第三話 死に問われる

文字数 4,157文字

 日暮れ前。カツミは琥珀に染まる敷石に影を落としながら墓地に踏み入った。行き過ぎる冷たい風が、足先をのばした冬の裾を捲り上げる。
 カツミの目にフィーアの墓前で屈みこんでいるユーリー・ファントの姿が映った。彼に気づいたユーリーが、おもむろに立ち上がると声をかけた。

「やあ。また会ったね」
「もしかして、毎日、来られてるんですか?」
 カツミの問いに首を振ったユーリーだったが、フィーアの墓に視線を落とすと、そうしたいところだがねと付け加えた。
「でも、いつも君の邪魔をしてしまうね」
「いえ……」

 戸惑った顔のカツミに、ユーリーが微笑を浮かべると提案をした。
「良かったら夕食でも一緒にどうかな。君の知らないフィーアのことも話してあげられると思う。まあ、私の自己満足ではあるけどね」

 突然の誘いだったが、カツミは素直に頷いた。
 誰かと話がしたい。どこかで気持ちを整理したい。
 崖っぷちに追い立てられ、自分の本心を見失っていることが耐え難かった。

 カツミが頷きを返した時、ザアアと大きな音をたて、乾いた風が通り抜けた。冬の気配を含んだ森の香が、彼の髪を撫で上げる。
 寒風の通り道を見るように振り返ったカツミが、視界に入った幻想的な光景に息を飲んだ。

 見渡す限り整然と並んだ墓石のただ中で、過去と今が触れ合っていた。溶け落ちそうな最後の夕陽に照らされ、過去に蓋をした石の群れが一斉に輝きだす。
 その光輝と戯れるように、風に飛ばされた枯葉がカラカラと敷石の上を転がっていった。

 時の止まった場所。過去を封じた場所。記憶を閉じ込めた石の箱。その冷たい石の群れが今、燃えるような陽の中で立ち尽くすカツミに問いかけていた。

 ──生と死の意味を。過去と今の意味を。今までと、これからの意味を。

 この時、カツミは死に問われていた。
 死の宣告をされている者と、まだされていない者。そこに違いなどあるのかと。
 ジェイの診断書はまさに死刑宣告文だった。しかし、それと自分に課せられている任務との間に、どれだけの違いがあるのかと。

 死は厳然として揺るがない。
 けれど生きてる者だって、いつ死ぬなんて分からないんだ。ほんの紙一重の差のなかで、分からない余命のなかで、どんな人でも生きている。
 視界いっぱいに並んだ石の群れが、神々しく飴色に輝いていた。モアナの光は、分け隔てなく冷たい石を照らしている。
 死は平等だ。そして死刑宣告文を持つ全ての生者も、死から逃れられないという点では平等なんだ。
 なのになぜ俺は、必然の死ばかりに囚われているんだろう。今に生きられないんだろう。

 ジェイは自分の余命を知ってたんだ。ずっと死の足音を聞いていた。それなのに、俺に生きてほしいと言い続けていた。騙してたんじゃない。言えるわけがない。死にたがりの俺に自分の余命なんか。
 いのちを削ってでも俺を生かそうとしたのはなぜだろう。砂漠に水を注ぐような虚しい時間だったろうに。
 ジェイはなにを求めている?

 どんな愛情も受け取ることが出来ずに、俺は満たされなかった。ずっと足りないと求め続けた。この手から、なにひとつ手渡すことなく。
 ほんのさっきだ。俺が自分にとどめを刺そうとしていたのは。いのちなんて、俺にはその程度のものだった。自分に価値なんてないと思っていた。
 それなのに、死期を察しながらもジェイは俺を生かそうとしている。最後の時間を注いでくれる。

