第五話 自分への課題

文字数 2,683文字

 眠れず食べられず、特殊能力の作用だけで体力を維持して任務をこなす日々。その日のカツミは、部屋に戻るなり床に座り込んでしまった。瞼を閉じると次第に眠気が襲ってくる。せめてベッドまで行けないかな。そう思っても、身体のほうがいうことをきかない。
 仕方ないかと諦めたとたんに、意識は睡魔にさらわれていった。

 カツミがけたたましく鳴るブザーの音で起こされたのは、それから1ミリア後だった。座り込んだままドアロックを外すと、外にルシファーが立っている。
 なんでこいつが? カツミの困惑を無視して溜息混じりに入って来たルシファーは、閉まったドアの前にしゃがみ込むとカツミの額に手を当てた。

「こんなこったろうと思ってましたよ!」
 ルシファーは、まだ戸惑っているカツミをきっちりねめつける。
「貴方は今日、ずっときつそうだったから。ドクターに連絡しましょうか?」
「いいよ。単なる寝不足だから」
 なんとか言い逃れようとしたカツミだったが、ルシファーの鉄槌は容赦なかった。
「意地っ張りにも程がありますよ! これじゃ、ミューグレー少佐のところにも行けないですね」
「……わかった」
 カツミは抵抗を断念して瞼を閉じた。ジェイに心配をかけたくないのに、これじゃ本末転倒じゃないか。情けなかったが、もう限界だった。

 立ち上がったルシファーが医務室に連絡を入れた。
 診療時間は過ぎていたが、シドはまだ在室していたらしい。しばらくやり取りして受話器を置いたルシファーが、すぐに来るそうですと言いながら、うっすら笑みを浮かべた。
「ずいぶん慌ててるみたいだった。俺が連絡なんかしたから」
「そりゃそうだろ」
 シドがどんな顔で来るのか、カツミにはもう分かっていた。すぐに嫌味ったらしく説教するしと、うんざりする。それでも身体は動かない。平気なふりが出来ない。
 ぐったり座り込み瞼を閉じていたカツミは、不意に抱き上げられてぴくりと身体を震わせた。

「軽いですね。軍人にしては小柄だな」
「うるさい!」
 人が気にしていることをずけずけ言いやがって。カツミがルシファーを睨みつけたが、すでに形勢は逆転していた。軽々とベッドの上に運ばれ、王女のようにそっと横たえられる。

「無理してたんですね」
「自分のことは棚上げかよ!」
 ルシファーはカツミの反撃を微笑でかわし、どうもすみませんでしたと取ってつけたように謝った。
 椅子を引き寄せベッド脇に座ったルシファーに、カツミが悪態を浴びせ続けた。
「俺はフィーアじゃないからな!」
「当然。あの人はこんな憎まれ口を叩いたりしませんから」
 ルシファーには、カツミの悪態がむしろ可愛らしく感じられた。余裕の笑みであっさりカツミの口を塞ぐ。

「これ以上無理しないほうがいいですよ。聞く耳持たないでしょうが、取り敢えず言っときます」
 短く言い渡したルシファーが、さっと腰を上げてキッチンに行った。手際よく氷水を作ってタオルを冷やすと、それをカツミの額に乗せる。

 来客を知らせるブザーが鳴った。ルシファーがドアを開けたとたん、慌てふためいたシドが飛び込んできた。

 ◇

「君は敵だと思っていたけどね」
「世の中みんな敵だらけですね」
 シドの嫌味をルシファーがさらっとはぐらかす。
 重度の睡眠障害と診断したシドが鎮静剤を注射すると、カツミはすぐに眠りに落ちた。点滴が終わるまではとベッドサイドに座ったシドに、ルシファーが声を絞って話しかける。

