第八話 誤算

文字数 3,717文字

 ルシファーはカツミを力任せにベッドに押し倒した。しかしカツミはされるがまま。何の反応もしない。どんなに熱い愛撫にも、全く感情を見せなかった。

 抵抗しないことで拒絶を示してるのかよ?
 ルシファーはムキになった。それとともに焦りだす。
 廊下で垣間見た、カツミの縋るような顔。あれは、見間違いだったのかとすら思う。それとともに、自分のやっていることの意味が分からなくなってきた。

 来客を知らせるブザーが鳴った。びくりと動きを止めてルシファーがドアを見ると、カツミもまた同じ方向を見ている。もう一度ブザーが鳴った。しかし、カツミは身動きひとつしない。

「こないだの軍医ですね。なぜ逃げないんですか」
 ルシファーには外の様子が分かる。シドが不審に思いながら立ち去って行くのも脳裏に浮かぶのだ。
「行ってしまいましたよ。明日のことで話があったみたいだ。行くんでしょう? 恋人に会いに」
 ルシファーは、どうしてもカツミの本音を引き出したかった。廊下で見せた表情こそがカツミの本音だと思っていた。
 淡々と仕事をこなしているけど、本当はギリギリの精神状態のはずだ。見間違いなんかじゃない。意地を張っていなきゃ立っていられないくらい、追い詰められてるんだ。

「痕つけましょうか? 明日までに消えないような」
 ルシファーが脅しをかける。本音を引き出すには悪手だなと思いながら。しかしその言葉で、カツミが怯えた表情に変わった。ようやく見ることの出来た感情に、ルシファーは安堵する。

「嘘ですよ。俺はそこまで馬鹿じゃないですから」
 そう返しながら、ルシファーは思った。
 いや、馬鹿は自分のほうだ。攻撃して来る者に本音なんて言えるわけがないだろ! なにをやってんだ、俺は! 本当に言いたいことはこんなことじゃない。本音を知りたいなら、真っ直ぐに訊かないとだめじゃないか! 俺が本当に言いたいことは? 本当に訊きたいことは? ルシファーは、カツミにきちんと対峙しなければとみずからを戒めた。

「貴方は強くなんかないです。一人でなんて生きていけないでしょう?」
 真っ直ぐな言葉に、カツミが意外な返事をした。
「誰も一人でなんて生きていけないよ」
「そうやって唯一の思い出を抱いて生きるんですか?」
 ジェイの思い出と共に……。それだけを胸に。
 カツミの言葉は、あまりに寂しいとルシファーは感じた。思い出だけを拠り所に生きるなんてと。しかし次にカツミが紡いだ言葉は、過去ではなく未来を見据えた言葉だった。

「思い出じゃない。一緒に生きていくんだ。これからもずっと必要な人なんだよ」
 静かに語られた言葉の中に、カツミの決意があった。
「……一緒に?」
「この目に映せなくても心に住んでるんだ。いつでも。今でも」
 きっぱりと告げる言葉とは裏腹に、カツミの瞳からは大粒の涙が流れ落ちる。ルシファーは思った。これが、カツミの葛藤の中身だと。言い聞かせていなければ崩れてしまう。思い込んでいなければ壊れてしまう。ジェイの望みは自分の望み。だから、強くあらねばならない。

 クリムゾンとトパーズの瞳が告げていた。生死は常に一対。そして、残される者は先に逝く者の想いを血肉にして生きて行く。そこに別れはない。もう会えなくても、決して別れはない。

 ルシファーの腕がふたたびカツミを抱き寄せる。確かにカツミは強い。でもその強さは、たくさんの虚勢をかき集めてようやく繕った強さじゃないか。カツミはまだ断崖に立っている。ほんの少し風が吹いただけで、あっという間に谷底に落ちるような断崖に。
 足場が崩れてガラガラと谷に落ちる。生は目の前にある。しかし死もすぐ後ろにあった。

 怖い。そうルシファーは思っていた。もう失いたくないのに。フィーアのような死は、もう見たくないのに。
 俺はカツミをフィーアと重ねているのだろうか?
 フィーアの代わりと思っている?

