第七話 百年後の邂逅

文字数 3,043文字

「ジェイ、どうだった?」
 その夜。カツミの部屋を訪れたシドは、問いにうまく答えられなかった。言葉が見つからないのだ。沈黙の理由を察して、カツミが口をつぐむ。
「いいとは言えないよ。会えば分かると思う」
「うん」
 辛さを隠すしぐさがシドには痛い。ジェイも言葉少なだった。時計の針を逆回しには出来ないのだ。

「ゆうべね、ドクターが来てから眠っただろ?」
「ああ」
 カツミが突然話を変えた。戸惑いながらシドが頷くと、記憶をたどるようにしてカツミが視線を上げた。
「フィーアの夢を見たよ。優しい顔をして白い光の中にいたんだ。俺、もう大丈夫なんだなって思った。なぜだか分からないけど離れて行くんだなって」
「カツミ……」
「もうフィーアの夢は見ないんだなって思った。もう会えないって。どうしてかな」
 カツミはフィーアをジェイに重ねているのかもしれない。想いの深さに耐えかねたシドは、瞼を閉じるしかなかった。

 沈黙が支配する部屋で、シドは世界から遮断される。
 心の水面に浮かぶ小さな泡。それがプツプツと音をたて始める。微かな、ほとんど聞き取れないような微かな音を。その音に名づけるとしたら、人はなんと呼ぶのだろう。シドはもう知っていた。聞き慣れた言葉だ。そして、誰もがその音を聞くことに恐怖する。

 シドの視線の先で、唇を噛んだまま座り込んでいるカツミ。今までずっと、幼く脆く他人を振り回してばかりいると思っていた恋敵。
 しかし。カツミはもう庇護者の手を離れていく。まだ崖っぷちに立ってはいるが、後ろを振り返らない。ひたすら前を向いて進もうとしている。
 空しさは絶望に通じていた。立ち止まったまま動けない自分の弱さに、シドは打ちひしがれていた。

 ◇

 心の変化に翻弄されているのは、シドだけではなかった。前向きに歩き始めたカツミもまた、時間の流れに心が追いついていなかったのだ。追い立てられるように日々が過ぎ去り、息つく暇もない。

「カツミくん!」
 夕方。耳慣れた声にカツミが振り返ると、セアラがいきなり腕を絡めてきた。隣にいたルシファーが驚いて一歩引いたが、自走路を過ぎる隊員達は、またかといった表情で一瞥しただけである。

「だれ? この人」
「同じ部隊の新人だよ。ルシファー・セルディス少尉」
「ふーん。そう」
 セアラの視線は会釈をしたルシファーに向いていた。不満気な顔をしている。
「私はセアラ・ラディアンよ。ルシファーさん」
「はい?」
「私の目にかなった人じゃないと、カツミくんとは話させないわよ」
 手加減なしの先制攻撃を食らったルシファーが、困り顔になる。第二弾はカツミに着弾した。

「カツミくん。ほっぺた、どうしたの?」
「どうって。仕事で怪我しただけだよ」
「ほんとう?」
「なんだよ。うそ言っても仕方ないだろ?」
「ふーん。じゃあ、いいけどね」
 あっさり引いたセアラが、腕を離すなり反対側の自走路に飛び乗った。呆れている二人に手を振ると、ぽんと笑顔を押し付けてすぐに遠ざかって行く。

「恋人、ですか?」
「らしいね」
 どうにも答えにくいなと、カツミが誤魔化した。
「両刀使いだとは知りませんでした」
 ルシファーが、きっちり皮肉る。むっとしたカツミのきつい視線を、静かな嘲笑で押し返した。エレベーターで二人きりになると、空気はますます険悪になった。

「先輩も可哀そうに」
「なにが言いたいんだよ」
「いえ、別に」
 ルシファーが意味ありげに言葉を濁した。カツミは、それに苛立ちながらも反論の言葉を見つけられない。

「単なる思い出になんてさせない」
 ふいにルシファーが突き付けた棘に驚いて、カツミがさっと顔を上げた。
「貴方は俺の顔を見るたびにフィーア・ブルームのことを思い出す。俺にしたら最高の復讐ですよ」

 エレベーターが止まりフロアの廊下を進む間も、カツミは口を開かなかった。思い出になんかさせない。ルシファーの真意は分かっていた。自分が罪を背負って行くことを。もちろん忘れることなど出来ないことも。