「ドクター。彼、どうですか?」
「それは私が聞きたいくらいだよ。どうしてこうなったんだ?」
「くわしいことは少尉に直接聞いて下さい。それと余計なことですけど」
「なんだ?」
「今のままだと危ないです。生体電磁場(オーラ)が稀薄すぎる。年明けには合同演習もあるのに、こんな状態で飛ぶなんて無理です」
「君にはそれが分かると?」
「お節介ですけどね」

 それは、A級の聞く者であるルシファーだけに分かること。しかし能力者ではないシドには眉唾ものの話だ。
 半信半疑という顔のシドから目を逸らし、ルシファーがさっと立ち上がった。いつものことだと思っていた。言ったところで疑われるだけだ。能力者以外には信じてもらえない。『聞いた』ことを口にしたところで、誰のためにもならない。それを証明できないのだから。
 真実が必ず幸せに結びつくとは限らない。でもルシファーは、今回ばかりは『それ』を忠告すべきだと思えたのだ。

「帰ります。余計なこと言ってすみませんでした。失礼します」
「セルディス少尉」
 呼び止めたシドを振り切って、ルシファーが逃げるように部屋を出て行った。

 ◇

 カツミは明け方近くに目を覚ました。その瞳に、ほっとしているシドが映る。
「寝てないの?」
「熱が上がってね。心配したけど、もう大丈夫だ」
「ごめん。情けないね」
「ジェイに連絡は?」
「してない。……俺ね、自分に課題を出してるの」
 心配顔のシドの手に触れたカツミが、みずからに言い聞かせるように切り出した。

「自分で乗り越えようと思ってるの。逃げないように踏ん張ってるの。自分を好きになれるように」
 無言でシドが見つめるなか、カツミはしっかり言葉を連ねていく。

「これはジェイの望みだけど、自分の望みでもあると思うんだ。もう自分に言い訳しながら生きていたくない。ドクターもフィーアも、みんな背中を押してくれた。この先、歩けないなんて言えない。そんな自分なんて許せないよ」

 『カツミは私を越えるだろうよ』
 その時、シドはロイの予言を思い出していた。カツミは、いつからこんなに手の届かない所に行ってしまったのだろう。あれだけ自虐的だったカツミが、みずからを好きになるために行動するなんて。
 ジェイの死からは、もう決して逃れられない。だったらもう、それを受け入れられる自分に変わるしかないんだ。みずからの、これからのために。

「ドクター」
「なんだ?」
「もう説教しないんだな。つまんないよ」
「言うことがなくなったよ」
 不満げなカツミを見て苦笑いしたシドは、医師の顔に戻って話を変えた。
「熱は引いたけど任務に出られるか?」
「大丈夫。今日はいつもより楽だから」
「軽い睡眠薬を処方するよ。ああそれと」
 からかうように笑いながら、シドが付け加える。
「今日ジェイのところに行くから、その時の話も持って夜に来るよ」
「えっ。ずるーい!」

 むくれ顔のカツミに意地悪な笑みを押し付けて、シドが背を向けた。その脳裏に再びロイの言葉が浮かぶ。
 『もう私は、お役御免だ』
 シドは思う。自分も同じかもしれないと。また置いていかれるのか。捨てられることには慣れたはずなのにと。
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登場人物紹介

