第44話 不破と灰谷は赤煉瓦倉庫に潜入する

文字数 2,609文字

 神戸港に宵闇が訪れる頃、輸出入の船舶も停泊地で休息し…出荷と入荷で立ち働いていた港湾労働者の沖仲士達も、その日の仕事を完了させ、各々の自宅へ帰り着いた頃合い。
 日中の喧騒が嘘のように、シンと静まり返った潮臭い港には…繰り返す波の音だけが聞こえていた。
 英吉利由来の赤黒い煉瓦にて装飾された、神戸港の煉瓦倉庫群の立ち並ぶ一帯に…怪しい二人組の影だけが息を潜めて立っている。

「さて、彩藍よ…人目に付かない時刻まで待ったが、目的の倉庫も静まり返っているようだな」

 大きな影は不破童士の、それより頭一つ小さな影は灰谷彩藍のそれである。
 彼等は新開地商工会議所会頭の銀機ハルより入手した、敵の潜伏先と思しき倉庫付近にて最終の打ち合わせをしている。

「うん…せやねぇ『ろの五筋で二十五番倉庫』か。
確かにあそこが、当該の場所みたいやわ。
何の気配も感じられへんけど、取り敢えずは踏み込んでからの勝負で良いんちゃうかな?
受け荷も送り荷も入っとらん、空き倉庫みたいやしね」

 突入の前提で話を進める童士と彩藍は、これまた銀機ハルより入手した、煉瓦倉庫の建築図面を開いて思案に暮れる。

「倉庫の規模は神戸港最大級だが、出入り口は南側の一箇所のみか…。
彩藍どうする?
二人揃って、入り口から一気に行くか?」

 基本的な仕様(スペック)として、良く云えばゴリ押し…悪く云えば何も考えていない、猪突猛進型の思考で提案する童士に彩藍は反論する。

「童士君…流石にそれはナシやろ。
二人揃って敵さんの罠に突っ込むんは、かなりの下策やと思うよ。
倉庫上部に換気用の窓があるから、僕が上の北側から回り込むわ。
童士君は南側入り口の真正面から、男らしくガバッと突入してくれるかな?」

 彩藍の反論に、流石の童士も頷く。
 面倒な上に、窮屈そうな侵入路を彩藍が選択してくれたからこその素直な同意ではあったのだが。

「了解だ、それで行こう。
それでは突入の時間だが…神戸港の定時警笛(サイレン)が午後七時に発報される筈だ。
音に紛れて侵入が可能かも知れんから、発報と同時で突入と云う段取りでどうだ?
俺が陽動の意味も込めて派手に入ってやるから、彩藍お前は換気窓から忍び入ってくれ」

 童士の案に、今回は彩藍も乗っかる。

「了解。
それやったら二時間後ぐらいに突入って感じやね、適当な時間に配置しに行くわ。
それで狙い目やねんけど…どないする?
ハイドラを先に這い寄る混沌(ナイアルラトホテップ)を後に個別撃破するんか、それぞれに因縁のある…童士君がハイドラを、僕が這い寄る混沌(ナイアルラトホテップ)を狙うか。
それとも先に這い寄る混沌(ナイアルラトホテップ)を撃破して、後からハイドラをぶっ潰すか…やねんけど?」

 彩藍の質問に、童士は愚問だと言わんばかりに表情を浮かべた直後に…ニヤリと笑いながら答える。

「そんなモノ…決まってるだろうがよ。
後も先もねぇ、互いに出会った方を潰しに掛かりゃ良いんだよ。
どっちがどっちを()るかなんて、決め撃ちすんのが無意味(ナンセンス)な話だな。
戦闘に一対一も二対一も、卑怯も正々堂々もねぇ。
その場の状況で、その場の戦闘に勝ちゃあ良いんじゃねぇの?」

