第九話 欠片と誓い

文字数 2,779文字

 薪が爆ぜる音だけに支配された部屋。ゆらゆらと蠢く炎。琥珀色の灯りのなかで壁に踊る炎の影絵。
 光と闇。時おり叫ぶ炎の熱と、黙したまま忍び寄る寒気。この世の全てはみな生死の対比だとジェイは思う。

 生死を一対としたオッドアイ。カツミの瞳はジェイに教えている。いのちの意味を。死の意味を。それらが常に、ひとつ繋ぎであることを。

「カツミ」
 ジェイが声をかけると、カツミが身じろぎをした。振り仰いだカツミを、ジェイが少しだけ睨む。

「気づいてたの?」
「キスした時、息を止めただろう?」
「ジェイも人が悪いよな」
「それはお互いさまだな」
 悪びれた様子のないジェイに肩を竦めたカツミは、すぐに素直な気持ちを手渡した。

「ジェイの言葉、嬉しかった」
 伸ばされる手のひら。頬ずりと羽根のようなキス。包み込む優しさ。それはジェイの持つ狡い優しさだった。
 カツミにはまだ、優しい嘘をつくことも本心を隠すことも出来ない。せいぜい狸寝入りをするくらいがいいところだ。

「ジェイ、ドクターのことどう思ってんの?」
 カツミが真っすぐに訊いた。逃れようのない問いに、困惑するジェイ。だが、カツミの質問はとまらない。
「好きなんだろ?」
「好きか嫌いかだったら、好きだと答えるな」
「ずいぶん冷たいね」
 カツミは思う。シドは、自分を殺そうとしたほど強い葛藤を抱えているのだ。それを抑え込んで身を引く気持ちなど、到底分からないと。
 カツミの世界にはまだ白と黒しかなかった。人の感情が、それらの濃淡で出来ているのがよく分からない。

「俺がドクターだったら、ジェイなんて忘れるよ」
「本当に?」
 ジェイの目が意地悪く細められた。いつものように口角を上げ、含み笑いとともに確かめる。
「本当に忘れられるのか?」
「全く、どっからそんな自信が生まれてくるんだよ」
「さてね」
 カラクリを知りたかったカツミだが、ジェイは笑みではぐらかした。カツミに余計な色はいらないと。
「私は自分に素直なだけだよ」
 善悪のなかにも正否のなかにも、多くの不純物が混ざっている。しかし、真っ直ぐなものには真っ直ぐに返せばいい。カツミに迂遠な言葉はいらないのだ。
 濁り切った世界のなかでも、カツミだけは透明でいられるのだから。

「この五日は長かったよ。電話を我慢するのもね」
「結局、かけてこなかったくせに」
「私は意地っ張りなんだ。始末に負えないくらいにね」
「ふうん」
 別れの助走をつけているのは、カツミにも分かっていた。しかし、一人の夜は辛かった。

「俺、全然眠れなかった。一人だとまるで駄目だ」
 小さいあくびを連発しているカツミを、ジェイが優しく見つめる。もう添い寝をねだられても、応えることが出来ない。カツミが自分で折り合いをつけるしかないのだ。

「年明けに休暇が取れると思う。ここに来ていい?」
「悪いなんて言うと思うか?」
 目を細めたカツミにジェイも笑顔を揃えた。貴重な時を押し留めるために眼差しを捉え合う。

 カツミは、ほんのひと月の間に嵐のように押し寄せた出来事をつぶさに思い返す。
 こんな現実に追い込まれなければ、もっと回り道をしていた。自分の本心など知ろうとしなかっただろう。
 嵐のなかで自分の得たものは、たったひとつだった。しかしそのたったひとつが生きる指標になる。羅針盤となり、道筋を照らす灯りとなるのだ。
 カツミがジェイの手を引き寄せキスをした。いつも癒しを与えてくれた指に、偽りのない本心を注ぐ。

