第26話 不破は銀ノ魔女に助力を請う

文字数 3,129文字

「あー…ハル様、度々の訪問で申し訳ないが、ちょっと頼みがあるんだよ」

 面会に係るいつもの面倒な手続き(ルーティンワーク)を履行した童士は、ガシガシと頭を掻きながら、新開地商工会議所の会頭である銀機ハルの前に進み出る。

「不破童士よ、改まって何だえ?
其方の婚礼の儀に妾を、招待しにでも参ったのか?」

 フンと鼻息荒く童士は、銀機ハルの戯言に言い返す。

「ハル様よ、彩藍からこっちの報告は上がっているんだろう?
その時が来たら仲人でも立会人でも、ハル様に頼みに来るからよ。
今日は受託してる依頼についての情報収集で、ハル様に会いに来たんだ」

 スゥッと赫い眼を細めて銀機ハルは、平然と佇む童士を見つめる。

「ほぅ…何ぞ心境の変化でもあったのかえ?
鬼の小僧めが覚悟を決めたように、妾の両眼には映っておるのだがのぅ。
童士や…灰谷彩藍からの言伝も、あながち偽りであるとは思えぬ立ち姿じゃな。
改めての出席依頼を、首を長くして待っておるぞい」

 銀機ハルの問い掛けにも動じる素振りを見せず、童士は己が心の内が定まった旨を告げる。

「ハル様よ、アンタに嘘偽りを申し立てて、彩藍に何ら得はないだろう。
俺にしてもそうだ、アンタに隠し立てをしても、全くの無意味だって知っているからな。
俺は俺の心の赴くまま、自分の心と正直に向き合って…華乃と共に生きることを決めただけだよ」

 童士の真っ正直な物言いに銀機ハルは、いつもの無表情な顔からは想像だに出来ぬ微笑を貼り付ける。

「童士よ其方の今の顔を、愛宕山の栄術太郎坊(えいじゅつたろうぼう)にも見せてやりたかったのぅ。
彼奴めは此処を去る前に…其方と相棒の行く末を、何よりも気に掛けておったからなぁ。
それに…其方の父親(てておや)八瀬(やせ)の長も草葉の陰で喜んでおろうて。
取りも直さず、其方がその背に守るべき者を見出したことは…其方の弱さではなく、更なる強さに繋がると妾は思うておる。
其のことは、ゆめゆめ忘れるでないぞ」

 銀機ハルは満足そうに慈愛に満ちた笑顔を童士へと向けて、ホホホと軽く笑った。
 常ならば冷笑的(シニカル)な笑い声をのみ立てる銀機ハルの姿に、童士は戸惑いつつもとある疑問について声を発した。

「ハル様…先代の行方を知っているのか?
それに…俺の父親とは…八瀬の長とは…何のことなんだ?」

 銀機ハルは一瞬だけ両眼を面白そうに見開いたが、すぐさま何時もの表情を取り戻し…その赫き眼を面白そうに細めて告げる。

「愛宕山は、とある難題に取り掛かるため…其方等の許を一時的に離れただけじゃ。
互いに生きておれば、また出会うこともあろうて。
八瀬の長の件は、愛宕山が其方に告げておらぬとなれば…妾が其方に伝えるのも興なきことよ。
愛宕山に再び相見えることがあれば、彼奴めから直裁に聞いてみるが良い」

 銀機ハルから煙に巻かれた風情の童士は、気を取り直したように本日の訪問の主題について質問を始めた。

「ハル様よ、アンタがそう言うなら…何としても口を割ることはないんだろうよ。
全く…食えない婆さんだぜ。

取り敢えず今日の用件だが、俺達は古き神々(エルダーゴッズ)の眷属である女怪ハイドラの行方を追っている。
舶来の水妖だが…やはり水に関わる場所に潜み棲んでいると、俺達は想定しているんだ。
そちらの商工会議所では、何か情報を掴んでいないか?
使途不明で神戸に寄港している、海外船舶の停泊状況でも何でも良いんだがな」

 童士の問いに銀機ハルは、その身に組み込まれた銀色に輝く筐体の端末を操作する。
 そこに表示されたであろう情報を確認し、ニヤリと笑うと童士に告げる。

「童士よ、其方等もやりおるの。
確かに数週間ほど前より…亜米利加(アメリカ)船籍の旅客船『セント・タダイ』号が和田岬に停泊しておるな。
寄港目的は…補給および旅客、乗員の慰労目的…か、どちらにせよ旅客船の停泊にしては長期に渡り過ぎてはおるようだの」

