視界が悪い。シドは自動運転に変更した。到着は遅れるが仕方ない。
 シートを倒して仰ぎ見る窓外で、無数の結晶が叩きつけられては散っていく。あとは、眠っていても目的地に辿り着ける。シドの意識は、いつの間にか眼前の光景から離れていった。

「怖い……か」
 強がっては見せても、カツミはやはり不安なのだ。しかし取り繕ったカツミをジェイは求めるだろうか? それを大人だというかもしれないが、違うとも感じる。
 大人の定義などないだろう。ただ、自分を受け入れて好きになること。生を楽しめるようになること。虚勢をはらずに自然体でいられること。それを大人というのでは?
 シドはふっと息をついた。この思いがそのまま伝わればいいのに。そう願いつつ、シドはカツミがみずから分かることを望んでいた。──だが。
「分かってないのは自分の方かもな」
 小さく呟きをこぼすと、シドはいま思ったことに疑問を向ける。

 ありきたりな言葉だった。ありのままを受け入れてないのは自分のほうでは?
 綺麗なだけの言葉だった。どこかで聞いたような、上っ面を撫でただけの言葉。心のどこにも落ちてこない言葉。自分の中のじりじりとした得体の知れない感情に、その言葉はまるでそぐわない。

 ジェイの依頼を全うしようとしている自分が、絶望している自分にほんの少し勝っている。平気なふりが出来ているのはカツミがいるからなのだ。カツミがいなかったら自分の選択はひとつしかなかった。

 自分はいつも、他人から認められることで自分の価値を決めている。他人を満足させることが、喜びとなっている。みずからの望みなのに、その中心に自分はいない。
 時間の流れが速すぎる。自分こそ、まだこんなに気持ちの置き場に迷っている。何が本当の望みなのか分からなくなっている。──分からない。でもこれで良かったとも思える。そう思うしかないのだとも。

 ◇

 高速を降りた車は海沿いの一般道を進む。鉛色の海に銀色の波頭がうねる。葉の落ちた街路樹が枝を震わせながら寒風に抗っている。
 雪は先ほどより幾分穏やかに降っていた。夜には降り止むかもしれないな。そう思いながら、シドは懐かしい風景に目をやった。

 道の左側は海岸線。右側には緩やかな山並みが延々と続いていた。山の中腹にはゆったりと間隔を置いて別荘が点在している。ジェイの住む別邸もその中にあった。

 やがて車は右折して海に別れを告げ、山並みの一点を目指す。山裾を抱く針葉樹の森を走り抜けた車は、いかつい石の門を一つ潜った。敷地内に入ってからもだいぶ距離がある。このひと山全てが、ミューグレー家の私有地なのだ。

 シドは、初めてここを訪れた時のことを鮮明に思い出す。親が開業医とはいえ中流家庭で育ったシドには、全てが驚きだったのだ。王家から称号を賜った貴族。その意味をまざまざと見せつけられたあの日。

 ようやく視界に入って来た豪奢な屋敷は、あの日と変わらずどっしりとした石の壁に枯れた蔦を絡ませていた。別邸とはいえ、三階建てで高い尖塔まである城のような邸宅である。広い玄関ホールは吹き抜けで、優美な階段が渦を巻きながら上階に伸びている。
 高い窓。煌びやかなシャンデリア。意匠の凝らされた重厚な家具。空調と床暖房は完備されているのに、ご丁寧に石造りの立派な暖炉まである。

 邸宅の前庭には大きな樹が植えられていた。枝先にある蕾はまだ硬い。だが春になると、真っ先に大きな花を咲かせるのだ。甘い香りのする白い花。それはまるで小鳥が飛び立つ姿に見える。

 一階の南にある古風な窓から、黄昏色の灯りがもれていた。それを認めたシドが、荘厳な玄関アプローチに車をゆっくり横付けする。
「着いたよ」
 助手席で眠っているカツミの頬を指でつつく。
「……ん?」
「着いたよ。先に行ってくれないかな。車をガレージに入れるから」
「あ、うん」
 寝ぼけ眼で窓外を見たカツミが、ぎょっとしたように目を見開いた。

 ──他はいらない。カツミから聞かされた言葉が脳裏をよぎる。雪の絨毯が敷かれた石段を、彼が上っていく。選ばれし者の戴冠式のように。

 できることならこのまま立ち去りたい。シドはそんな衝動にかられながら、溜息を重ねて逃げ道を塞ぐ。
 今はジェイを見ているだけでいい。彼をこころに刻むだけで。それがぎりぎりの選択。彼をこの目に映せないことが、自分には一番つらいのだから。

 ガレージに駐車すると、シドはひと呼吸おいてからドアを開けた。こころの準備? そんなものは、もとより出来てはいなかった。
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登場人物紹介

