第三話 朝までいてくれる?

文字数 3,059文字

 夕方の基地の食堂。大勢の隊員がずらりと並ぶ、任務あけの喧騒。その賑やかさから少し離れた場所にカツミは座っていた。一人なのはいつものことだが、皿の上のものが一向に減らない。何も食べる気がしないのだ。あれから三日経つが、フィーアは仕事を休んでいた。
 彼を見つけたセアラが声をかけてきた。軍人らしからぬ食の細さは、彼女のよく知るところである。特殊能力者のカツミだからこそ、華奢な身体であっても仕事ができるのだ。

 ──特殊能力者。いわゆる超能力者。
 この星の全国民は能力判定テストを強制され、データを管理されていた。
 C級に満たない者は対象外。C級判定では投薬治療をする者もいたが、概ね社会に受け入れられている。
 能力者の出生は百分の一の確率。全てを排除すると社会が成り立たないのだ。
 ただ、数の少ないB級以上の者となると話は変わってくる。彼らは他者との違いが大きすぎて社会に馴染めないのだ。
 差別は法律で禁止されている。だが、個人感情までは縛れない。能力者は、おしなべて孤独だった。彼らを守ってくれるコミュニティはない。
 軍隊は特殊能力者の受け皿である。ゲートの外とは違い、ここでの彼らは『貴重な道具』なのだ。

「食が進まないみたいね」
 向かいに座ったセアラのトレイにも、カツミと同じ食事がのっていた。
「今日はなんだったの?」
「会議と報告書作成」
「それでお疲れなのね」
「まあね」
 カツミは飛ぶことが好きだった。フライトがあるからこそ、嫌気のさす日々でもやっていけるのだ。
 ただ、それ以外のことは何もかも嫌いだ。

 カツミの不機嫌顔に肩を竦めたセアラが珈琲(カッファ)を取りに行くと、カツミがまたグリルチキンの分解に取り掛かった。その姿は幼児が食べ物で遊んでいるのと変わらない。カップを両手に戻って来たセアラが、皿の上の惨状を見て呆れ声を出した。

「なにやってんのよ」
「だって不味いんだもん」
「ったく。ここの食事にそんなこと言うの、カツミくんだけよ」

 特区は研究施設もある巨大な軍事基地だ。研究者も大勢いる。設備に留まらず業務隊の規模も大きい。
 つまりここは、食事に関して他の基地より優遇されているのだ。しかし、カツミにとっては食事や待遇の優劣などどうでもよかった。

 戦争の相手はメーニェという隣の惑星。その衛星オッジがいわゆる前線である。第一次産業の拠点であるオッジを占拠されることは、砂漠の星であるメーニェにとっての死活問題なのだ。
 オッジを遠目に見る場所に、こちらの航空母艦が駐留している。ごくたまに起こる小競り合いのために、数か月おきに入れ替わる艦隊が常時監視を続けていた。
 馬鹿ばかしいくらいに不経済な状況。それがもう百年も続いていた。
 スクランブルは滅多にないが、大きな紛争となると話は別である。ここの飛行隊は、駐留艦隊への援軍として真っ先に交戦地に向かう義務があった。

「いいこと教えてあげよっか」
 セアラが急に意味深な笑みを浮かべた。
「いいこと?」
「昨日、ドクターのとこに行ったの」
「俺だけ特別あつかいするって、苦情でも言いにか?」
「またそういうこと言う」
 セアラはカツミが鬱々としているわけなど知らなかったが、それがフィーアに関係するとは思っていた。身を乗り出した彼女が小声で切り出す。

「カツミくん、お見舞い行かない?」
「えっ?」
「熱だしてるって。でもね、カツミくんには教えるなって言うのよ」
「ふうん」
「治るものも治らないって。相変わらずの皮肉屋ね」
 カツミはすぐにセアラの意図を察した。フィーアのことを言っているのだろう。
 同時にシドの策略がひどく腹立たしかった。
 これがあいつのやり方か。苛立ちながらも、自分が既にシドの手のひらの上で踊らされていると感じていた。

「で。なんでそれを俺に言うんだ?」
「だって知りたかったでしょ? 私はカツミくんの味方だもん」
「そうなの?」
「失礼ね。情報提供料を請求するわよ」
「いつかね」

