第29話 不破と灰谷は魔船にて遭遇する

文字数 2,690文字

 セント・タダイ号への侵入経路を探っていた童士と彩藍は、どうやら船首と船尾を岸壁に固定している繋留索を伝っての経路を見出したようだ。
 岸壁から甲板までの高さは、十米突ばかりあるだろうか。
 月の明かりさえ分厚い雲に覆われて、夜の闇が神戸港を包み込む深夜の時間帯に…セント・タダイ号から舷梯(タラップ)が降りている筈もなく、童士と彩藍の採る選択肢として唯一残された経路であった。

「そしたら童士君は船尾から、僕は船首から登って行こうか?」

 彩藍の言葉に、童士は頷く。

「うむ…しかし彩藍よ、船首の方が船尾よりも人目に付きやすいと思われるが…お前はそれで良いのか?」

 彩藍が危険に晒される心配よりも、発見されたことによって彩藍が引き起こしそうな騒ぎを心配している童士は、最終確認を彩藍に求める。

「大丈夫やって、僕の方が童士君よりも小さいんやから…そないに目立たへんのと違うかな?
それに僕やったら、もしかしたらお客さんと誤認される可能性もあるやろし。
ほら、やっぱり衣装の選択って大事なんやねぇ。
童士君の姿は、どう見ても盗人か間諜(スパイ)にしか見えへんやん?」

 出掛けに発生した一悶着を蒸し返す勢いで、童士の装束をチラ見する彩藍は、ニンマリと満足そうな笑みを浮かべる。

「フン、好きにするが良いさ。
それでは甲板に上った後は、周囲を警戒しながら船内への入口で落ち合おう。
彩藍…くれぐれも先走るんじゃないぞ」

 しつこい程に彩藍へ念押しする童士へ、彩藍は晴れやかな笑顔を見せつける。

「判ってますって、隊長。
僕が勝手な行動で、隠密作戦の妨害をする訳ないやん。
合言葉は『潜入・調査・戦闘・掠奪』やで、童士君も忘れんといてや」

 調子良く応える彩藍に童士は、頭を抱えながら鋭く突っ込む。

「馬鹿野郎、何が合言葉だ。
事前計画(ブリーフィング)の時から、項目が二つも増えてるじゃねぇか」

 童士の怒気を孕んだ一喝にも、彩藍はキョトンとした顔で受け流す。

「ありゃ?そうやったっけ?
ま、基本は隠密行動で…あとは状況判断(アドリブ)の中で行動すりゃエエやん。
もぉ童士君?チマチマと細かいことを気にする男は、華乃ちゃんに嫌がられてしまうよ」

 どうにも計画を無視する気がマンマンの彩藍に、童士は一つ大きな溜息を吐いて伝える。

「もう良い、好きにしろよ。
その代わり…この船が白か黒かの確認が最優先事項だからな」

 童士の最終の念押しにもヘラヘラと笑って、大丈夫大丈夫と応えながら船首へと向かう彩藍に、童士は言を重ねることを諦めた。

「さて、取り敢えずはこれを登り切らなければな」

 見上げる童士の前には、太さ十(センチ)の繋留索が船尾へと繋がっている。
 岸壁から繋留索へと飛び移った童士は、四肢に力を込めて全身でよじ登って行く。
 ほんの数分の登攀であったが、甲板に到着した童士の額には汗が滲み、その全身も薄らと汗ばんでいた。

「ふぅ…安定の悪い繋留索を登ることが、こんなに面倒だとは思わなかったな。
彩藍もまだ着いていないようだが…周囲に人の気配はないようだな」

 童士の言うように、甲板の船尾から見渡す限り巡回(パトロール)をする船員の姿は見当たらない。
 船橋(ブリッジ)の照明も、非常灯を除けば殆ど消灯されているため、甲板上は漆黒の闇に包まれているような有様だ。