「ジェイに会えて良かった」
 ──いのちに会えてよかった。
 それが、カツミの得た、たったひとつの真実だった。

 ◇

 促されるままベッドに横になったカツミだったが、あくびを噛みしめながらも顔を上げていた。ジェイは急ぎの書類を仕上げているらしく、端末の前から動かない。

「なにしてるんだ?」
「くだらないことだよ。財産の名義変更書ってやつだ。さあ出来た」
 書類にサインをしたジェイが、それを封筒にねじ込んだ。眉を寄せるカツミの額には、すかさずキスが落とされる。
「お前が怒ってどうする?」
「そりゃそうだけど」
「弟もせっかちだからね。まあ、義務ってやつだ」
「俺にできることないの?」
 カツミは思う。どんなことも淡々と終わらせてしまうジェイでも、誰にも言えない悩みがあるはずだと。
 だがジェイの望みはカツミが生きて自分を受け入れること。それだけなのだ。リクエストをさらっと脇に置いたジェイが、カツミの唇にキスをして隣に横たわった。

「こうやって会いに来てくれるだけで十分だよ」
「ほんとうに?」
「他はなにもいらない」
 温かな眼差しを見つめ返したカツミが、不思議そうに問い直した。
「俺のどこがいいんだ?」
「ははっ!」
「なんでそこで笑うんだよ」
「今さらそんな質問をされるとはね」
「だって、訊かなきゃわかんないし」
「言葉なんかじゃ足りないよ」
「むぅ」
 カツミへの想いは言葉になど出来ない。そう思いながらもジェイは言葉を紡ぐ。忘れ去られない限り、言葉はカツミの背中を押す。いのちそのものになっていく。

「お前はいつも私の思考を超えていくんだよ。自分でも気づいてなかった本心を炙り出されるんだ。まるで鏡みたいにね。カツミは私の代わりに飛んでくれる。私の欲しかった欠片になってくれる。私だけじゃない。もっと多くの人の欠片を指し示すはずだ。カツミは特区にとって、なくてはならない存在になるよ」
「すごく買い被ってるように聞こえるけど」
「そんなことないさ」
「ジェイの欲しかった欠片ってなに?」
「いまここにいるよ。この腕のなかに。カツミの持ってる可能性だ」

 ──守る者、ジェイ。特殊能力者ではないジェイに、予知能力はない。だがカツミの持つ可能性を一番初めに見抜いたのが彼だった。
 カツミは心さえ解放すれば多くのことを変えていく。特区にとって、つまりは国にとっての鍵となるのだ。それはジェイの願いであり確信だった。

 瞬く間に過ぎていく時間。たくさんのものを犠牲にして、ようやく得た時間。決して止めることの出来ない、貴重な時間だった。
 カツミの瞳がジェイの瞳を捉える。その印画紙にくっきりと記憶を焼き付けるために。ジェイの想いを自己の鏡に映すために。

「ジェイのこと好きだよ」
「ずっと?」
「ずっと好きだよ。ずっとずっと好きだよ。誓うよ」

 その誓いはカツミにとって全てを越えるものだった。
 これから何年経ったとしても、ジェイを忘れてしまえば生きていけない。
 縛られるのでも、囚われるのでもない。ただ忘れられない。ジェイを忘れなければ、自分は生きていける。

 ──誓うよ。
 死を超えて生を得る。ジェイの想いはこの先もずっとカツミのなかに残る。ジェイはカツミにとっての永遠の拠り所。カツミのなかにいのちの色を映した人物。
 ジェイには知る由もなかったが、彼は束ねるものの願いを叶える存在となっていた。
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登場人物紹介

