第四話 安息の地

文字数 3,015文字

「質問を返してもいいか?」
 煙草に火をつけながら、ロイが重い口を開いた。神妙な面持ちでカツミが待ち構える。何を訊かれるのだろう。固唾をのみ、背筋に緊張がはしる。
 父がカツミの都合を訊くことなど、これまで一切なかった。父の言葉は常に命令。絶対服従の命令だった。

「今の結果に後悔はないのか?」
 向けられた言葉は、もう命令ではなかった。カツミは極度の緊張を少しだけ緩めたものの、即答は出来ない。

 後悔──。短い間にたくさんのものを失くしていた。
 ひとつの綻びから全てが破綻するように、隠されていた事実が自分を傷つけた。そして返す刃先が更にまわりを傷つけている。黙り込んだカツミは、最近の出来事を振り返った。

 フィーアとの関係を知ったこと。彼の苦悩が自分のせいだったこと。その彼が命を絶ってしまったこと。
 ジェイの余命を知ったこと。父とジェイの関係を知ったこと。自分がずっとジェイを苦しめていたこと。
 シドの想いを確信したこと。ジェイを想うことが、そのまま彼を苦しめてしまうこと。
 自分がいかに周りを傷つけていたのかを知ったこと。愛する人の望みが、能力の解放であること。

 まともに向き合えそうな事実はひとつもなかった。受け止めるには長い時間が必要だと感じた。
 だが、時計の針は止められない。刻(とき)に追い立てられている現実から、目を逸らすことはできない。

 そう。ジェイは、もうすぐこの世を去る。唯一無二の拠り所を自分は失うのだ。
 後悔も言い訳も、その事実の前には無力だった。現実は、どんなに縋っても泣き喚いたとしても揺るがない。受け入れるには、自分が変わるしかないのだ。

「一本くれる?」
 ロイが新しい紙巻に火をつけた時、カツミが唐突に催促した。黙ったまま、吸いかけの煙草が差し出される。
 それを受け取るなり思い切り吸い込んだカツミは、当然のように激しくむせ返った。
「止したほうが良かったみたいだな」
 父の呆れ顔を見て、カツミはバツの悪さを隠せない。涙目で煙草をもみ消すと、渋い顔で呟いた。
「ジェイは、こんな強いの喫ってんのか」
 カツミは、ロイの顔が硬く変化したことに気づかなかった。
「ジェイが?」
「喫ってるよ。おんなじの。俺の前じゃ喫わないけど」
「なるほど。あれらしいな」
 苦笑で誤魔化したが、ロイは内心の動揺を必死に抑えていた。その脳裏に浮かぶひとつの泡。蒼い海に溶けるいのちの泡。何度も見てきた心象風景は、ロイの血肉に沁み込み、否定も逃避も拒んでいた。

 ──さあ、認めなさい。これが最後の審判です。

 その瞬間、登り続けていた梯子は切り落とされてしまった。ギシギシと悲鳴を上げていた錆びた梯子と共に、この身までが深い谷底に落ちていく。
 自分の望みは定めに対する勝利だったのか。それとも安息の地か。ジェイは自分のことを、ずっと待っていたのか?

 黙り込んでしまったロイを訝るように見ていたカツミは、ようやく質問の答えを見つけ出した。
 それは幼い彼の精一杯の強がり。必死に恐怖を抑え込んだ強がり。しかし最愛の人物に注がれた色だった。

「俺、後悔なんかしてない。全部受け入れて許せる日が来ると信じていたい。いつかフィーアにしたことも、あんたのしたことも」
「私のしたことも?」
 ロイの視線は威圧だった。しかしカツミは、それを跳ね返すことなく受け止める。

「いつか、あんたを追い越した時に許してやる」
「それは楽しみだな」
 顎を上げて嘲笑したロイだったが、それは息子同様の虚勢。カツミの言葉はロイの背を押すには十分だった。

 ──死のトパーズは、安息に向かう黄昏の色。
 これでいい。ロイは自分に許しを与えた。抗いは無意味だと、ようやく認めたのだ。
 もういいだろう。過去の全てを引き受け、ここに希望を託していっても。