 みずからを嫌悪しながらも、ルシファーには回りだした歯車を止めることが出来なかった。
 カツミから引き出されるのは未知の感情ばかりなのだ。フィーアに対して感じていたような憧れではない。遠くから見ているだけで満足するような相手ではない。
 もっと切羽詰まった、生々しい感情。ずっと傍にいたいという独占欲。本音を知りたいという好奇心。カツミにとっての特別になりたいという欲。

 熱い愛撫が再開された。魅惑的な表情。繊細な身体。痛々しいほどに痩せていながらも、カツミの美しさは少しも損なわれていない。
 こんな美しい人が自分の腕のなかにいる。その事実が、ルシファーに陶酔を連れてくる。

 やがて熱は頂点に達した。溶かされ開く蕾を貫こうと、ルシファーが身体を浮かせる。だがその時、カツミの手がそっと彼の手に添えられた。
 我に返ったルシファーがカツミの瞳を見つめる。ここまでか……。拒まれるのかと思いながら。

「……嫌ですか?」
 仕方なく確認するとカツミが目を細めた。これまで見たこともないような蠱惑的な眼差しで。どきりとしたルシファーにカツミが甘く告げた。
「させてあげるから、上になってもいい?」
 色の違う瞳には挑むような光を湛えている。しかしカツミの声は、それとは対照的な甘露だった。

 返す言葉を失くしたルシファーに、今度はカツミがみずから唇を寄せた。
「遊びでも、自分が主導権持ってないと嫌なんだよ」
 カツミの言葉にルシファーはなぜか切なくなった。
 遊びかよ……。確かにそうだけど。間違ってないけど。落ちかけた気持ちをルシファーは皮肉に変える。

「分からない人ですね。たらしの素質十分ですよ」
「そうとも言うかもね」
 先ほどまでのカツミとはまるで別人だった。ルシファーを見つめたまま。不敵な笑みすら浮かべている。形の良いふっくらとした唇を舐めながら、挑発的にルシファーの出方を見ているのだ。

 ひとつ息をついたルシファーが、諦めて身体を横たえた。カツミの豹変に驚きながらも、興味をそそられたのだ。カツミは本当に分からない。ほんのさっきまで、ぼろぼろ泣いていたかと思えば、今度は誘惑してくる。
 どれが本当のカツミなんだ?

 部屋に静けさが落ちた。カツミはルシファーの胸に頬を乗せたまま、じっと動かない。柔らかな猫っ毛に手を伸ばしたルシファーに、カツミが囁く。
「安心するんだ。こうしてると。トクトクいってる」
「緊張してるんですよ」
 その言葉にカツミが小さく笑い、ますます頬をすり寄せる。
「ジェイの癖なんだ。そうやって髪を撫でるの。すぐに眠れる」
「眠られたら困りますよ」
 ルシファーの返事がよほど面白かったらしい。声をあげて笑ったカツミだったが、すぐに身体を下に引いた。

 激しい愛撫がいきなり始まる。柔らかな舌が熱い中心をもてあそぶ。待たされ焦らされたルシファーを、カツミはさらに焦らす。なかなか解放を許されない。
 目を細めたカツミが、ルシファーを茶化した。
「命乞いする?」
「誰がっ!」
「大丈夫。すぐに良くしてあげる」
 強気を崩さないルシファー。余裕の笑みのカツミ。

 カツミが快楽に導く。促すように反り返った背が律動に合わせる。上り詰めることの出来ない所まで、ルシファーは追い込まれていた。身体と、そして心すらも。
 その時になって、ルシファーはようやく自分の誤算に気づいたのだ。遊びだって? 冗談じゃない! 遊びでこんな気持ちになれるはずがない。
 嫉妬して、引き寄せられて、手に入れたくて、失くしたくない。一番近くにいたい。こんな気持ちが遊びなわけがない。

 限界まで手繰り寄せられた糸をプツリと切られた。
 すでに変化していたのだ。憎しみが興味に。興味が不安に。不安が欲望に。貶めようとしたのに、今では手に入れたくなっている。それをこんな時に気付くなんて。
 ──落ちていくのは、決して報われない手のなか。

 快楽の波が引き潮に連れ去られた。今さら言えない言葉は、もう飲み込むしかない。
「後悔するようなことはしないよ」
 色の違う双眸は、いまだ挑発的な光を宿している。
「俺は後悔しましたよ」
「自業自得ってね」
 カツミが再び茶化した。
 自業自得? ルシファーは深く息をつく。カツミは俺の真意を分かって言ってるのか? とてもそうは見えないけど。

 その時だった。けたたましいサイレンの音が、基地中に轟いたのは。

 ──緊急事態(EMG)コール!

 この場所が非日常の場所だと知らしめる警鐘。
 飛び起きた二人の上に、大音響のサイレンが容赦なく降り注ぐ。

 『全戦闘員、A級配置発令。全戦闘員、A級配置発令』

 機械的なアナウンスが響き渡る。
 特区にいる限り、EMG発令があれば所属部隊に駆け付ける。それがここの隊員の義務だ。

「前言撤回。俺いま、思いっきり後悔してる」
 シャツをはおったカツミが舌を出して言った言葉に、ルシファーが吹き出した。
「いまから乗れなんて言われたら死ぬぞ」
「それこそ、自業自得ってやつですね」

 『全戦闘員、A級配置発令。アラート待機、スクランブル。X─1部隊、X─2部隊、緊急発進に備えよ!』

 繰り返されるアナウンスに蹴とばされるようにして、二人は部屋を飛び出す。戦況はこの時、急展開を迎えていた。
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登場人物紹介