 このまま逃げ出していいのか? ジェイに返すものがあるんじゃないのか? 時間は待ってはくれないのに。明日なんて誰にも分からないのに。

 カツミは驚いていた。自分にもまだ、こんな気持ちが残っていた事実に。そして恥じていた。ジェイの死を目前にするまで、ずっとただ甘えていた自分を。

 ──束ねるものと出会いなさい。これから連綿と続く、この国を束ねてゆくものと。そのものの指し示す事々に従いなさい。この混沌を救う神に出会いなさい。

 カツミに求められているものを示す声。能力を封印した彼に、その声はまだ……届いていない。

 ◇

 夕食をご馳走するよ。そう言ってユーリーが案内したのは、特区内にあるリストランテだった。
 どっしりとした木のドアを開けると、柔らかな照明の向こうに大きな暖炉が見えた。客は家族連れやカップル。まだそれほど混んでいない。

「ひさしぶり」
 そう言ってカウンターに座ったユーリーに、店のマスターらしき人物が静かに微笑む。白髪で実直な印象を与える老人だった。
「なにが食べたい?」
 問われたカツミは朝からなにも食べていなかったことに気づく。昨日は、ジェイに無理やりシチューを食べさせられたな。思い出して胸がちくりと疼いた。

「シチューかな」
「ははっ。フィーアと同じだね。ここのシチューは一番のお勧めだよ」
 笑ったユーリーがマスターとやりとりを始めた。最後の紅茶までオーダーしてメニューを返すと、カツミを見てまた目を細める。
「茄子とキノコのラザーニャだってさ。旨そうだなぁ。あっ、ワインは?」
「……赤で」

 まるでセアラといる時のペースだとカツミは思った。どう見ても相手が主導権を握っているのだが、なぜかそれが心地いいのだ。
 セアラの顔を思い浮かべたカツミは、ざわついていた心が落ち着き、そのままゆっくり店内を見回した。
 洒落た田舎風の造りで、煉瓦でできた壁には古い大きな絵が掛けられている。
 昔、この星を治めていた王族。中央に描かれている美しい王女が、長い戦争のきっかけとなったことをカツミは知っていた。彼の視線の先に気付いたのか、ユーリーもその絵に目を向けた。

「アーリッカ王女か。あのラヴィ・シルバーも接触してるって噂があるな」
「昔の撃墜王ですよね」
「君も狙えるんじゃないのか? まあ。アレが前線に出されるのは、あまり見たくはないけどね。能力者部隊に組み込むらしいけど」
「アレって。例の計画のことですか?」
「そう。同じ顔が、ああまで揃うと寒気がするよ。オリジナルは向こうからの輸入品だ。こっちじゃ、そんなものに志願する人間なんていないからな」
「あの名はオリジナルの名前だと聞きました」
 ──リーン。部隊では、千二百人のクローンのことを共通してそう呼んでいた。

 ちょうど話が途切れたところに、タイミングよくワインがサーヴされる。
「じゃ。とにかく乾杯といこうか」
 何に向けてとは言わずに、ユーリーが杯を上げる。
 薄いワイングラスの触れ合う音。血を思わせる赤い果実酒が、穏やかな灯りの下で揺らいだ。

 ◇

「少佐に薬の件を依頼されたときには、これは脅しだなと思ったんだ」
 ラザーニャを嬉しそうに頬張る顔とは裏腹に、ユーリーの説明は毒だらけだった。カツミは複雑な思いで頷くと、話が外に漏れないよう周囲にシールドを張った。

「うちは貿易商をしててね。あの手の物も扱ってるわけだ。向こうはこっちの上行く情報通だから、バレてたんだな。まあ、仕事だと思って割り切ったわけさ」
「その結果が墓地通いですか?」
 皮肉というにはあまりにとげとげしいカツミの呟きを聞いて、ユーリーが困ったように頭をかく。
「まったくね。とんだ失敗だった」
 自嘲の笑みを浮かべ、ユーリーが素直に非を認めた。