「お前が前線に出ると大変だな」
 ロイが急に話を変えた。意図が読めず眉をしかめたカツミに念が押される。
「今まで以上に負けられないからな」
 その言葉で、カツミの顔が軍人のものに変化した。

「あのクローン。どうなるんだ?」
「シスという生物。聞いたことがあるか」
「メーニェの高等生命体だよな」
「シスの脳髄には一種の麻薬が含まれてる。特殊能力を増幅させる薬だ。敵はそれを胎児に使用して、自我のない能力者クローンを造っている。そのシスが今度、横流しされて来た」

 残酷な現実だった。人を人として扱わない企みが当然のように繰り返されているのだ。そんなただ中に、自分もこれから飛び込んでいかねばならない。父を追い越すというのは、そういうことなのだ。

「使うのか?」
「私は反対したが評議会は乗り気だ。今のままじゃ、あのクローンは役に立たないからな。可決されるさ。そうなったら方針に従うしかない」
「使い捨てなんだな。あのクローン」
「そういうことだ」

 カツミは思う。このまま行けば、二か月後にオッジ出撃になると。多くの矛盾の中で。それでも選んだ道の意味を探して。
 自分がここにいる意味はなんだろう。自分に与えられた能力の意味は?
 誰かに何かに、問われているような気がしていた。生まれた時から繋がっている、遠くにいる何かに。
 自分がここにいる意味は? 決して取り戻すことのできない今、すべきことは?

 急に立ち上がったカツミが、見上げるロイにきっぱり言った。
「一つだけ、あんたに感謝する」
「ほう。なんだ?」
「ジェイが俺に興味を持つきっかけをくれたこと」
「ははっ! そりゃまた、ずいぶんなきっかけだな」
「笑うなよ」
 むくれ顔の息子を見て、ロイがくつくつと笑う。それは……父親としての笑顔だった。
「感謝される覚えはないからな。またここに来るか?」
「さあね」
 不機嫌顔のカツミがロイのすぐ近くまで歩み寄った。ぎりぎりまで顔を寄せると短く言い放つ。

「特殊能力(ちから)を使うんじゃねえよっ!」
「……そうだな」
「あんたの能力も超えてやる。ぜんぶ自分のために」

 突き放した言葉とは裏腹に、カツミがふわりと口づけを落とした。予想外のしぐさの意味をロイが探り当てる前に、カツミが躊躇なく胸に飛び込む。

 戸惑うように回された大きな腕。カツミがずっと渇望していた温もりだった。父の腕のなかで、息子が静かに謝罪をした。

「ごめん。辛いこと訊いて。でも教えてくれて良かった。知らなかったら俺、ずっと誤解したままだった」

 ロイの完敗だった。まっさらな心を差し出すカツミに、奪い続けてきたロイはもう何も出来ない。
 本心を炙り出す鏡。透明で純粋なこころ。それを握り潰して、ただの人形にしようと目論んだのがロイ。それを守って、いのちを繋いだのがジェイ。
 ロイには、なんの言い訳も出来なかった。どのような過去も贖罪にはならなかった。

「お前に同情されるとはな」
「同情じゃない」
「じゃあ、なんだ?」
「あんたなんか嫌いだ。でも知りたいんだ」
「……そうか」

 ──さあ、認めなさい。これが最後の審判です。あなたが最後の浄化する者です。彼に託しなさい。これまでずっと、あなたの祖先がしてきたように。

 カツミもこの『声』を聞くことになるだろう。そして、みずからに繋がる遠い過去の予言を知るだろう。
 自分はそれを引き継ぐ者。最後の生贄だったのだ。

 もう降りてもいい。安息の地はそこにあるのだから。待っていた人がいるのだから。
 約束された希望は腕の中にいた。涙を堪え、肩を震わせながら。遠く百年の時を越え、約束された導く者が。
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登場人物紹介

