第36話 不破と灰谷は魔船にて共闘する①

文字数 3,178文字

 変異の完了したグスタフ・ヨハンセンであった怪物は、怒りと憎しみの混在した視線を童士に送って寄越す。
 その視線を真っ正面から逸らさぬように見つめ返す童士の眼は、澄み切った湖の水面の如く一点の曇りもなく冴え渡っていた。

「行くぞっ!
グスタフ・ヨハンセンっ!!」
「ゴルアァァァァァッ!!」

 童士が叫び、グスタフ・ヨハンセンも咆哮を上げる。
 初手に天星棍をグスタフ・ヨハンセンの胸元へと突き出す童士、その攻撃に怯むことなく右手の鉤爪で受け止めるグスタフ・ヨハンセン。
 鬼と怪物…二匹の獣が放った一合の攻防は、完全な引き分けに終わったようだ。
 ギリギリと力を込めて天星棍を突き出し続ける童士に、受け止めた鉤爪で相手の得物を弾き飛ばそうとするグスタフ・ヨハンセン。
 筋肉に力を送る細かい震えを除くと、両者の肉体はその場で微動だにせず…力比べの姿勢のまま彫像のように硬直していた。
 漆黒の闇と静寂に包まれたセント・タダイ号の操舵室に、童士とグスタフ・ヨハンセンの吐く荒い呼吸音だけが響いている。

「フン…膂力(ちから)はほぼ互角のようだな、グスタフ・ヨハンセンよ」

 全身に力を込めたまま、食い縛った歯の隙間から童士が心底楽しそうな声で話し掛ける。

「不破童士…その小さな身体で、よくも私と渡り合えるものだ」

 上から天星棍を鉤爪を用いて抑え込む姿勢を崩さず、グスタフ・ヨハンセンも童士の声に嬉しそうに応える。
 鍔迫り合いの態勢で静止する両名にとって、己の肉体から迸る力と…鍛錬の成果である武技こそが誇るべき全てであるかのようだ。 
 その言葉から察するに、不破童士とグスタフ・ヨハンセンは見た目と思想信条は大きく異なれど、闘争に向かい合う真摯さから云えば…互いに互いを認め合うべき似た者同士であったのかも知れない。

「ここに来て、ようやく俺の力と天星棍の合わせ技を試せる相手に出会えたか…グスタフ・ヨハンセンよ感謝するぜっ!」

 均衡状態であった力比べの態勢から突如として飛び退る童士、次の一手に向けて油断なく天星棍を脇構えに据えてグスタフ・ヨハンセンの動向を注視している。

「オラッ!
ここからは速度重視で行かせて貰うぞっ!」

 脇構えからの前傾姿勢、童士は渾身の力をその両脚に込めて弾丸のような速さで飛び出した。
 暗闇に光るは童士の両眼の白き輝きのみ。
 巨体を低い姿勢に保ち突き進む様子は、猫科の肉食獣が獲物を捕食するために狩猟する姿にも似た雰囲気を漂わせる。
 グスタフ・ヨハンセンの許へと殺到した童士は、脇構えの低い姿勢のまま右下から左上へと天星棍を鋭く振り抜いた。

「ジャッ!!」

 童士の速攻に一瞬虚を突かれた形のグスタフ・ヨハンセンではあったが、速く重く鋭い童士の振り抜きに対し、更に深く童士に向かってその左脚を踏み込んだ。

『ガシィッ!』

 童士が天星棍を振り抜く契機(タイミング)より一瞬だけ早く、グスタフ・ヨハンセンは天星棍の軌道に入り込む。
 天星棍が最高速で直撃する寸前で、グスタフ・ヨハンセンの左脇腹に童士の渾身の一撃は抱え込まれた。
 致命的な一撃とはなり得なかったが、グスタフ・ヨハンセンの巨大な肉体は…天星棍を受け止めたことにより一米突ばかり右方向へと引き摺られる。

「ほぅ…やるじゃねぇか、グスタフ・ヨハンセン。
もし手前が後ろに下がっていたら、振りの衝撃波で腹を切り裂かれていただろうし…上に飛んでいれば返す刀で真下から突き上げられていただろうからな。
よくも振り抜きを恐れず踏み込んだモンだ、それに…脇で受け止めた瞬間に身体を浮かせて打撃の勢いを上手く殺しやがったな。
手前が身体と力だけに頼った、ただの『怪力馬鹿』の化け物じゃねぇってのが俺にも良く判ったよ」