□カツミ・シーバル

主人公。

男性。十九歳~二十歳。少尉~少佐。飛行隊。

眉目秀麗。幼顔で中性的。身長160センチ。華奢で小柄。

右の瞳がトパーズ色、左の瞳がクリムゾン色のオッドアイ(ヘテロクロミア)。

肩まで伸びたやや癖のあるクリーム色の猫っ毛。

最高位の士官学校を首席卒業した優秀な人物。父親は特区の最高責任者。

母親はカツミを産んですぐに死亡。一人っ子。

育児や教育は使用人によって行われ、父親からネグレクトと虐待を受けて育つ。

拒食症で不眠症。体力は特殊能力で保持している。

超A級特殊能力者だが、子供の頃に父親の本音を知るのが怖くなり、能力のほぼ全てをみずから封印した。

ただし戦地では解放している。

口癖は「ごめん」。自虐的で自罰的。逆に天然な面があり、小悪魔的。

無意識に他人の本音を引き出す言動をする。

必要のない人間だと言われることを極度に恐れている。寂しがり。

□ジェイ・ド・ミューグレー

カツミの恋人。

男性。二十八歳~二十九歳。少佐。研究者。

貴族の家柄。家は財閥系の情報企業。長男で弟がひとりいる。

身長180センチ。すらりとした長身。黒髪。淡い茶色の瞳。眼鏡をしている。

幼い頃から天才と騒がれ跡取りとして大事に育てられる。

幼年学校は二年スキップしたにも関わらず、あらゆる資格を取得。

士官学校も一年スキップで卒業する(ラヴィ・シルバー以来の快挙)。

家の跡を継ぐまでの間という約束で長年の夢であった特区入隊を果たすが、事故により飛行隊任務が出来なくなる。婚約も破棄。任務も研究職に変える。家の跡取りは弟に変わる。

カツミにとっては父親的存在。

優しさと狡さ、独占欲と包容力を持つ。

長いスパンで先を見通すため、他人には理解し難く、アンビバレンツな人物に見える。

□シド・レイモンド

ジェイの元恋人。一年前に別れたが、現在も未練を持っている。

男性。二十八歳。少佐。軍医(外科医)。

実家は開業医。父親は外科医。母親はシドが十歳の時に離婚。一人息子。

肩まで伸びた癖のある栗色の髪。栗色の瞳。女性的な印象。

スキップで入学した医大を首席卒業した切れ者。毒舌家で皮肉屋。挫折を知らない世渡り上手。

カツミの恋敵的存在だが、いい人を演じている。

□フィーア・ブルーム

カツミの同僚。ライバル的存在。

男性。十九歳。少尉。飛行隊。

さらりとしたクリーム色の髪。深く青い瞳。A級特殊能力者。

母親から虐待を受けて育つ。士官学校に入る前からアーロン(ジェイの弟)に見出され、支援を受ける。

温厚で控え目な性格を演じているが、他人に本音で接することを恐れている。

□セアラ・ラディアン

カツミの姉的存在。関係は一度だけあるが実質片思い。

女性。十九歳。少尉。管制塔任務。

さらりとした長い黒髪。栗色の瞳。美少女。

天真爛漫。反面、思慮深く母性が強い。

大きな瞳をくるりと上に向けて微笑む癖がある。

□ユーリー・ファント

カツミの同僚。上官。

男性。二十五歳。少佐。飛行隊。

実家は貿易商。サラの幼馴染み。自称情報通。A級特殊能力者。

社会背景や軍の在り方に強い疑問を持っている。

困った時に頭を掻く癖がある。

□ロイ・フィード・シーバル

カツミの父。特区の最高責任者。

男性。四十七歳。中将。

クリーム色の短髪。トパーズ色の瞳。長身。

実力主義の冷酷な人物。カツミのことは所有物と思っている。

A級特殊能力者。

□ルシファー・セルディス

カツミの同僚。後輩。

男性。十八歳。少尉~大尉。飛行隊。カツミのフライトオフィサ。

実家は百貨店経営や貿易を営む名家。兄と姉がおり、末っ子。

さらりとした黒髪。深い緑色の瞳。身長180センチ。長身。

A級特殊能力者。特に『聞く者』の能力に長けている。

他人の心の裏側が聞けることで、子供の頃は人間不信で攻撃的だった。

聞けることが当然で育っているので、シールドが高く聞けないカツミに振り回される。同時に唯一の分からない相手であるカツミに惹かれる。

口が達者だが奥手。頭脳先行型。俯瞰から物事を見るのは得意だが、他人の気持ちは察するよりも読んできたので、思い図ることが苦手。観察者側に自分を置く。

読書が趣味。常に分厚い本を読み漁っている。愛読書は『廃船の記録』。

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