「彼とは色々話したよ。それがいけなかったんだろうね。ただの運び屋に徹すれば、こうはならなかったさ」
「ここにも?」
「さっき言った通り。ほらシチューがきたぞ」
 魚介類と野菜のたっぷり入った煮込み料理が置かれた。となりには焼きたてのフォカッチャが並ぶ。
「これも手づくり。君みたいに痩せてるのには、無理にでも食べさせたくなるな」

 余計なお世話だ。むっとしながらカツミがスプーンを繰った。相手の評価を素直に認めたくはなかったが、確かにお勧めに相応しい味である。

「どう言えばいいのかな。白状してしまえば、必要以上に肩入れしてしまったんだ」
 視線を漂わせたままユーリーがぽつりと呟くと、カツミが容赦なく切り込む。
「好きだったとか?」
「さあね。あの子が好きな相手は分かってたし」
「まさか」
「いや、君だったよ。今になってみればよく分かる」
「殺されかけたんですよ」
 カツミの言葉で、頬を叩かれたようにユーリーが顔を強張らせた。だがわずかに首を振ると切っ先を返す。
「でも、寝たんだろう?」
 返答に窮したカツミに、情報通だと言ったろ? と、ユーリーが口の端を上げた。
「ああいう自然死じゃない遺体は、それこそ根こそぎ調べるもんだよ。警察が表沙汰にしなかったのは、中将が釘を刺したからだ。公には一時的な精神錯乱としかでなかったし、薬のことも伏せられたろ?」
「そうでしたね」

「私はね。少佐に従ってフィーアを特区から追い出すことは嫌だった。縛っていたかった。あの子が君のことをほのめかすたびに居心地が悪かったよ」
「俺のこと? フィーアは、初めは恨んでたんですよ」
「恨んでた? だから殺そうとした? 違うよ」
 ワインを注ぎながら、ユーリーがあっさり否定する。

「フィーアも気付いてなかっただけさ。あの子は自分のことを捨ててた。あれだけ優秀だったのに生きてる実感すらなかったかもしれない。人を好きになるとか、恨むとか、反対に誰かに愛されるとか。そういう場面に出くわすような人間じゃないと思ってたんだ。周りがいくら褒めても、彼自身が自分のことを無価値だと思っていたから、耳には入ってなかったろうね」

 ──コインの裏側。
 フィーアに対するユーリーの評価を聞いたカツミは、まるで自分に向けられた言葉のようだと感じていた。

 グラスを傾けながら、ユーリーが自責の言葉を繋ぐ。
「フィーアのしてしまったことは、もちろん頂けない。かといって、今さらそれを責めても意味がない。原因をつくったのは私だしね」
「いえ。俺が悪いんです。俺のせいです」
 カツミの罪悪感を消そうとでもするように、ユーリーが軽口を叩く。
「まったく。どいつもこいつも一方通行。どこかで正面衝突でもしたいもんだな」

 ──フィーア。纏う呪いを清めし者。
 カツミは知らなかった。なにをどうあがいたとしても、フィーアが短命で終わると決まっていたことを。
 双子の魂。コインの裏側。フィーアの死はカツミのために必要なものだった。
 それを知るのは、今はまだ一人しかいない。
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登場人物紹介