□カツミ・シーバル

主人公。

男性。十九歳~二十歳。少尉~少佐。飛行隊。

眉目秀麗。幼顔で中性的。身長160センチ。華奢で小柄。

右の瞳がトパーズ色、左の瞳がクリムゾン色のオッドアイ(ヘテロクロミア)。

肩まで伸びたやや癖のあるクリーム色の猫っ毛。

最高位の士官学校を首席卒業した優秀な人物。父親は特区の最高責任者。

母親はカツミを産んですぐに死亡。一人っ子。

育児や教育は使用人によって行われ、父親からネグレクトと虐待を受けて育つ。

拒食症で不眠症。体力は特殊能力で保持している。

超A級特殊能力者だが、子供の頃に父親の本音を知るのが怖くなり、能力のほぼ全てをみずから封印した。

ただし戦地では解放している。

口癖は「ごめん」。自虐的で自罰的。逆に天然な面があり、小悪魔的。

無意識に他人の本音を引き出す言動をする。

必要のない人間だと言われることを極度に恐れている。寂しがり。

□ジェイ・ド・ミューグレー

カツミの恋人。

男性。二十八歳~二十九歳。少佐。研究者。

貴族の家柄。家は財閥系の情報企業。長男で弟がひとりいる。

身長180センチ。すらりとした長身。黒髪。淡い茶色の瞳。眼鏡をしている。

幼い頃から天才と騒がれ跡取りとして大事に育てられる。

幼年学校は二年スキップしたにも関わらず、あらゆる資格を取得。

士官学校も一年スキップで卒業する(ラヴィ・シルバー以来の快挙)。

家の跡を継ぐまでの間という約束で長年の夢であった特区入隊を果たすが、事故により飛行隊任務が出来なくなる。婚約も破棄。任務も研究職に変える。家の跡取りは弟に変わる。

カツミにとっては父親的存在。

優しさと狡さ、独占欲と包容力を持つ。

長いスパンで先を見通すため、他人には理解し難く、アンビバレンツな人物に見える。

□シド・レイモンド

ジェイの元恋人。一年前に別れたが、現在も未練を持っている。

男性。二十八歳。少佐。軍医(外科医)。

実家は開業医。父親は外科医。母親はシドが十歳の時に離婚。一人息子。

肩まで伸びた癖のある栗色の髪。栗色の瞳。女性的な印象。

スキップで入学した医大を首席卒業した切れ者。毒舌家で皮肉屋。挫折を知らない世渡り上手。

カツミの恋敵的存在だが、いい人を演じている。

□フィーア・ブルーム

カツミの同僚。ライバル的存在。

男性。十九歳。少尉。飛行隊。

さらりとしたクリーム色の髪。深く青い瞳。A級特殊能力者。

母親から虐待を受けて育つ。士官学校に入る前からアーロン(ジェイの弟)に見出され、支援を受ける。

温厚で控え目な性格を演じているが、他人に本音で接することを恐れている。

□セアラ・ラディアン

カツミの姉的存在。関係は一度だけあるが実質片思い。

女性。十九歳。少尉。管制塔任務。

さらりとした長い黒髪。栗色の瞳。美少女。

天真爛漫。反面、思慮深く母性が強い。

大きな瞳をくるりと上に向けて微笑む癖がある。

□ユーリー・ファント

カツミの同僚。上官。

男性。二十五歳。少佐。飛行隊。

実家は貿易商。サラの幼馴染み。自称情報通。A級特殊能力者。

社会背景や軍の在り方に強い疑問を持っている。

困った時に頭を掻く癖がある。

□ロイ・フィード・シーバル

カツミの父。特区の最高責任者。

男性。四十七歳。中将。

クリーム色の短髪。トパーズ色の瞳。長身。

実力主義の冷酷な人物。カツミのことは所有物と思っている。

A級特殊能力者。

□ルシファー・セルディス

カツミの同僚。後輩。

男性。十八歳。少尉~大尉。飛行隊。カツミのフライトオフィサ。

実家は百貨店経営や貿易を営む名家。兄と姉がおり、末っ子。

さらりとした黒髪。深い緑色の瞳。身長180センチ。長身。

A級特殊能力者。特に『聞く者』の能力に長けている。

他人の心の裏側が聞けることで、子供の頃は人間不信で攻撃的だった。

聞けることが当然で育っているので、シールドが高く聞けないカツミに振り回される。同時に唯一の分からない相手であるカツミに惹かれる。

口が達者だが奥手。頭脳先行型。俯瞰から物事を見るのは得意だが、他人の気持ちは察するよりも読んできたので、思い図ることが苦手。観察者側に自分を置く。

読書が趣味。常に分厚い本を読み漁っている。愛読書は『廃船の記録』。

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