第53話 灰谷は混沌と死合う③

文字数 3,004文字

 怒れる彩藍と云う珍しい状況(シチュエーション)に、実は彩藍自身が戸惑っていた。

『何で僕は、こないに怒っとるんやろかいな?
這い寄る混沌(ナイアルラトホテップ)の仕込みなんて、イカサマ博打と(おんな)じやのになぁ…。
ん!?そうか!
僕がイカサマ博打を仕掛ける側やったら、腹も立たんしザマア見ろぐらいの勢いはあるけど…僕がイカサマを仕掛けられる立場やからムカつくんやなぁ。
成る程、成る程…それは僕が怒っても仕方(しゃあ)」ないわ』

 かなりの身勝手な論理だが、彩藍の中で怒りの理由に思い当たったことで、彩藍なりには得心が行ったようだ。
 自分の感情に区切りの付いた彩藍は、右手に黒烏丸そして左手に小烏丸を構えて、這い寄る混沌(ナイアルラトホテップ)との距離を素早く詰める。

「相変わらずの鈍間(ノロマ)さんやなぁっ!
そんなんやったら、僕の速攻は止められへんでぇっ!」

 這い寄る混沌(ナイアルラトホテップ)を嘲りつつ、彩藍は黒烏丸と小烏丸を交互にそして自在に操りながら、這い寄る混沌(ナイアルラトホテップ)の触手群を斬り飛ばして行く。
 黒烏丸に斬り落とされた触手は床面に落下してのたくり、小烏丸に斬り裂かれた触手は空中で霧散し影も形も残らない。
 しかし敵もさるもの、這い寄る混沌(ナイアルラトホテップ)は彩藍に触手を斬り刻まれながらも瞬時に傷口から触手を増殖再生させ、彩藍の頭を胴を脚元をつけ狙う。
 移動の速度は彩藍に劣るものの、攻撃速度について両者の状況は五分と五分であった。
 しかしながら彩藍は二刀、這い寄る混沌(ナイアルラトホテップ)の攻撃手段は、両腕と頭部から派生した数多の触手であったがために、情勢は徐々に彩藍が防戦一方となりつつあった。

「フフフッ。
灰谷彩藍さん、足場を固定しての攻防については…私の方に分があるようですねぇ。
この広い倉庫内では、貴方の速度を活かした奇襲攻撃は難しいのではないですか?」

 真剣勝負の最中に余裕を見せながら、這い寄る混沌(ナイアルラトホテップ)は彩藍を嗤う。
 確かに傷を負ってはいないものの、這い寄る混沌(ナイアルラトホテップ)の触手を捌き切れなくなって来た彩藍の衣服が、研ぎたての剃刀で切られたように薄い傷を重ねられて行く。

「何や何や、人がチョロチョロ動き回らんと勝たれへん…薄汚いネズミ野郎みたいな言い方してくれるやないけ。
舐めんのも、大概にしとけっちゅうんじゃ!
どちらかと云うと、僕は灰色猫みたいやろ?
しなやかに動いて、両手の爪で獲物(アンタ)を狩り取るってねっ!!」

 そう言うなり彩藍は本物のネコ科の野生動物のような、しなやか且つ流麗な動作で這い寄る混沌(ナイアルラトホテップ)の触手群を黒烏丸の刀身で刈り取る。
 その空いた間隔(スペース)に潜り込むと、小烏丸の短い刃で右脇下から肩ごと右腕の触手をぶった斬った。

「ゴオッ!!グゥエェェェッ!!」

 小烏丸がもたらす退魔の能力(ちから)、その威力に斬り離された這い寄る混沌(ナイアルラトホテップ)の右腕たる触手。
 ブスブスと白煙を上げながら塞がらぬその傷口に、這い寄る混沌(ナイアルラトホテップ)は痛みに苦しみ咆哮を発する。
 敵に大きな衝撃(ダメージ)を与えた彩藍は、這い寄る混沌(ナイアルラトホテップ)の右側面を駆け抜け背後に回り込む。

「ほら、見てみぃっ!
相手(ひと)のことを舐めて、余裕をぶっこいとるさかいに…そないな目ぇに遭うんじゃっ!!」

 勝ち誇ったように叫ぶ彩藍の顔は、小烏丸の切れ味が伝える感触の余韻に浸るよう…達成感のある爽やかな笑顔を宿していた。

「ほれっ!
追撃も喰らっときなはれやっ!