 少しだけ笑みを見せたカツミが、すぐに席を立つと出て行った。遠ざかる背中を見送っていたセアラが、ふっと息をつく。先日の罪滅ぼしではあったが、正直自分の感情の置き所が分からなかった。
 他人に心を開かないカツミが、フィーアのことを認めている。ならば自分もフィーアを認めたい。それはおかしなことなのだろうか。
 セアラには想いの定義が分からない。好きなことと、大切であることの違い。恋というものと、愛おしさの違いが。

 ◇

 自室と同じフロアにあるフィーアの部屋。その前で戸惑っていたカツミが意を決してブザーを押すと、中から出て来たのは最も会いたくない人物だった。
 シドはそっぽを向いたカツミを一瞥し、何も言わずに歩き去った。

 シドの思惑にはめられていることがどうにも不愉快だったが、もう後には引けない。カツミはそのまま部屋に入り、横たわっていたフィーアに声をかけた。
「熱だしたって?」
「違うよ。薬を切るんだ」
「えっ?」
「緩和剤。今のが最後だって。夜に切れるって」
「たった三日やそこらで?」
 カツミは、断薬後の離脱症状がきついことを経験上知っている。決して他言は出来ない。ジェイですら知らないことだ。
 自分を貶めることならカツミは何でもしてきた。その行為の典型が、今でも完治していない拒食だった。

「バレたからね。ほんとなら、とっくにクビだけど」
「お気に入りだからな。俺なんかと違って」
「ずいぶん過小評価だね。大目に見てもらってる理由はこれだよ」
 フィーアがくすりと笑うと同時にカツミの身体が浮き上がり、ベッドの上に運ばれ、ゆっくりと降ろされた。
 突然念動力を使われたカツミは、驚きのあまり声を失う。

「びっくりした?」
「ひとが悪いったら!」
「あんなところに立っていられたら、話も出来ないよ」
「ったく!」
 むくれ顔のカツミがベッドの上にぱたんと横たわる。シーツ越しに身体が重なった。
「痛いよ」
「自分がここに乗っけたんだろ?」

 困り顔になったフィーアだったが、身体を起こすとカツミの手を握った。あの日と同じ謝罪が繰り返される。
「ごめん。逆恨みだったのに。カツミは悪くないのに」
「もういいよ。その話は」
「よくない」
「いいの」
 言葉のやり取りを遮るようにカツミが瞼を閉じた。その耳に、微かな息とともに意外な本音が落ちる。

「正直言ってほっとしてるんだ。間違わなくて良かったって」
「まちがう?」
「うん」
 瞼を開いたカツミを、フィーアが眩しそうに見つめていた。だが、押し殺せない不安が青い瞳を曇らせていった。カツミは握られたままの手が汗ばんでいることに気づく。

「カツミ、頼みがあるんだ」
「なに?」
「朝までいてくれる? ……怖いんだ」
 カツミは即答しない。ジェイとの約束があった。フィーアは沈黙の意味を察したが、その後悔を先回りするように、ぎゅっと手が握り返された。

「いいよ」
「えっ?」
「なにも出来ないと思うけど」
 神秘的な瞳を真っすぐ向けて、隣に横たわっているカツミ。フィーアは、血を分けた弟の顔を泣きたいほどの気持ちで見つめた。
 ただのひと時でも、大切な人を裏切ってまで自分を選んでくれる。そんな経験は一度もしたことがない。

 ──自分は嘘つきの臆病ものなのに。
 フィーアにはまだ隠していることがあった。それで何がしたいのかも分からないというのに。そう。分からないのだ。自分の感情が。求めていることが。
 ただ、ひとつだけ確かに分かっていた。繋がれた手から伝わる温もり。その温もりが、この上ない安らぎを連れてくることだけは。
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登場人物紹介