 自室の前で足を止めたルシファーが、歩を緩めることなく立ち去るカツミを見送る。いつまで見つめていても、カツミは振り返らない。自分では彼の心を揺さぶれない。復讐するどころか、心の縁にすら触れられない。そう思いながらも、ずっと視線を外せなかった。

 立ち尽くしたままのルシファーに、カツミがちらりと振り返った。その顔を見たルシファーが息を飲む。
 どんな言葉も届かない。そう思っていたのに、カツミは今にも泣きそうな顔をしていた。すがりつくような視線を、無理やり笑みで誤魔化して。

 垣間見たカツミの本音を見て、ルシファーは自分のなかにある矛盾に気づいた。憎しみながらも惹かれていることに。セアラとの関係に苛立っていることに。自分の感情が嫉妬であることに。
 ない交ぜとなった不可解な思いは、これまで経験したことがなかった。すでに何かが変化していた。傷つけるどころか知りたくなっていくのだ。

 カツミが自室に飲み込まれた。それを認めてから、ルシファーは廊下の奥に歩を進めはじめた。

 ◇

「なにか、用?」
 訪室したルシファーに、ドアを開けたカツミがそっけなく訊いた。しかしルシファーは臆することなく部屋に踏み込み、カツミの逃げ道を塞ぐようにドアが閉まった。後ずさるカツミ。冷たい笑みを見せるルシファー。

「貴方をいじめる方法を思いついたんです」
 ルシファーは、そう言うが早いか、立ち尽くしていたカツミの肩を強く掴んだ。

 ──抗い難い引力。百年後の邂逅。
 その意味をルシファーはまだ知らない。二人の出会いが百年前から定められていたことを。

 ルシファーはカツミを激しく引き寄せると、無理やり唇を奪った。カツミの抵抗を無視した乱暴なキス。身体が離れた時には、二人は口の端から血を滲ませていた。

「俺にどうしろってんだよ! どうしたいんだよ!」
 吐き捨てるように叫んだカツミに、ルシファーが冷たく言い放つ。
「貴方が欲しいんです。奪って傷つくのを見ていたい。嫌なら、クローンのように殺せばいいでしょう?」
「そんなこと……」

 ルシファーにはカツミの本心が分かっていた。カツミは何かに縋っていたいんだ。表に出しているのは虚勢だ。特殊能力を使っても体力を保てないほど、ぎりぎりの状態なんだ。それを他人に見せないように、強がっているだけだ。

「貴方はなんで拒まないんですか」
「こばむ?」
「自分の状態は分かってるんでしょう? なんで、力で抵抗しないんですか」
「こんな能力……ない方が良かったよ」
 それはルシファーにとって信じられない言葉だった。

「俺は人殺しの道具だよ。そんな人間でも、必要だって言ってくれる人がいたから生きてこれたんだ」
「じゃあ」
 ルシファーの心を抑えきれない苛立ちが覆う。不安と背中合わせの苛立ちが。
「じゃあ、ミューグレー少佐が亡くなったらどうするんですか? 後追いでもする気ですか?」
 カツミの瞳にはもう涙が滲んでいた。
「死ねないよ。ジェイは俺に生きろと言った」
「そうすることですね。貴方自身のために」

 横を向き気丈に涙を拭うカツミを、ルシファーが再び抱き寄せる。カツミからの抵抗は、もうなかった。
 ルシファーは思う。非情なことを言いながら、何を求めてるんだ。これは復讐の続きか? フィーアの二の舞か? 抱けば何かが分かるとでも? そこまで思って、ルシファーはみずからを嘲った。ただの肉欲かもな。繊細で美しいガラスの箱。それを踏み潰して、犯したいだけなのかも……と。
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登場人物紹介

