第一話 聞く者と退官

文字数 4,243文字

 ジェイの別邸を訪ねた翌日。カツミは寮の廊下で呼び止められた。自室のあるフロア。以前にフィーアが使っていた部屋の前である。
 すらりとした身体に真新しい制服を綺麗に着こなした青年だった。整った面立ち。黒髪に深い緑眼。カツミよりも頭ひとつ分ほど背が高い。
 軽く会釈をした彼が、控えめだがはっきりした口調で尋ねた。

「シーバル少尉ですか?」
 カツミが頷くと、恐縮したように少し目線を下げた。
「すみません。頼みがあるんですけど」
「なんだ?」
 カツミの疑うような視線にも全くひるまない。特区に入隊する人物共通の強い自負が、惜しみなく発散されていた。
「このID。部屋の鍵にもなるって言われたんですけど、使い方が分からないんです」
「君、新人?」
「ルシファー・セルディス。少尉です。本日づけで、X─10部隊に配属になりました」
「能力者か。俺と同じ部隊だな」
「はい。『聞く者』です」
 ルシファーが即答した。特区ではゲートの外のように隠す必要はないのだ。

「カード貸して」
 カツミは、受け取ったIDをドア横の認識機に突っ込むと、操作盤の蓋を指で横向きにスライドさせた。ルシファーがその様子をじっと見つめる。
「後はここにパスを入力すればいい。最初の設定は自分の登録番号になってる。でもこんな面倒なこと、皆やってない。ここでロックして、カードを突っ込むだけにしてるよ」
「ありがとうございました」
 頭を下げたルシファーに、カツミが疑問を向ける。
「今日からって、ずいぶんと半端な時期なんだな」
「ええ。X―10の隊員が足りないとの事で、特例なんです」

 ……ということはフィーアの代わりか。見当はついたが、カツミは違和感を覚えていた。
「さっき所属先の隊員紹介を受けて、貴方の写真があったので。すみません。ほんと困ってたんです」
「いいって。これくらい」

 その時、ルシファーがカツミの背後に視線を送った。つられて振り向いたカツミの目に、歩み寄って来るシドが映った。シドは、二人のすぐ傍で足を止めた。
「どうかしたのか?」
「うちの部隊の新人だよ。部屋の鍵が開かなくて、のたうちまわってた」
「のたう?」
 カツミの妙な言い回しで困惑しているルシファーを、シドがくすっと笑いながらフォローした。
「入隊おめでとう。意地の悪い先輩なんて無視していいからね」
「あ。いえ。助けてもらったほうです」
「名前は?」
「ルシファー・セルディスです」
 名前を聞いたシドが一瞬だけ顔を強張らせたのを、カツミは見落とさなかった。
「私はシド・レイモンド。軍医だ」
「宜しくお願いします」
「医者にはあまり世話にならないほうがいいよ」

 混ぜっ返したシドに、ルシファーがはにかんだ笑みを見せた。だがカツミは気づいていた。笑みの奥にある禍々しい敵意に。上手に隠してはいるが、フィーアほどには演じきれていない。
 歩き出したシドについてカツミも自室に向かった。
 だが、廊下の端にある部屋に入るまで、二人はずっと押し黙っていた。ドアが閉まるなり、シドが先に口を開く。表情にも強い警戒の色が滲んでいた。

「彼は能力者か?」
「『聞く者』だって。フィーアの穴埋めみたいだ」
「気をつけたほうがいい。思い過ごしかもしれないけど彼の目が気になる。あのセルディス家の者なら、A級は間違いなしだ。『全能力者』の可能性もある」

 全能力者。静止や浮遊、衝撃などの念動力に加えて、精神感応──他人の思考を読む能力を兼ね備えている者が、そう呼ばれていた。カツミも全能力者だが、能力のほぼ全てを封印しているので、全容は彼自身にも分からない。
 カツミはセルディス家のことを知らなかったが、シドの意見には同意した。
 ルシファーから、負の感情を感じ取ったのだ。一年前のことがあって以来、カツミはこの手の感情に過敏になっていた。
 でも、気づいたところでどうしようもないよな。カツミが小さく息をつく。シドも同じように考えたのか、すぐに話題を変えた。

