第三話 神と罪人の蜜月

文字数 3,328文字

 その日の夜。突然訪室したカツミに、ロイは驚きを隠せなかった。息子の顔をしたカツミは、微かな笑みすら浮かべて色の違う双眸を輝かせている。

「改心でもしたのか?」
「まさか。俺はもう、そこにはいないよ」
 息子の返答は、父の皮肉よりも数段辛辣だった。ロイには、カツミの冷笑の真意が読み取れない。
「訊きたいことがあって来たんだ」
「訊きたいことだと?」
「もう隠す必要なんかないだろ?」
 ジェイが特区を去った今、カツミが知りたいこと。
 それは、これまで言い出せず、言う必要も感じて来なかったことである。ロイは一瞬視線を外したが、すぐに息子を見据えて問いただした。

「知ってどうする」
「あんたの二の舞にならないための判断材料にする」
 意外な返事だった。今までのカツミなら、到底口にしない言葉だ。
 二の舞とはまたずいぶんな言い草だとロイは思う。とはいえカツミにとっての自分は、恋人の命を縮めた加害者なのだ。

「では、これは私の義務だな」
 返事を聞いたカツミが、ロイの向かいに腰を下ろした。それから、ロイの手にしていた煙草を見てあからさまに顔をしかめた。ジェイの喫ってるのと同じ銘柄じゃないか。子供っぽく唇を曲げたままのカツミに、ロイが訝りながら訊く。

「……喫うか?」
「それより飲みたい」
 いずれにせよ未成年のカツミには不適切だが、素面では聞けないだろうとロイが譲歩する。
「私の分もつくるなら、好きにしていいぞ」
「仕方ねぇな」
 さっと立ち上がって簡易キッチンに向かう息子の背を、ロイの視線が追った。

 三月になればカツミも二十歳だが、離れていた月日は十二年に及ぶ。幼かったカツミの印象が強いのだ。
 昔のジェイを偲ばせる既視感を与えながら、カツミが棚の酒瓶を吟味している。やがて一本の蒸留酒を取り出すと、グラスと氷を並べた。その仕草を見て、ロイはようやく幼かったカツミの面影を押しやった。

 話さなければならないことは多い。そして重い過去は逃避の足跡だった。
 相対する相手に逃げ道を残さない。真実を映す鏡は、相手が父であっても容赦なく突き付けられていた。

 ◇

「あんたはまだ、ジェイのことが好きなのか?」
 真っすぐな追求だった。問いかけながらも、カツミは緊張を抑え込むように、二杯目を作っていたのだが。
 ロイは過去を手繰るように視線を泳がせた。

「恋愛感情なんてものとは、かけ離れていたな」
「でも、恋人だったんだろ?」
 恋人だったことは事実である。だがロイは、その定義に違和感を覚えた。口をつぐむと、手のなかのグラスを揺らしながら考え込む。
 ──ジェイは欠片。空洞を埋める唯一無二の欠片だった。だが自分は、あっと言う間にそれを失くしたのだ。

「身体の関係だけで恋人と呼ぶのならな」
「えっ?」
「私はジェイと戦っていたんだよ。最初から負けていたがね。愛情を育てるなんて仲じゃない。本音を言い合ったことすらなかった。別れた後も、私はずっとジェイの出方に怯えていたんだ」

 ──神と罪人の蜜月。
 ロイは自分の罪を再び突き付けられていた。失くしたものの大きさを。気付けなかった愚かさを。抱え続けてきた諦めを。逃げ惑い、抗うことが、社会的には認められていくという皮肉を。

「ジェイがお前にどう言ったかは知らないが、十年前の事故の後に彼は私を庇ったんだよ。本来なら私はミューグレー家に潰されてた。でもジェイは私から離れずに、自分が誘ったと嘘をついたんだ」
「ジェイが嘘を?」
「自分は跡継ぎにはなれない。自分が好きなのは、この私だとね。全て嘘だよ。私を巨大財閥から守るための方便だ。まだ成人すらしてなかったジェイが、私を庇うために大嘘をついてみせたんだ」
「……」
「それ以来、私は真綿で首を締められるように過ごして来た。ジェイの行動にいつも怯えていた。あれが私の元を離れた後も、お前を手にした後も、私はただの傍観者だった。……そしてフィーアの事件だ」
 その言葉にカツミが顔を曇らせた。