□カツミ・シーバル

主人公。

男性。十九歳~二十歳。少尉~少佐。飛行隊。

眉目秀麗。幼顔で中性的。身長160センチ。華奢で小柄。

右の瞳がトパーズ色、左の瞳がクリムゾン色のオッドアイ(ヘテロクロミア)。

肩まで伸びたやや癖のあるクリーム色の猫っ毛。

最高位の士官学校を首席卒業した優秀な人物。父親は特区の最高責任者。

母親はカツミを産んですぐに死亡。一人っ子。

育児や教育は使用人によって行われ、父親からネグレクトと虐待を受けて育つ。

拒食症で不眠症。体力は特殊能力で保持している。

超A級特殊能力者だが、子供の頃に父親の本音を知るのが怖くなり、能力のほぼ全てをみずから封印した。

ただし戦地では解放している。

口癖は「ごめん」。自虐的で自罰的。逆に天然な面があり、小悪魔的。

無意識に他人の本音を引き出す言動をする。

必要のない人間だと言われることを極度に恐れている。寂しがり。

□ジェイ・ド・ミューグレー

カツミの恋人。

男性。二十八歳~二十九歳。少佐。研究者。

貴族の家柄。家は財閥系の情報企業。長男で弟がひとりいる。

身長180センチ。すらりとした長身。黒髪。淡い茶色の瞳。眼鏡をしている。

幼い頃から天才と騒がれ跡取りとして大事に育てられる。

幼年学校は二年スキップしたにも関わらず、あらゆる資格を取得。

士官学校も一年スキップで卒業する(ラヴィ・シルバー以来の快挙)。

家の跡を継ぐまでの間という約束で長年の夢であった特区入隊を果たすが、事故により飛行隊任務が出来なくなる。婚約も破棄。任務も研究職に変える。家の跡取りは弟に変わる。

カツミにとっては父親的存在。

優しさと狡さ、独占欲と包容力を持つ。

長いスパンで先を見通すため、他人には理解し難く、アンビバレンツな人物に見える。

□シド・レイモンド

ジェイの元恋人。一年前に別れたが、現在も未練を持っている。

男性。二十八歳。少佐。軍医(外科医)。

実家は開業医。父親は外科医。母親はシドが十歳の時に離婚。一人息子。

肩まで伸びた癖のある栗色の髪。栗色の瞳。女性的な印象。

スキップで入学した医大を首席卒業した切れ者。毒舌家で皮肉屋。挫折を知らない世渡り上手。

カツミの恋敵的存在だが、いい人を演じている。

□フィーア・ブルーム

カツミの同僚。ライバル的存在。

男性。十九歳。少尉。飛行隊。

さらりとしたクリーム色の髪。深く青い瞳。A級特殊能力者。

母親から虐待を受けて育つ。士官学校に入る前からアーロン(ジェイの弟)に見出され、支援を受ける。

温厚で控え目な性格を演じているが、他人に本音で接することを恐れている。

□セアラ・ラディアン

カツミの姉的存在。関係は一度だけあるが実質片思い。

女性。十九歳。少尉。管制塔任務。

さらりとした長い黒髪。栗色の瞳。美少女。

天真爛漫。反面、思慮深く母性が強い。

大きな瞳をくるりと上に向けて微笑む癖がある。

□ユーリー・ファント

カツミの同僚。上官。

男性。二十五歳。少佐。飛行隊。

実家は貿易商。サラの幼馴染み。自称情報通。A級特殊能力者。

社会背景や軍の在り方に強い疑問を持っている。

困った時に頭を掻く癖がある。

□ロイ・フィード・シーバル

カツミの父。特区の最高責任者。

男性。四十七歳。中将。

クリーム色の短髪。トパーズ色の瞳。長身。

実力主義の冷酷な人物。カツミのことは所有物と思っている。

A級特殊能力者。

□ルシファー・セルディス

カツミの同僚。後輩。

男性。十八歳。少尉~大尉。飛行隊。カツミのフライトオフィサ。

実家は百貨店経営や貿易を営む名家。兄と姉がおり、末っ子。

さらりとした黒髪。深い緑色の瞳。身長180センチ。長身。

A級特殊能力者。特に『聞く者』の能力に長けている。

他人の心の裏側が聞けることで、子供の頃は人間不信で攻撃的だった。

聞けることが当然で育っているので、シールドが高く聞けないカツミに振り回される。同時に唯一の分からない相手であるカツミに惹かれる。

口が達者だが奥手。頭脳先行型。俯瞰から物事を見るのは得意だが、他人の気持ちは察するよりも読んできたので、思い図ることが苦手。観察者側に自分を置く。

読書が趣味。常に分厚い本を読み漁っている。愛読書は『廃船の記録』。

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