第三話 聞く者が聞けないもの

文字数 3,209文字

 20ミリアを過ぎて寮に戻った頃には、風の冷たさに芯が入り寒さは更に増していた。地下駐車場はがらりとしている。隊員たちは年明け前の長期休暇を交代に取っているので、寮内はいつもより静かなのだ。
 車を止めドアを開けようとしたユーリーを、カツミが黙したまま制止した。

「まさか、いるんじゃないだろうな?」
 食事中もルシファーの動機が話題だったこともあり、ユーリーの反応は速い。
 その彼に、有無を言わさぬ調子でカツミが告げた。
「俺はここに残ります。先に上がって下さい」
「ちょっと不満だな。A級の端くれとしては」
 ユーリーは口の端を曲げて不満を表したが、すぐにドアを開けると外に出た。
「心配いらないだろうけど、器物破損はしないように」
「はいはい」

 カツミが事も無げにあしらう。彼の言葉を信じるなら勝算があるのだろうとユーリーは思う。とはいえカツミの肝の据わった態度に驚きもしていた。カツミはその時々でまるで違う顔を見せるのだ。水面が空の色を映すように。この基地のトップの息子である。こういう面は親譲りなのかもとユーリーは思う。次の作戦──カツミにとっては初出兵だが、それも期待出来そうだとも。

 ユーリーがエレベーターの中に消えると、カツミは墓地への近道に向かった。それはカツミ流の挑発である。フィーアのいる場所で、自分の逃げ道を塞ぎたいとも思っていた。
 ルシファーがフィーアのことで敵意を向けるのなら、逃げるわけにはいかない。もうジェイに寄りかかって甘えていた過去は捨てなければ。そう決意し、カツミはぎゅっと唇を結ぶ。

 寮から墓地に続く道の脇には、小さな森がある。
 基地内はどこも照明が行き届いているが、さすがにこの場所には少ない。青い常夜灯が、ぽつりぽつりと雪道を照らすだけである。
 溶け残った雪が靴の下でぎしぎしと鳴り、街灯に伸びた影がゆらゆらと揺れる。今ここを歩いている者の気持ちを映したように。

 さきほど『見た』ルシファーのイメージは、まだカツミの心に刺さっていた。探ろうと思えばカツミは探れるのだ。ただ、したくない。それはそのまま、相手のなかにある闇を見ることだからだ。
 心にぽっかりと開いた穴。絶望。悲嘆。怒り。
 ──その頬に伝う一筋の涙。彼にとってのフィーアは、とても大切な人だったのだろう。

 そんな闇をどうして覗き見たいと思うだろう。そんな心を知ってしまった後に、どんな顔をして相手と対峙すればいいのか。覚えるのは罪悪感ばかりなのだ。
 しかしカツミは決めていた。もう自分の足で歩いていかなければと。ジェイは言ったのだ。自分が能力を受け入れていくことを望んでいると。

 墓地の門が見えたところで、カツミがさっと振り返る。一本道で隠れる所はなく、相手の姿をたやすく視界に捉えた。一瞬足を止めたルシファーだったが、手を伸ばせば届く距離まで歩み寄る。

「よく……分かりましたね」
「俺をどうするつもりなんだ?」
 聞きただしたカツミに、ルシファーが冷笑を向けた。
「別に。邪魔だから消そうと思っただけです」
 がさりと言い放ったルシファーに、カツミが鋭く切り返した。
「さっき、フィーアの墓にいただろ?」
 探りを入れられていたのは、ルシファーにとって意外だったらしい。強張った顔の前に白い息が膜を張る。

 ──頬を伝う一筋の。あのイメージ。
「フィーアの後輩だって?」
「後輩ね。そんな言葉で片付けられたくないですね。あの人を殺したあなたに」
 心のなかがざわりと棘で覆われた。ルシファーの言葉はカツミの予測を確信に変える。追い打ちをかけるように、ルシファーが黒い言葉で斬りつけた。カツミから返される刃に身構えながらも。しかし彼は、その事実を突きつけるためだけにカツミを追ってきたのだ。

「ほんとなら、一年前に、あんたはここからいなくなってたはずなんだ!」
「一年前って」
「俺があいつらをけしかけたんですよ! 金を掴ませて、脅しをかけてね!」

 つい最近、忘れると決めたことだった。一年前の初雪の日。先ほど通って来た針葉樹の森で──。
 あの場所に監視装置はない。大勢で連れ込まれてしまえば、どんなに声を上げても無駄なのだ。
 暴力に抗うことはできた。しかし能力が暴走してしまえば相手を殺しかねない。彼らを一瞬で葬り去ることなど、カツミには造作もないのだ。それが罪にならないというのなら。