 童士の賞賛を一身に浴びたグスタフ・ヨハンセンであったが、面白くもなさそうに鼻を鳴らす。

「フン…お前の方こそ速いではないか。
一撃で私を殺そうとせずに、小さい挙動で振り抜かれていたら…受け止めることなど不可能であったかも知れぬ攻撃だったぞ」

 グスタフ・ヨハンセンの言葉に、童士は思わず笑み綻びる。

『ブォッン!』

 直後、自身の左脇に天星棍を挟んだままのグスタフ・ヨハンセンは…左腕一本で童士を持ち上げ、振り回し放り投げた。
 笑みを浮かべた瞬間に、ほんの僅かだけ力が抜けてしまったのだろうか…笑顔と驚愕が混合された表情で童士は宙を飛ぶ。
 せめてもの救いは、得物である天星棍を手放さなかったことのみだろう。
 天井高ギリギリの高さで放物線を描いた童士の身体が、長い対空時間の末に操舵室の床へ横様に叩きつけられた。

『ズッ!ドグシャッ!!』

 あまりの落差により受け身すら取れず、床板と童士が衝突する音が操舵室に響く。

「手前…卑怯な手を…使いやがってぇ…」

 常人ならば重傷を負ったとしても不思議ではない体勢と速度で落下した童士であったが、落ちるや否や立ち上がりグスタフ・ヨハンセンへ苦情(クレーム)を入れる。

「あぁ…済まなかった。
お前の国の流儀では、真剣勝負の最中に油断し…力を抜いた者へ攻撃を加えることを『卑怯』(COWARD)と云うのか。
私の常識とは余りにかけ離れ過ぎているのでな、今後は気を付けるとしよう」

 童士からすれば誉め殺しのような真似をすることが、卑怯と非難されるべき行為だと云う意味での苦情だった。
 しかし文化的背景の違いか、論点をずらすはぐらかしか…グスタフ・ヨハンセンには童士の真意が伝わっていないようだ。
 戦闘中に無関係なことを考えている自分こそが、集中力の欠けた状態でいることに気付いた童士は…もういいよと呟いて天星棍を構える。

「次は…私から始めさせて貰おう」

 グスタフ・ヨハンセンが、告げる声と同時に動き出す。
 巨大な肉体から予想を上回る速度で、滑るように音を立てず童士に向かって行った。

「うぉっ!?」

 先程の落下による衝撃から未だ完全には立ち直っておらず、若干足元をふらつかせていた童士に対し…グスタフ・ヨハンセンは両腕を広げた姿勢で体当たりをぶちかました。
 鈍い衝突音を残して、童士とグスタフ・ヨハンセンは操舵室の壁面へと更に速度を上げて突き進む。
 童士が逃れられぬようグスタフ・ヨハンセンは、激突した瞬間に大きく広げた両腕を…童士の背に回しガッチリと組み合わせたのだ。
 そのまま二人分の体重を乗せ、速度を乗じた物理法則に従ったまま、童士の背中は操舵室の壁に叩きつけられる。

『ゴッ…メキメキメキ…バリバリ…ゴゥン!』

 童士の背中が操舵室の木製壁を突き破り突き進み、最後には船体の金属壁にまで押し込まれた。
 グスタフ・ヨハンセンは童士の背に両腕を回したまま、更に力を込めて童士を熊の抱擁(ベアハッグ)の体勢で締め上げる。

「グゥッ…ウオォォォォォ…」

 巨大な怪物の強大な両腕に捕らえられ、締め上げられる童士が苦悶の呻き声を絞り出す。
 このままでは背骨を真っ二つにへし折られるか、締め上げられたまま呼吸困難に陥るか…最悪の二択を逃れようと童士が策を練り始めた時。

「グギィッ!!ギィィィィィィッ!!」

 童士の命運を掴んだ形のグスタフ・ヨハンセンが、突如として叫び声を上げた。
 それに伴い、少しだけ童士を抱える両腕の締め付けも緩んだようだ。
 その瞬間の隙すらも逃す筈のない童士は、グスタフ・ヨハンセンの両腕と自身の胴体に出来た隙間に…自分の両腕を捻じ込みグスタフ・ヨハンセンの胸元を強く押した。
 更に広がった隙間へと、両脚を折り曲げて差し込み…そのまま両脚でグスタフ・ヨハンセンの胸部を蹴り飛ばす。
 一瞬の間に達成された一連の脱出劇、死の抱擁から解き放たれた童士が壁の大穴からも脱け出した時、童士の眼にそれは映った。

 童士に蹴り飛ばされた姿勢のまま、床板の上で肩を押さえながら身悶えするグスタフ・ヨハンセンと…黒い背広を身に纏い、右手に抜き身の仕込み刀を握る灰谷彩藍の姿を。
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