 単純明快な鬼の論理を述べる童士に、彩藍もまたニヤリと笑って返す。

「じゃあ…混戦も乱戦もお構いなし。
どっちがどっちの首級(くび)を獲ろうが、恨みっこなしの出たトコ勝負って感じで良いんやね?」

 快活な声で物騒かつ適当な作戦を決定する彩藍に、童士も同意しつつ頷く。

「今夜の肝は、華乃を生きて取り返すことだ。
そしてハイドラと這い寄る混沌(ナイアルラトホテップ)を、俺達の手で叩き潰す。
何も深く考える必要はねぇな、考えることは任部の旦那やハル婆さんに任しときゃ良いんだよ。
俺達は目的を果たすために、生きる、殺す、手に入れるって云う悪党の三原則を守るだけだな」

 自分自身の発言に勢い付き、鬼の戦闘態勢(モード)没入しつつある童士を見遣りながら…彩藍もまた彼なりの規範(ルール)に則り、気合い(テンション)を高めて行く。

「ま…僕の場合は、目的がお宝の奪取にもあるんやけどね。
童士君がド派手に暴れてる間に、ちょっとだけ探索でもして見ようかな?」

 ニンマリと笑い笑顔を浮かべる彩藍の呟きは、童士に聞こえてはいない模様。

 そして合図の刻限が近付いた頃合いに、一匹の鬼と一羽の烏がそれぞれの持ち場へと散って行く。
 片方は憎悪に基づく暴力への渇望を満たすため、もう片方は怠惰に基づく欲望を満たさんと欲し…各々が各々のためだけにその力を打ち振るおうと画策していた。

 そして時は来た、静寂に包まれた神戸港に鳴り響く甲高い警笛の声。
 午後七時の合図と共に、童士は赤煉瓦倉庫の入り口へと取り付き…大の大人が数人掛かりで開閉する仕様の巨大な扉をこじ開ける。
 両の腕をブルブルと震わせ、縒り合わされた太綱のような筋肉を膨張させた童士の手が、ついに扉を開き始める。

「ウッ!
グウォォォォォォーッ!!」

 自分自身の存在を隠す意図を持たない童士の、野獣の咆哮にも似た気合いの雄叫びと共に…赤煉瓦倉庫と外界を隔てる分厚い壁に亀裂のような隙間を作り、さらにその傷口を大きく開いて行く。
 照明の光すらない、漆黒の暗闇に支配された赤煉瓦倉庫の中へ、童士が一歩足を踏み入れた瞬間…童士の強化された鬼の視覚は捉えた。
 赤煉瓦倉庫の広大な敷地の中に潜み棲む、数十体の深き者ども(ディープワンズ)の群れが作る織りなす影と…ギラギラと鈍く光る眼の輝きを。
 そしてその最奥には仁王立ちで佇み、童士へと憎しみの視線を一直線に向ける…褐色の肌をした女体の影を。
 無意識に舌舐めずりをした童士は、その顔に邪悪とも云える笑みを浮かべて歯を剥き出した。

「ハイドラよ…やっと会えたな。
お前を叩きのめすために、ここまでやって来たんだ。
今度こそは、決着(ケリ)を付けさせてくれるんだろうな?
勿論…お前がこの地面に這い蹲る決着をなっ!」

 童士の戦名乗りの如き叫びを聞いたハイドラも、周囲に響く大音声で返答する。

「不破童士!
我を傷付け…我が信徒達を屠りし大罪を犯した咎人よ!
今宵こそはお主を弑して、ルルイエに座す我が父神(ちち)への供物としてくれるわっ!!」

 ハイドラの声を合図にした深き者どもの群れが、のっそりと童士に向かって歩き出す。
 その様子を見ていた童士は、背負っていた天星棍を抜き取り両手に構える。

「さあっ!来いよっ!
今夜で、手前等との戦いを終わらせてやるよっ!
心して掛かって来やがれっ!」

 夜の闇に覆われし神戸港の赤煉瓦倉庫に、死臭と血煙に塗れた殺戮の饗宴…その第三幕が切って落とされようとしていた。
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