 この一年の間、ずっと生々しく心を支配し、生への執着を脅かしてきた事実。あの日、カツミは無抵抗に命を投げ出していた。肉を削がれ骨が砕かれるような痛みに耐えながら、それを超えたものを欲していた。
 ──死のトパーズ。あの日のカツミは、早く殺してくれと願っていた。ジェイが彼を見つけるまでは。

「とんだガキだな」
「貴方ほどではないと思いますけどね」
 挑発的な言葉だがカツミの声は驚くほど静かである。感情を伴わない声色。それを耳にしたルシファーの顔が見る間に強張っていく。

「理由はまだあるだろ?」
「なんですか?」
 カツミが畳みかける。その相手の奥を『聞いている』ルシファーだけが、不可解な思いに支配されていく。
 分からないのだ。カツミの感情が。いつもなら必ず聞けるものが全く聞き取れない。ルシファーの目にカツミの存在は映っているが、その心が真空なのだ。ルシファーはそんな相手に出会ったことがなかった。

 ──この人は一体なにものだ。
 それは、全能力者であるルシファーだけに感じられる戸惑いだった。激しい怒りをぶつけられると身構えながら追ってきたのだ。なのに、カツミからは怒りどころか『なにひとつ』感情が拾い出せない。

「お前の姉さん。ジェイの婚約者だったんだろ?」
「それは関係ないです。姉は病気になったけど、ミューグレー少佐に責任はありませんから」
 会話をしながらも、ルシファーはカツミへの疑念でいっぱいとなっていた。
 仮にも事の張本人を前にして、どうしてこうも冷めた態度でいられるのか。他人事のような言い方ができるのか。困惑のなかで、彼は浮かんだ疑問を口に出した。

「一年前も今日も、貴方はまったく抵抗しませんでしたね。なぜですか?」
「クローンのことは聞いた? 下手に力なんか使うと、ああなるんだよ。正当防衛なんて認められない。一人や二人じゃなかった。みんな死んでたらどう思う?」

 ルシファーにはまだ、カツミの中身が探れない。空洞に向かって会話しているようなのだ。強いシールドなのか。あの磁場の正体がこれか。怒りを向けられて当然な事実を告げたのだ。こんなに淡々と話せるものではないのに。
 ──困惑と疑念。悔しさと、そして興味。抑えがたい興味。

「もうやめます。馬鹿みたいだ。すみませんでした」
 ルシファーは矛を収めた。臨戦態勢で来たというのに、ドアを開けたら誰もいなかったような感覚だった。
「いいよ。べつに」
「一年前のこと言ったとたんに、殺されると思ってました」

 その言葉を耳にしたカツミが瞬時に変化した。まるでパチリとスイッチを切り替えたように。
 ──変わった。いま変わった。
 瞬間、どっと流れ出たルシファーの知っている感情。カツミの安堵。緊張のほぐれたイメージ。馴染みのある人間らしいこころ。

 いったい、なにがあったのだろう。疑問を抱えたまま、ルシファーは寮に向かって踵を返した。同じ速度で横を歩く人物が、静かに問いを向けてくる。

「フィーアとどういう関係だったんだ?」
「なにも。ただのチームメイトですよ。憧れてたんです。自分の目標でした」
「のわりには、やることがキツイな」
「崇拝してたんです。あの人の進む先に誰かがいるなんて許せなかった。いつでも一番なのが彼だったんです」
「そっか」

 言葉が途切れ、二人は薄く雪の積もった道をただ歩いた。小さな針葉樹の森が青い街灯に照らされ、神秘的に光る。先ほど反対方向に歩いていた時のぴりぴりするような緊張とは、まるで対照的な空気が満ちていた。
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登場人物紹介