「年末の休暇はいつ取るんだ?」
 唐突な問いだったが、カツミは意図を察した。
「年明けから1サイクル。今日許可されたけど?」
 シドに正対したカツミが、真意を確かめるようにじっと瞳を見つめた。
「ジェイのとこ。週末はずっと行くだろ?」
「うん。行くよ」
「その休暇中も?」
「もちろん」
「私は日をずらして行かせてもらうよ。平日に往診する許可を取った」

 カツミにも分かっていた。三人になると、どうしてもギクシャクしてしまう。残り少ない時間を無駄にしたくないのは彼も同じだった。
 カツミの視線に耐えられず横を向いたシドが、口にしたくない報告を続けた。
「ジェイの主治医は余命三か月と診断した。でもこれは、入院加療して最も引き延ばした場合の話だ。ジェイは入院を拒否してる。私はそれを強要する意味はもうないと思ってるんだ」
 カツミは愕然とする。現実を改めて思い知らされ、握りしめた手が震えだす。動揺をシドに覚られたくなくて、髪をかき上げて誤魔化す。

「カツミはどうしてもらいたい? このままだと、お前の出兵中にジェイは」
 死ぬ──と直接口に出せず、横を向いたままシドが訊いた。だが、カツミは首を振ってはっきり答えた。毅然と。シドが気圧されるほどきっぱりと。
「ジェイが決めることだ。俺が口出すことじゃない」
「……そうだな。私は狡いんだろうな。カツミが懇願すれば、ジェイも入院に同意すると思ったから」
 ──自分のためにジェイの生を引き伸ばそうとしていた。誰でもなく自分のためだけに。

「だから医者って嫌だよな」
 皮肉で我に返ったシドに、カツミが笑みを見せた。そんな顔を見るたびに、シドは不安になってしまう。この反動がどんな形で出ることになるのかと。心配顔のシドに気づいたのか、カツミが先手を取った。
「無理するな。だろ? 分かってるよ」
「本当か?」
「まったく。すぐそうやって」
「保護者面する。だろう?」
「そうだよ」

 シドはカツミの言葉に思わず微笑む。彼は感じていた。カツミに救われているのだと。我が儘で突拍子もなくて、しかし硝子のような感受性を持った子供。その子供に自分は救われているのだと。
 もうカツミのことを子供扱いするのは間違っているのかもしれない。そうは思っても、シドはカツミを放っておけない。相手のためというより、自分のために。

「これだけ言いに来たんだ。まだ仕事が残ってるから、失礼するよ」
 部屋を出ようとしたシドだったが、カツミに逆襲を食らった。
「無理するなよ。ドクター」
「はははっ! ったく。まいったな」
 笑い声を背中に貼り付けたまま、シドがドアを開けて出て行った。

 ◇

 遅い時間だが医務室には灯りがついている。来室の合図を聞いたシドが時計を見ると、22ミリアを過ぎていた。鍵はいつも開けている。すっと開いたドアから入ってきたのは──。それがロイであることを知って、シドは目を疑った。

「シーバル中将」
 慌てて立ち上がったシドを手で制すと、ロイが面談用のソファーに腰を下ろした。
「仕事の邪魔だったかな」
「とんでもありません」
 シドは事務机を離れてロイの前に出たものの、そこで立ち尽くしていた。手振りだけで着席を促したロイが、まあ落ち着けと言わんばかりにシドに訊いた。

「君は煙草を吸わなかったな」
「お待ち下さい。持って来ます」
 当然医務室は禁煙だ。しかしシドは『ジェイ用』の灰皿を隠しおいていた。
 処置室に向かったシドを見送ったロイが、何気なく目の前の薬品戸棚に視線を移した。棚の中段に一つ、特殊なラベルの瓶を見つけて身を乗り出す。それは本来、鍵のかかる場所に管理されるべき劇薬だった。加えて頻繁に使用されるとは思えない薬である。

