第43話 不破と灰谷は決戦直前に協議する

文字数 2,697文字

 新開地に朝の光が届き始める頃…不夜城の如く煌めいて、夜を徹して遊ぶ者のために存在するこの街にとって、早朝のひと時は一日の内で最も静寂に満ちている時間帯であった。
 しかしながら、大輪田芸能興行社の執務室には…一種異様な喧騒が訪れていたようだ。

「彩藍…こちらの情報はこの通りだ。
華乃を捕らえた這い寄る混沌(ナイアルラトホテップ)とハイドラ一味の拠点と思われる位置を特定して来たぞ。
神戸港の煉瓦倉庫地区だ、準備が整い次第…すぐに踏み込むからな」

 勢い込む童士に対し、彩藍はのんびりとした口調で押し留めようとする。

「童士君…こんな朝も早よから突撃したら、港湾の沖仲士(おきなかせ)のオッちゃん等にモロバレしてしまうやん。
華乃ちゃんの許に辿り着く前に、警察にしょっ引かれるのがオチやって。
僕の方からも共有しやなアカン情報があんねんから…もうちょっとだけ落ち着こうな」

 居ても立っても居られない童士は、彩藍の態度にすら腹を立てる。

「馬鹿野郎っ!
俺達が手をこまねいている隙に、華乃の身に何かあったらどうするんだよっ!」

 童士の人を喰い殺しかねないような剣幕にも、彩藍は冷静な態度を崩すことなく言葉を連ねる。

「せやかて、ハルさんも言うてたんやろ?
華乃ちゃんは僕と童士君を誘き寄せるための()なんやって、そしたら僕等が到着するまで…華乃ちゃんの身に何ぞある可能性は低いんやから。
慌てる何やらは貰いが少ないねんで…童士君」

 彩藍のいつもの揶揄いに、童士は鋭い視線で睨み返すのみ。

「おぉ怖っ…。
取り敢えず、こっちの情報も聞いといてよ」

 こちらはいつもと変わらぬ彩藍が、肩を竦めて童士に語り掛ける。

「これはある意味、童士君には朗報なんかも知れへんで」

 そして彩藍は任部勘七からの情報と、彼の推論について…余すことなく童士へと伝える。
 ハイドラを滅するための手法として、完膚なきまでに叩き潰し…それでもハイドラを破滅に追い込めるか不確定なこと。
 この話を聞いた童士は、彩藍に向き直り質問を始める。

「なら…ハイドラの息の根を止めるためには、もしかしたら何度も彼奴を打ちのめさなきゃならない可能性があるってのか?」

 戦闘への渇望に、両眼をギラつかせる童士へ彩藍は応える。

「あくまでも任部社長の推論やからね、まあ…僕も似たような予想はしとるけどさ」

 彩藍の回答に満足したのだろうか、童士は果てなき闘争への欲望が満たされそうな情報に…不穏な空気を感じさせる微笑を浮かべた。

「彩藍よ…良い話を聞かせて貰ったぜ。
ハイドラなんざ永遠に殴り続けても、殴り足りやしないからな」

 童士の入れ込み(チャカつき)をどうにか落ち着かせた彩藍は、更に任部勘七から仕入れた情報を童士に伝えた。
 華乃の母親である漆原泉美と音羽紅緒の関係性…そしてハイドラによる漆原泉美の心臓に対する精神支配の顛末についてである。

「それでは彩藍よ、泉美さんの魂を成仏させるためにも…ハイドラの抹殺と共に、その心臓を完全に停止させなければならないと云うことなのか?」

 童士の問い掛けに対し、彩藍は少し自信なさ気な態度で応える。

「これも任部社長からの受け売りになってしまうんやけど、幸泉寺の五島住職から聞いた泉美さんの成仏出来てない話、それに音羽紅緒さんの昏睡の件…これらの情報を関連付けると、やっぱりハイドラの本体が泉美さんの心臓を支配してるっちゅう仮定から全てが始まっとるって考えられるね。
その関係性は、やっぱり深い所で繋がっとると見るんが妥当やろな。
どないやるかの方法論は別にしても、ハイドラの息の根を止めて…泉美さんから奪った心臓を停止させることで、音羽紅緒さんの覚醒を促すきっかけになるんちゃうやろか?」

 彩藍の言葉を聞いた童士は、関節の可動域を柔軟運動でバキバキと解しながら…彩藍を見ながら言った。

「はっきり言うと、俺にとっては音羽紅緒の昏睡の状況ってのは、殆ど興味がねぇんだけどな。
泉美さん…華乃のお袋さんを成仏させることを目的に、ハイドラをぶっ潰して泉美さんの心臓を解放してやる。
その余録として、音羽紅緒が目覚めたなら… それはそれで良しってことなんだろう?」

 童士のぶっきら棒な物言いに、思わず彩藍は苦笑いを浮かべるが…頑固者の鬼である自身の相棒に、それとなく釘を刺すことは忘れない。

「童士君…平べったく言い過ぎると、そないな感じで仕方ないんやけども。
実際のところは…音羽紅緒さんの件については、任部社長から直々の依頼やからね。
興味のあるナシに関わりなく、お仕事としては捉えとってよ」

 彩藍の指摘に気乗りせぬ様子の童士ではあったが、結局のところ本人がやる気のある二点についての結果が…最後の一点に結実する事実について納得して仏頂面で了承した。

「あぁ、ハイドラの抹殺と泉美さんの魂の解放。
それに付帯して、第三の位頼も完遂出来る可能性は理解しているよ。
それ以上の行動については、知ったこっちゃない。
これで構わないんだろ?」

 童士の乱暴な決着の方向性に、彩藍はやれやれと首を振りながらも同意する。

「そう、取り敢えずはそれで良しと云うことにしとこうか。
音羽紅緒さんの件については、後にならな判らん部分も多いからね」

 それから後の時間については、童士も彩藍も神戸港の煉瓦倉庫へ突入する段取りについて調整を始める。

「あの赤煉瓦倉庫だが、早朝の今時分から集荷と出荷が始まるんだよな?」

 童士の質問に、彩藍は快活に回答する。

「そやね、神戸港管理事務所の就業規定時刻(タイムスケジュール)によると…午前五時三十分から午後二時三十分が沖仲士の勤務時間になっとるね。
残務処理だの緊急出荷の時間を見繕っても、僕らの稼働開始は日没以降が適切(ベター)やと思うよ」

 彩藍の提案に不平がありそうな童士だが、フンと一つ鼻を鳴らして頷く。

「しかし…俺達は夜の闇に紛れるようにしか、こっちの仕事が出来ないよな。
もう少しぐらいお天道様の下で、まともな仕事が出来ないモンなのか?
これじゃあ夜盗の類と、何ら変わらない暮らし振りだぞ」

 童士の言葉を耳にして、彩藍はプッと噴き出し童士へと告げる。

仕方(しゃあ)ないやん、僕らみたいな『事件屋』は普通の人が寝静まった時間に動いて…誰にも知られんと成果を出すんが本道やんか。
それに…僕らは百鬼夜行の妖怪やねんから、夜の闇に紛れて蠢くんが本筋やもんね」

 彩藍の諦観した笑顔に、童士も溜息混じりで合意する。

「それでは、日没まで身体を休めるか…彩藍、お前も昨夜の疲れを癒しておけよ」

 童士の台詞に笑顔で親指を立てて自室に帰る彩藍、その背を見つめて童士は、連夜の戦闘に向けての昂りを抑えられず…敵を叩きのめす快楽を想像しながら獰猛な笑みを浮かべるのだった。
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