□カツミ・シーバル

主人公。

男性。十九歳~二十歳。少尉~少佐。飛行隊。

眉目秀麗。幼顔で中性的。身長160センチ。華奢で小柄。

右の瞳がトパーズ色、左の瞳がクリムゾン色のオッドアイ(ヘテロクロミア)。

肩まで伸びたやや癖のあるクリーム色の猫っ毛。

最高位の士官学校を首席卒業した優秀な人物。父親は特区の最高責任者。

母親はカツミを産んですぐに死亡。一人っ子。

育児や教育は使用人によって行われ、父親からネグレクトと虐待を受けて育つ。

拒食症で不眠症。体力は特殊能力で保持している。

超A級特殊能力者だが、子供の頃に父親の本音を知るのが怖くなり、能力のほぼ全てをみずから封印した。

ただし戦地では解放している。

口癖は「ごめん」。自虐的で自罰的。逆に天然な面があり、小悪魔的。

無意識に他人の本音を引き出す言動をする。

必要のない人間だと言われることを極度に恐れている。寂しがり。

□ジェイ・ド・ミューグレー

カツミの恋人。

男性。二十八歳~二十九歳。少佐。研究者。

貴族の家柄。家は財閥系の情報企業。長男で弟がひとりいる。

身長180センチ。すらりとした長身。黒髪。淡い茶色の瞳。眼鏡をしている。

幼い頃から天才と騒がれ跡取りとして大事に育てられる。

幼年学校は二年スキップしたにも関わらず、あらゆる資格を取得。

士官学校も一年スキップで卒業する(ラヴィ・シルバー以来の快挙)。

家の跡を継ぐまでの間という約束で長年の夢であった特区入隊を果たすが、事故により飛行隊任務が出来なくなる。婚約も破棄。任務も研究職に変える。家の跡取りは弟に変わる。

カツミにとっては父親的存在。

優しさと狡さ、独占欲と包容力を持つ。

長いスパンで先を見通すため、他人には理解し難く、アンビバレンツな人物に見える。

□シド・レイモンド

ジェイの元恋人。一年前に別れたが、現在も未練を持っている。

男性。二十八歳。少佐。軍医(外科医)。

実家は開業医。父親は外科医。母親はシドが十歳の時に離婚。一人息子。

肩まで伸びた癖のある栗色の髪。栗色の瞳。女性的な印象。

スキップで入学した医大を首席卒業した切れ者。毒舌家で皮肉屋。挫折を知らない世渡り上手。

カツミの恋敵的存在だが、いい人を演じている。

□フィーア・ブルーム

カツミの同僚。ライバル的存在。

男性。十九歳。少尉。飛行隊。

さらりとしたクリーム色の髪。深く青い瞳。A級特殊能力者。

母親から虐待を受けて育つ。士官学校に入る前からアーロン(ジェイの弟)に見出され、支援を受ける。

温厚で控え目な性格を演じているが、他人に本音で接することを恐れている。

□セアラ・ラディアン

カツミの姉的存在。関係は一度だけあるが実質片思い。

女性。十九歳。少尉。管制塔任務。

さらりとした長い黒髪。栗色の瞳。美少女。

天真爛漫。反面、思慮深く母性が強い。

大きな瞳をくるりと上に向けて微笑む癖がある。

□ユーリー・ファント

カツミの同僚。上官。

男性。二十五歳。少佐。飛行隊。

実家は貿易商。サラの幼馴染み。自称情報通。A級特殊能力者。

社会背景や軍の在り方に強い疑問を持っている。

困った時に頭を掻く癖がある。

□ロイ・フィード・シーバル

カツミの父。特区の最高責任者。

男性。四十七歳。中将。

クリーム色の短髪。トパーズ色の瞳。長身。

実力主義の冷酷な人物。カツミのことは所有物と思っている。

A級特殊能力者。

□ルシファー・セルディス

カツミの同僚。後輩。

男性。十八歳。少尉~大尉。飛行隊。カツミのフライトオフィサ。

実家は百貨店経営や貿易を営む名家。兄と姉がおり、末っ子。

さらりとした黒髪。深い緑色の瞳。身長180センチ。長身。

A級特殊能力者。特に『聞く者』の能力に長けている。

他人の心の裏側が聞けることで、子供の頃は人間不信で攻撃的だった。

聞けることが当然で育っているので、シールドが高く聞けないカツミに振り回される。同時に唯一の分からない相手であるカツミに惹かれる。

口が達者だが奥手。頭脳先行型。俯瞰から物事を見るのは得意だが、他人の気持ちは察するよりも読んできたので、思い図ることが苦手。観察者側に自分を置く。

読書が趣味。常に分厚い本を読み漁っている。愛読書は『廃船の記録』。

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