□カツミ・シーバル

主人公。

男性。十九歳~二十歳。少尉~少佐。飛行隊。

眉目秀麗。幼顔で中性的。身長160センチ。華奢で小柄。

右の瞳がトパーズ色、左の瞳がクリムゾン色のオッドアイ(ヘテロクロミア)。

肩まで伸びたやや癖のあるクリーム色の猫っ毛。

最高位の士官学校を首席卒業した優秀な人物。父親は特区の最高責任者。

母親はカツミを産んですぐに死亡。一人っ子。

育児や教育は使用人によって行われ、父親からネグレクトと虐待を受けて育つ。

拒食症で不眠症。体力は特殊能力で保持している。

超A級特殊能力者だが、子供の頃に父親の本音を知るのが怖くなり、能力のほぼ全てをみずから封印した。

ただし戦地では解放している。

口癖は「ごめん」。自虐的で自罰的。逆に天然な面があり、小悪魔的。

無意識に他人の本音を引き出す言動をする。

必要のない人間だと言われることを極度に恐れている。寂しがり。

□ジェイ・ド・ミューグレー

カツミの恋人。

男性。二十八歳~二十九歳。少佐。研究者。

貴族の家柄。家は財閥系の情報企業。長男で弟がひとりいる。

身長180センチ。すらりとした長身。黒髪。淡い茶色の瞳。眼鏡をしている。

幼い頃から天才と騒がれ跡取りとして大事に育てられる。

幼年学校は二年スキップしたにも関わらず、あらゆる資格を取得。

士官学校も一年スキップで卒業する(ラヴィ・シルバー以来の快挙)。

家の跡を継ぐまでの間という約束で長年の夢であった特区入隊を果たすが、事故により飛行隊任務が出来なくなる。婚約も破棄。任務も研究職に変える。家の跡取りは弟に変わる。

カツミにとっては父親的存在。

優しさと狡さ、独占欲と包容力を持つ。

長いスパンで先を見通すため、他人には理解し難く、アンビバレンツな人物に見える。

□シド・レイモンド

ジェイの元恋人。一年前に別れたが、現在も未練を持っている。

男性。二十八歳。少佐。軍医(外科医)。

実家は開業医。父親は外科医。母親はシドが十歳の時に離婚。一人息子。

肩まで伸びた癖のある栗色の髪。栗色の瞳。女性的な印象。

スキップで入学した医大を首席卒業した切れ者。毒舌家で皮肉屋。挫折を知らない世渡り上手。

カツミの恋敵的存在だが、いい人を演じている。

□フィーア・ブルーム

カツミの同僚。ライバル的存在。

男性。十九歳。少尉。飛行隊。

さらりとしたクリーム色の髪。深く青い瞳。A級特殊能力者。

母親から虐待を受けて育つ。士官学校に入る前からアーロン(ジェイの弟)に見出され、支援を受ける。

温厚で控え目な性格を演じているが、他人に本音で接することを恐れている。

□セアラ・ラディアン

カツミの姉的存在。関係は一度だけあるが実質片思い。

女性。十九歳。少尉。管制塔任務。

さらりとした長い黒髪。栗色の瞳。美少女。

天真爛漫。反面、思慮深く母性が強い。

大きな瞳をくるりと上に向けて微笑む癖がある。

□ユーリー・ファント

カツミの同僚。上官。

男性。二十五歳。少佐。飛行隊。

実家は貿易商。サラの幼馴染み。自称情報通。A級特殊能力者。

社会背景や軍の在り方に強い疑問を持っている。

困った時に頭を掻く癖がある。

□ロイ・フィード・シーバル

カツミの父。特区の最高責任者。

男性。四十七歳。中将。

クリーム色の短髪。トパーズ色の瞳。長身。

実力主義の冷酷な人物。カツミのことは所有物と思っている。

A級特殊能力者。

□ルシファー・セルディス

カツミの同僚。後輩。

男性。十八歳。少尉~大尉。飛行隊。カツミのフライトオフィサ。

実家は百貨店経営や貿易を営む名家。兄と姉がおり、末っ子。

さらりとした黒髪。深い緑色の瞳。身長180センチ。長身。

A級特殊能力者。特に『聞く者』の能力に長けている。

他人の心の裏側が聞けることで、子供の頃は人間不信で攻撃的だった。

聞けることが当然で育っているので、シールドが高く聞けないカツミに振り回される。同時に唯一の分からない相手であるカツミに惹かれる。

口が達者だが奥手。頭脳先行型。俯瞰から物事を見るのは得意だが、他人の気持ちは察するよりも読んできたので、思い図ることが苦手。観察者側に自分を置く。

読書が趣味。常に分厚い本を読み漁っている。愛読書は『廃船の記録』。

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