 戻ってきたシドから灰皿を受け取ったロイは、何ごともなかったように煙草に火をつけ、大きく紫煙を吐き出した。トパーズの双眸は、どこかいつもの厳しさを欠いている。
 なにを言い出すのだろう。疑問と緊張のなかでシドが身構えていると、ロイが思わぬ話を切り出した。

「少佐」
「はい」
「君はこの先も軍医を続けるのかね? たしか家は開業医と聞いていたが」
「多少経験を積んで戻るつもりでしたが、もうしばらくお世話になろうと思っています」
 カツミがいる限り退官する気にはなれない。その気持ちは確かだが、シドの言葉には少しの嘘が混ざっていた。彼はもとより帰る気などなかったのだ。
 シドはロイではなくカツミに意識を移していた。その意識が、ロイの衝撃的な発言で強制的に引き戻された。

「近く、私は辞めるつもりだ」
 あまりにもさらりと告げられた言葉だった。ロイはまだ四十代後半。退官するような年齢ではないのだ。呆然としていたシドに、ロイが退官理由を付け加えた。

「例のクローン計画で上と揉めてね。結局私が折れたんだが、もう潮時だと思ったんだよ」
「なぜ、それを私に」
「ジェイに、彼に伝えてくれ。私はもう降りるとね」
「……いちど、会いに行かれてはいかがですか」
「君から、そんな言葉を聞くとはな。私を憎んでるだろうに」
 顔を強張らせたシドに、ロイが口の端を歪めてみせた。

「こないだカツミが訪ねて来たんだが、ずいぶん驚かされたよ。ジェイと君の影響だろうがね。あんな素直に育てた覚えはなかったんだがな」
 ロイの皮肉には、もはや冴えも毒もなかった。それはむしろ自虐。あの冷酷非情な最高責任者の面影は完全に消え失せている。
 返す言葉が見つからない。シドは俯いたままロイが揉み消した煙草の残骸を見つめていた。薄れていく残り香にこっそり混ぜるようにしてロイが弱音を吐く。

「カツミを頼むよ。頼める立場でもないが」
 ジェイと同じ言葉に、シドが複雑な思いで顔を上げた。その思いを置き去りにしてソファーから立ち上がったロイが、同時に立ったシドに言い残す。
「カツミは私を越えるだろうよ。親の欲目だがね。私はもう、お役御免だ」
「中将……」
「ジェイとカツミ以外には、この件は内密にしてくれたまえ」
「承知しました」

 基地のトップを見送ったシドは、ソファーにどさりと倒れ込んだ。退官──。思ってもみなかった事実が困惑を連れてくる。
 まさかロイは、今でもジェイのことを愛している? ずっとその気持ちを隠していた? まさか。もう十年も経つというのに。頼むから、もう自分を、ジェイを惑わせないでくれ。頼むから……。

 祈るような気持ちでシドが瞼を閉じる。部屋の中にはロイの喫った煙草の残り香が、その祈りを打ち消すように、まだ……漂っていた。
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登場人物紹介