□カツミ・シーバル

主人公。

男性。十九歳~二十歳。少尉~少佐。飛行隊。

眉目秀麗。幼顔で中性的。身長160センチ。華奢で小柄。

右の瞳がトパーズ色、左の瞳がクリムゾン色のオッドアイ(ヘテロクロミア)。

肩まで伸びたやや癖のあるクリーム色の猫っ毛。

最高位の士官学校を首席卒業した優秀な人物。父親は特区の最高責任者。

母親はカツミを産んですぐに死亡。一人っ子。

育児や教育は使用人によって行われ、父親からネグレクトと虐待を受けて育つ。

拒食症で不眠症。体力は特殊能力で保持している。

超A級特殊能力者だが、子供の頃に父親の本音を知るのが怖くなり、能力のほぼ全てをみずから封印した。

ただし戦地では解放している。

口癖は「ごめん」。自虐的で自罰的。逆に天然な面があり、小悪魔的。

無意識に他人の本音を引き出す言動をする。

必要のない人間だと言われることを極度に恐れている。寂しがり。

□ジェイ・ド・ミューグレー

カツミの恋人。

男性。二十八歳~二十九歳。少佐。研究者。

貴族の家柄。家は財閥系の情報企業。長男で弟がひとりいる。

身長180センチ。すらりとした長身。黒髪。淡い茶色の瞳。眼鏡をしている。

幼い頃から天才と騒がれ跡取りとして大事に育てられる。

幼年学校は二年スキップしたにも関わらず、あらゆる資格を取得。

士官学校も一年スキップで卒業する(ラヴィ・シルバー以来の快挙)。

家の跡を継ぐまでの間という約束で長年の夢であった特区入隊を果たすが、事故により飛行隊任務が出来なくなる。婚約も破棄。任務も研究職に変える。家の跡取りは弟に変わる。

カツミにとっては父親的存在。

優しさと狡さ、独占欲と包容力を持つ。

長いスパンで先を見通すため、他人には理解し難く、アンビバレンツな人物に見える。

□シド・レイモンド

ジェイの元恋人。一年前に別れたが、現在も未練を持っている。

男性。二十八歳。少佐。軍医(外科医)。

実家は開業医。父親は外科医。母親はシドが十歳の時に離婚。一人息子。

肩まで伸びた癖のある栗色の髪。栗色の瞳。女性的な印象。

スキップで入学した医大を首席卒業した切れ者。毒舌家で皮肉屋。挫折を知らない世渡り上手。

カツミの恋敵的存在だが、いい人を演じている。

□フィーア・ブルーム

カツミの同僚。ライバル的存在。

男性。十九歳。少尉。飛行隊。

さらりとしたクリーム色の髪。深く青い瞳。A級特殊能力者。

母親から虐待を受けて育つ。士官学校に入る前からアーロン(ジェイの弟)に見出され、支援を受ける。

温厚で控え目な性格を演じているが、他人に本音で接することを恐れている。

□セアラ・ラディアン

カツミの姉的存在。関係は一度だけあるが実質片思い。

女性。十九歳。少尉。管制塔任務。

さらりとした長い黒髪。栗色の瞳。美少女。

天真爛漫。反面、思慮深く母性が強い。

大きな瞳をくるりと上に向けて微笑む癖がある。

□ユーリー・ファント

カツミの同僚。上官。

男性。二十五歳。少佐。飛行隊。

実家は貿易商。サラの幼馴染み。自称情報通。A級特殊能力者。

社会背景や軍の在り方に強い疑問を持っている。

困った時に頭を掻く癖がある。

□ロイ・フィード・シーバル

カツミの父。特区の最高責任者。

男性。四十七歳。中将。

クリーム色の短髪。トパーズ色の瞳。長身。

実力主義の冷酷な人物。カツミのことは所有物と思っている。

A級特殊能力者。

□ルシファー・セルディス

カツミの同僚。後輩。

男性。十八歳。少尉~大尉。飛行隊。カツミのフライトオフィサ。

実家は百貨店経営や貿易を営む名家。兄と姉がおり、末っ子。

さらりとした黒髪。深い緑色の瞳。身長180センチ。長身。

A級特殊能力者。特に『聞く者』の能力に長けている。

他人の心の裏側が聞けることで、子供の頃は人間不信で攻撃的だった。

聞けることが当然で育っているので、シールドが高く聞けないカツミに振り回される。同時に唯一の分からない相手であるカツミに惹かれる。

口が達者だが奥手。頭脳先行型。俯瞰から物事を見るのは得意だが、他人の気持ちは察するよりも読んできたので、思い図ることが苦手。観察者側に自分を置く。

読書が趣味。常に分厚い本を読み漁っている。愛読書は『廃船の記録』。

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