□カツミ・シーバル

主人公。

男性。十九歳~二十歳。少尉~少佐。飛行隊。

眉目秀麗。幼顔で中性的。身長160センチ。華奢で小柄。

右の瞳がトパーズ色、左の瞳がクリムゾン色のオッドアイ(ヘテロクロミア)。

肩まで伸びたやや癖のあるクリーム色の猫っ毛。

最高位の士官学校を首席卒業した優秀な人物。父親は特区の最高責任者。

母親はカツミを産んですぐに死亡。一人っ子。

育児や教育は使用人によって行われ、父親からネグレクトと虐待を受けて育つ。

拒食症で不眠症。体力は特殊能力で保持している。

超A級特殊能力者だが、子供の頃に父親の本音を知るのが怖くなり、能力のほぼ全てをみずから封印した。

ただし戦地では解放している。

口癖は「ごめん」。自虐的で自罰的。逆に天然な面があり、小悪魔的。

無意識に他人の本音を引き出す言動をする。

必要のない人間だと言われることを極度に恐れている。寂しがり。

□ジェイ・ド・ミューグレー

カツミの恋人。

男性。二十八歳~二十九歳。少佐。研究者。

貴族の家柄。家は財閥系の情報企業。長男で弟がひとりいる。

身長180センチ。すらりとした長身。黒髪。淡い茶色の瞳。眼鏡をしている。

幼い頃から天才と騒がれ跡取りとして大事に育てられる。

幼年学校は二年スキップしたにも関わらず、あらゆる資格を取得。

士官学校も一年スキップで卒業する(ラヴィ・シルバー以来の快挙)。

家の跡を継ぐまでの間という約束で長年の夢であった特区入隊を果たすが、事故により飛行隊任務が出来なくなる。婚約も破棄。任務も研究職に変える。家の跡取りは弟に変わる。

カツミにとっては父親的存在。

優しさと狡さ、独占欲と包容力を持つ。

長いスパンで先を見通すため、他人には理解し難く、アンビバレンツな人物に見える。

□シド・レイモンド

ジェイの元恋人。一年前に別れたが、現在も未練を持っている。

男性。二十八歳。少佐。軍医(外科医)。

実家は開業医。父親は外科医。母親はシドが十歳の時に離婚。一人息子。

肩まで伸びた癖のある栗色の髪。栗色の瞳。女性的な印象。

スキップで入学した医大を首席卒業した切れ者。毒舌家で皮肉屋。挫折を知らない世渡り上手。

カツミの恋敵的存在だが、いい人を演じている。

□フィーア・ブルーム

カツミの同僚。ライバル的存在。

男性。十九歳。少尉。飛行隊。

さらりとしたクリーム色の髪。深く青い瞳。A級特殊能力者。

母親から虐待を受けて育つ。士官学校に入る前からアーロン(ジェイの弟)に見出され、支援を受ける。

温厚で控え目な性格を演じているが、他人に本音で接することを恐れている。

□セアラ・ラディアン

カツミの姉的存在。関係は一度だけあるが実質片思い。

女性。十九歳。少尉。管制塔任務。

さらりとした長い黒髪。栗色の瞳。美少女。

天真爛漫。反面、思慮深く母性が強い。

大きな瞳をくるりと上に向けて微笑む癖がある。

□ユーリー・ファント

カツミの同僚。上官。

男性。二十五歳。少佐。飛行隊。

実家は貿易商。サラの幼馴染み。自称情報通。A級特殊能力者。

社会背景や軍の在り方に強い疑問を持っている。

困った時に頭を掻く癖がある。

□ロイ・フィード・シーバル

カツミの父。特区の最高責任者。

男性。四十七歳。中将。

クリーム色の短髪。トパーズ色の瞳。長身。

実力主義の冷酷な人物。カツミのことは所有物と思っている。

A級特殊能力者。

□ルシファー・セルディス

カツミの同僚。後輩。

男性。十八歳。少尉~大尉。飛行隊。カツミのフライトオフィサ。

実家は百貨店経営や貿易を営む名家。兄と姉がおり、末っ子。

さらりとした黒髪。深い緑色の瞳。身長180センチ。長身。

A級特殊能力者。特に『聞く者』の能力に長けている。

他人の心の裏側が聞けることで、子供の頃は人間不信で攻撃的だった。

聞けることが当然で育っているので、シールドが高く聞けないカツミに振り回される。同時に唯一の分からない相手であるカツミに惹かれる。

口が達者だが奥手。頭脳先行型。俯瞰から物事を見るのは得意だが、他人の気持ちは察するよりも読んできたので、思い図ることが苦手。観察者側に自分を置く。

読書が趣味。常に分厚い本を読み漁っている。愛読書は『廃船の記録』。

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