「これは…どう云うことだ?
この船には誰も乗っていないのか、それとも全員が全員ともに船外に出てしまっているのか…」

 仕方なく童士は船橋の船首側にて発見した、船室(キャビン)へと向かう鉄扉の前で彩藍を待つ。
 暫しの時間をおいて彩藍がキョロキョロしながら、童士の待つ扉の前まで辿り着く。

「童士君?この船はどないなっとるんやろ?
ここから見える範囲では、何の気配も感じられへんよ。
もしかして、幽霊船とかなんやろか…」

 セント・タダイ号に乗り込んだ時点で盛大な出迎え(戦闘)を期待していた彩藍は、予想を裏切る静寂と暗闇に直面し戸惑いを隠せない。

「ハッ!そんな訳はないだろう。
どちらかと云えば、乗組員全員が神戸の街へ出払ったか…船内で俺達を潰すための罠を仕掛けてるかのどちらかだろうよ」

 童士の予測は前者についてはあり得ず、後者についてはそら恐ろしいものであったのだが…獰猛な笑顔を浮かべる童士は、後者の状況を待ち望んでいることがありありと察せられた。

「童士君?何で君はそないに戦闘狂(マゾヒスト)なんや?
こんな真っ暗な船の中で歓迎会なんて、悪趣味を通り越して…一周回って逆にお洒落やん。
そんな悍ましい吃驚歓迎会(サプライズパーティー)なんて喜ぶんは、童士君か童士君か…童士君ぐらいしか()らへんで」

 真顔で失礼なことを発言する彩藍を、童士は舌打ち一つで牽制する。

「誰が被虐性愛者(マゾヒスト)なんだよっ!
それに…喜んでるのは俺だけじゃねぇか!」

 頭から湯気を出さんばかりに怒る童士を見ながら、彩藍は意地の悪い笑顔でクスクスと笑う。

「おっかし〜な〜。
両方とも、童士君そのものやと思うんやけどなぁ」

 更に話を拡げようとする彩藍に、童士は片手を挙げて言葉を遮り制止させる。

「シィッ…彩藍、聞こえてきたぞ。
扉の向こうから、何者かが近付いて来ているようだ」

 迫り来る殺戮の饗宴に対する期待感で童士の顔は火照り、両眼はギラギラと妖しく輝いている。
 そんな童士を横目に見ながら彩藍は、気怠げに肩を回し戦闘への準備を整える。

「どうする彩藍、扉が開くのを待つか…こちらから開いて飛び込んでみるか?」

 当初の予定である隠密行動についての打ち合わせは、記憶の彼方に飛び退ってしまったのだろうか…鼻息荒く飛び込もうとする童士を彩藍が宥めて止めようとする。

「いやいや童士君…()()調()()が基本の作戦やんか。
こっちから飛び込んで、普通の人やったらどないするん?
それこそ国際問題に発展してしまいますよ〜?」

 事前の打ち合わせとは真逆の役割で、暴走と抑制の立場を入れ替えさせた童士と彩藍は、静かにしかし確実に相争っていた。

「判ったよ!
じゃあ…少し下がって待ってりゃ良いんだろ?」

 少しだけ冷静さを取り戻した童士が折れて、扉から死角となる物陰に童士と彩藍は身を隠す。

「来るぞ!」

 鬼の聴覚で船内から近付く足音を聴き取り、童士は彩藍へと素早く告げる。
 ゆっくりと開かれた鉄扉の奥から、童士と彩藍に届いたのは異様な臭気だった。
 腐った魚と海底のヘドロが混じり合ったような、眼を刺す刺激臭が童士と彩藍に襲い掛かる。

「これはっ!何の悪臭だっ!」
「アカン…鼻がもげてしまうやん」

 童士と彩藍が同時に反応(リアクション)すると、次の瞬間には鉄扉の内側から黒い影が姿を現した。
 ヌメヌメと黒光りする肉体を、白い船員の制服に身を包んだ異形の怪物…かつて漆原母娘を襲い、童士と相対した『深き者ども(ディープワンズ)』の醜悪な姿であった。
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