□カツミ・シーバル

主人公。

男性。十九歳~二十歳。少尉~少佐。飛行隊。

眉目秀麗。幼顔で中性的。身長160センチ。華奢で小柄。

右の瞳がトパーズ色、左の瞳がクリムゾン色のオッドアイ(ヘテロクロミア)。

肩まで伸びたやや癖のあるクリーム色の猫っ毛。

最高位の士官学校を首席卒業した優秀な人物。父親は特区の最高責任者。

母親はカツミを産んですぐに死亡。一人っ子。

育児や教育は使用人によって行われ、父親からネグレクトと虐待を受けて育つ。

拒食症で不眠症。体力は特殊能力で保持している。

超A級特殊能力者だが、子供の頃に父親の本音を知るのが怖くなり、能力のほぼ全てをみずから封印した。

ただし戦地では解放している。

口癖は「ごめん」。自虐的で自罰的。逆に天然な面があり、小悪魔的。

無意識に他人の本音を引き出す言動をする。

必要のない人間だと言われることを極度に恐れている。寂しがり。

□ジェイ・ド・ミューグレー

カツミの恋人。

男性。二十八歳~二十九歳。少佐。研究者。

貴族の家柄。家は財閥系の情報企業。長男で弟がひとりいる。

身長180センチ。すらりとした長身。黒髪。淡い茶色の瞳。眼鏡をしている。

幼い頃から天才と騒がれ跡取りとして大事に育てられる。

幼年学校は二年スキップしたにも関わらず、あらゆる資格を取得。

士官学校も一年スキップで卒業する(ラヴィ・シルバー以来の快挙)。

家の跡を継ぐまでの間という約束で長年の夢であった特区入隊を果たすが、事故により飛行隊任務が出来なくなる。婚約も破棄。任務も研究職に変える。家の跡取りは弟に変わる。

カツミにとっては父親的存在。

優しさと狡さ、独占欲と包容力を持つ。

長いスパンで先を見通すため、他人には理解し難く、アンビバレンツな人物に見える。

□シド・レイモンド

ジェイの元恋人。一年前に別れたが、現在も未練を持っている。

男性。二十八歳。少佐。軍医(外科医)。

実家は開業医。父親は外科医。母親はシドが十歳の時に離婚。一人息子。

肩まで伸びた癖のある栗色の髪。栗色の瞳。女性的な印象。

スキップで入学した医大を首席卒業した切れ者。毒舌家で皮肉屋。挫折を知らない世渡り上手。

カツミの恋敵的存在だが、いい人を演じている。

□フィーア・ブルーム

カツミの同僚。ライバル的存在。

男性。十九歳。少尉。飛行隊。

さらりとしたクリーム色の髪。深く青い瞳。A級特殊能力者。

母親から虐待を受けて育つ。士官学校に入る前からアーロン(ジェイの弟)に見出され、支援を受ける。

温厚で控え目な性格を演じているが、他人に本音で接することを恐れている。

□セアラ・ラディアン

カツミの姉的存在。関係は一度だけあるが実質片思い。

女性。十九歳。少尉。管制塔任務。

さらりとした長い黒髪。栗色の瞳。美少女。

天真爛漫。反面、思慮深く母性が強い。

大きな瞳をくるりと上に向けて微笑む癖がある。

□ユーリー・ファント

カツミの同僚。上官。

男性。二十五歳。少佐。飛行隊。

実家は貿易商。サラの幼馴染み。自称情報通。A級特殊能力者。

社会背景や軍の在り方に強い疑問を持っている。

困った時に頭を掻く癖がある。

□ロイ・フィード・シーバル

カツミの父。特区の最高責任者。

男性。四十七歳。中将。

クリーム色の短髪。トパーズ色の瞳。長身。

実力主義の冷酷な人物。カツミのことは所有物と思っている。

A級特殊能力者。

□ルシファー・セルディス

カツミの同僚。後輩。

男性。十八歳。少尉~大尉。飛行隊。カツミのフライトオフィサ。

実家は百貨店経営や貿易を営む名家。兄と姉がおり、末っ子。

さらりとした黒髪。深い緑色の瞳。身長180センチ。長身。

A級特殊能力者。特に『聞く者』の能力に長けている。

他人の心の裏側が聞けることで、子供の頃は人間不信で攻撃的だった。

聞けることが当然で育っているので、シールドが高く聞けないカツミに振り回される。同時に唯一の分からない相手であるカツミに惹かれる。

口が達者だが奥手。頭脳先行型。俯瞰から物事を見るのは得意だが、他人の気持ちは察するよりも読んできたので、思い図ることが苦手。観察者側に自分を置く。

読書が趣味。常に分厚い本を読み漁っている。愛読書は『廃船の記録』。

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