第41話 灰谷は七ツ眼の悪魔から真実を告げられる①

文字数 3,235文字

 童士と別れた彩藍は、拠点である大輪田芸能興行社へと一旦戻り…激闘の名残を残す三つ揃いの背広を脱ぎ捨て、新たな衣装を身に着けた。

「流石に…福原一の大妓楼(おおだな)へお伺いすんなら、こんな焦げ臭い背広じゃアカンもんねぇ」

 誰も聞く者など居ない自室で、言い訳じみた独り言を呟く彩藍であった。
 新開地一の洒落者を勝手に自称している彩藍にとって、身だしなみを整えることは…気合いを注入する要素であり、精神安定のための儀式でもあったのだ。

「それじゃ、任部の旦那に会いに行きますかね」

 常よりも短い時間で着衣を整えた彩藍、やはり華乃に対する拉致と云う事実が…少なからず彩藍にも焦りとして影響を及ぼしているように見える。
 その歩みも平常時ならば、ブラブラと云うべきかダラダラと表現すべきか迷われるような怠惰な動きであるのだが…今日ばかりは夜が明け切らぬ花街を、大股にスタスタと速足で進んで行く。

「おっ!
彩藍坊やないか、こんな時分に何処へ行きよんねん?
こんな朝早うから、開いてる妓楼も飲み屋もあらへんぞぉ」

 道行く帰宅途中の顔馴染みの男衆(おとこし)に声を掛けられる彩藍だったが、笑顔で手を振りながら通り過ぎるのみ。
 何時もであれば益体もない立ち話に時間を費やす、人好きのする馬鹿話が好きな彩藍が立ち止まりもしないことに…声を掛けた男衆は首を傾げるばかり。

「なんや…彩藍坊、今日はエラいこと急ぎやな。
また下手打って、任部社長にでも叱られでもしよるんかいな?」

 日頃の行いの悪さが祟ってか、急用ですら後ろ向き(ネガティブ)の評価しか与えられない彩藍であった。
 そうこうする内に、彩藍は小夜曲の前まで到着する。
 昨夜の営業もとうに終い、閑散としていて然るべき妓楼の前には…何故か真剣な表情で佇む音羽多吉の姿があった。

「多吉さん…毎度」

 少し驚きながらも笑顔で音羽多吉に手を挙げる彩藍に、音羽多吉は神妙な表情のまま語りかける。

「彩藍…来たか。
社長の言う通りやったな。
お前が来たら、社長室へ案内するように申し付かっとるんや。
何でか知らんが…今日はワシも一緒に来いと言われとる。
早速で悪いが、社長室まで来て貰えるか?」

 頷く彩藍の胸中に浮かぶのは、任部勘七の情報収集能力であれば…この程度の段取りなど(むべ)もないのであろうと云う感慨であった。
 任部勘七の待つ社長室へ向かう途上で、彩藍は音羽多吉に問いかけてみる。

「任部社長は何で今回は僕だけやなくて、多吉さんまで呼ばはったんですかねぇ?」

 ふーむと首を傾げる多吉は、些か投げ遣り気味に答えた。

「そんなこと…ワシに判る訳ないやんけ。
ワシに理解出来るんは、社長の考えと行動を信じるだけっちゅうこっちゃな。
ワシみたいな凡人に社長の(おつむ)の中で起こっとる、何を見て何を聞いたら…そないな着地が出来んねん、みたいな摩訶不思議な考えは及びもつかん。
せやけどな…これまで過去二十年もの間、社長の決めた判断と方針は一遍たりとも間違っておらなんだ。
一個だけ困るんは、社長の頭の回転が早過ぎてか指示が要約され過ぎとるから…社長の指示を的確に実行出来るんがワシしか居らんっちゅうことだけやな」

 ワハハと笑う音羽多吉に、彩藍は『神さんのお告げを聴く教祖みたいなオッさんやな…この人』と内心で突っ込みを入れてしまう。

「そしたら多吉さんも、今回のお話についての中身はご存知ないと?」

「有り体に言えば、そう云うこっちゃ」

 こう見えて任部勘七の右腕である、音羽多吉にすら明かせぬ内容の話とは如何なる物か…彩藍は内心穏やかではない心持ちであった。
 物思いに耽る彩藍と平静な面持ちの音羽多吉、対照的な二人の男が任部勘七の座して待つ社長室の前に到着する。
 音羽多吉が社長室の扉を三度叩き、入室の許可を求めた。