□カツミ・シーバル

主人公。

男性。十九歳~二十歳。少尉~少佐。飛行隊。

眉目秀麗。幼顔で中性的。身長160センチ。華奢で小柄。

右の瞳がトパーズ色、左の瞳がクリムゾン色のオッドアイ(ヘテロクロミア)。

肩まで伸びたやや癖のあるクリーム色の猫っ毛。

最高位の士官学校を首席卒業した優秀な人物。父親は特区の最高責任者。

母親はカツミを産んですぐに死亡。一人っ子。

育児や教育は使用人によって行われ、父親からネグレクトと虐待を受けて育つ。

拒食症で不眠症。体力は特殊能力で保持している。

超A級特殊能力者だが、子供の頃に父親の本音を知るのが怖くなり、能力のほぼ全てをみずから封印した。

ただし戦地では解放している。

口癖は「ごめん」。自虐的で自罰的。逆に天然な面があり、小悪魔的。

無意識に他人の本音を引き出す言動をする。

必要のない人間だと言われることを極度に恐れている。寂しがり。

□ジェイ・ド・ミューグレー

カツミの恋人。

男性。二十八歳~二十九歳。少佐。研究者。

貴族の家柄。家は財閥系の情報企業。長男で弟がひとりいる。

身長180センチ。すらりとした長身。黒髪。淡い茶色の瞳。眼鏡をしている。

幼い頃から天才と騒がれ跡取りとして大事に育てられる。

幼年学校は二年スキップしたにも関わらず、あらゆる資格を取得。

士官学校も一年スキップで卒業する(ラヴィ・シルバー以来の快挙)。

家の跡を継ぐまでの間という約束で長年の夢であった特区入隊を果たすが、事故により飛行隊任務が出来なくなる。婚約も破棄。任務も研究職に変える。家の跡取りは弟に変わる。

カツミにとっては父親的存在。

優しさと狡さ、独占欲と包容力を持つ。

長いスパンで先を見通すため、他人には理解し難く、アンビバレンツな人物に見える。

□シド・レイモンド

ジェイの元恋人。一年前に別れたが、現在も未練を持っている。

男性。二十八歳。少佐。軍医(外科医)。

実家は開業医。父親は外科医。母親はシドが十歳の時に離婚。一人息子。

肩まで伸びた癖のある栗色の髪。栗色の瞳。女性的な印象。

スキップで入学した医大を首席卒業した切れ者。毒舌家で皮肉屋。挫折を知らない世渡り上手。

カツミの恋敵的存在だが、いい人を演じている。

□フィーア・ブルーム

カツミの同僚。ライバル的存在。

男性。十九歳。少尉。飛行隊。

さらりとしたクリーム色の髪。深く青い瞳。A級特殊能力者。

母親から虐待を受けて育つ。士官学校に入る前からアーロン(ジェイの弟)に見出され、支援を受ける。

温厚で控え目な性格を演じているが、他人に本音で接することを恐れている。

□セアラ・ラディアン

カツミの姉的存在。関係は一度だけあるが実質片思い。

女性。十九歳。少尉。管制塔任務。

さらりとした長い黒髪。栗色の瞳。美少女。

天真爛漫。反面、思慮深く母性が強い。

大きな瞳をくるりと上に向けて微笑む癖がある。

□ユーリー・ファント

カツミの同僚。上官。

男性。二十五歳。少佐。飛行隊。

実家は貿易商。サラの幼馴染み。自称情報通。A級特殊能力者。

社会背景や軍の在り方に強い疑問を持っている。

困った時に頭を掻く癖がある。

□ロイ・フィード・シーバル

カツミの父。特区の最高責任者。

男性。四十七歳。中将。

クリーム色の短髪。トパーズ色の瞳。長身。

実力主義の冷酷な人物。カツミのことは所有物と思っている。

A級特殊能力者。

□ルシファー・セルディス

カツミの同僚。後輩。

男性。十八歳。少尉~大尉。飛行隊。カツミのフライトオフィサ。

実家は百貨店経営や貿易を営む名家。兄と姉がおり、末っ子。

さらりとした黒髪。深い緑色の瞳。身長180センチ。長身。

A級特殊能力者。特に『聞く者』の能力に長けている。

他人の心の裏側が聞けることで、子供の頃は人間不信で攻撃的だった。

聞けることが当然で育っているので、シールドが高く聞けないカツミに振り回される。同時に唯一の分からない相手であるカツミに惹かれる。

口が達者だが奥手。頭脳先行型。俯瞰から物事を見るのは得意だが、他人の気持ちは察するよりも読んできたので、思い図ることが苦手。観察者側に自分を置く。

読書が趣味。常に分厚い本を読み漁っている。愛読書は『廃船の記録』。

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