「私は、次はお前が殺されると思った。……誤解だったようだがね」
「あんたはなんで他人の人生を狂わせるんだ。フィーアの親も、フィーアも」
「そして、お前のもな」
 自嘲とも開き直りとも取れる表情をロイが浮かべる。
「なぜなんだ?」
「知りたいか?」
 カツミの先にあるトパーズの双眸が、大きな何かを握り潰すように鋭い眼光を放っていた。
「思い出したくもないだろう? 十二年前のことは」
 ロイの言葉にカツミの顔が強張る。
「一年前のこともな」
 まざまざと再現される記憶。今日と同じ初雪の降った夜。──絶望を超えた日。死に魅入られた日。そして、ジェイにいのちを拾われた日。

「こんな雪の日だったな。夜中にジェイが来て」
「ジェイがここに?」
 食い入るようなカツミの視線を避け、ロイがまた氷の溶けたグラスに目線を落とす。
「あいつら全員殺してやる。そう言ったよ。怒りで顔を真っ赤にしてな。ジェイが私にものを頼んだのは、あれが最初で最後だった」
「じゃあ、あれは」
「ジェイに頼まれて私が処分した」
 ロイは思う。ジェイの頼みがなければ、自分はカツミを見殺しにしたかもしれないと。心を殺すために。支配するために。自分に課せられた運命を嘲笑うために。

「あの時と同じ状況を、私は七歳の時に経験した」
 ふいに、ロイが衝撃的な事実を吐き捨てた。目を見張ったカツミの前で、苦悩を噛み潰す口元が歪む。
「あの日、私は一度死んだんだ。その代償をまわり全てに負わせようとしてきた。誰かを愛するなんて絵空事と思ってきた。欲しいものは奪うんだよ。奪われたものを取り戻すためにな」
「……いいのかよ? それで」
「同情か?」
「そんなんじゃねえよ!」

 たった七歳で絶望に突き落とされる。自分に与えられた仕打ちは、父が抱えてきた呪詛の塊だったのだ。虐待の連鎖。あってはならないことだった。
 ずっと許せずにきた父もまた、許せない怒りを抱えていた。カツミは怒りを向ける先を失う。この世の不条理に心が凍る。
 トパーズの双眸は、もう過去を突き放していた。煮えたぎる苦悩を素手で掴みながらも。
 カツミには分からない。必死にあがき続けている彼には、父の諦念の理由が分からない。その彼の前にロイが乾いた笑いを放り出した。

「ははっ! 私の予定が台無しだ」
「どういう……意味だよ」
「お前に軍人は向いてないということさ。この仕事に心はいらないんだ。ただのゲームを百年も続けるような国だ。欲しいものは奪って権力を得る。それしか前に進む方法はないんだ」

 それが、この国の最高位の軍事基地で、最高位の地位にいる人物の本音だった。地位を得れば、力を得れば、彼は『束ねるもの』の力を借りなくとも、この世界を変えられると思ったのだ。
 最後の生贄とされたロイが、この国の馬鹿げた争いを終わらせることが出来るなら、もう『導く者』など必要としない。そんなことが可能であるなら。

「それがあんたの生き方なのか?」
「そうだ」
 ロイが即答した。どうしても譲れなかった。
 しかし、カツミの思いはロイとは違うものだった。
 ジェイに映されたいのちの色は、人から奪うものではなく、人に与えることを教えていたからだ。
「俺は、心は必要だと思ってる。どんな中にいても必要だって。心を殺さずに『許す』方法ならあると思ってる。今は無理でも、諦めなかったらいつか掴めるって」
「私の二の舞にならぬようにな」
 支配することで殺そうとした息子の決意だった。

 失敗したな。そうロイは思っていた。
 束ねるものに抗うためにカツミを支配してきたというのに、よりによって、それをジェイに遮られるとは。
 唯一の欠片。ずっと抱えて来た虚無感を埋めてくれたジェイ。しかしそのジェイにまで、もう諦めろと言われたようじゃないか。

 息子の顔を間近に見ながらロイは思う。
 それにしても、カツミは一気に変わったな。まさか、許すなんて言葉を聞かされるとは……。
 しかしロイは、すぐさま自分の安堵を否定した。
 馬鹿馬鹿しい。息子の成長を喜ぶ父親にでもなったつもりか? そんなものは、とっくに捨てたじゃないか。
 悪魔にでもならなければ、束ねるものには抵抗できない。そんな感情は自分にはいらないものだ……と。
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登場人物紹介