□カツミ・シーバル

主人公。

男性。十九歳~二十歳。少尉~少佐。飛行隊。

眉目秀麗。幼顔で中性的。身長160センチ。華奢で小柄。

右の瞳がトパーズ色、左の瞳がクリムゾン色のオッドアイ(ヘテロクロミア)。

肩まで伸びたやや癖のあるクリーム色の猫っ毛。

最高位の士官学校を首席卒業した優秀な人物。父親は特区の最高責任者。

母親はカツミを産んですぐに死亡。一人っ子。

育児や教育は使用人によって行われ、父親からネグレクトと虐待を受けて育つ。

拒食症で不眠症。体力は特殊能力で保持している。

超A級特殊能力者だが、子供の頃に父親の本音を知るのが怖くなり、能力のほぼ全てをみずから封印した。

ただし戦地では解放している。

口癖は「ごめん」。自虐的で自罰的。逆に天然な面があり、小悪魔的。

無意識に他人の本音を引き出す言動をする。

必要のない人間だと言われることを極度に恐れている。寂しがり。

□ジェイ・ド・ミューグレー

カツミの恋人。

男性。二十八歳~二十九歳。少佐。研究者。

貴族の家柄。家は財閥系の情報企業。長男で弟がひとりいる。

身長180センチ。すらりとした長身。黒髪。淡い茶色の瞳。眼鏡をしている。

幼い頃から天才と騒がれ跡取りとして大事に育てられる。

幼年学校は二年スキップしたにも関わらず、あらゆる資格を取得。

士官学校も一年スキップで卒業する(ラヴィ・シルバー以来の快挙)。

家の跡を継ぐまでの間という約束で長年の夢であった特区入隊を果たすが、事故により飛行隊任務が出来なくなる。婚約も破棄。任務も研究職に変える。家の跡取りは弟に変わる。

カツミにとっては父親的存在。

優しさと狡さ、独占欲と包容力を持つ。

長いスパンで先を見通すため、他人には理解し難く、アンビバレンツな人物に見える。

□シド・レイモンド

ジェイの元恋人。一年前に別れたが、現在も未練を持っている。

男性。二十八歳。少佐。軍医(外科医)。

実家は開業医。父親は外科医。母親はシドが十歳の時に離婚。一人息子。

肩まで伸びた癖のある栗色の髪。栗色の瞳。女性的な印象。

スキップで入学した医大を首席卒業した切れ者。毒舌家で皮肉屋。挫折を知らない世渡り上手。

カツミの恋敵的存在だが、いい人を演じている。

□フィーア・ブルーム

カツミの同僚。ライバル的存在。

男性。十九歳。少尉。飛行隊。

さらりとしたクリーム色の髪。深く青い瞳。A級特殊能力者。

母親から虐待を受けて育つ。士官学校に入る前からアーロン(ジェイの弟)に見出され、支援を受ける。

温厚で控え目な性格を演じているが、他人に本音で接することを恐れている。

□セアラ・ラディアン

カツミの姉的存在。関係は一度だけあるが実質片思い。

女性。十九歳。少尉。管制塔任務。

さらりとした長い黒髪。栗色の瞳。美少女。

天真爛漫。反面、思慮深く母性が強い。

大きな瞳をくるりと上に向けて微笑む癖がある。

□ユーリー・ファント

カツミの同僚。上官。

男性。二十五歳。少佐。飛行隊。

実家は貿易商。サラの幼馴染み。自称情報通。A級特殊能力者。

社会背景や軍の在り方に強い疑問を持っている。

困った時に頭を掻く癖がある。

□ロイ・フィード・シーバル

カツミの父。特区の最高責任者。

男性。四十七歳。中将。

クリーム色の短髪。トパーズ色の瞳。長身。

実力主義の冷酷な人物。カツミのことは所有物と思っている。

A級特殊能力者。

□ルシファー・セルディス

カツミの同僚。後輩。

男性。十八歳。少尉~大尉。飛行隊。カツミのフライトオフィサ。

実家は百貨店経営や貿易を営む名家。兄と姉がおり、末っ子。

さらりとした黒髪。深い緑色の瞳。身長180センチ。長身。

A級特殊能力者。特に『聞く者』の能力に長けている。

他人の心の裏側が聞けることで、子供の頃は人間不信で攻撃的だった。

聞けることが当然で育っているので、シールドが高く聞けないカツミに振り回される。同時に唯一の分からない相手であるカツミに惹かれる。

口が達者だが奥手。頭脳先行型。俯瞰から物事を見るのは得意だが、他人の気持ちは察するよりも読んできたので、思い図ることが苦手。観察者側に自分を置く。

読書が趣味。常に分厚い本を読み漁っている。愛読書は『廃船の記録』。

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