臥竜炎鳳雛雷(がりょうえんほうすうらい)!!!』

そりゃあっ!」

 彩藍の突き出す左手に握られた小烏丸の切先から、這い寄る混沌(ナイアルラトホテップ)に向かって蒼焔と緋雷が縒り合わされた煌めく光の束が迸る。

「ヒギィィィィィッ!!!」

 空間を灼き尽くし酸素同素体(オゾン)を焦がす異様な臭気を残して、超高温の呪術熱量(エネルギー)が狙い過たず這い寄る混沌(ナイアルラトホテップ)の右上半身を直撃した。
 小烏丸の斬撃によって剥き出しとなった這い寄る混沌(ナイアルラトホテップ)の内部組織は再生途上で焼却され、歪な形の未形成な部位を保持したまま炭化し固着する。
 鎮火することなく永劫に発火と燃焼を繰り返す、永久機関と化した這い寄る混沌(ナイアルラトホテップ)の右腕触手は蠢きながら燃え散らされ…破壊と再生の輪廻(サイクル)に暴走し始めたようだ。

「ガアァァァァァァッ!
灰谷…彩藍…汝はっ!?
何を…したのだあぁぁぁぁぁっ!」

 絶対的上位者であると自負し、三千世界の頂点位階(カースト)の一員である己を…自身が仕える主神すら嘲笑していた己を、一度ならず二度までも深く傷付けた矮小な半妖怪の彩藍に向けて、這い寄る混沌(ナイアルラトホテップ)は呪詛の叫びを漏らす。

「アンタ…阿呆やろ?
僕が何をしたかなんて、教える訳あらへんやんか。
斬られて燃やされて散々な痛い目に()うたんは、いかなボケナスのアンタにも判るやろ?
それが結果で、それこそが僕とアンタの実力差ってことで納得して(もろ)たら万々歳ってトコやないのかな?

ねぇ…千の貌を持つ神(ナイアルラトホテップ)さぁん?」

 ニヤニヤと薄笑いを浮かべ、聞く者の神経を逆撫でするような口調で、彩藍は這い寄る混沌(ナイアルラトホテップ)を嘲る。
 斬り落とされた右腕を再生しては燃え尽きてを未だに続けている這い寄る混沌(ナイアルラトホテップ)は、痛みと屈辱と怒りにその身を震わせている。
 貌なき顔を彩藍に向けた這い寄る混沌(ナイアルラトホテップ)は、ブルブルと震える躰を抑えることもせず彩藍へと叫び吠える。

「灰谷ぃ…彩藍……
我を…愚弄するとは…小賢しい……
汝の死を以って…罪を贖い……
汝の魂を…永劫の苦しみに…満ちた…牢獄へ封じ込め……
白痴の魔王(アザトース)への…供物としてくれる……」

 一句一句を区切りながら、彩藍への怒りを込めた台詞を這い寄る混沌(ナイアルラトホテップ)は吐き捨てた。

「アンタさぁ、ホンマに怒りん坊さんなんやねぇ。
そないに始終怒ってはったら、身体が悪ぅなってしまうよ。
僕みたいに朗らかな気持ちで、毎日を楽しく暮らさなぁしんどいんと(ちゃ)いますぅ?」

 這い寄る混沌(ナイアルラトホテップ)の怒りもどこ吹く風、彩藍はヘラヘラと笑いながら()()()()告げる。

「我の怒りをその身に受けよ、灰谷彩藍っ!
許されざる罪を犯した、咎人に相応しい報いを知らしめてくれるわっ!」

 言うなり這い寄る混沌(ナイアルラトホテップ)の肉体は、自身の脚元に向かって崩れ落ちる。
 それはまさしく生命の進化を逆回転させたような、退化へと至る変異であった。
 その身を液状と化し、彩藍の眼前に漆黒の穢れた液溜まりが発生していた。
 黒き血の池、その形容がピタリと合致するような液溜まりから突然、複数本の触手が湧き上がる。
 液体をそのまま触手と化したような、()()()を帯びた触手が彩藍に襲い掛かる。

「お〜いっ!何じゃこりゃ!?」

 以前と同様に迫り来る触手を斬り飛ばそうと、二刀を振るう彩藍であったが…液状の触手は切ろうにも切れず、刃が潜り込んだ側から結合して行く。
 忽ち彩藍は触手に絡め取られ、四肢の自由を奪われる。

「オイ!コラ!
離さんかいっ!!」

 空中に持ち上げられ身動きの取れない彩藍は、踠きながら叫び声を上げる。
 その声が届いているのかいないのか、這い寄る混沌(ナイアルラトホテップ)であった漆黒の液体は、彩藍の躰をそのまま無造作に二度三度と床面へ叩き付ける。

「グホォッ!
ガハァッ!」

 四肢を絡め取られているため、受け身の取れない彩藍は甚大な被害を被っているようだ。

「あ……ゴメンなさい。
ホンマに離してくれへんかな……?」

 弱々しい声で哀願する彩藍を、這い寄る混沌(ナイアルラトホテップ)はまたもや無造作に放り投げる。
 彩藍が投げ飛ばされた先には、童士とハイドラが飛び込んだ大穴が口を開いて待っている。
 その穴へと落とされながら、彩藍は悲しげな声で呟いた。

「何で僕ばっかりこないな目ぇに遭うんや〜。
オチが落ちるだけのお兄ちゃんになってしもとるがなぁ…」

 その声を聞いているのは、ズルズルと引き摺るような音を立てて穴に落ちた彩藍を追う這い寄る混沌(ナイアルラトホテップ)だけだった。
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