「社長、灰谷彩藍さんを連れて参りました」

 任部勘七からの応えは、その直後に帰って来る。

「灰谷君、多吉…ご苦労様です。
…入りたまえ」

 任部勘七の声からは、平素の冷静さしか感じられぬ様子。
 扉を開いた音羽多吉に引き続き、彩藍も軽く頭を下げながら社長室へと入室する。
 室内で任部勘七は、常ならば微動だにせず腰を掛けている筈の…執務机の椅子から立ち上がって彩藍達を出迎えた。

「よく来てくれたね灰谷君、それに多吉も早朝からご苦労だった。
これから話す内容は、若干多岐に渡るものとなりそうです。
こちらの応接室にて、腰を据えて話したいのだが…構いませんか?」

 任部勘七にそう促されて、断れるものでもなかろうと…彩藍と音羽多吉は揃って首肯して同意を示す。

「それでは…二人ともこちらへ来て下さい」

 任部勘七に誘われ、社長室と続き部屋にある応接室へと足を踏み入れる彩藍と音羽多吉。
 応接室内は落ち着いた色合いの調度品と、これまた高級感が溢れるものの…品良く纏められた皮革製の長椅子や重厚な色合いの円卓が揃えられている。

「灰谷君に多吉、こちらに掛けて貰えますか?」

 任部勘七に勧められるがまま、彩藍と音羽多吉は並んで着席した。

「私からの報告は大きく分けて二点あるのですが…取り敢えずは緊急性を要する内容からについて、聞いて頂けますか?」

 彩藍と音羽多吉は背筋を伸ばし、真剣な表情で傾聴の姿勢に入る。

「では最初に、灰谷君にも調査依頼を出している…旧き神々(エルダーゴッズ)の一党について新たに判明した事柄からです。
不破君の遭遇したハイドラと名乗る女怪と、その出現に係る…と思われる連続殺人事件についてですが、先日の調査で新たな事実が詳らかにされたのです」

 前置きを終えた任部勘七は、彩藍の眼を真っ直ぐに見つめる。
 彩藍と眼を合わせた任部勘七は、軽く頷いて話を続ける。

「連続殺人の被害者である女性達については、遺体が激しく損壊されていて…遺体から持ち去られた部位があることは灰谷君もご存じですよね?」

 問われた彩藍は、姿勢を崩すことなく目礼で返答に替える。

「懇意の神戸大学附属病院で監察医をしている医師からの情報提供と、多吉の筋から仕入れた兵庫県警察部の情報にて確認が取れました。
多吉もこの内容に、間違いはないね?」

問われた音羽多吉も、直ぐに頷き肯定する。

「遺体が発見された街娼及び、ハイドラ出現の直前に殺害された漆原泉美さんの死体検案書を精査すると…遺体から欠損している部位について、内臓の異なる部位が失われていることが判明しました。
例えば漆原泉美さんの場合ですと、心臓のみが消え去っていますね。
他の女性達についても、肺の片方や食道に胃…他の臓器も一人の遺体から一つずつ奪われているようです。
灰谷さん、こちらをご覧下さい」

 任部勘七より手渡された死体検案書の写しを、彩藍は一葉毎に繰って確認して行く。

「ホンマですね…一人から一つずつ切り取られた部分で、五臓六腑が完成してますやん」

 彩藍の言葉に、任部勘七も重々しく頷く。

「そうなんです、私はそこにハイドラの秘密があるような気がしてなりませんでした。
不破さんから聴取した話では、ハイドラの外見は陽ノ本の人種ではなかったとのことですが…」

 任部勘七の問いに、彩藍は即答する。

「はい、南洋系の外見やと聞いてます」

 そうですかと頷き、任部勘七は推論を語り出す。

「殺害された女性達から奪われた各臓器は、ハイドラを構築するための素材だったのではないでしょうか?
這い寄る混沌(ナイアルラトホテップ)の一味は、ハイドラの外観を南洋の島国で入手し…陽ノ本へと侵入して来た。
そして陽ノ本の殺害された女性達から奪取した臓器を用いて、女怪ハイドラの身体を完成させた。
したがってハイドラとは、死体を繋ぎ合わせた人造(フランケンシュタイン)の怪物とも云える存在なのでしょう。
そこから導き出せる解答は、旧き神々(エルダーゴッズ)の一群とは実体を失った…()()()()()と云うべき生物なのかも知れませんね」

 眼鏡の奥から鋭い眼光で彩藍を見つめながら、任部勘七は険しい表情で自身の辿り着いた推論を語り終える。
 その任部勘七に向かい合って座る彩藍は、名状し難い本能的な恐怖感に苛まれ…背筋を凍らせるような悪寒を感じていた。
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