□カツミ・シーバル

主人公。

男性。十九歳~二十歳。少尉~少佐。飛行隊。

眉目秀麗。幼顔で中性的。身長160センチ。華奢で小柄。

右の瞳がトパーズ色、左の瞳がクリムゾン色のオッドアイ(ヘテロクロミア)。

肩まで伸びたやや癖のあるクリーム色の猫っ毛。

最高位の士官学校を首席卒業した優秀な人物。父親は特区の最高責任者。

母親はカツミを産んですぐに死亡。一人っ子。

育児や教育は使用人によって行われ、父親からネグレクトと虐待を受けて育つ。

拒食症で不眠症。体力は特殊能力で保持している。

超A級特殊能力者だが、子供の頃に父親の本音を知るのが怖くなり、能力のほぼ全てをみずから封印した。

ただし戦地では解放している。

口癖は「ごめん」。自虐的で自罰的。逆に天然な面があり、小悪魔的。

無意識に他人の本音を引き出す言動をする。

必要のない人間だと言われることを極度に恐れている。寂しがり。

□ジェイ・ド・ミューグレー

カツミの恋人。

男性。二十八歳~二十九歳。少佐。研究者。

貴族の家柄。家は財閥系の情報企業。長男で弟がひとりいる。

身長180センチ。すらりとした長身。黒髪。淡い茶色の瞳。眼鏡をしている。

幼い頃から天才と騒がれ跡取りとして大事に育てられる。

幼年学校は二年スキップしたにも関わらず、あらゆる資格を取得。

士官学校も一年スキップで卒業する(ラヴィ・シルバー以来の快挙)。

家の跡を継ぐまでの間という約束で長年の夢であった特区入隊を果たすが、事故により飛行隊任務が出来なくなる。婚約も破棄。任務も研究職に変える。家の跡取りは弟に変わる。

カツミにとっては父親的存在。

優しさと狡さ、独占欲と包容力を持つ。

長いスパンで先を見通すため、他人には理解し難く、アンビバレンツな人物に見える。

□シド・レイモンド

ジェイの元恋人。一年前に別れたが、現在も未練を持っている。

男性。二十八歳。少佐。軍医(外科医)。

実家は開業医。父親は外科医。母親はシドが十歳の時に離婚。一人息子。

肩まで伸びた癖のある栗色の髪。栗色の瞳。女性的な印象。

スキップで入学した医大を首席卒業した切れ者。毒舌家で皮肉屋。挫折を知らない世渡り上手。

カツミの恋敵的存在だが、いい人を演じている。

□フィーア・ブルーム

カツミの同僚。ライバル的存在。

男性。十九歳。少尉。飛行隊。

さらりとしたクリーム色の髪。深く青い瞳。A級特殊能力者。

母親から虐待を受けて育つ。士官学校に入る前からアーロン(ジェイの弟)に見出され、支援を受ける。

温厚で控え目な性格を演じているが、他人に本音で接することを恐れている。

□セアラ・ラディアン

カツミの姉的存在。関係は一度だけあるが実質片思い。

女性。十九歳。少尉。管制塔任務。

さらりとした長い黒髪。栗色の瞳。美少女。

天真爛漫。反面、思慮深く母性が強い。

大きな瞳をくるりと上に向けて微笑む癖がある。

□ユーリー・ファント

カツミの同僚。上官。

男性。二十五歳。少佐。飛行隊。

実家は貿易商。サラの幼馴染み。自称情報通。A級特殊能力者。

社会背景や軍の在り方に強い疑問を持っている。

困った時に頭を掻く癖がある。

□ロイ・フィード・シーバル

カツミの父。特区の最高責任者。

男性。四十七歳。中将。

クリーム色の短髪。トパーズ色の瞳。長身。

実力主義の冷酷な人物。カツミのことは所有物と思っている。

A級特殊能力者。

□ルシファー・セルディス

カツミの同僚。後輩。

男性。十八歳。少尉~大尉。飛行隊。カツミのフライトオフィサ。

実家は百貨店経営や貿易を営む名家。兄と姉がおり、末っ子。

さらりとした黒髪。深い緑色の瞳。身長180センチ。長身。

A級特殊能力者。特に『聞く者』の能力に長けている。

他人の心の裏側が聞けることで、子供の頃は人間不信で攻撃的だった。

聞けることが当然で育っているので、シールドが高く聞けないカツミに振り回される。同時に唯一の分からない相手であるカツミに惹かれる。

口が達者だが奥手。頭脳先行型。俯瞰から物事を見るのは得意だが、他人の気持ちは察するよりも読んできたので、思い図ることが苦手。観察者側に自分を置く。

読書が趣味。常に分厚い本を読み漁っている。愛読書は『廃船の記録』。

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