 銀機ハルの言葉に童士は、こちらも不敵に笑い感想を述べる。

聖ユダ(セント・タダイ)か…巫山戯た名前を付けてやがる。
絶望と敗北者の守護聖人、イエス・キリストを端金(はしたがね)で売り払った裏切り者の名前を冠した船か…。
旅客の慰労とは、日本の女達を喰い殺す慰労であったのかもな」

 童士の皮肉に満ちた苦々しい発言に、銀機ハルも人の悪い笑みを浮かべる。

「童士よ…其方も中々の博識よの?
其方が言わねば、妾がその言葉を言おうと思っておったのだが…」

 銀機ハルの返しに童士は、表情を変えるでもなく仏頂面のままフンと鼻を鳴らす。

「古今東西の黴臭い知識は、先代に引き取られてから…しこたま仕込まれていたからな。
俺でも彩藍でも、同じような予測に辿り着いただろうよ」

 童士の言葉を受けて銀機ハルは、満足そうな笑顔を向けた。

「成程のぅ…愛宕山も後継者を育成するに、ただ甘やかしていた訳ではないと云うことか。
来たるべき災禍を見越し、詰め込める知識については…遺漏なく伝えておったか」

 銀機ハルの独白にはちらりとも興味を見せぬ童士は、一見すると不機嫌そうな姿勢を崩さず追加の質問を浴びせる。

「因みにハル様、セント・タダイ号の降船記録は閲覧が可能なのか?
その内訳についても、判る範囲で教えて欲しいのだが…」

 童士の質問にフムと応えた銀機ハルは、再び筐体の端末を操作する。

「入国管理局の神戸支局資料(データ)に拠ると…セント・タダイ号からは女一名と男十四名が下船しておるようだの。
乗客からは六名、船員は九名との履歴はあるな。
現在…把握可能な内容は、こんなモノかのぅ。
此方でも引き続き情報の収集は行う故、しばし待つが良いぞ」

 銀機ハルの言葉に得心したか、または自身の予測と違わぬ結果に満足したのか…童士は笑顔のまま頷いた。

「ハル様…助かるよ。
引き続きの調査については、宜しく頼む。
それと…今回の件が落ち着いた際には、華乃も連れてこちらへ報告に伺っても良いかな?」

 童士の声に両眼を大きく見開いて驚きの表情を見せた銀機ハルは、次の瞬間…あり得ない行動に出た。
 大きく笑い声を上げて手を叩き、(あまつさ)えその身を格納している筐体から立ち上がり降り立ち…童士の方へ歩み寄ったのだ。
 周囲に控えている、平素は部屋の装飾品の如く動きを見せない機人の執事達すら…驚きの余り身じろぎするような行動に、童士も何事が起こったのかと驚愕の念を抱かざるを得なかった。

「ハル様…アンタ何を…」

 そんな童士や執事達の狼狽も我関せず、銀機ハルは優雅かつたおやかな所作で、童士の眼前に艶然と顔を綻ばせて立っている。

「不破童士殿…貴方と漆原華乃嬢の行く末に、幾久しからぬ幸福のあらんことをご祈念いたします。
ほど遠からぬ未来に、貴方と漆原華乃嬢が我が居室へとお見え頂きます日を…この銀機ハル、首を長くしてお待ち申し上げます」

 何の偽りも含んではいない、心からの笑顔で口上を述べ…王侯貴族に対するような貴婦人の礼を童士へ送ると、何事もなかったように銀機ハルは筐体へと戻り常態へと移行する。

「それでは…の。
童士よ、また会おう」

 両眼を細めつつ、美しい微笑で童士を送り出す銀機ハル。
 童士は未だ狼狽をその顔に心に残しながらも、深く一礼しその場を立ち去る。
  童士の背が居室の扉より立ち去った直後、感慨深げな優しい顔付きで銀機ハルは言葉を紡ぎ出す。

「八瀬の長…八瀬童子いやさ、先代の不破童子よ。
其方の息子も大きく強く、良い男に育ったの…。
妾と其方の縁が今生において交わることはもうあり得ぬが、其方の息子に其方の面影を重ねて見ることは許してくれよう?
妾の若かりし日の想いと、在りし日の其方との思い出…それ故にな…」

 過ぎ去った遠い年月を懐かしむ銀機ハルの呟きは、童士に届くことはないだろう。
 そして銀機ハルに残された数少ない生身である、赫い瞳から流れ落ちる涙もまた…誰の目にも触れられることはなかった。
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